030:【FRANCESCO】DYRAが神隠しに遭った!?
前回までの「DYRA」----------
宿屋で朝を迎えたDYRAとタヌ。近場のバールへいくと、二人は昨晩話したことの続きを始めた。
一番肝心な、名前や見た目の特徴を聞いていなかったことに気づいたDYRAが聞いてみると、タヌが不思議なことを言い始めた。「母は年を取らない」など……
「DYRA?」
自分を呼ぶ声に、DYRAは反射的に振り返った。聞こえたのは、店の出入口あたりからだ。しかし、パッと見る限り、店のすぐ外に人の姿は見えない。DYRAは鞄を会計台に置いたまま店の外へ出ると、周囲を見回した。店の前は人通りが多かったが、皆足早に歩いており、店を見たり立ち止まったりする人物はいなかった。
(気のせいか?)
そんなことを思いながら店内へ戻ろうとしたときだった。一人の男が店の出入口のすぐ脇の壁に寄りかかって立っているではないか。DYRAはほんの少しではあるものの、目を見開き、何かを確かめるような視線で男の容姿を見る。
「やぁ、DYRA。良かった。やっと会えた」
声を聞いて、DYRAは、声を掛けてきたのはこの人物で間違いないと確信する。
「お前……昨日の」
そこにいたのは、中性的な容姿を持ち、細身の黒い外套に身を包んだ、若く背の高い男だった。目を引く特徴は、明るい肌色とブラックオパール色の瞳、そして腰まである艶やかなストレートの、青とも金色とも何とも言えない不思議な色の髪。その一箇所だけ細めの三つ編みが結ってあることだ。DYRAは記憶の糸をたどり、昨晩、ファビオからフランチェスコへの乗合馬車で居合わせた男だったと思い出す。
「貴女を随分捜したよ」
「は?」
「貴女がちゃんと動けるのを確認できて、本当に良かった」
長髪の男からの言葉を聞いた途端、DYRAの中で不審感が頭をもたげる。
「どういう意味だ。いや、何を言っている?」
おかしい。これがDYRAの第一印象だった。顔をまじまじと見たわけではないので、目の色まではわからない。それでも、三つ編みの太さが違う気がする。昨日会った男は目の前にいる人物ほど、細くなかった。違和感はそれだけではない。昨晩、この男と言葉を交わしていたタヌはともかく、DYRAはまともな会話すらした覚えがない。まして、乗合馬車で名前すら名乗った覚えもない。それなのに、この男は知り合いであるかのように親しく、いや、馴れ馴れしく呼び、近づいてくる。そして何より、随分捜したとはどういう意味なのか。昨晩初めて会ったばかりではないか。
「な、何を言っている?」
訝るようなDYRAの表情は、いつしか睨むような視線に変わる。
「俺だよ? 覚えていないの?」
「昨日、たまたま会っただけだろう? 何の話だ」
「貴女こそ、何を言っているの?」
細い三つ編みの男が言うなりDYRAの右手を軽く握ると自分の方へ引き寄せた。DYRAが抵抗しようとするより早く、耳元で囁く。
「行こう。RAAZを殺すには、貴女の力が必要だから」
(この男!)
今、確かにこの男は、RAAZの名前を口にした。それだけではない。「殺す」という言葉も。DYRAは一瞬、自分にRAAZを追わせていたのは目の前にいる男なのかと思わずにはいられなかった。
「何故、それを……」
乗合馬車で出会ったとき、詳細を思い出すことができないものの、この男を知っているような気がした。そういうことなのか。DYRAの中で、芋づる式に新たな疑問がわき上がる。
「お前に聞きたい」
DYRAが切り出す。
「お前は何故、RAAZを知っている? 何故、RAAZを『殺せ』と言う?」
DYRAは、自分のことを含め、ほとんど思い出せない。それ故、RAAZを追う理由も「殺すためだろう」と察して動いているつもりだった。「殺せ」と明確に言われたのは今この瞬間が初めてだ。DYRAは、誰が、何のために自分を動かしているのか知るべく目の前の男を問い詰める。
厳しい表情を浮かべるDYRAに対し、細い三つ編みの男が困ったなと言いたげに顔を綻ばせる男はあまりにも対象的だ。
「ずっと前、約束したじゃない?」
約束。少なくとも昨晩、乗合馬車でそんな話をした覚えはない。仮に、以前面識があり、そんな話をしたなら、どうして昨晩、自分にそのことを話し掛けてこなかったのか。タヌがいて話しづらいのであれば、何故日を改めて話したいと申し出なかったのか。次から次へと出てくる疑問。その一方で、DYRAは思い出せない記憶を断片的であったとしても、この男が持っているのではないかと、僅かながらも期待を抱く。聞き出すために多少話を合わせてみるのはアリかも知れないと思う。
「お前と? どんな?」
「一緒に『幸せになろう』って。そのためには、RAAZを殺そうって」
男が言った言葉の意味をDYRAはまったく理解できなかった。それどころか、そもそも何を言っているのかわからない。これではまるで結婚の約束だ。別の誰かとの約束と混同しているのではないか。それが率直な感想だった。
「は?」
DYRAが何かを言おうとしたとき、男が彼女の金色の瞳を射るように見据える。オパールのような色彩を持つ男の瞳が視界に飛び込む。そう感じると同時に、DYRAの心臓が恐ろしい勢いで高鳴った。良い意味ではない。それが自分自身へ『警戒心を高めろ』という合図だと気づいたときにはすべてが遅かった。
DYRAの唇に男の唇が触れた。そして、彼が小さな声で呟いた言葉が耳に届くと同時に彼女の視界は真っ暗になり、意識がなくなった。
──RAAZを殺す。それが貴女のやるべきこと
意識を失ったDYRAを抱き留めた男の表情は、それまでの笑顔からでは想像もつかない、苦々しいものだった。それから、女の顔を覗き込む。
(……なるほど。RAAZも接触している、か)
DYRAの右耳にだけ填められた耳飾りの存在に気づくと、男は舌打ちした。
直後、男がDYRAを抱えて建物の影に姿を消した。一連の顛末を見ていた者は誰一人いなかった。
「あれ?」
勘定を済ませに会計台のところへ行ったはずのDYRAが戻ってこない。タヌは何かあったのかと、様子を見るべく身を乗り出した。しかし、来店直後で良さそうな席を探す五人組の客たちが大柄なため、会計台への視界が遮られていた。仕方がないと、タヌは席を立った。そして、そのまま会計台の方へと向かった。
会計台には、店長らしき初老の男が立っていた。
「あ、すみません。一緒に来た」
タヌが言いかけたときだった。
「坊や、さっきの綺麗な姉ちゃんのお連れさんか」
「はい」
「お代はもらっているから大丈夫だよ」
「え。あ、あの……」
「姉ちゃんなら、待ち合わせか何か知らんけど、様子を見るような感じでもう店の外に出たよ。……っと! あ!」
初老の男は思い出したような声を上げると、会計台に置いたままの黒い四角い鞄を台の下へ下げ、別のものを会計台の上に置いた。それはタヌにも見覚えがある白い四角い鞄だった。
(あ!)
「そうだ、そうだ。姉ちゃんに違う鞄を渡しそうになっちまった。こっちが姉ちゃん宛だ。渡しておいてくれ」
「あ。わ、わかりました」
タヌは白い四角い鞄を受け取ってから店を出た。
タヌを見送った初老の男は、心底ホッとした表情で、預かり物の管理台帳に目を落とした。そこには、『黒い鞄→金色の目の女に確認』、『白い鞄→金色の目の女に渡す』、『黒は要確認!』などとメモが書いてあった。
(あー。良かった。えらい大間違いをしちまうところだった)
初老の男は、これで用事は済んだと胸を撫で下ろした。
タヌは鞄を手に店の外へ出たが、あたりにDYRAの姿はない。周囲を見回し、店のすぐ脇にある路地裏も見たが、やはりいない。
(あれ? どこ行っちゃったんだろう?)
タヌはDYRAを捜すべく、白い四角い鞄を持ったまま、フランチェスコの街を歩き出した。
道行く人々に紛れ、そっとタヌの後をつけ始めた人物がいたことに、タヌは気づかなかった。
タヌが街を歩き始めて、午後を迎えてしまった頃──。
フランチェスコの西側にある錬金協会別館。そこの貴賓室へ、一人の女性が姿を見せていた。厚底の眼鏡を掛けた、小太りな小間使いだった。
「おくつろぎのところ申し訳ございません」
貴賓室の奥の方にあるリビングには、ソファに腰を下ろす、くせ毛な銀髪の男の後ろ姿が見えた。男は振り返ることもなく耳だけを貸す。
「ロゼッタか。ご苦労」
「会長。急ぎで内密のご報告が」
錬金協会の会長の顔を知る者はそう多くない。ロゼッタと呼ばれた小間使い姿の女はその数少ない一人だった。なお、この建物で出入りしたり働いたりしている錬金協会の者たちで、今、貴賓室にいるのが会長その人であると知る者は誰一人いない。
「どうした? 来て良いぞ」
ロゼッタが部屋の外周を回るように銀髪の男へ近づく。傍らに来たところで膝を落とすと、目線の高さをより下げてから、耳打ちを始めた。
「……なるほど」
短い報告を聞き終えた男は小さく頷いた。
「それからもう一点」
「ああ。続けろ」
「副会長の周りが慌ただしくなり始めております……」
報告内容に男は顔色を変えず、眉一つも動かさず、一瞬前とは打って変わって、興味なさそうに聞き流した。聞き終わった男は顔を上げ、自身の銀色の瞳を天井へ向ける。少しの間仰ぎ見て、やがて視線を戻すと、厳しい表情で指示を出した。
「いいか? ガキに手を出させるな」
「はい」
「こちらが動いていることがバレないように、だがどんな手を使ってでも面倒な奴らを排除しろ。いいな。それが仮にイスラ本人であったとしても、だ。ガキは色々と、大切なものを持っているからな。使えるツテは何でも使え。許可する」
「かしこまりました。仰せの通りに」
「ああ、それとロゼッタ」
男はテーブルに置かれたティーポットを取ると、空になったカップへ紅茶を注ぐ。ロゼッタは小間使いの服装こそしているが、小間使いらしいことをする気などさらさらないのか、男の振る舞いに気遣いを見せる素振りもない。
「今日これからと、下手をしたら明日と明後日まで、私はどうやら忙しいらしい」
「はい」
「こんなことになるなら、会長でなくても、エラい奴なら誰でも良い、にしておくべきだった。まったく。腹立たしい」
毎年この時期、錬金協会では会長が自ら市井の人々からの声に直接耳を傾ける習わしがあった。もちろん、陳情や請願は日常であっても協会として受けるが、今回は錬金協会の会長が直接要望の類を聞くというもの。言うなれば、錬金協会の影響力を強めるためのイベントだ。もっとも、一〇〇〇年以上も会長職にある『建前』上、男がその素顔を見せることは決してない。
「こんなくだらない、愚民共の声を聞く茶番のせいで肝心なときに私が身動き取れなくなるとは。忌々しい」
ロゼッタは男にとって、手足としても目と耳の役割としても貴重な存在だ。与えられた役割を忠実にこなせるだけではない。頭の回転が非常に速く、短い指示でも一を聞いて一〇を知り、的確に動く。さらに、性格的に目立つことを好まず、几帳面である。そして何より口が堅い。実際、今ここにこうして座っている男の姿について、誰一人にも話をしたことがない。そう。一〇〇〇年以上会長職にあると謳われる男が二〇、もしくは三〇代初頭の端麗な容姿を持っていることを。そしてもう一つの姿を持っていることも。それ故、男は彼女に絶大な信頼を寄せている。
「あとは任せる」
「会長。役目にあたり、一点だけ確認を」
ロゼッタが指示に対して確認を求めてくるとは珍しい。男はちらりと彼女に視線をやった。
「会長の『お客様』は、いかがされますか?」
「アレをめぐってゴタゴタが起こったら、キミがどうにかできるものじゃない。手を出すな。だが、保護下に置けたなら丁寧に扱えよ。ガキ以上に」
それだけ聞ければいいとばかりにロゼッタが小さく頷いた。
「かしこまりました」
身を屈めたまま三歩下がってから立ち上がると、ロゼッタは足早に部屋を出ていった。
部屋に静けさが戻ると、男は紅茶を口にし、報告された内容を振り返る。
(DYRAの姿が見えなくなった? しかも、あのガキが鞄を持っていた?)
昨日、ピルロ方面へ移動する乗合馬車でDYRAと連れの少年が確認された。このとき、男は密かにロゼッタに命じて二人を追跡させていた。その後、どういう経緯かはともかく、二人がフランチェスコへ入ったと報告が来た。それだけでも驚きなのに、どうなっているのだ。DYRAが最初から自分を騙してそんな行動に出ただけとも思えない。それとも何だ。乗合馬車に乗ったところでガキの父親がフランチェスコにいるなどと言った情報を手に入れ、衝動的に行動したとでも言うのか。男はあれこれ原因の可能性を考えるが、すぐに止めた。そこに思考のリソースを使うのは無駄だからだ。
報告で興味を引いた点は、フランチェスコのバールで鞄を受け取ったのはDYRAのはずだったが、実際に鞄を持っていったのが彼女ではなかったことだ。では、消えたDYRAはどこへ行ったのだ。
DYRAに何かあったのはほぼ間違いない。だが、彼女はつまらない暴漢の類に負けるようなやわな存在ではない。襲われた可能性は考えにくい。
銀髪の男はロゼッタから受けた最初の報告で、後半のくだりを思い返す。
「預かり屋の外の物陰で、髪の長い男と話をしているうち、消えました」
(預かり屋が嘘をついているのか。それにしても……)
真実はともかく、事実は一つしかない。彼女が消息を絶った。そして同道していたガキが一人で鞄を手に街を歩いている。これだけだ。
どうしてそうなったかは、終わってから当人に聞けば済むことだ。今、考えるべきは、これからどうするかだ。
男はティーカップに残った僅かなアンバー色の液体に視線を落とした。次に何をやるべきかが脳裏に浮かぶと、それが思ったより良い案かも知れないと気づいた。
(あのガキ。そうだな……私のために踊ってくれれば、DYRAとの約束を守ってやる)
男は不敵な笑みを浮かべて、残った紅茶を美味しそうに飲み干した。
再構成・改訂の上、掲載
030:【FRANCESCO】DYRAが神隠しに遭った!?2024/07/23 23:13
030:【FRANCESCO】DYRAが消えた(1)2018/09/09 13:54
CHAPTER 42 その欲望、許すまじ2017/05/04 23:00
CHAPTER 41 欲望に憐れみを2017/05/01 23:00