287:【AGNELLI】「その時」へ向け、時間も準備も粛々と進んで行くのみ
前回までの「DYRA」----------
ディミトリは、自分が錬金協会の会長になっていたことを知らなかったという。同時に、罠に嵌められたのではないかと知り、衝撃を受ける。そんな彼をRAAZやマイヨは、コウモリの末路だと苦笑しつつ、捨て駒くらいにはなるのでは? と考える。
そして話題はDYRAの行方になった──。
DYRAがいない。タヌが正面切ってこの話題を切り出すと、RAAZが苦い表情を浮かべた。
「……ほんの一瞬の差で、身柄を取られた」
全員の表情が硬くなった。
「どうし……!」
タヌが大きな声でRAAZに詰問しそうになったが、マイヨがサッと手で制した。タヌはハッとした。そして心配の色を露わにした瞳でマイヨを見た。
「RAAZ……何で最初に言わなかった!?」
そう言ってからマイヨは一瞬だけ、面食らった表情で天井を仰ぎ見た。
「最初に言えば、ディミトリから情報を取るどころじゃなくなっていただろ。恐らく、私自身、感情に任せて良いなら情報を聞く前にこいつを殺処分とかな」
怒りと痛恨で苛立っていた場面だったろう。にも拘わらず、一瞬の判断をRAAZは間違えなかった。追いたいという衝動をも完全にコントロールしきった。表立って人に見せないであろうRAAZが持つ凄まじい胆力にマイヨは改めて驚嘆した。最初にDYRAの件を聞いてしまえば、ディミトリを色眼鏡で見たかも知れない。何を正直に言われたとしても、下手をすればプロである自分も攪乱情報であることを前提にするか、そうでなくても過剰なほど疑心暗鬼になる場面になった可能性もある。
「ロゼッタを連れて都へ戻った後、洋服屋に寄ったらDYRAが顔を出して私へ伝言を残していた」
タヌたちと別れた後、どういうわけか彼女が西の都へ姿を見せた。知り合いも土地勘もない場所へどうして出向いたのか。
「でもどうして」
タヌが切り出す。
「良いよ。タヌ君。この話題はいきなり話して良い。アントネッラ。悪いけど、ディミトリにその辺の布巾とかで目隠ししておいてくれるかな?」
「え、ええ」
アントネッラが動き出したのを見てタヌは続ける。
「DYRAはわざわざ都なんか行ったんだろう?」
独り言のようなタヌの問いに、マイヨがRAAZを見る。
「預かった伝言は話半分で良いと思うが、山賊に見つかるのを嫌がって移動して南下、都へ来たとも言っていたな。それで、『リマに会ってくる』と伝言があった、と」
大公に会いに。タヌはこれを聞いて勘づく。
「もしかして、父さんの行方を捜すため……?」
前半の部分はどうでも良いが、後半の部分、単独行動の理由としては極めて妥当かつ、合理的だ。
「西の果てで、父さんを捕まえられなかったから……」
デシリオで、東の果てで、そして西の果てでもピッポを捕まえることができなかった。『自分がいながら』。その思いがDYRAの心を静かに追い込んでいたのではないか。そこにきてアントネッラのあの言葉だ。彼女が負い目から、申し訳なさから事態を打開するべく動いたとするなら──。
「彼女はもう少し冷静だと思ったんだけど、意外に熱いというか、思うこと、感じることがあるんだな……」
「長くつきあっているが、変なところで感情的になる」
わかってはいたが、と言いたげにRAAZがぼやく。
「それでも救いがあるとすれば、伝言を残してくれたことだろう」
マイヨの言葉に、タヌと、意識を失ったディミトリに目隠しをし、後ろ手縛りも済ませたアントネッラが顔を上げた。
「彼女の足取りは衛星のログで再追跡する。直近24時間の洗い直しだ。外から見える情報が集まればまた別のことがわかるかも知れないし」
言っている先からマイヨはディミトリの方へ歩き出した。
「こいつ、使えるようにしてからどうする?」
「モラタにでも放り出しておけ」
「それ、どこ?」
「マロッタから西へ、しばらく行ったところにある小さな町だ」
「目印とかある?」
「西へまっすぐ行くと、南と分岐する場所がある。そこをさらに西。北側、つまりネスタ山の麓になる」
「わかった。やることやったらすぐ戻る」
RAAZに答えると、マイヨはディミトリを引きずって部屋を出た。
部屋を出てほどなくして、廊下の方から物音がまったく聞こえなくなった。人一人引きずって階段を下りるならもう少し何か音がしてもいいだろう。怪訝に思ったアントネッラが開け放しの扉から廊下を覗き見た。
「あら?」
アントネッラが不思議そうな顔をした。
「どうしたんですか?」
「マイヨ、階段を下りないでどうやって……?」
その言葉を聞いたタヌは、マイヨもRAAZがいなくなるときみたいに花びらを舞わせているはずと思い、確かめようと部屋を出た。だが、廊下には何もなかった。
「え? 消えちゃった?」
二人が何に疑問を抱いているか気づいたRAAZは少し呆れ顔を見せつつも説明する。
「ああ。ハーランが使っているのと同じ方法で移動しただけだ」
「えっ」
タヌが驚いたとも意外とも言いたげな声を上げた。
「だってRAAZさんのときは花びらがバーッて」
「愚民にわかるような説明など私にできるか」
そう言うと、RAAZは軽食の皿にしいてあった紙ナプキンを一枚手に取り、二人に見せる。
「ハーランが使った方法はこういうことだ」
言いながら、紙を折り、両端をぴったりとくっつける。
「ガキ。私やISLAが使う方法はナノマシンを利用しての量子の揺らぎ。だが、これは言葉で説明できん」
説明を聞いたところで、二人はわからないと言いたげな顔を露わにする。
「わからなくていい。ただ、やることは同じでも理屈は違う、と覚えておけ」
それだけ言って、説明を終わらせた。
「あとの話はISLAが戻ってからだ。小娘。今のうちに風呂でも入って休んどけ。今お前が下手にDYRAの話題を出そうものなら、こっちも何をするかわからんからな」
タヌは、RAAZなりの気遣いを察した。DYRAがいなくなる引き金の一つにアントネッラが発した言葉がないとは言えない。彼女が下手なことを言えば、ディミトリどころではない目に遭うのは明らかだ。
「わかりました。マイヨが戻ったら、呼んでください」
アントネッラは小さく頷くと、個室を出て三階へと上がった。
個室でタヌはRAAZと二人だけになった。
「あの」
タヌが小さな声で切り出した。
「RAAZさん。父さんは、東の果てと西の果てで何をしようとしたんですか? その、本当に昨日の夜、マイヨさんが言っていたみたいな恐ろしい世界を作ろうとしているんですか?」
RAAZが扉を閉めると、空いた椅子にどさりと腰を下ろし、足を組んだ。
「お前の親父はどこまでそんなつもりがあるか、怪しいモンだ」
そう言うと、口をつけていない軽食のパンをつまんだ。
「ハーランが作りたいものと、お前の親父が作りたいものが同じとは冗談でも思えない」
「じゃ、どうして……」
「ハーランが考えている『復興』とは、大昔私やISLAがいた文明だ。その『復興』に便乗して文明を急発展させたいと願う双子のガキや、『あわよくば最大の遺産を独り占めしてやろう』などと小賢しい勘定をするお前の親父とは根本的に考えていることが違う」
「え」
RAAZの言葉にタヌはゾッとした。
「ハーランにとってお前たちこの文明の連中は野蛮人。鍬や鋤程度にしか思っちゃいない」
「鍬や、鋤ですか」
「ああ」
RAAZは少しだけ天井を見上げた。
しばらくの間、物音一つ聞こえない、静かな時間が流れる。
夜はこんなに静かなのだと思わずにいられない。その一方で、タヌはだんだん耐えられなくなり、言葉を探し始めた。だが、気の利いた言葉が浮かばない。そんな中、RAAZが口を開く。
「弱い人間は、衣食住がそれなりに保証されるなら、誰かに決めてもらって、流されて生きた方が楽っちゃ楽か……」
独り言のような呟きに、タヌはRAAZが何を言っているのかわからない。それでも、沈黙よりはマシだと耳を傾ける。
「私たちがいた世界は、そういう世界だ。持つ夢も、結婚する相手を選ぶのも、それどころか、趣味や嗜好、政治的な考えまで決めてくれる『誰か』にお任せだ。だが、狡いのはそれを『自分で考えている』と思い込まされていることだ。『自己責任』ってな。本質の部分を考えさせないように巧みに人の思考を操作する」
「一体、どういう……」
「自分の意思を持てる世界など、軍しかなかった。私には、『外の敵と戦う』とかどうでも良くて、『生き残るため』にどうするかをいつも考えた」
タヌは、RAAZに聞いているという意思表明を兼ねて、頷いた。
「生きるために必死に考える。色んなことを。とりとめもなく、浮かんでは消える。心を整理するために、私は古い本を読むようになり、自分の考えすら持たぬ連中と余計な話をしないで済むように、ピアノを弾いた」
「ピアノ?」
「楽器だ」
「楽器? えっと、ごめんなさい。村には、そういうものが、全然なかったから、わからなくて」
「鍵盤を叩いて、美しい音を出すものだ」
他者とのやりとりに時間を費やしたり思考を割かないために、内に籠る。RAAZの意外な一面にタヌは新鮮な感情を抱いた。同時に、敵をやっつけないと自分が殺されるかも知れない極限状態の環境と、孤独に向き合う姿勢、それらが彼の感性や胆力を鍛えていったのに違いない。そう理解した。
「つまらないことを、しゃべり過ぎた」
RAAZは苦笑した。
「小娘のあの兄貴にしろ、お前の親父にしろ、文明を外部の力で急激に進歩させることの恐ろしさを知らないからこそ、無邪気に、そして躍起になる」
この言葉で、タヌはRAAZがどうして彼が言う、敢えてつまらないことをしゃべり過ぎたのか、その趣旨を察した。
「小娘も気に入らん。それでも兄貴よりはマシだ。ISLAがいたからもあるだろうが、多少は目を覚ましたからな。それと、ハーランの脅しに屈さなかった。多少心もとないが、聞く耳も持ち、そして選択を間違えなかった」
その言葉にタヌは、やはり昨晩彼女へ徹底的にマイヨが詰めたのは、もしかしたらRAAZの態度の裏側に潜む本心を見抜いていたからだと察知した。
(マイヨさんはやっぱり)
RAAZが言う選択を間違えれば、アントネッラは今頃死んでいたに違いない。タヌは改めて、マイヨなりに彼女を気遣っていたことを知ると共に、顔や態度に出すことはなかったが、安堵した。
「どちらにしろ、今後の流れはあと40日で見える」
その40日がすぎた後、何が起こるのか。タヌはそこが気になったが、うまく質問に落とし込めず、何も言葉を発せなかった。それどころか、心がざわざわする。
(負けたら、終わるって?)
タヌは自分の中に広がる動揺を鎮めようと、深呼吸した。
(その前に、ボクは父さんを見つけなきゃ。でも……)
この期に及んで、父親を見つけたところでRAAZに殺される。それが約束だ。どうにか命だけは取らないでくれと頼もうにも、正面切って言い出そうものなら、DYRAの厚意や人格の全否定と自動的にセットになってしまう。
(そういえば)
昼間に会った錬金協会で副会長を勤めた老人は、父親を殺してはいけないと言っていた。何かわけがあるのだろうか。
(だとしても)
その理由がわかれば父親を助ける道が開けるのだろうか。だが、そんな雰囲気があるとも思えない。この件は何度も打開策がないか思案した。それでも何も浮かばないまま今になっている。
「あの、RAAZさん」
「何だ?」
何を言うか考えずに、タヌは何となくRAAZを呼んでしまった。今さら何も考えていない、などとは言えない。大慌てで小さな脳みそをフル回転させ、言葉を探した。
「ボ、ボクも寝ます」
「そうしておけ」
とっさに口にしてから、タヌは慌てて扉の方へ移動した。
「あ、あの。……えっと、DYRAは、その、DYRAは、DYRAだと思います」
引き戸を開ける寸前、小さな声でそう言って個室をあとにした。
ひとり、部屋に残ったRAAZは、肩をすくめて少しだけ、笑みを漏らした。
(DYRAは、DYRA、か。ガキ。それはお前が心配することじゃない)
3階へ上がったところで、タヌは、アントネッラが廊下に立っていることに気づいた。
「何かあったのですか?」
「いえ。眠れないのと、何ていうか、落ち着かなくて」
「そうだったんですね。でも、休めるときに休んだ方が」
タヌはここでハッとした。今しか聞けない。今、聞かなければならないことがあるではないか。色んなことを見たり聞いたりしたせいで、思い浮かんだことをすぐに聞かないとこれまたすぐに忘れてしまいそうだ。
「えっと、実はボク、アントネッラさんに聞きたいことがあって」
「え? 何かしら? お父さんのこと?」
「いえ。さっきあっちのお店で、ディミトリさんへアントネッラさんが話したことで」
「ええ」
「ディミトリさんがいたからすぐ言えなかったり、さっきも言う機会を逃しちゃって。気を悪くしないでほしいんですけど」
タヌが予防線を張ったことで、アントネッラは何か彼にとってまずいことを言ったりしたかなど考えた。だが、それらしいことは浮かばなかった。
「大丈夫よ。話して」
「さっき、ハーランさんのところでの出来事の話で、気になったことがあって」
「そのことね。そう言えば、怖い顔して聞いていたものね」
アントネッラはタヌがマロッタの食堂新店舗で、唇を震わせ、信じられないと言いたげな表情で話を聞いていたときのことを思い出した。
「あ、はい」
「大丈夫よ? こうして私は皆さんのおかげで助かったし」
アントネッラが笑顔で言った。
「あ、ここ、寒いから、アントネッラさんはお部屋へ。ボク、部屋の扉の前で」
誤解を招くようなことになってはいけないので、女性の部屋に入ってはいけない。
「お気遣い、ありがとう」
タヌとアントネッラは3階へと上がった。
アントネッラは部屋へ入ると、膝掛け代わりの毛布2枚とランタンを持ってきた。1枚をタヌへ渡し、ランタンを開いた扉の前に置く。扉を開けた状態で、ランタンをはさんでタヌとアントネッラが向かい合った。
「それで、聞きたいことって?」
「あの、ひどい格好で連れ出されたってお話していましたよね」
「ええ。でも、格好の話じゃないわよね?」
タヌは言いにくそうに、それでも言葉を探す。
「はい。その! あ、一緒にいたっていう少年って」
その質問だとは思わなかったからか、アントネッラがギョッとした表情を浮かべた。
「あ、やっぱり……」
まずい質問だっただろうか。タヌは詫びようとしたが、アントネッラが笑顔で話す。
「大丈夫。ただ、そっちだったんだって、驚いちゃっただけ」
アントネッラはそう言ってから答える。
「髭面がずっと使っている男の子ね。タヌ君と同じくらいの年頃で、パッと見は、色白の利発そうな子だったわ。でも、貧民窟の娼婦みたいなことをしてでも陥れるようとしたりなんて、見た目と違ってとても子どもとは思えない。感じ良さそうなのも、毒蛇の本性を隠すためだったのね」
「見た目は、どんな風でしたか?」
マイヨがマロッタでクリストを見かけたときに疑う素振りを見せて以来、ずっと気になっていた。フランチェスコで大公をめぐる騒ぎがあったときも見かけた。タヌは心のどこかでハーランとクリストが繋がっているような気がしてならなかった。
「背もタヌ君とほとんど変わらない。髪の色は薄いはちみつみたいな感じで、エメラルドみたいな目をした子」
「名前、聞きましたか?」
「『クリスト』、そう名乗っていた」
聞いた瞬間、タヌの中で信じたくなかった何かがカチリと当てはまった気がした。
タヌは、目の前が一瞬、真っ暗になりそうだった。
「クリスト……」
「知っている子?」
「知っている、っていうか」
どう説明すれば良いのか。タヌは懸命に説明の言葉を探す。しかし、何も浮かばなかった。
「ボクがレアリ村を出てから割と早いうちに出会ったんです。そのときに、親切にしてくれた子で」
タヌの言葉の中に潜む感情をアントネッラは察する。
「その子が私にひどいことをしたなんて、信じられない、って言いたいのよね」
「アントネッラさんが嘘をついているとか、そういうのじゃないです。ただ、どうしてそんなことに、って」
そう言ってからタヌは深呼吸し、アントネッラを見た。
「クリストは、ピルロでも会いました。でも、アントネッラさんの話を聞いて、逆にどうして彼がピルロにいるのか、何となく見えてきたっていうか」
信じたくはないが、目を背けることはできない。ひょっとしたら、クリストは最初からハーランと繋がっていたのではないか。それなら、ペッレでの最初の出会いすら仕組まれていたのでは。タヌの中で猜疑心が強まる。
(サルヴァトーレさんの弟って話も)
少なくとも、RAAZ側から以前メレトで話を聞いた内容も今思えばどう考えても、同情を引いて近づきやすくするための言葉をかき集めただけと考えるのが妥当だ。言い方を変えれば、自分に怪しまれることなく近づくためにクリストを適当なダシに使った、だ。
タヌは今一度、ピルロでクリストから聞いた話を思い出す。あの話を聞いたとき、どう考えても、サルヴァトーレのこととは思えなかった。それでもクリスト側の言い分に立って考えるなら、「奇妙な話」というべきか。
ある意味、どちらの言い分にも信はない。
(RAAZさんの方が、ハッタリってわかりやすかった)
考えようによっては、クリストの方が悪質かも知れない。
アントネッラが今さっき言った、毒蛇の本性を隠していたのかも知れない。RAAZ、クリスト本人、そして第三者のアントネッラ。それぞれの視点からの話をタヌなりに突合すれば、今の時点でクリストを信じたり心を開いたりするのは危ないかも知れない。
今はそれだけわかれば充分だと、タヌはいったん、割り切った。
(クリスト。今、どこで、何をしているんだろう。ハーランさんと一緒にいるのかな? それとも)
言葉を発さなくなったタヌを見て、話が終わったと思ったのか、アントネッラが彼の肩をそっと叩いた。
「もう、寝ましょう」
「あ、はい。時間取らせちゃって、本当にごめんなさい」
タヌは立ち上がると、毛布をアントネッラへ返してから、隣の部屋へと移動した。
二人は、自分たちを階下からRAAZが見ていることに気づかなかった。
今は週1ペースでの更新ですが、テンション上がればもう少しペースを上げていこうと思います。
よろしければ、ご無理でない範囲で、BM、評価いただけると嬉しいです。
287:【AGNELLI】「その時」へ向け、時間も準備も粛々と進んで行くのみ2024/03/11 20:00