284:【AGNELLI】炎の中で「何か」が起こり、そして、DYRAが消えた……
前回までの「DYRA」----------
ディミトリが夜分こっそりマロッタを訪れたが、その真意が未だにわからない。だが、彼とアントネッラの会話でタヌは顔色を変える。同じ頃、ロゼッタの応急処置を終えたRAAZが救助活動のフリをして都へ戻すことに成功。そして思わぬ形でDYRAの居場所を知る。
サルヴァトーレがアニェッリへちょうど戻った頃、DYRAは大公のリマへ面会を求め、行政府の建物へ姿を見せていた。
「大公様は誰でも彼でも会うわけじゃないんだ。帰れ」
二人一組の守衛が門の前で立ちはだかり、警杖を掲げて阻んだ。
「ではどういう条件なら会ってくれるんだ?」
DYRAが問うと、守衛は顔を見合わせてから答える。
「ご紹介状を持って、それから日程のお約束をしていただくことになる」
「お姉さんなら美人だから、有力議員か商人と1週間くらい仲よくすればすぐに……」
「ああ。アンタ美人だし、何なら大公様お気に入りの洋服屋、サルヴァトーレとか口説きお……」
下卑た笑みを浮かべながらの腐った答え。聞くだけ時間の無駄だし、話す価値もない。DYRAは力に訴えた方が早いと判断した。
「ふざけているのか? それならとっくに私にはサルヴァトーレの後ろ盾がある」
こういう相手には、サルヴァトーレの名前を出しても問題ないだろう。言い終わったときにはもう、二人が持つ警杖を掴んで力任せに引き寄せ、バランスを崩した一瞬を逃さず、二人の向こう脛へ立て続けに蹴りを喰らわせた。
「うわっ!」
「何する!!」
DYRAはサッと警杖を奪い取ると、門の向こうへと放り投げた。
守衛たちは彼女の鋭い瞳に睨まれると、「ひっ」と怯えた声を上げた。
「話にならない」
言い捨てるなり、DYRAは走り出し、助走をつけると壁を飛び越えんばりに跳躍した。そのまま、3メートル近くある壁を軽々と飛び越えた。
敷地内に入り、綺麗に刈り込まれた芝生を建物がある方へと走り出した。すぐに門の方から先ほどの守衛の、「賊だ」という叫び声が聞こえた。それに呼応するように行く手を遮ろうと守衛がぞろぞろと姿を見せる。
「邪魔だっ」
障害物よろしく次々と現れる者たちへ、膝裏や向こう脛など、一撃で確実に動きの選択肢を奪う箇所を正確に狙って蹴りを入れていく。急所や鳩尾を狙わらないのは自分も構えからの動きが大きくなり、隙を狙われやすくなるのと、相手がうずくまることで通行の障害になるのが面倒だからだ。逆に、仕留めない理由も話を大きくしたくないからだ。リマに会えれば今はそれでいいのだから。
次から次へと現れる守衛を一体何人倒しただろうか。もう数えるのも面倒くさくなってきた。気がつけば建物の3階まで駆け上がっていた。階下には激痛にうめいている守衛大勢いる。
「リマ大公はいるか」
DYRAが改めて声を出した。
階下や廊下の奥から低いうめき声が漏れ聞こえてくる。続いて。
「——きゃあああああ!!」
「——うわああっ!!」
一番奥の突きあたりの扉の向こうから悲鳴が聞こえた。甲高いそれは、女性、もしくは子どもの声だった。
「何だ!?」
DYRAは本能的に身構え、自身の周囲に青い花びらを舞わせると、直列状の蛇腹剣を顕現させた。
剣を手に、一歩踏み出したときだった。
「——いやっ……ぎゃあああ!」
奥の扉の隙間から煙が漏れてくる。DYRAが異変にどう対処しようかと、警戒心を強く持ちながら考えようとしたときだった。
ドン! ドン、ドン!
鈍い音は、まるで壁か扉に何かがぶつかっているようなそれだ。少なくとも、部屋の向こうに何かある、いや、いる。DYRAは扉が開いた瞬間、斬り捨てるべく構えた。
背後の階段からも足音が聞こえてくる。倒された守衛の中で何人かが、痛みが引いたからとばかりにDYRAを追ってきたのだ。
「来るな!」
DYRAは振り返ることもなく、声を上げた。
「お前がっ!」
階段を上がってきた守衛たちがDYRAへ背後から飛び掛かった。彼女の上に飛びかかったのは5人。だが、気配を察知していたので、彼女はサッと身をかわした。彼女の真横、扉の真正面で5人が重なるように倒れる。
と、そのとき。
悲鳴や鈍い音が聞こえていた部屋の扉が破られる音が響くと同時に、扉が開いたことで激しい煙がもくもくと広がり、視界が完全にさえぎられた。
その場の視界が戻るまで、数秒程度のはずだった。
「な、何だこれは……!!」
状況を把握できる程度に視界が戻ったとき、DYRAの目の前は別世界に変わっていた。
5人の男たちがなすすべもないまま、2頭の小ぶりな体型のアオオオカミに喰われていた。DYRAに飛びかかったはずの男たちは彼女にかわされ、重なるように倒れた挙げ句、そのタイミングで扉の向こうから現れた猛獣に首のあたりを片っ端から食いちぎられたのだ。
DYRAは喰うのに夢中な獣へ、気づかれる前にとばかりに迷わず剣を振るうと、一気に2頭の首を斬り落とした。返り血が外套に飛ぶが意にも介さない。
だが、獣や屍に気を回す余裕はもうなかった。扉の向こうで聞こえた悲鳴のことや、階下で倒れている守衛たちのことがあるからだ。
「下の奴ら、生きているなら逃げろ!! 火事だ!!」
DYRAが声を張り上げる。言い終わるやすぐに今度は煙が漏れてきた部屋へ目をやった。
「誰かいるか!? 生きているか!?」
「たす……け……て……」
未だに煙が晴れぬ部屋の奥から、うめく声が聞こえた。火元はそこなのだろうか。
(あれ?)
DYRAは今いるこの空間が明らかにおかしいと気づいた。
(熱くない?)
これほどまでに煙が激しく上がっている。なのに熱がない。火事のときならではの煙の臭いもないし、喉の粘膜へ襲い掛かってくるものもない。
(気が進まないが……!)
手段を選んでいる場合ではない。DYRAは反射的に自身の周囲へ青い花びらを舞い上げる。その風圧で一気に煙が晴れていく。
「どうなっている?」
煙が晴れたことではっきり見えるようになった光景に、DYRAは目を疑った。
「……大公がふたりいる、だと!?」
煙が晴れた部屋には3人の男女がいた。奇妙なのは、ふたりが同じ容姿だということだ。金髪が混じった黒髪の、背が高い美女。そう。リマだ。残りのひとりは、はちみつ色のくせ毛の髪とエメラルドのような瞳が印象的な少年だった。
「えっ!」
同じ姿をした女は、片方がもう片方を締め上げているではないか。一体どういう状況なのかわからぬ様子を前にDYRAが呆気に取られたときだった。
少年が両腕に何かを抱えて脱兎のごとく部屋から走り出し、廊下へと出た。しかも、扉を閉めるのも怠らない。
3人だけになった部屋で、まったく把握できぬ現状を前に、DYRAは唖然とし、思わず声を上げた。
「おい! やめろっ!!」
どちらかが本物で、どちらかが偽物。普通に考えればそうだろう。しかし、DYRAはどちらが本物かを見抜けるほど彼女を知らない。
「ぐぅぅ……たす……け……」
「このっ! 偽物が!」
ふたりがどちらもDYRAへ助けを求めるような視線を向けたときだった。
突然、DYRAの背中に激しい爆風と激痛とが襲い掛かった——。
サルヴァトーレが火の手が上がったと騒ぎになった行政府の建物前に着いたとき、すでに建物の敷地外は野次馬でごった返ししていた。
「これ、何の騒ぎ?」
サルヴァトーレが同類のフリをして近くにいる野次馬に尋ねた。
「あー。さっきいきなり1階からドカーン! って音がして、そのまま火事だよ。守衛は全然出てこないし、大公様もいるって噂で」
「そうなの!? 大公様が!?」
聞くや否や、サルヴァトーレは野次馬の輪を抜けようと、人波をかき分けて進んだ。最前列近くまでたどり着くと、激しく燃えさかる行政府の様子が見える。いわゆる町火消したちは最前列で立ち尽くしていた。
「何故消さない!?」
サルヴァトーレが声を荒げて尋ねた。町火消したちがその声に気づくとすぐに振り返った。
「できるわけねぇだろうがっ!!」
「ラ・モルテが火を放ったんだ! 近づけるか!!」
町火消しのひとりがサルヴァトーレ以上に声を荒げた。その声が後ろの野次馬たちに聞こえたのか、あっという間に噂が広がっていく。
「——ラ・モルテが火をつけたって!」
「——えっ! ウソ!」
(何!?)
ラ・モルテが火を放ったとは、どういうことなのか。
だが、町火消しの言葉にハッとしたときにはもう遅かった。さながら光の速さで歪曲された情報が伝わっていく。今すぐ否定しなければ、放火したのはDYRAということになってしまう。いつの時代でも、デマは瞬時に広がるが、訂正情報は出したところでほとんど広がらない。こんな騒ぎの中ではひとたび伝播してしまったものを止める術がない。一瞬の判断を要求される場面での致命的なミスだ。
(しまった!)
サルヴァトーレは悔やんだ。だが、どのミスかまで考える余裕はなかった。
「うわっ!」
「お兄さん、ちょっとっ!!」
野次馬たちが見ている前で、サルヴァトーレは町火消したちを押しのけると単身、燃えさかる行政府の建物へと走り出した。止めようと彼の手をつかみ損ねた町火消しのひとりは心底悔しそうな顔をする。そして、立ち止まってばかりはいられないとばかりに後を追い始めた。
火に包まれた建物の火元はどこか。1階の床の一角が激しく焦げているあたり、ここではないかと推測できる。だが、サルヴァトーレが目を止めたのはそこではなかった。
(これは厨房の失火だの、不始末からカーテンあたりに点いたようなものじゃない)
油を撒いて放火した様子もない。それならガソリンほどではないにしろ、油を撒けばそれなりに臭うはずだ。仮に料理用の油であっても。
そのとき、燃えさかる炎の向こうに、人影らしきものが見えた。嫌な予感がする。追いかけるべく走り出そうとしたときだった。
「ダメだってアンタッ!!」
突然、怒鳴り声とともに背後から手首を掴まれた。反射的に振り返ってみると、先ほどの町火消しだった。すさまじい炎の熱や煙に加え、悪意も殺意もなかったから気づくのが遅れた。
この彼は崇高な職務遂行精神から自らの命を危険に晒す覚悟で助けるつもりで来たのだろう。だが、今は迷惑だ。サルヴァトーレは即断する。
(ちっ!)
強引に自分の方へ引き寄せると、空いている方の手で首根っこを掴み上げた。町火消しの体が持ち上がり、足が地べたから離れる。
「ちょっ! うわっ! ……あっ!」
首を絞める握力が強まる。同時に、煉瓦色の髪が銀髪へと変貌していく。
「……恨むなよ?」
何が起こったか気づいたときにはもう、町火消しの身体は断末魔の叫びと共に宙を舞い、建物を容赦なく焼く炎の中へと消えた。
自身の周囲に赤い花びらを舞わせ、自分のすぐ周囲の火を消し飛ばしながら、RAAZは炎渦巻く建物へと脚を踏み入れた。
(なるほど……ん?)
火元は床のど真ん中で、そこには炎で焼け焦げたいくつもの死体があった。人間の死体と、明らかに違うものの死体も中には混じっているではないか。RAAZの目を引いたのは、人間ではない方の死体だった。
(首が、ない? しかもこれは……!)
小振りな四つ足動物の焼死体。首がない。だが、RAAZは念のためとばかりに動物の死体を丁寧に確かめる。
(警察犬……!!)
アオオオカミを一刀のもとに片付けられる人間などそうはいない。自分とISLAを除けばひとりしかいない。この火事が何が起こったのか。それが何を意味するのか、RAAZの中で朧気ながらも見え始める。
(DYRA──!!)
顔を上げたとき、激しい炎が行政府の建物全体を焼き、天井が容赦なく落ちてくる。だが、RAAZはどのあたりに落ちるかなどわかっているとばかりに避ける素振りすらも見せない。さらに、周囲を舞う赤い花びらの小さな嵐が自身を守る障壁の役目を果たしていることで、直上へ落ちたり、やけどなどの心配はない。
(何てことだ!!)
むしろ、行政府の建物を焼く炎よりはるかに激しい怒りの感情が青い炎となってRAAZの全身を焼き尽さんばかりだった。
(くそっ)
それでも感情で走ってはいけない。ここで何が起こったのかを断片から確かめることができるだけの情報を集めなければならない。見られるものは、今見るしかないのだ。すべてが焼け落ちて、野次馬が来てからではもう遅い。
上への階段はすべて焼失、すでに移動手段がない。それでも、何かあるはずだとRAAZは炎に包まれた建物の中で手がかりを求めた。
(あれ……か?)
先ほど落ちてきた天井に目を留めた。文字通りの焼失で原型すら留めていない。落ちてきたものの中に、いくつか目を引くものがあった。
(大きさからして、頭か?)
先ほど首がない四つ足動物の死体があったことから、人間のそれではないことは明白だ。朧気ながら見え始めていた状況がRAAZの中で、仮説を立てられるレベルへと昇華されていく。
さらにもう少し周囲に視線をやると、本来、この文明にあるはずのないものが転がっていた。辛うじて原形を留めている円柱形の物体──空き缶──を拾った。手がやけどで赤くなるが、少し経つと回復していく。
(くっ!!)
建物内で見るものはもうない。だが、あとひとつ確かめたいことがある。RAAZは先ほど建物の外でちらりと見えた人影のことを思い出すと、そちらへと走った。
RAAZがいなくなるのと入れ違いで、天井と、そして屋根までもが焼け落ちた。
建物の外へ出て、裏庭側に出ると、足跡を発見した。これ見よがしなそれではないが、意識してみればわかる。建物の裏手に普段、人が来ることはほとんどないのか、他は手入れされた芝生が焼けていない場所がそのままの状態だ。対して、足跡のあるところだけがガタガタ。RAAZは腰を少しだけ落とし、いくつもの足跡をじっと見た。
(跡から察するにふたりか? それとも3人か? それにしてもこの跡だけ片方が妙に重い? 大の男か? いや……)
自分が走ってきてつけた跡より、明らかに深さがある。残りの足跡は子どものように小さいものと、ハイヒールのような形の跡で、女性のそれだとわかる。
(走ったのに、この跡は、片方だけここまで深い。だけじゃない)
左右で明らかに重量配分が違うのか、跡も異なっている。
RAAZの中で、イメージがはっきりと浮かび上がる。足跡を追っていくと、古い井戸の前でぷっつりと消えていた。乾いたままで埃をかぶった水桶、だが麻縄はそこそこ使用感があり、埃があまりない。
(追うか。いや……)
井戸の下に地下道がある。RAAZは追跡するべく飛び降りようとしたが、動きを止めた。
(絶対的なリソースが足りない! DYRAを追う間に、起動シークエンスに入ったアレを……)
西の果ての塔のことがRAAZの脳裏をよぎった。
(情報共有を……! それにしてもすべて手際が良すぎる! どういうことだ!?)
置かれた状況を冷静に考え、RAAZは追跡したい衝動を抑え込んだ。
(今は……)
悔しいが一度戻るしかない。追いかけて確実に彼女を見つけ出し、すぐに取り戻せる、かつ西の塔の果てに手を出されることもないという確証があるならともかく、1%でも「そうでない」要素が絡むなら──。
RAAZは先ほど拾った、焼け焦げた空き缶をもう一度見た。
(ISLAのアタマがいるな。わからないことが多すぎる!)
次の瞬間、RAAZは赤い花びらの嵐と共にその場から消した
284:【AGNELLI】炎の中で「何か」が起こり、そして、DYRAが消えた……2024/02/19 20:00