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304:【TREZEGUET】そこはもうひとつの、『すべての始まり』の地なり

前回までの「DYRA」----------

 ハーランに抗った際、気がつけばどこともわからぬ洞窟へ飛ばされたDYRA。外へと足を踏み出すと、山の麓に光学迷彩で隠された建物があった。そしてそこでピッポに似た、だが温厚な人物と出会う。そこでここがトレゼゲ島であること、世間で知る場所それとは違うと聞く。再び散策を始めたDYRAは朽ちた屋敷に足を踏み入れていた──


「こっ……!」

 写真を見た瞬間、DYRAは目を大きく見開いた。

 拾った写真立てには、二枚の写真が填まっていた。写真立て全体に収まるサイズと、右下には小さく切り取られた写真だ。どちらもセピア色からさらに退色し、被写体そのものが消えかけている。被写体には微かに見覚えがある。一枚はRAAZと髪の長い女性。もう一枚は、その女性の正面写真だった。

 DYRAの中で少しずつ情報の整理が始まる。同時に、全身の血が逆流するような感覚と嘔吐感とが彼女を襲う。

「!」

 埃や澱んだ空気のせいで苦しいのではない。それだけでここまで苦しくなるはずがない。頭の中に色んなものが浮かび上がっては消えて行く。その一つ一つが吐き気を催すようなものばかりではないか。その苦しい記憶の断片が少しずつ、繋がりあるものとなって駆け抜けるようになる。



 あれは寒い日の夜明け前だった。

 偶然、裏口から外へ出られる下足番などが利用する、目立たぬ出入口の扉が開いていた。周囲には誰もおらず、外への裏門にも見回りはいない。

 ジリッツァなどと持て囃されてこそいるが、そんなものがすべて嘘とまやかしであることはもうわかっていた。権力を持つ者たちに利用され、欲まみれの男たちに嬲られ、弄ばれる生活など、もうウンザリだった。何度か足を運んだ客の中にいた、風変わりな紳士から外の世界のことを少しだけ教わった。

 外の世界で自由に暮らしたい。自分が「自分である」と尊重されたい。それが叶わないなら、一人で静かに、花にだけ囲まれて死にたい。

 そこにあるのが、運命の選択そのものに見えた。

 今、外に出なければ永遠に出られないかも知れない。

 迷うことは許されなかった。そんな時間はなかった。

 幸い、小さなサンダルも脱ぎ捨てられたままになっているではないか。

「どうせ、死ぬなら」

 決断した。

 サンダルを、履いた。

 そして、慣れない足取りではあるが、忍び足で走り出した。

 他者の目には、足を引きずって歩いているようにしか見えないかも知れない。けれど、必死だった。


 夜明け前でまだ人の姿はなかった。ただただ必死に、丘を登り、山の方へと向かった。そこなら人がいないと信じて。途中から雪が降ってきた。それでも、歩を止めることはなかった。やがて、景色は真っ白になっていき、方向感覚もわからなくなった。それでも、連れ戻されたくないと歩き続けた。雪のせいで視界が真っ白なのか、寒さと疲れで視界が真っ白なのか、もうわからなかった。足の先が真っ赤、いや、紫色になり始めていた。

 ふらふらと歩いて行くうち、岩場のあたりで意識が薄くなっていった。

「お花、なかった……」

 ふっと、意識が遠のいた。


 次に目を覚ましたとき、ふかふかのベッドだった。傍らで、背が高く、若い銀髪の男が穏やかな表情で見つめていた──。



 知っている。いや。知らないはずがない。だが、どうして自分がここにいるのか。

(さっきのあの男の言う通り)

 ここは確かに、間違いなく本物の、トレゼゲ島だ。

 それまで思い出そうとしても思い出せなかった記憶、それも、思い出したくもない記憶ばかりが雪崩のように襲い掛かる。DYRAは苦しさを堪えるように、空いている口元へ手をやると、膝を落とす。手にしていた写真立てを絶対に傷つけまいと、とっさにピアノの足の脇に置いた。

(何でっ!)

 強烈な吐き気がずっと続く。だが、吐き出すものが何もない。息ができないほどのしんどさがしばらくの間、続く。ただただ苦しい。DYRAは必死になって立ち上がろうとするが、思うように立てない。それでも何度も膝を落としながらも窓際へ行くと、とっさに窓を開けた。

 埃っぽい、と言う言葉では到底片付けることができぬ空間に、一気に風が入る。DYRAは少しずつ苦しさから開放されて立ち上がると、部屋の窓を次々と開けた。入ってきた風が、廊下へと渡る。DYRAは走り出すと、屋敷の扉から、この部屋に来るまで通ったすべての部屋の窓と扉を次々開けた。部屋に鬱積した砂埃や、澱んだ空気が外へと飛んでいく。

 窓を開けて空気を完全に入れ替えたからか、完全ではないものの、苦しさが和らぎ始めた。DYRAはゆっくりと呼吸を繰り返す。何度か繰り返すうちに、身体が落ち着きを取り戻す。

 ある程度耐えられるようになったところで、DYRAは何か思い立ったのか、突然、すっくと立ち上がると、屋敷の奥へと走った。そしてどこからか絹のはたき(・・・)を見つけてくると、外へ飛び出し、はたき(・・・)に付着した埃をすべて払った。次に、屋敷へ戻ると、おもむろに部屋にたまった埃を払い、呼吸に困らない程度の空間にするべく軽く掃除を始めた。

 一階、二階共にすべて窓を開けて掃除を終えたところで、DYRAは改めて窓から外を見た。ダイヤモンドのように輝く陽の位置は朝より遠い。念のため懐中時計で時間も確認する。三時前だ。軽く、埃を払うだけのつもりだったが、随分それなりに時間を使ったなとDYRAは苦笑した。

 そのときだった。

「え……?」

 DYRAはハッとした。そして、手にしたはたき(・・・)をもう一度見る。

(まさか。やっぱり……)

 今、自分がどこにいるのか。DYRAの中で少しずつ確信が芽生えると、それが間違いないか確かめるべく、屋敷の一階の廊下の端にある場所へと足を踏み入れた。そこには地下倉庫へと繋がる階段があった。

(葡萄酒がたくさん置かれた場所の、一番奥)

 思い出した記憶に間違いはなさそうだ。DYRAは石の階段を駆け下りると、その先にある錆びた鉄の扉を力一杯押して開けた。

 埃まみれながらも整然と葡萄酒の瓶が置かれたその部屋は、温度が低くひんやりしており、湿度もそこそこ程度あった。

 DYRAは酒蔵の入口から対角線上にあたる一番奥、不自然に棚が置かれていない箇所に目を留めた。そして酒蔵の内側から扉を閉め、そちらへと歩み寄った。歩いた先、煉瓦風に詰んだ石の壁に目を懲らすと、微かな境目があった。DYRAはそっと壁の角寄りあたりを何か所から押す。やがて、一箇所で手応えを掴む。すると、扉の鍵が解ける音が聞こえた。

 DYRAの中で、この場所がどこか、確信に変わった。扉を元通りに閉めると、今度は三歩下がり、膝を落とす。

(だとすれば……! 何とかなるかも)

 石畳の床の一角に、目立たぬ小さな取っ手があった。DYRAはそれを力一杯引いた。しばらくすると、ぷしゅー、という空気が抜けるような音が聞こえた。音が消えると、DYRAが取っ手を引いたあたりの床の一角が開いた。人一人が通れるくらいの穴が現れ、ピカピカの美しい梯子が姿を現した。

 DYRAはその梯子を伝って、下へと下りる。何段か下りたところで、酒蔵の床が元通りになり、変わって、梯子の周囲に柔らかい照明が点いた。手元足下、周囲がハッキリ見えるようになる。酒蔵の床は、こちらから見上げると、石ではなく金属でできており、直系三〇センチ近いグローブ弁があった。

 DYRAは一心不乱に下りた。下りた段の数は数えていないが、一〇〇は超えていただろう。ようやく一番下までたどり着くと、壁際にあるバルブをぐるぐると回す。金属のぶ厚い扉が開いた。

「あっ!」

 扉の向こうを見た瞬間、DYRAは少しだけ安堵した。

 納戸よりはマシな程度の空間は、決して広いとは言えないが、全体的に明るい部屋だった。壁には金属プレートが埋められており、注意書きが記されている。

「『この先、機密区画につき、検疫処理を済ませること』と、『服装はここですべて着替えを済ませること』……ここで着替えろだと? ということは」

 もしかして。

 DYRAは期待を込めて狭い部屋をざっと見回す。自分が入ってきた扉がある場所を除く三面を見ると、正面はロックされた扉。右側には半透明ガラスの扉がある。DYRAは右手の扉を開いて中を覗く。シャワーがついた部屋だった。そのレイアウトを見て、DYRAはハッとした。

(ここ! 見たことがあるぞ……! もしかして、使えるか?)

 うろ覚えだが、白い部屋から出るときに使ったものと同じような気がする。ならば何とかなるかも知れない。DYRAは閃くや否や、確認するように蛇口を少しだけひねる。温かい湯が出た。DYRAは笑顔を浮かべると、元に戻してから、今度は反対側の壁を見る。同じように扉がある。こちらも中を見る。中にはもう一つある小さな部屋への扉と、『着衣済衣服投入口』と書かれた腰まで程度の高さの箱が置かれているだけだった。箱の中には何も入っていない。もう一つの扉には『乾燥室』と書かれている。そちらも開けると、開けた瞬間、天井からブワッと温かい風が吹いてきた。

 二つの扉の向こうを見たところで、DYRAはバルブの扉を閉めた。


 DYRAは長めにシャワーを浴び、その間に肌着類を含めすべての服の洗濯と乾燥を済ませた。

(ようやく、生き返ったな)

 思い返せば最後に身体を洗ったのは何日前だ。三日か四日ぶりではないか。洗い上がった服に袖を通し、DYRAは深い息を漏らした。

(あとは、もう一度、あのタヌの父親と良く似た男から話を聞かないと)

 どうして自分がここへ飛ばされたのかも知りたいが、まずはあの人物から「ここがトレゼゲ島である」という話を含め、色々と聞き取りをする必要がある。

 DYRAは来た方をそのまま逆に戻る形で屋敷まで戻った。




 麓まで戻ると、陽が少しずつ海の向こうへ姿を消し始め、空の色もアクアマリン色からシトリン色へと変わり始めていた。

 DYRAは何食わぬ顔で光学迷彩に覆われた建物の近くを素通りし、港がある方へと向かった。

(船が来るみたいなことを言っていたが……)

 それらしき船の姿はもうない。すでに荷物を下ろして出港してしまったのだろうか。

 DYRAはあたりを見回し、誰かいないか探す。桟橋の片隅に木箱が詰まれており、その傍らに立つ人影が見える。DYRAはそちらへと近寄った。

「船は、もう、出たのか?」

 そこに立っているのが先ほどの男だとわかったDYRAは声を掛けた。

 男はDYRAの声ですぐに振り返った。

「あ、ああ。食糧や水、必要なものを下ろしたら思ったより早く出ていったよ。あなたも、休めたみたいで」

「他に、人はいないのか?」

「ああ。今はいないね。時折船から下りてきたり、さっきも言ったけど、長期滞在した子がいたりもしたが」

 男の言葉をきいて、DYRAは今、聞けることを聞いてしまおうと意を決する。

「ところで、どうしてお前は一人でここにいるんだ? 何かあるのか?」

「まぁ、色々あるんだよ」

「その、色々というのは、何だ?」

「時間はたっぷりあるんだ。追々、だよ」

 はぐらかすように言う男に、DYRAは会話の主導権を渡さない。

「どうだろうな。夜、アオオオカミに喰われるかも知れない。山で遭難するかも知れない。時間がある? 案外、思っているより多くはないぞ」

 DYRAはやんわりと、今話せることは今すぐ話せと言ったつもりだった。

「ここにアオオオカミはいない。だから心配ないよ。あれは、あっち(・・・)にしかいない」

「あっち?」

 話を始めるのにちょうど良い話題かも知れない。DYRAは続きを促す。男は傍らに置かれた木箱から水が入った瓶を取り出すと、一本をDYRAへ渡した。

「君はあっちの地図を見たことがあるか?」

「地図? レアリ村の東からアニェッリやマロッタのすぐ西まで書かれたものならあるが」

 話しながら、DYRAはタヌがどこぞの村にあった食堂で手に入れた地図を思い出す。

「いや、錬金協会で出回っているようなものじゃない」

「そうなると、知らない」

「去年来た若い男の子もそうだったから、問題ない」

「若い男の子? さっきも言っていたな。どんな子が来たんだ?」

「君もここで色々学んで戻ればわかるし、隠すこともないか。男の子と言っても利発そうな青年だよ。しっかりした子でね」

「そうなのか。……あ」

 DYRAは自然な流れを装い、何気なく話を続ける。

「そう言えば、そちらの名前も聞いていなかった」

「そうだったね。フィリッポだ。ま、大体の人はピッポって呼ぶけどね」

 聞いた途端、DYRAはほんの少しだけ、目を見開いた。


今回もおかげさまで無事に更新できました。ありがとうございます。


ご報告です。

改めまして、以下イベントへ参加確定となりましたことをご報告いたします。

・11月17日(日)コミティア150

・12月1日(日)文学フリマ東京39


現時点で、当面の即売会参加予定は以下の通りです。

【確定】

11月17日(日) コミティア150(東京ビッグサイト東館4~8ホール)

12月1日(日) 文学フリマ東京39(東京ビッグサイト西館3&4ホール)


【当落待ち】

12月29-30日(土/日) コミックマーケット105 当落発表待ち


詳細わかりましたらお伝えします。


夏コミ新刊「DYRA 14」、そして4回目の改訂となる「DYRA 1 5版」、共にBOOTHにて通販開始。

フル校正入っており、読みやすさもアップしております!


また、Web版への応援、ブックマークいただけると本当に嬉しいです! 併せてどうぞよろしくお願いします!


304:【TREZEGUET】そこはもうひとつの、『すべての始まり』の地なり2024/09/16 20:00

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