285:【AGNELLI】ディミトリに降り懸かった受難、聞いたタヌが顔面蒼白に
前回までの「DYRA」----------
RAAZは西の塔からロゼッタを連れ出し、遭難を装って都へ戻すことに成功した。サルヴァトーレとして都にある自分の店へ戻ったら少し前にDYRAが来ていたとの報告を受け、彼女が向かった先──行政府──へ急ぐ。だが、すでに炎に包まれており、DYRAの姿はなかった。
怒りを内側に押し殺してマロッタへと戻ったRAAZは、食堂旧店舗に誰もいないことに気づくと、タヌが店長と行動を共にしていることを思い出し、新店舗へと出向いた。
「かっ……」
夜。まだ営業中の食堂で、裏口からそっと入ってきた人物が誰かわかると、店長は「会長さん」と口だけを動かした。それを見たRAAZがすぐさま、両手で時計を回す仕草をした。次に、両手を上に上げてから一気に下へ下ろし、最後の指で旧店舗がある方を指差した。
(閉店後に旧店舗へ連れて来い、と!)
店長はジェスチャーの意味を概ね理解すると、大きく首を縦に振って頷いてから、何事もなかったように厨房の方へと戻った。
RAAZは店長の姿が消えたのを見届けると、目立たぬよう、従業員用の階段で2階へ上がった。
「あっ」
個室の扉をざっと見回してから扉を軽く叩き、そっと開く。すると、タヌの声が聞こえた。
部屋にはタヌとアントネッラ、それにディミトリの姿があった。3人はテーブルを挟んで座っており、紅茶を飲んでいるところだった。
「かっ……」
ディミトリが「会長」と言おうとした言葉は音として発せられることはなかった。RAAZが中へ入って扉を閉めるや、ディミトリのそばに駆け寄り、そのまま胸ぐらをつかみ上げたからだ。
「随分探したぞ。手間を掛けさせやがって」
「おあっ!」
瞳に隠しきれぬ怒りをにじませながら、RAAZはディミトリを壁に叩きつけた。横からとは言え、その瞬間の、RAAZの刃のように鋭い瞳を見てしまったタヌとアントネッラはそれぞれ困惑を隠せなかった。
(えっ! RAAZさん……ちょっと)
(止めないとまずいわよね。でもマイヨもいないし、私なんかじゃ)
下手に声をかければ何をされるかわからない。今のRAAZの様子ではそれこそ、老人だろうが女性だろうが、それこそ赤子でも容赦しないのではないか。タヌは彼がここまで荒れる考えうるただ一つの可能性を思い浮かべた。
(DYRAに何かあっ、何か起こったんだ!)
タヌの目に、RAAZの行動はたとえ荒っぽいことや常軌を逸していることであっても、DYRAを守るためという視点で見ればそのどれも辻褄が合う。なら、朝、彼女と戻るようなことを言って出掛けたにも拘わらず、一緒にいないことは考え得る答えだ。
アントネッラがどうしようと言いたげにタヌを見る。タヌは視線に気づくと小刻みに首を横に振った。できることは何もない。今、RAAZへ暴力は良くない的なことを訴えたところで、たとえ正論でも何の意味もなさない。
その間も、RAAZがディミトリを視線だけで容赦なく詰めていく。下の階には一般の客がいるので、物音や大声を出さないように気遣っているのがせめてもの情けだ。タヌはそんなことを思う。
殺意に満ちていると言っても良い鋭い視線に心底から恐怖を感じたのか、ディミトリは言葉も出なかった。
「小娘。ISLAはどうした?」
唐突にRAAZが鋭い声で発した。聞きなれぬ名前にアントネッラは一瞬、返事に詰まるものの、すぐにマイヨのことだと思い出した。
「私だけを先に食堂の引っ越し荷物に紛れて移動させてくれたの。多分、別に何かしようとして、ここの閉店時間を待っているんじゃないかしら」
「そうか」
まだしばらく時間がある。話の流れからマイヨが何をしたいかある程度想像がついたのか、RAAZは小さく頷いた。
「ガキ。麻縄持ってこい。こいつに逃げられちゃ困るからな」
「待ってくれよっ」
ディミトリだった。
「逃げやしねぇ。むしろ、俺の方からこっちへ来たんだ。別に見つかってとっちめられて連れて来られたわけじゃねぇ」
タヌも今しかないとばかりに口を開く。
「RAAZさん! 本当です! ボクが朝、ここへ送ってもらったあと、ちょうど入れ違いで店長さんから、『夜明け前にディミトリさんが来た』って」
RAAZがタヌを少しの間に睨みつけた。一瞬、信じてもらえないのかとタヌは動揺するが、杞憂だった。
「……ま、裏を取ればわかることで嘘を吐く理由も、ないか」
そう言って、RAAZはディミトリから手を離した。足下にどさりと落ちる。
「いててっ」
ディミトリがゆっくりと立ち上がる。RAAZは二歩三歩下がり、タヌを見る。
「ISLAを呼んでくる。時間がもったいない」
RAAZはそう言って、さっさと個室を後にした。
(ISLAのところへ、出向くか)
RAAZはその場から姿を消した。ふわりと舞い上がる赤い花びらの嵐と共に。
マイヨが本拠地代わりに使っている、ドクター・ミレディアの施設へ繋がる階段まで来たRAAZは階段の踊り場の床を叩き、符号を送った。ほどなくして解錠されると、施設の廊下の一角に立った。
RAAZは廊下を歩きだすと、扉がわずかに開いている部屋の前に立ち、扉を叩いた。
「ナノマシン補充を開始してまだ10分ちょっとだったんだけどね」
部屋から出てきたマイヨを見て、RAAZは彼が何のために戻ったか理解した。同時に、やはり、とも。
「ナノマシンか」
「ああ。リアクタだのアセンブルシステムだの入れていない俺の身体は外部充填するしかない。できるときに1秒でもやっておきたいってわけ」
渋い顔で出てきたマイヨをRAAZは一顧だにしなかった。
「来客を待たせているんだ。早く戻れ。小娘も心配している」
「わかった。あと、来てくれたことで俺もアンタに頼もうと思っていたことを今言える」
「言ってみろ」
「憲兵の詰め所だった部屋の向かいの扉。あそこの鍵が開かない。電子キーしかないから、通電しない時点でアウトらしいんだ」
「壊してでも開けてくれ、と?」
マイヨの話を聞いたところで、RAAZはあああそこか、とでも言いたげな顔をした。
「来い」
RAAZはそう言って、問題の扉がある方へ歩き出した。
「ここだろ?」
言いながら、電子キーのコンソールを力ずくで取り外した。
「えっ!!」
まさかのRAAZの行動にマイヨは声を上げた。
「最初からダミーだ。偽装コンソールが外れなかったのは予想外だったが」
言いながら、RAAZは何事もなかったように鍵を解錠した。
「開けてくれないか? 中を見たい」
「何のために?」
RAAZが問うと、マイヨは一呼吸置いて答える。
「『あの日』に至る道を、もう一度、俺自身で確かめるためだ。俺はここへ収容されて以来、この部屋にピッポが賊として入ってくるまで、治療用のケースに入れられたままだった。ケースから出てからも、ここに誰も入ってこないように防御構築をしたり、外で一体何が起こっているかを調べたりで手一杯だったんだ」
信じる理由もないが、信じない理由もない。
「ディミトリの話を聞き終わってからだ」
「それでいい」
早い内に見せてもらえるならそれで問題ない。今、この瞬間というほど急ぎではない。マイヨはRAAZと共にマロッタへ戻った。
赤い花びらと黒い花びらがふわふわと舞う中、RAAZとマイヨは旧店舗の2階へ姿を現した。
個室に人の気配があることに気づくと、二人はそっと近寄り、扉を挟んで両脇に立ち、構える。
「ん?」
聞こえてくるのは男女数名が話す微かな声だった。二、三人いるだろうか。
続いて、階段から足音が聞こえた。
「ああ、会長もこちらへ」
現れたのは店長だった。手にはコーヒーセット一式、クラッカー類が盛られた皿をのせた銀の盆。それに小脇に紙の束を抱えている。
「今さっき、頃合いを見て閉店作業をナザリオ君たちに任せて、引っ越し荷物を運ぶ荷馬車に紛れこませて皆さんを送り届けたところだったんです」
個室にいるのはタヌとアントネッラ、それにディミトリとわかると、RAAZとマイヨは少しだけ警戒心を解いた。店長がマイヨに「これ、お願いして良いですかね」と言いながら銀の盆を預け、扉を叩いてから開けた。
「皆さんお揃いのようですので自分は戻ります。あ、あとこれ、話の流れ的に、ディミトリさんへお見せした方がよさそうなものです」
紙の束はマロッタにある錬金協会の建物が焼かれた翌日以来、昨日までの号外だった。店長が階段を下りていったのを見送ってから、RAAZとマイヨは部屋へ入った。
「待たせた」
RAAZはそう言ってから、扉を閉めた。
大きなテーブルを挟んで、一番上座近くの席にディミトリが座り、ひとつ空けてタヌが、アントネッラはディミトリの真向かいに座っている。
マイヨは、新聞の号外を全員に良く見えるよう、テーブルに1枚ずつ広げた。この間、タヌとアントネッラが手分けして人数分のコーヒーを用意した。
「やぁディミトリ。RAAZも君のことをずいぶん捜していたんだよ。俺たちはアンタから聞きたいことが山のようにある。アンタもわざわざここまで一人で出張ってきた以上、言いたいことや聞きたいことがあるんだろうけどね」
マイヨのその言葉が始まりを告げる合図となった。
「ガキ。小娘。やりとりに口を挟むな。どうしてもここで聞かなければと思うことが出たら手を挙げろ。ISLAが許可したら、言って良い」
RAAZはそう言って、事実上、ディミトリからの聞き取りをマイヨに一任した。もちろん、ある程度のことは自分でもできる。それでも、時間効率を考えれば軍で情報将校をやっていた人間が聞き取りをするのが最適解だ。事実、情報収集および精査、そして得られた情報からの予測はマイヨの方が間違いなくプロなのだから。
「は、はい」
「わかったわ」
タヌは席を立ち、アントネッラがいる側へと移動した。彼女も席を立って、真向かいを空け、ひとつずれた。空いたディミトリの向かい側にマイヨが着席した。RAAZはディミトリの横よりやや後ろ、ちょうど、死角になる位置に立った。
「さてとディミトリ。あの乗っ取り騒ぎの直後にお前が私へ言いそびれたこと、ゆっくりと聞かせてもらおうか?」
ディミトリは、サルヴァトーレの姿でいたRAAZと話そうとして言い切れなかったときのことを思い出しながら、「ああ」と呟いた。
「時間が惜しいから挨拶は抜きだ」
マイヨのいきなりの切り出しに、タヌはRAAZやマイヨが3人しかいないから時間や人手が足りない的な話をしていたことを思い出した。
「まず、マロッタの錬金協会で火事があったあのときから、アンタがここに来るまでの、事実だけを話してくれ。いつ、どこで、誰が、何を、どうやって、だけだ。感情的な話とか、主観は一切ナシで。その辺は次に聞きたいことだから」
ディミトリはここで、アントネッラを見てから呟く。
「アンタ、ホントにこいつのこと良くわかっている」
ここで無言で、しかし、だから何、とでも言いたげな表情でアントネッラが答えたのを見ると、ディミトリは改めてマイヨへ向き直った。
「あの日、火を放たれたとき、いや、その直前の時点で、アイツ、ハーランに一杯食わされた。……いや、うーん」
ディミトリは自分の頭の中を整理するためか、深く息を吸い、ゆっくりと吐いてから自分の前に置かれたコーヒーを飲んだ。そしてもう一度、今度は大きく息を吐いた。
「あの日の夜に繋がる部分から先に話す必要がある。俺が前の日に、マロッタの錬金協会へ来るようにリマ大公に言われていた」
軽く息を吐いて、ディミトリが続ける。
「デシリオでアンタと会ったあの後からか。俺、殆ど徹夜でさ。夜明けだかにオッサンと別れた。それで、ひとりでフランチェスコへ戻った」
マイヨは無言のまま、小さく頷いて続きを促す。
「馬車を乗り継いで。フランチェスコ戻ったところで昼過ぎ。んで、疲れていたからその日は報告書だけ書いて爆睡した。で、次の日になって、錬金協会の建物にリマ大公が現れた」
リマ大公の名が出たとき、RAAZが眉を僅かだかピクリと動かした。それを見たタヌもまた、ディミトリの話に内心、困惑し、猜疑心を抱く。
「それは朝、昼、夕方?」
聞いている人間たちの思惑など歯牙にもかけず、マイヨは事務的に質問する。
「昼。それも遅めの時間だ。そんときに俺に用があるって言って。『明日の夜マロッタへ来い』って言うだけ言って、消えた」
ディミトリが話すと、マイヨがタヌを見た。
「タヌ君。デシリオから君たちもフランチェスコへ行ったよね?」
「はい」
「次の日、何時くらいに、騒ぎを見かけたって?」
「え? ちょうど、お昼くらいです」
「ありがとう」
マイヨはわざとらしいくらい難しい表情でディミトリを見た。
「ディミトリ。それで君は次の日の夜にマロッタへ移動した、と?」
「ああ」
「そこで、何が起こった?」
コーヒーカップへ手を伸ばし、一息に飲むと、頭の中を整理するためか、ディミトリが軽く呼吸した。
「2階の、イスラ様の執務室へ部屋へ入ったら、奥の執務机でイスラ様がリマ大公に頭を掴まれて、机に押しつけられていた。それで……」
ここまで話したところで、ディミトリは視線をテーブルに向け、唇をぶるぶると震わせた。唇だけではない。コーヒーカップを持つ手も同様に震わせている。
アントネッラは、女性が男性を押さえつける光景を想像しきれないのか、何と言えば良いのかわからないと言いたげな表情だった。RAAZは下唇を噛み、厳しい表情を浮かべる。
タヌは感じ取ることがあったのか、何か言いたげな顔でマイヨを見る。手を挙げて良いものかどうか、困惑の色も浮かべている。
「どうしたの? 続けて」
マイヨはディミトリの様子を見ても構わずに続きを促した。
「あ、ああ。あのとき、大公がイスラ様を押さえつけて、そのときに、大公のボディーガードが俺の方を見て、それで」
「で?」
「そいつが、こう……」
言いながら、ディミトリが自分の右手を左顎下へ持っていき、額の真ん中に向かって手を動かす。タヌとアントネッラはその仕草を理解できなかった。対照的に、RAAZとマイヨは何を意味するかわかったのか、表情一つ変えない。
「それで? 何が起こった?」
「信じてくれねぇかも知れないけど、ボディーガードの顔がベリベリ破れていって……その」
「その?」
マイヨが促すと、ディミトリが言いにくそうに話す。
「……オッサンに、変わった」
顔が変わるとか、何を言っているのだろうか。理解が追いつかない。タヌとアントネッラが互いの顔を見た。
「ディミトリ、オッサンって、誰のこと?」
マイヨはディミトリ自身の口から求めた。
「……オッサンだ。あの、……そう。ハーラン」
名前がハッキリと出た。
「えっ」
「え」
タヌとアントネッラが異口同音に発したが、RAAZが二人を軽く睨む。マイヨはふたりを手で制し、ディミトリにさらに続きを促す。
「俺はビックリして、何て言うか、何て言えば良いのかとか、全然わからなかった。そうこうしているうちに、クリストの声がした」
「クリスト!?」
名前を聞いた途端、タヌが声を上げた。
「タヌ君」
マイヨがちらりとタヌを見てたしなめる。
「あっ……」
今は口を挟んではいけない。どうしても、今すぐ言いたいことがあったら挙手する約束だった。だが、今の流れでマイヨが発言を許してくれるとは思えない。タヌはうずくまるように小さく頭を下げた。
一段落ついたところでディミトリが再開する。
「クリストは『言うことを聞けば会長になれる』みたいなことを言った。で、その後、大公が副会長を窓から投げるように突き落として、オッサンが手にした筒の導火線に火を点けて、窓から放るなりいきなりドカン! って。俺が驚くより先に、クリストが部屋のカーテンに火をつけやがった。俺はイスラ様のことがあるから、追うように飛び降りた。助けなきゃ、って」
「それから?」
「イスラ様はケガをしていたが無事だった。建物は火が一気に燃え広がった。俺、イスラ様を連れて敷地を出ようとしたんだけど、下りてきたのか、飛び降りたのかわかんねーけど、そこにもう、オッサンや大公、クリストがいて……」
「なるほど」
マイヨがそこでディミトリに何度か頷き、話を止める仕草をした。
「時系列に矛盾はないな」
「でも、ボクはDYRAとフランチェスコであの瞬間を目撃している……」
タヌが呟いたのをマイヨは聞き逃さなかった。
「タヌ君。君が言いたいこととかはあとで聞くよ。今はディミトリだ」
そう言ってから、マイヨがコーヒーを一口飲む。
「それで、ジジイはその後は?」
聞いたのはRAAZだった。
「朝、俺がサルヴァトーレに話をして、その後はもう……ぶん殴られて意識がなくて。気がついたら、荷馬車で連れ出されていたらしくて、フランチェスコだったんだ。それで、何かまずい予感がするってんで、ケガをしているイスラ様には負担を掛けちまったが、同志っていうか、まぁ、そういう連中の手を借りて、荷馬車失敬してフランチェスコを脱出、モラタへ逃げた、って感じだ」
「うーん。じゃ、これはどういうことかな?」
マイヨはそう言って、テーブルに広げられた号外を指差した。ディミトリは1枚ずつ読み始めた。
「何だよこれ? 俺、錬金協会の会長になっちまったのかよ? どういう冗談だよ?」
そういったディミトリの顔は、嘘を言っているそれではなかった。
285:【AGNELLI】ディミトリに降り懸かった受難、聞いたタヌが顔面蒼白に2024/03/31 16:28
285:【AGNELLI】ディミトリに降り懸かった受難、聞いたタヌが顔面蒼白に2024/02/26 20:00