288:【AGNELLI】信じて良いのは誰と誰? 相互不信は全員敵より始末悪い
前回までの「DYRA」----------
RAAZはDYRAの身柄を奪われたと報告する。ディミトリの処遇もあり、マイヨは席を外す。静かになった部屋で、タヌはRAAZから「『文明の遺産』という名の外圧に縋ること」の負の側面を遠回しに告げられた。そしてその後、アントネッラから自身を罠に嵌めようとしたのがクリストだと知らされ、タヌは激しく動揺する。
時間を遡って12時間前──。
ネスタ山側から土砂崩れを起こした場所を伝ってピルロ入りしていたキエーザは、外套に身を包んだまま、目立たぬよう街の様子を見て回っていた。
(恐ろしく静かな街だな)
話を聞いて知る限り、もっと人が多く、活気ある街だったはずだ。街そのものが焼かれ、追い打ちを掛けるように山崩れがあった話は確かに聞いた。山崩れに関しては、思ったほど死傷者が出なかったことも報告を受けている。
(焼き討ちの時点で相当数が亡くなったのか?)
次々に疑問が浮上する一方で、静かな理由に気づき始める。
(街を捨てた?)
そもそも、マロッタとそんなに規模が変わらない、気持ち少ない程度の人が住んでいるとは聞いていたが、体感では人がいると思えない。考えようによっては少し前に村がそっくり焼かれたレアリ村のような限界集落とあまり変わらないのではないか。そんな風に思わせる。
キエーザは次にどうしたものか考えながらもう一度、冷静に街を見回した。
(人がいない。再建を途中で放り出したような状態……。人々が生きているなら、どこにいるのか。仮に死んでしまったとするなら……)
死んでしまったにしても、おかしいことがある。
(死体がない)
仮に埋めたとするなら、埋めた痕跡がどこかにあるはずだ。それも見当たらない。何が一体、どうなっているのか。不気味さだけが増している。
もう一度、今度は単眼鏡を使用してあたりを見回す。
街の中心に人の気配はまったく見当たらない。時計台がある建物が見えるが、そこから人が出入りする様子もない。次は西側を見る。
(川が広がる西側は更地も同然。壁や跳ね橋などの出入口、馬車留め、それに川沿いに広がる森だけか)
東から東南側にかけての市庁舎や大公邸敷地の様子も見ようとそちらへ単眼鏡越しに視線を向けるが、距離があるからか、よく見えない。
南側を見ると、瓦礫の山の向こう側、森越しか、そのあたりに微かにうっすらと細い糸のようなものが見える。
(煙? かなり遠いな?)
キエーザは単眼鏡から目を離し、自身の目だけで見ようした。しかし、通すぎるのか、煙らしきものを確認することができなかった。
(南側がほとんど焼けている。住居や商業区域はほぼなくなった、と。残った人々が広場の時計台界隈から大公邸敷地に掛けて集まっていると情報をもらったことがあったが、現状はどう見ても違う)
キエーザはここで、それまでちゃんと見ていなかった、自身の背後にあたる北の山側とやや北東部にあるガラス張りの何かへ単眼鏡越しに目をやった。
(あれがもしかして……?)
北側、ほぼ山の麓にある、一部が壊れている建物に目を留めた。
(もしかして、会長が『根こそぎ燃やせ』とおっしゃってた……)
学術機関ではないのか。さらに東側を見回していく。
(ん?)
ガラス張りの何かが建物であると気づいたキエーザは、そのあたりで小さな何かが動いたことを見落とさない。
(何かある?)
距離的にネズミなどとは考えられない。確かめるべく静かに、気配を消して一歩一歩近づいた。
ガラス張りの建物の形が具体的に見えてくる。
(中に、植物?)
外から最低限の情報が見えた。キエーザはそこが雨風を避け、日が当たりやすくする、いわゆる温室か、植物園だと理解した。
(誰か、いる?)
植物園に人がいるというのか? 先ほど見かけた何かを含め、確かめようと思ったときだった。
くぅん
突然、足下で小さな、鼻を鳴らすような声が聞こえた。
「ん?」
驚き、思わず声を出してしまった。
「あっ」
いったいいつからそこにいるのか、足下に、白い子犬がまとわりついているではないか。敵意は感じない。むしろ、周囲を嬉しそうにくるくると回り、時折、外套の端を噛んで軽く引っ張る。
「私、犬を飼っているの。白い子犬。首輪に翡翠がついているわ。多分、街の子どもたちが面倒見ているはず」
「その子犬は、ルカレッリとも相性が悪い。つまり、アントネッラのニセモノにはすぐに気づけるってことだ」
(もしかして!)
キエーザはハッとすると、子犬の首元に注目する。
緑色の石がついた首輪を填めている。
(この犬……!)
自分が着ている外套に気づいたに違いない。その上、時折噛むのは、どこかに来るように促しているのではないか。キエーザは腰を屈めると、子犬の目線の高さに近寄せた。すると、子犬が少しだけ走り出し、すぐに止まる。
(やっぱり)
キエーザは立ち上がって、周囲に人の気配がないのを確認してから後を追うようについていった。子犬は学術機関の方へとずっと走って行く。いったいどこまで走れば良いのか。やがて、しばらく走り続けた子犬が止まった。
(あれ?)
そこは、キエーザが山から下りてピルロ入りしようとした場所から東に離れた場所の、山の中腹だった。けもの道に似た道がそこかしこに見えるが、パッと見、どこに繋がっているかなど皆目見当がつかない。
(確か、この界隈は……)
キエーザは随分前に錬金協会でチラリと聞いた話を思い出した。
(副会長派の連中が秘密の連絡をするときに使う場所が山のどこかにあったり、ピルロの奴らが泉と呼ぶ謎の施設がけもの道の先にあるって)
良い機会だ。調べられる限り調べてみようと思い立つ。
そのときだった。
「ビアンコ、おいで」
白い子犬が止まった場所のさらに先の方から子どもの小さな声が聞こえた。だが、犬は時折機嫌良さそうな鼻声を鳴らすだけで動こうとしない。
見かねた子どもが姿を現した。
「あっ」
子どもが警戒心露わな声を出した。キエーザがとっさに手を胸の高さに上げて軽く制止した。
「待ってくれ。俺はマイヨの友人だ」
とっさに口に出した一言に、さらに奥の方にいた子ども二人と、中年女性、それに老婆が姿を現した。
「アントネッラ様の犬が……」
「助けを呼んできたくれたのね」
子どもたちが周囲を警戒の目で見ながら近寄る。子犬が心配ないと言いたげに何度か鼻を鳴らすような声を発した。
子どもたちや女性らに案内された先は、洞窟だった。その入口は相当事情に精通した人間でなければそう簡単に見つけることができない、見えにくい場所にあった。
「こんなところに、こんな……」
洞窟は細くて狭そうなものだったが、中へ入り進んで行くと、隠し扉と、その向こうに階段があった。そこを降りると、広い空間があった。時代が時代なら、災害時に利用する避難所のような感じだ。
ぎゅうぎゅうに詰めれば100人以上入りそうな空間には、先ほどの子どもたち三人や女性らを含め、ざっと二十数名いる。大半がそれなり以上に年齢の高そうな女性と、昨晩話したタヌより明らかに幼い子どもたち。赤子がいないので、声で見つかる心配だけはないということか。
「ここはね、私らのひいじいさんが都の連中に負けてこの地へ逃げたとき、ピルロを起こす第一歩の日に、待避場所として連れてこられたところだと」
キエーザに答えるように切り出したのは、この場にいる中で最長老とおぼしき老婆だった。先ほど子どもたちの様子を見ようと顔を出した人物だ。
「最後に使われたのは、私が子どもの頃。だからもう、ほとんどの人が使い終わって埋められたと信じている場所。事情を知らないよそ者には見つけられない」
まさかそんな場所があったとは。聞きながら、キエーザは内心で錬金協会の諜報部隊の情報網の甘さを恥じ入った。
「皆さんはどうして今、ここに? 他の人たちは?」
キエーザが問うと、別の中年女性が彼へお茶を用意しながら答える。
「それがね。昨日、アントネッラ様がお戻りになったんだけど、錬金協会と和解したとか、街の地下に文明の遺産が埋まっているからそれを掘り出して利用するとか言い出して、街を南へ再開発しようなんて……」
言い掛けた言葉は続かなかった。
「違うよ! あれはアントネッラ様なんかじゃない!」
白い子犬を抱いた子どもだった。子犬も訴えるようにうなり声を上げた。一連の様子から、彼らを信じて良いのではないかとキエーザは判断する。
「そうだよ! あれは絶対違う! ジャンニが言っていた『髭面』ってヤツの手下だよ! ビアンコだってずっと吠えていたじゃん!」
別の子どもが口にした『髭面』に、キエーザがハッとした。
「君」
キエーザが声を掛けた。
「今、『髭面』って言ったね? 見たことあるの?」
「ううん。ぼくらはない。今ピルロにいる人で顔を見て知っているのは、ジャンニだけじゃないかな」
「ジャンニ?」
キエーザの問いに、お茶が入ったカップを渡しながら、中年女性が補足する。
「市庁舎の職員さんです。ただ、火事騒ぎの後は、パルミーロさんと一緒に一生懸命動いてくれて。マイヨも彼のことを良く知っていますよ」
「そうだよ。この間、アントネッラ様が連れ出されたときと入れ違いでマイヨが来たときも、話していたのはジャンニだった」
老婆からの口添えに、キエーザは誰と話せば良いか理解した。
「その、ジャンニって人に会えるかな?」
「街の様子を見に行っているから、待っていればじきに戻るはず」
「そうか」
「ねぇ。おにいさん、マイヨの友だちって」
子犬を抱いた子どもだった。その言葉で、この広い空間で聞こえる範囲にいた人たちが全員、注目し、話の輪に入ろうと集まってきた。
「本当だ」
キエーザが頷き、言葉を続ける。
「アントネッラさんがフランチェスコでひどい目に遭いそうだったところを助けたんだ」
女性も子どもも皆驚き、キエーザに続きを促す。
「俺の部下がたまたま通り掛かって助けた。そのときに彼女が『マイヨに繋いでくれ』というので、俺が引き継いで、別の街へ脱出させた」
「じゃあ、やっぱり、昨日のアレはこの子たちの言うように……」
「でも、あんなにそっくりな?」
大人たちがざわついた。
「その辺の話は、その、事情がわかっているジャンニって人が戻ってきたら話そう」
「大丈夫だよばあちゃん! マイヨが手助けしてくれるよ」
子どもたちの顔がパッと明るくなり、釣られて大人たちも安堵の表情を浮かべる。老婆は涙を浮かべた。
キエーザは彼らの反応を見ながら、怪訝な表情で質問する。
「何でそんなにマイヨを信じるんだ? きっかけというか」
「街が大火事になったとき、騒ぎに便乗して、役人のアレッポが街を乗っ取ろうとしたんです」
「そのときに、アントネッラ様を助けてくれたのがマイヨなの」
「そうそう。前はちっとも口を利いてくれないアントネッラ様の小間使いを感じ悪いと思っていたけど、実はアレッポの悪事を確かめるために女装までしていたなら、そりゃ口きいてくれるわけないわよね、って」
女装、の一言にキエーザは、情報を取るためならなりふり構わず何でもやる姿勢に内心、感服した。
「すっごいカッコ良かった! ピストルで撃たれても、扇子広げて!」
子どもたちのひとりが、騒ぎがあったバルコニーでのやりとりを子犬を抱えた子をアントネッラに見立て、真似して見せる。その身を楯にし、扇子を広げる仕草に、キエーザは何が起こったか大体想像ついた。
「扇子でピストルから守ったの?」
「そう! 魔法の扇子みたいだった!」
子どもたちの話が終わると、別の中年女性が付け加える。
「『髭面は自分が』って」
「あの人は、街の人にできることとできないことをちゃんと判断していた」
彼らの話で、キエーザはマイヨがどれほど街の人々から信頼を得ているのかを理解した。
「正直、ルカ様が生きていたとしても、今のピルロに必要なのは、ルカ様よりマイヨだよ」
老婆の言葉に、女性たちが皆頷いた。
「そうよねぇ。『文明の遺産』がどうのこうのとか、欲めいたお話もないし」
「パルミーロさんはマイヨさんがそっち関係っぽいって言っていたけど、そんなことおくびに出さない態度が好感持てたのよねぇ」
「ピルロでも色んな人が『文明の遺産』に振り回されたのを見たけど、あの人だけはそんなの全然なくて。何て言うの? あれぞ本当の持ち主? って」
「時が来れば、少しずつ役に立つものから教えてくれそうな雰囲気でしたわ」
どんどん女性たちが話に入り、マイヨの話をするのを目の当たりにしたキエーザは、彼が本当に自らの振る舞いで街の人々からの信頼を勝ち取っていたのだと知る。同時に、別のことが頭を掠めた。
(諜報の理想、だな。まさに『街の友人』って立ち位置じゃないか)
人を欺したり、陥れて情報を手に入れるのは諜報では下の下。脅すなどもはや論外。では理想の諜報とは。それは誠実さを持って協力関係を築き上げていくこと。昔、読んだ本にもそう書かれていた。小説なのか、資料なのかはまったく覚えていない。だが、その言葉だけが鮮烈な印象に残った。
(考えようによっては、街の人たちは全員『マイヨの協力者』とも言えるわけか。こんな街だ? ハーランってのはどうやって覆すつもりなんだ?)
キエーザはRAAZから頼まれていた、工作部隊の編成が当初見積もった難易度よりはるかに低いかも知れないと直感した。
「ねぇ」
子犬を抱き抱えた子どもがおもむろに切り出す。
「マイヨの友だちが、どうしてここまで来たの?」
「そうだよ。今、マイヨはどこにいるの?」
ちょうど、聞きたいことと、話したいことが噛み合った、会話を成立させるのにとても良い雰囲気だった。
「自分の名前はキエーザ。『マイヨがアントネッラさんを保護した』と、錬金協会のRAAZ様から伝えるようにと仰せつかりました。それとは別に、アントネッラさんとマイヨの伝言を持ってきています。それはさっき聞いたその、ジャンニという人を入れて話しましょう」
この後、街の様子などを聞き取りしつつ、街の人々と共にジャンニの帰りを待った。
二杯目のお茶を飲み終える頃、先ほどキエーザが使ったものとは別の場所にある階段の方から物音が聞こえた。
続いて、白い子犬が悲鳴にも似た高い声で吠えた。
「何事かしら」
女性たちの中で比較的体格のしっかりした、運動神経がそこそこありそうな感じの二人が杖を手に、警戒するように件の階下へ近寄った。
「あっちの階段はどこらへんにでるの?」
キエーザが小声で子どもたちの一人に問うた。
「あっちは山の方。だから、大人だけしか行っちゃだめって」
「そうなんだ」
答えを聞いて頷いたところで、蝶番がこすれる不快な音がした。キエーザもサッと立ち上がり、万が一のときに助太刀しようと階段の方へ駆け寄った。
広い空間に緊張が走った。
「誰かおるかー」
キエーザにとって聞き覚えある、気の抜けた声が響いた。街の人たちが知らない声に一戦交えるのかと筋肉を強ばらせたときだった。
「大丈夫だ」
侵入者へ一打浴びせようと身構えていた女性たちに緊張を解いて良い旨を伝えると、キエーザはすぐに階段を上がった。皆の視線が背中越しに伝わる。
キエーザが階上に現れた、ツーブロックの髪と躑躅色の瞳を持つ、とび口を手にした男へ声を掛ける。
「キリアンだったな? どうやってここに来た?」
「え? あれ?」
キリアンが少し驚いた声を上げてから続ける。
「あー。山ほっついとったら、その辺キョロキョロしながら歩いているヤツがおったから尾行して、そのまま近くまで来たんで。ま、こういうの探すのはお手のもの、ってな」
笑顔で説明するキリアンを、キエーザは冷たい瞳で見る。街の人々もまさかと嫌な予感を抱く。
キエーザがキリアンの腕を引っ張って外へ力ずくで連れ出す。続いて、先ほどの杖で応戦体制をとっていた女性たちと、白い子犬を抱えた子どもが階段を駆け上がった。
「皆さんは、こちらまでで。外に何があるかわかりませんので」
キエーザはそう言って、女性たちへいったん戻るように伝えた。
男二人だけで、長めの洞窟を伝って出た場所は、先ほどとは別のネスタ山中腹だった。今立っている場所の直下から山崩れの跡が見えるものの、ピルロの街が見えるくらいの距離だ。だが、キエーザが驚いたのはそこではない。
(確か、連中が『魔法の泉』と呼んでいた場所あたりじゃないのか?)
錬金協会の監査部で独自調査した際の記録で見識がある場所だ。信じたくないことが頭を掠める。
(どういうことだ!?)
キエーザがキリアンの腕から手を離すと睨み付けた。
「どうやってここに来た」
「だから言ったじゃんか。そのへんほっついたヤツについてったって」
「で、お前が言う『ほっついていた』ヤツはどこに?」
以前見た調査記録を見る限り、それは有り得ない。この界隈はけもの道がいくつもある。土地勘がない部外者が適当についていって歩いたくらいでわかる場所ではない。
「そんなん知らんよ、ついてったヤツの行き先なんて」
キリアンが困った顔で答えとき、キエーザは彼が持っているとび口の先端に目を留めた。先ほどは階段周りや洞窟が暗くて気づかなかったが、明るい今なら、先端に赤いものがついているのがハッキリ見える。
(そういう、ことか)
ここを知る人間から聞き出したのではないか。だとすれば、その人物は最悪──。
「けど、さっすが」
キリアンがキエーザの視線に気づくと、それまでとは一転、不敵な笑みを洩らした。
「アンタも相当仕事できるってワケだ。ま、ちょっと乱暴な手に出たのはホント。だって、知っているヤツがいないはずの場所だったんでな」
「何てことを……!」
敵か味方かわからないならみだりに殺していいわけがない。キリアンはそこをわかっていたのか、キエーザがそんなことを考えたときだった。
一瞬前までとは何かが違う。景色が変わったわけでもない。突然、その場の空気が殺気だったものに変わった、というべきか。
「……いやはや。さすがだね。随分探したよ」
突然、聞こえた声は、口調こそ柔らかいが、明らかに違う。
(ヤツだ!)
キエーザは我が目を、我が耳を疑った。
今は週1ペースでの更新ですが、テンション上がればもう少しペースを上げていこうと思います。
よろしければ、ご無理でない範囲で、BM、評価いただけると嬉しいです。
288:【AGNELLI】信じて良いのは誰と誰? 相互不信は全員敵より始末悪い2024/03/20 22:40
288:【AGNELLI】信じて良いのは誰と誰? 相互不信は全員敵より始末悪い2024/03/20 08:10