311:【TREZEGUET】事実はひとつでも、人の数だけ存在する真実はときに残酷で
前回までの「DYRA」----------
タヌやアントネッラを脱出に成功させたRAAZとマイヨはその夜、ナノマシン補充中に思い出話を始める。マイヨの冷酷さに驚きつつも彼の本気を察するRAAZ。そんな中、DYRAが意外な場所から戻ってきて……
ふと島のことを思い出した瞬間、DYRAはハッとした。やらなければならないことがあるではないか。
「そうだ。RAAZ。説明は後だ。朝までに戻らないと」
「島へ戻るということか? どういうことだ? 説明しろ」
「そんな時間はない! ハーランに勘づかれる」
RAAZへ説明している暇はない。そう。朝までに戻らなければ怪しまれてしまうのだ。DYRAは焦った。焦りから身を起こそうとして、容器のカバーに額をぶつけたほどだ。
「ハーランに、だと!?」
RAAZが開閉スイッチに手を伸ばすが、DYRAの言葉で押すのを止める。
「あそここそ、ハーランがお前を騙す壮大な仕掛けの舞台になっているっ!」
「では、移動しながら聞かせてくれるか?」
タヌのいないところですべて話すのはどうなのか。DYRAは一瞬躊躇する。それでも今は時間が惜しい。DYRAは心の中で天秤に掛け、すぐに決める。
「わかった」
「すぐ支度する」
RAAZはそう言うと、開閉スイッチから手を離し、部屋の隅にある内線端末のスイッチを入れた。
「ISLAか? DYRAから緊急の報告が入った。事実確認に動く必要があるからこれから二人で出る。夜明け直後を目処に一度戻る」
言うだけ言って話を済ませると、RAAZはそのまま部屋を出てしまった。容器から出られる状態のDYRAは内側から容器を叩きそうになったが、ほどなくして出掛ける身支度を済ませたRAAZがサファイアブルーの外套を手に戻った。それを見ると、DYRAは少し待った。
「行こう。日の出から六〇分で戻るからな?」
言いながら、RAAZは容器の開閉スイッチを押し、DYRAを出した。
「外にいる。着替えたら出るぞ?」
着替えを受け取ったDYRAは、中身を確かめる。外套にくるむ形で、一式すべてが収まっていた。手早く服を替えて部屋を出る。
「屋敷に何があった?」
階段を下りながら、二人は話す。
「あのとき出会ったあの屋敷の屋根に、鉄の糸が敷かれ、屋根裏に見たこともない機械が置いてあったんだ。そこから、ハーランの声が聞こえた」
「鉄の糸……機械、声だけ……他に誰かいたか?」
「いた。それが問題なんだ」
「どういうことだ」
RAAZが鋭い視線でDYRAを見る。
「タヌの父親のことだ。信じられないかも知れないが……」
「言ってみろ」
「その前に、約束してくれ。『タヌと「本当の」父親が再会できるまで、「本当の」父親を殺さない』と」
「含むものがあるわけか。さっき言った、私を騙す壮大な仕掛けと繋がるわけだな」
「……そうだ」
「納得はしていないし、説明も足りない。が、いったん、そこは覚えておく。それにしてもキミはどうしてそんなところへ?」
「ピルロでハーランが私を捕まえようと、ネスタ山のあの、謎めいた場所に閉じ込めようとしたんだ。私は抜けられることに気づいてそこを通ったら、おびただしい数の死体が……あれは恐らく、爆発で巻き込まれて……」
言いよどむDYRAを見て、RAAZは頷く。
「ちょうど48時間ばかり、つまり2日前、ネスタ山でピルロの人間を皆殺しにする爆破騒ぎがあった」
「何だって……!」
「キミが見たのは恐らく、その死体だろう。それで?」
「目の前が真っ赤というか、真っ暗というか、膝も動かくて、息もできないほどしんどくて……」
RAAZは顔色を紙のように白くし、震えだしたDYRAの手をそっと握った。
「それで……」
「それで?」
「さっきも言ったが、わからない。ただ、気がついたら洞窟というか、それっぽい場所で倒れていた。夜だった。今ならわかる」
「ん?」
「あそこはきっと、私が死にたくて、自由がほしくて、あの地獄を抜け出して、裸足で雪が降った山を歩いたときの……」
そのとき。
B50
そう書かれた踊り場で、RAAZは足を止めた。
「帰巣本能、か。どうりで。無理に移動したのでナノマシンを恐ろしいほど急激な勢いで消耗していたわけか」
「帰巣本能?」
「意地でも帰る。理屈ではない、人間が持っている本能だ」
DYRAの問いに、RAAZは両腕を彼女の背中に回して、抱きしめる。
「そして、キミは私と出会ったときのことから今日までをだいたい思い出してしまったというわけ……か」
「まずいのか?」
「いや。あんまりあっさりした反応で驚いただけだ」
RAAZがDYRAを抱きしめたまま、自身の周囲に無数の赤い花びらを舞い上がらせる。胸板に顔を押しつけられているのでハッキリとは見えないが、花びら一枚一枚の周囲には柔らかい黄金色の輝きも一緒に見えた。
「このまま一足飛びに行く。……ったく、私たちの出会いの場という思い出を穢したヤツは、絶対許さん」
二人の姿は、赤い花びらの嵐に包まれ、階段の踊り場から消えた。
DYRAとRAAZは洞窟と酒蔵を繋ぐ地下道の一角に姿を現した。
「え? キミはわざわざ機密ブロックから行ってたのか? そんなところを使わなくても……」
DYRAの頭を撫でながら、RAAZは告げた。
「……ともあれ、キミの話でだいたいの顛末はわかった。屋根裏部屋に無線機があった以上、あの家は即時破却する」
「良いのか? お前にとって、思い出とか」
「心苦しいが、そんなこと言ってもいられないようだしな。それにもう一つ。これは、キミにも伏せていたことだ」
RAAZは厳しい表情で続ける。
「前に、私も私の妻にとっては兵器だと言った。それは、彼女が私たちの住まう世界を地獄へ変えた奴らを倒すことを望んだからだ。それを今この瞬間に当てはめるなら、『ハーランを倒せ』だ」
ハーランを倒せ。目の前の男が自分を通して見つめていた女がそんなことを望んでいたとは。DYRAは、まさかの言葉に目を見開いた。
「一段落ついたら、話そう」
そう言うと、RAAZはDYRAの手を引き、地下にある酒蔵の方ではなく、洞窟の方へと走り出した。
洞窟を経由し、外へ出ると、まだ夜明け前で、空は暗かった。二人は朽ちた屋敷まで一気に走った。
「キミはここで。誰か来たらすぐに教えろ。色々確かめてくる」
RAAZはDYRAの返事を聞くことなく、屋敷の裏手へ回り込むと、そこから高さがある木に飛び移り、屋根へと上った。
「これか。目障りなものを」
RAAZが鉄の糸を見つける様子はDYRAにも見えた。だが、そちらへ視線をやっては誰が来るかわからなくなってしまう。DYRAはすぐに視線を戻すと、周囲を見回す。
「なるほど。で、DYRAはこいつの繋がっている先を知っている、と」
海側へ少しの間、目をやって位置を確かめる。RAAZが窓から屋根裏部屋へと入る。DYRAもチラリとその様子を目にした。数分後に出てくると、屋根裏部屋の窓から一気に飛び降り、DYRAのそばへと戻った。
「早かったな。って、何故剣を?」
DYRAは、先ほどまで持っていなかったはずのRAAZの大剣に目を留めた。
「いや。見るものは見たからな。剣は、これから使う」
自信たっぷりに話すRAAZに、DYRAは怪訝な顔をした。
「こういう風に」
笑顔で告げるなり、RAAZは大剣を朽ちた屋敷の近くに生えている木の数本に立て続けに振るった。木が剣に触れたわけでもないのに、振るったときの余波だけでバタバタと倒れ、擦れたとき、火が点いた。
「キミは夜明け前に寝付けなくて起きた体で火事を見たことにしておけ」
RAAZは笑顔で告げると彼女から離れた。
「私はキミが話してくれた、問題のヤツを陰からゆっくり拝みたいからな」
朽ちた屋敷へ火が燃え移ったところで、DYRAは呼吸を整えると、港がある方へと走り出した。森を駆け、山を駆け下りる。
「きゃー!」
悲鳴を上げてはみるが、慣れないせいでどこかぎこちない。だが、火事を見て何食わぬ顔をしている方がもっとおかしい。DYRAは思い直すと、この際悲鳴に説得力があるかなどと考えるのを止めた。
「か、火事っ! 火がっ!」
如何にも慌てふためいた感じを装って走る。DYRAはこのとき、家々の屋根の上をRAAZが走っているのを視界に捉える。それでも見なかったことにする。
しばらく走り、東の空が微かに明るくなり始めたときだった。
「どうしたんだね!?」
家の一軒から、フィリッポが顔を出した。その家を見たとき、DYRAはハッとした。フィリッポがいると言っていた家ではなく、自分に割り当てられた家ではないか。
「っ……!」
DYRAは夜、あの朽ちた屋敷の屋根裏で聞いていた言葉の意味を察した。
「──荷物は届いた」
「──新しい教え子も来たよ」
「──その子、写真とかある?」
「──写真? まだ撮ってないから寝ている間に撮って、送るよ」
RAAZもいる。彼の身柄を確保するなら今しかない。一気呵成に。今は時間を優先しなければならない。彼をタヌに合わせ、確かめたい。いや、確かめなければならない。
「フィリッポ! 森の奥が燃えている!」
DYRAは悲鳴にも近い声で伝えると、フィリッポが家から出てきた。DYRAは彼が駆け寄ってくるのを見ると、わざとらしいくらい大きな仕草で森の方を指さす。
フィリッポが隣に並び立ったそのときだった。
「ぐあっっ!」
突然、今にも喉から内蔵でも飛び出しそうな呻き声と共に、フィリッポがDYRAの足下に崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。
直前、フィリッポがいた場所にRAAZが立っていた。倒れた男の頭を踏みつけながら告げる。
「これで、少しだが、時間を稼げる」
「色々あったが、あそこは……」
森の向こうに広がる炎を見ながら、DYRAはぽそりと呟いた。
「言っただろう? やむを得ん。それに、キミが思うことくらいはわかる」
言いながら、RAAZは懐から何かを取り出し、見せた。
「死んだ女の……」
以前DYRAが朽ちた屋敷で見つけた、金色の小洒落た写真立てだった。
「破られたり奪われたりしていなくて良かった……と言いたいが」
写真立てを裏側から開けると、写真だけを取り出し、RAAZは中身を確かめる。
「私でもキミでもない誰かが、これに触れた」
「……私が拾ったからとかではなく、か?」
「ああ。写真立て自体を開いたヤツがいる」
言いながら、RAAZはフィリッポの頭を強めに、ぐりぐりと踏みつけた。
「う゛っ!」
もがく声が聞こえる。が、意にも介すことなく、続ける。
「まったく。忌々しい」
RAAZはここで、ポケットから何かを取り出す。DYRAを彼が手にしたものが何かすぐわかった。いつぞや、ピルロで拾ったことがある。火を放つために使った道具だ。RAAZが慣れた手つきで小さな歯車部を親指で回す。すぐに小指の先くらいの火が点いた。
「大切な思い出の一枚を穢されたということか」
写真に火を点け、フィリッポの背中に落とす。写真はあっという間に灰に変わり、フィリッポの背中に落ちた。服に火が燃え移った瞬間、RAAZが踏みつけて火を消す。
「あ゛―! 止めろおぉぉぉ!」
「おい」
ようやくRAAZがフィリッポへ話し掛ける。腹を蹴飛ばして仰向けにすると、今度は膝を踏みつけた。
「何故私の屋敷へ勝手に入った? ぁ?」
「私、の、だって?」
RAAZと目が合った瞬間、フィリッポが顔色を変えた。DYRAとRAAZを交互に見る。RAAZもまた、一瞬ではあるが、表情を引き攣らせた。
「お、おまっ……いや、でも、キミはまさかっ……」
狼狽するフィリッポにDYRAは呟く。
「私をラ・モルテに変えたRAAZを打ち倒して、どこか静かな場所にそっと封印……できると思っていたのか?」
DYRAは哀れむような目線でフィリッポを見下ろした。フィリッポは目を大きく見開き、その瞳に恐怖を浮かべる。
「ひっ!」
「まぁ、そういうことだ」
「ラ・モルテと……化け物!」
「言葉には気をつけた方が良いぞ? ただでさえお前は、私のかけがえのない思い出を汚い土足で踏みにじり、ガラクタまで置いた。挙げ句の果てにDYRAへは言いたい放題。私は機嫌が悪い」
「フィリッポ。騙したつもりはない。ただ、お前に出会えたことは何かの縁だと思ってな。お前の話を聞いて、どうしても、確かめたいことがいくつかある。その上で伝えたいことが二つ、そして合わせたい人間が一人、いる」
「ラ・モルテ。思っていたのと、だいぶ違うな」
RAAZがさらに踏みつけようとしたが、DYRAが寄り添うな姿勢で制止しつつ、フィリッポへ話を聞く姿勢を見せる。
「どういうことだ?」
「もっと、人間に対して好戦的で、男なら次々殺すと思っていた」
「偏見だけは光の速さで広がる、か」
今、RAAZが話に入っては進む話も滞る。DYRAはRAAZを見てから小さく首を横に振った。
「RAAZ。待ってくれ。話をさせてくれ」
「キミも物好きだな」
「随分、優しいな」
「覚えておけ。DYRAを、お前たちが考えナシに言いふらすラ・モルテとやらにしたのは他の誰でもない。お前ら愚民共の、程度の低い欲望だ。お前らに傷つけられてなお、殺意を向けぬ彼女の寛大さに感謝するんだな」
そう告げると、RAAZはフィリッポの股部に唾を吐いた。
「聞きたい一つ目だ。お前、ここに連れてこなかったっていう女を愛していたのか? いや、今も愛しているのか?」
「もちろんだ。だが、俺がやっていることには関わらない方が良い。この男に殺されては元も子もないからな」
フィリッポは続ける。
「彼女も、俺は死んだと思っているだろう。本心だ。あの方が色々気遣ってくれて、目立たない場所で生きているなら、それでいい。君が死神でも、女神の優しさがあるなら縋りたい。仮に息子のことを知ったとして、この化け物には何も言わないでくれ。あの子は、そっとしておいてくれないか」
「フィリッポ。二つ目だ。お前はあの方とやらが女と息子を気遣い、住まいも斡旋したと話したが、女と息子だけか? 用心棒とかは?」
フィリッポ自身の口から話してもらうため、DYRAは敢えてハーランという固有名詞を伏せ、かつ、聞いた内容を少しだけぼかしながら質問した。RAAZは相変わらずフィリッポを冷たい目で見下している。
「用心棒はいない。それでも逃がした先は錬金協会が追いかけにくい、盲点になる場所だと教えてくれた。何より、そこなら万が一の場合でも、比較的近くに俺の師匠だった人間がいるから、とも」
「それで、か」
DYRAは、聞いた話と置かれている事実とを脳裏で突合した。
「なら、父親代わりにあたる人間は? そういう話もないのか?」
「それもない。彼女には記録とか、色々預けていた。下手に事情を知らない人間を入れるわけにはいかなかったんだ」
「そうか。では、あの方とやらを含めて、母子を物理的に保護していたわけではなかったのか」
「そりゃそうだ。あの方が動いていると悟られては面倒だからね。それでも、近況は時折、あの方から聞いて知っていた」
DYRAは苦い表情を浮かべた。対照的にRAAZは笑い出しそうになるのを堪える。
「もう一つ聞きたい。息子に、本当に会わなくて良いのか?」
「会っても、そう、息子は会ってもわからないだろう」
「そうかなぁ?」
RAAZだった。
「……ま、まさかっ! お前! 息子に何かしたのかっ!!??」
「どうだろうなぁ」
DYRAは動揺の色を浮かべるフィリッポと、その顔が見たかったと言いたげな笑みを浮かべるRAAZを見比べた。
「フィリッポ」
膝を落として身を屈める。
「お前、私に嘘をついただろう?」
「えっ……?」
「そうでないなら、私に言った言葉の矛盾に気づいていないかだ」
「どうした?」
RAAZがフィリッポから視線を逸らすことなく問うた。DYRAはそれには答えず、続ける。
「私がお前に、子どもの顔も知らないのか聞いたとき、こう言ったな? 『うん。それどころか、彼女とも結婚すらしていない』と。だが、すぐ後、私に『あの方が送ってくれた』と言って、赤子を抱いた女の写真を見せてくれた」
DYRAの言葉を聞きながら、RAAZは笑う。フィリッポは瞳に恐怖にも似た色を浮かべつつ、息を呑む。
「お前、本当は息子の顔を知っているんじゃないのか? あの方はお前を気遣っているんだろう?」
「君がそう考えるなら、なら、なおのこと、俺は君の慈悲に縋る」
これを言った時点で認めたも同然だ。DYRAはフィリッポの頼みに敢えて何も答えず、憐れむような目で見るだけだった。
空が明るくなっていき、眩しい光が三人の目に差し込んだときだった。
「お嬢さんは優しいから」
そこにいるはずのない男の声が、三人の耳に飛び込んだ。
1月は曲がりなりではございましたが、無事に月曜更新乗り切りました。
ゴシックSF小説「DYRA」、とうとう最終章へのロードに突入です。正確には「最終章前半」ですね。
RAAZを騙す壮大な罠、それはどういう絵なのか気になりますが、まずはフィリッポです。
どちらに転んでも、タヌの知らないところで、恐ろしい物語が進んでいます。
次回も大きく動く合図が発せられますので、是非読んで下さい。
あと、2月16日のコミティア151(東京ビッグサイト東1-3ホール)にも参加いたしますので、是非よろしくお願いいたします。こちらでは、Web掲載予定ナシの完全読み切り、「DYRA SOLO」頒布がございます!
今回が初めてのご縁という方、今後ともよろしくお願いします! 併せてこの機会に是非ブックマークよろしくお願いいたします。
(最速で読めるのはpixivになります。こちらは月曜の朝には読めます。何ならフライングも有り得ます)
それではまた次回!
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即売会参加予定は以下の通り。
2月16日(日) COMITIA151
東京ビッグサイト東1-3ホール 東1ホール そ55ab
サークル「11PK」
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更新履歴
311:【TREZEGUET】事実はひとつでも、人の数だけ存在する真実はときに残酷で2025/01/27 20:01