032:【FRANCESCO】夜の図書館で、思わぬ出会い
前回までの「DYRA」----------
突然姿をくらましたDYRAはどこへ行ったのか。タヌは動揺を抑えながらも彼女の姿を捜す。そんな様子はRAAZも把握していた。錬金協会勢も動き出している中、タヌは錬金協会が運営する図書館へたどり着いた。
タヌが図書館に着いた頃。
「やれやれ」
フランチェスコ西側にある錬金協会別館にある貴賓室に、白い外套に身を包み、目以外完全に覆う陶磁器製の白いマスクで顔を隠した、背が高い人物が入ってきた。部屋の扉を閉めると外套を脱ぎ、コートハンガーに引っ掛ける。赤いシャツに黒のパンツ姿になった男は、ロングソファにどさっと腰を下ろすと白いマスクを外した。銀髪と銀眼の素顔が露わになった。
(あと二日、これが続くのか……)
時間を持て余すほど暇ならともかく、今このときに限っては愚民共の陳情を聞く茶番などうんざりだ。男はそんなことを思う。しかし他の誰でもない、自分で決めたルールだから仕方がないと割り切る。一〇〇〇年もの間に何度同じことを考えたか。来年があるなら来年こそもう適当な奴にやらせよう。豚にも餌はいるわけだが、わざわざ自らの手で撒いてやる必要などない。不幸中の幸いはせいぜい、超高齢を理由に、適当なところで切り上げられるくらいだろう。そんなことを思ったタイミングで、扉をノックする音が聞こえた。
「失礼致します」
扉が開き、厚底眼鏡を掛けた小間使い姿の女性が入ってきた。彼女は入るとすぐ、内側からの施錠を怠らない。
「ロゼッタか」
振り返ることもなく、気配だけで察すると、それ以上を口にすることなく、彼女からの報告を待つ。男にとって、彼女は誰にも面が割れていない貴重な戦力だ。
「会長。例の少年、西側の事務所の離れにある、図書館出張所へ。ここからは離れていない、むしろ、すぐそことも言いますが。あそこは知る限り……」
ロゼッタはやや困惑気味の声で男へ報告した。挙がった場所は副会長のイスラ派の強いエリアとして通っており、何かあったらおいそれと手を出すことができない。報告に、男は面倒くさそうな顔をした。
「動いているのか?」
「はい。向こうも少年を監視下に置いているようです」
「連中に渡す形で敷地から出すなよ? 最悪の場合、身柄を物理的に確保しても良い。ゴタゴタになったら後始末はこちらでやる」
「かしこまりました」
「それと、『客』は今どの辺だ」
「申し訳ございません。『お客様』の居場所ですが、そちらがまだ把握できません」
DYRAが未だに見つからないとは、どういうことなのか。自分が状況を支配できない時間が続くとそれだけ不利になる。今しばらく、やきもきする日々を過ごさなければならないのか。自分で捜しに行くことができればどんなに気持ちが楽になるか。男は内心、苛立った。それでも表情に出すことはない。ロゼッタに八つ当たりしても何かが変わるわけではないからだ。
「ガキの件は続けろ。『客』捜しもだ」
「はい」
ロゼッタは深々と一礼をしてから部屋を去ろうとする。だが、二、三歩ほど下がった彼女を男はすぐに呼び止めた。
「待て」
「はい」
男は僅かだが口角を上げて、切り出す。
「奥の間にピアノがあったが、あれは弾いても特に問題はないか?」
貴賓室の一番奥の部屋にある楽器について、男は問う。もちろん、爆弾の類などが仕掛けられていないかという趣旨だ。
「はい。確認済みでございます。ご安心下さいませ」
「感謝する。ロゼッタ。あとは任せる」
「はい。それでは失礼致します」
ロゼッタの姿がなくなると、貴賓室には再び男一人だけになった。
(まったく。煩わしい)
貴賓室の続き間、一番奥へ男は足を運ぶ。部屋に置かれたグランドピアノの椅子に腰を下ろし、鍵盤に指を置くと、穏やかな旋律の曲を奏で始めた。
同じ頃。図書館へ入ったタヌは、DYRAの姿がここにもないのを確認した。しかし、図書館に来たのに一冊の本も手に取ることなく帰るのもおかしいと思うと、膨大な書庫の片隅で本を読み始めた。他に利用者の姿はなく、閲覧用のテーブル席にも誰一人いない。それでも、タヌは書架の前で立ったまま読む。誰か来たときにすぐに退散できるようにするためだ。
(うー……ん)
タヌが選んで目を通したのは歴史書だった。分厚い上、細かい字で膨大な情報が記載されており、タヌには到底、内容を追い切れない。ただ、伝説の錬金術師とまことしやかに囁かれているRAAZにまつわることが書いてある本があればと思って探しただけだった。RAAZに関する本を読みたかったと言うべきか。理由は単純で、もしかしたらDYRAにまつわる話などが書いてあるかもと淡い期待をしたからだ。
静かな図書館だったが、外が少しだけ賑やかになったのか、その喧騒が少しずつではあるものの、図書館内にも聞こえるようになる。
(あれ?)
誰か来たのだろうか。今ここで面倒に巻き込まれるわけにはいかない。タヌは早々に退散しようと思い立つが、時、既に遅かった。図書館の出入口の扉が開いたのが見えると、扉の脇に二人の屈強そうな男と先ほどの受付の女性二人を従えた男性が一冊の本を手に入ってきた。
(おじいさん?)
シルバーグレイの短いながらもウェーブがかかった髪と、齢を重ねたことがわかる皺が刻まれた彫りの深い顔立ちに対し、足腰しっかりした筋肉質な体型。タヌの目には、何とも不思議な感じに映った。首から上は老人で、下は青年のようだからだ。男がしっかりした足取りで近づいてくるのが見える。見つかってはまずい。とっさに隣の書架の陰に隠れるべく、身を屈めようとしたときだった。
タヌは、老人とまともに目が合ってしまった。
「君」
タヌは焦った。しかし、この期に及んで下手に逃げたり隠れたりすれば、本を盗みに来た不審者の類かと本当に怪しまれてしまう。仕方がない。タヌは覚悟を決め、平静を装った。
老人がタヌへ笑顔を見せながら近づいてきた。
「えらいね。こんな時間まで一生懸命勉強するなんて」
タヌが立っている横の書架で立ち止まった老人が、持ってきた本を戻しながら声を掛けた。
よもやそんな言葉を掛けられるとは夢にも思わなかったタヌは、小さく会釈した。
「は、はい」
「若いうちから勉強をすることは、とても素晴らしいことだ。特に、歴史をちゃんと知ろうとするとは、見上げたものだ」
タヌは、現れた老人が自分が手にしている本にまで注意を払えていることに内心、ぎくりとした。老齢の彼が顔を近づけてタヌに関心を示すような素振りを見せると、タヌは、心の中まで見透かされているような気がして身が縮みそうだった。
「今どきの生徒たちは新しいことの吸収は早いが、どうにも歴史から学ばない子が増えたからね。君みたいな子がいると、私たちも心強い。これからも頑張りなさい」
老人の優しく、励ますような言葉を聞いて、タヌは安堵した。そして、この場は合わせて相槌を打って乗り切ろうと考えた。
「はい」
「夜も遅いから、帰るときはくれぐれも気をつけなさい」
「ありがとうございます」
老人が図書館を去るのだろう。タヌは助かったとほんの少し、気を緩める。その矢先。
「副会長」
「イスラ様」
扉の前で待っていた屈強そうな二人が老人を呼んだ。タヌと話していた老人が思い出したように一瞬だけ振り返ったが、再びタヌを見た。
「一生懸命勉強して、協会に来てくれれば嬉しい。でも、まずは人様のお役に立てる人になりなさい。頑張るんだよ」
老人が笑顔で告げてから、屈強な二人組と共に図書館を後にした。扉が閉まった音を聞いたところで、タヌは大きく深い息をついた。
(ビックリした)
タヌは手に持っていた歴史書を戻したところでふと、あることを思い出した。
(あの人、副会長って……)
そのとき、タヌの脳裏にある言葉が駆け抜ける。
「会長さんが不死身の錬金術師かはさておき、問題はもう一人の偉い人、副会長だ。クリストの話じゃ一〇〇歳とか言っていたっけ。一生懸命若作りだか若返るだか何だか知らないけどやっているって」
ペッレでサルヴァトーレが言った言葉だ。そして先ほどの人物は「副会長」、「イスラ様」と呼ばれていた。
(さっきの人のことかなぁ。結構年を取っているって感じだけれど、一〇〇歳じゃないよね)
あの老人と比べて良いなら、タヌの目にはレアリ村にいた長老の方がよほど一〇〇歳っぽく見える。同時に、別の言葉も思い出す。
「詳しいことは正直、あまり知らない。ただ言えることは、自分はその人、苦手。昔、そいつのお取り巻きが、都での自分の新作お披露目会を潰しにきたこともあったくらいだし」
(あんな優しい人が?)
サルヴァトーレの話でいけば、お披露目会を邪魔した人間はイスラだったはずだ。しかし、今出会った穏やかそうな老人から、仕立屋の仕事を妨害するような意地の悪さは微塵も感じられなかった。
腑に落ちないと首をかしげそうになったとき、タヌの記憶をもう一つ、まったく別の言葉が駆け抜ける。
「帳場越しに六〇年近くあの人を見てきたけど、あんなこぼれるような笑顔の彼は初めて見たもの。仲良くね」
(え? あれ? えっと)
ペッレで出会った宿屋の老婆の言葉だ。
副会長が一〇〇歳であの外見。ならば、六〇年経っても若いままのサルヴァトーレは一体どうやってあの若さを保っているのだ。何より、何年生きてきて、あと何年生きられるだろう。考えれば考えるほど、今し方出会った老人以上にサルヴァトーレの若さは不自然だ。
(ボクの小さい頃と変わらないままの母さんも若いけど、それどころじゃない)
タヌは混乱しそうになったが、我に返るとすぐに考えるのを止めた。今、考えるべきはそれではない。今はDYRAを探さなければならないのだ。
図書館にDYRAがいないとわかった以上、長居は無用だ。タヌは先ほど老人が出ていった扉の方へと歩き出した。
ちょうどタヌが図書館を出ようとしたとき、図書館出張所の建物近くに停まっている一台の大型馬車の前では数名の人間が集まって話をしていた。先ほどの老人と屈強な二人組の他に、若い男女と少年の姿がある。
「ソフィア。今日は遅かったね」
老人が、腰まである美しい長髪の持ち主へにこやかに声を掛ける。
「遅くなりまして、申し訳ございません。立て込んでおりました」
女が老人へ深々と頭を下げた。
「ああ、あなたもご苦労様。明日は予定がお昼からだから、ゆっくり休んで下さい」
老人はそう言ってから、金髪の若い男へ視線を移す。ちょうど、自身の顔に掛かってしまった前髪に息を吹き掛けているところだった。
「ディミトリも、あちこちから圧が掛かって大変な中、尽くしてくれて」
「いえ。大丈夫です」
ディミトリと呼ばれた金髪の男がはにかみながら頷いた。
「もともと錬金協会は、聞こえの良いことばかりやっているとはお世辞にも言えない。特に君には難しいことをやってもらっている。ただね、目先の利益を求めて道を踏み外してはいけないよ。長い目で見て人々が喜ぶこと、役に立つことをやりなさい」
「はい。イスラ様」
「じゃ、そろそろ戻るとしよう。クリスト君も今日は一緒に来なさい。今からじゃ会長さんのところへ行くにも遅い時間だからね」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、ご一緒します」
老人ははちみつ色の髪とエメラルド色の瞳を持った少年を馬車に乗せた。次にソフィアが、最後に老人が乗る。ディミトリが御者として配置につくと、馬車がゆっくりと走り出した。
再構成・改訂の上、掲載
032:【FRANCESCO】夜の図書館で、思わぬ出会い2024/07/23 23:16
032:【FRANCESCO】夜の図書館で、思わぬ出会い2023/01/05 17:34
032:【FRANCESCO】DYRAが消えた(3)2018/09/09 14:09
CHAPTER 44 夜の図書館2017/05/11 23:04