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283:【AGNELLI】仮初めの日常にサヨナラを告げる間にも事態は進む

前回までの「DYRA」----------

 マロッタへディミトリが現れた。タヌたちが戻ってきたこともあり、マイヨは隙間時間を活用とばかりに一度根城へと戻った。そこでまだ見ていなかった部屋の存在に気づく。その部屋から一台のタブレットが見つかる。同じ頃、アントネッラはディミトリと対面していた。

 RAAZとマイヨがまだ戻っていないが、いったん、聞ける部分は聞いておこう。タヌ、店長、アントネッラはそんな雰囲気を互いに確認した。

「いったん。座ってください。軽食とか用意してきますんで」

 店長がそう言って部屋を出ると、一階へと下りた。

「あの、聞きたいことはいっぱいあります。でも」

 タヌはディミトリを見ながら話す。

「錬金協会の建物が火事になったあの日から何があったのか、店長さんが戻ったら教えてほしいんです」

「マイヨならきっと、こうも言うわ。『事実だけを』って」

「アイツなら言いそうだよな」

 ディミトリは以前、ピルロでマイヨと話したときのことを思い出しながら、そう答えた。

「何ていうか、アイツ、人間じゃないんじゃないかって。『冷たい』っていうか、色んな事に対して、突き放した(・・・・・)目線を持っているっていうか」

(確かに)

 マイヨの振る舞いは、何ら事情を知らぬものが目の当たりにすれば、冷酷にも見える。けれども、彼は決してひどい人間ではない。判断を下すにあたって必要な情報に話したり聞いたりした人間の主観を極力排除したいだけなのだ。事実、マイヨは次手への決断が早い。きっと、そういうときは、判断に必要な情報が揃っている。逆に、そうでないならみだりに動かない。それを突き放した(・・・・・)目線というのは言い得て妙だ。タヌはディミトリのマイヨ評に、納得する。

 ここで、個室の扉が再び開き、店長が戻ってきた。押しているワゴンには銀の皿にのせられた、一口大サイズのこんがり焼かれたパンに、それぞれチーズや野菜などを盛った料理。それに人数分のはちみつレモン水。

 店長がテーブルに置いていく。このとき、アントネッラが難しい顔をした。

「どうかされました? 苦手な食材があったとか?」

「あ、ご、ごめんなさい。実は、ちょっと、お水が……。できれば、紅茶とか、温かいものに……」

 アントネッラの、おぞましいものでも見たと言わんばかりの表情をディミトリは見逃さなかった。タヌも心配そうに見る。

「かしこまりました。すぐにご用意いたしますね。皆さんも、温かい飲み物の方が良いですかね?」

 店長も彼女から何かを察したが、敢えて見ていないフリをした。

「お願いします」

「確かに、夜になって、冷えてくるだろうし、な」

「じゃ、少々お待ちを」

 店長は再び階下へと姿を消した。

「アオオオカミに喰い殺される寸前、みたいな顔だったな」

 ディミトリだった。

「そんなひどい顔だった?」

「ああ。自分を殺しに来た、みたいなすげぇ顔だ。何かあったのか?」

 何の気ないディミトリの返答が、アントネッラの何か(・・)に触れた。

「ここでそんな言葉をよく言えますね? そもそも、あなたがたが私を罠に陥れようとしたんじゃなくって?」

「何の話だ?」

 疑われる筋合いはないとばかりにディミトリが言い返した。

 アントネッラはディミトリへ、錬金協会の人間がピルロに来て自分を街から連れ出して以来の出来事を(つまび)らかに話した。ルカレッリとの再会。一緒に来たパルミーロの消息途絶。そして、裸同然の恰好で連れ出されたこと、付き添った少年が自分へ一服盛って良からぬことをしようとしたこと。あわやという場面で助けの手があったこと。

「……マ、マジか」

 ひとしきり聞き終えたディミトリは色を失った。

「あのとき、ジャカさんが来てくれなかったら、私、今頃どうなっていたか……!」

 思い出すだけでもゾッとする。アントネッラは両手で顔を覆い、少しの間だけうつむいた。

「ジャカって、あの、監査のポンコツか」

 ディミトリが口にしたときだった。

「あの人は私を助けてくれた恩人です! 少なくとも、あなたよりずっと状況をよく見ていたわっ!」

「えっ……あの役立たずのオッサン?」

 そこへ、ティーセット一式を用意した店長が戻ってきた。

「あのー」

 店長のわざとらしい、気持ち大きな声にハッとしたアントネッラとディミトリが注目する。

「ここで険悪な空気に、ってのは筋が違うと思うんです。今はいったん、お互いそれぞれの立場で何が起こったのか情報交換して、整理するところから始めましょうよ。あなたもそのために危険を冒してここへ来たんでしょ?」

 あまりにもその通りすぎる店長の言葉に、アントネッラは小さく頷いた。ディミトリは反省しきりだ。

「悪りぃ。そっちがそんな経緯だったのに無神経だった。何か、煽ったみたいな言い方になっちまって」

 このとき、店長はもう一つの異変に気づいた。

「タヌさん?」

 唇を震わせ、信じられないと言いたげな顔で、だが、それでも何かを言おうと必死で言葉を探しているようなタヌの表情を、店長とアントネッラは心配そうに、ディミトリは怪訝な顔で見た。

「大丈夫? タヌ君」

「どした?」

 声を掛けられたタヌは、ハッとした。

「あ、ご、ごめんなさい。ボク、変な顔しちゃいましたか」

「俺、今お前が何考えたか、根拠はないけど、ちょっとだけ想像できたかも」

「え?」

 ディミトリの言葉にタヌはもちろん、アントネッラと店長も注目する。

「けどそれ話すの、マイヨとか揃ってからの方が、良いのかもな」

「私、何か気になること言っちゃった?」

「あ、いえ。アントネッラさんがどうとか、そういうのじゃないので」

 タヌのこの一言で、ディミトリとアントネッラはそれぞれ、話のどの点に引っ掛かったのか、互いに想像した。

(お兄様のこと?)

(オッサンのことか?)

 表情を曇らせたままのタヌを見かねた店長がさらに話しかける。

「タヌさん。いったん食べて気持ちを落ち着けましょう。気になることは、あの三つ編みのお兄さんが戻ってきてからゆっくり相談するのが良いと思いますよ」

「あ、はい……」

 返事をしてから、タヌは店長が用意した紅茶に口をつけた。

(サルヴァトーレさんの……)

 タヌの中で思考は今一つ、まとまらなかった。




 西の果て、海のど真ん中に突如姿を現した塔から姿を現した1隻のヨットがかなりの速さで都の南へと向かい、陽が落ちる前に港へたどり着いた。

「すみません。遭難した女性を助けたのですが、大ケガをしているようです!」

 ヨットから若い男が姿を現すや発したその第一声に、港で働く人々が騒然となったのは言うまでもない。ハーフアップでまとめた煉瓦色の髪を振り乱さんばかりに声を張り上げたのだ。

「けが人だってよー!」

「医者センセを呼べ!!」

「担架も早く!!」

 その声に呼応するように、次々とヨットの周囲に人が集まった。

「医者サン来たぞ! 早く担架へ」

 ヨットから意識のない女性が下ろされ、担架へ移されると、すぐに近くにある、港の敷地内にある診療小屋へと運ばれた。

「一体何があったのですか!?」

「状況を伺っても構いませんか?」

 海上保安担当を兼ねた港湾の自警団らしき人物たちが姿を現し、説明を求めた。彼らの誰ひとりとして、今そこにいる人物が何者であるか、想像してもいなかった。まして、サルヴァトーレ(都の有名人)などとは夢にも思っていない。

「すみません。自分、メレトから海へ出て、ヨットを走らせていたんですよ。そうしたら、カモラネージ村からちょうど南のあたりにある岩場のところで、小舟を見つけて……」

 サルヴァトーレが心底びっくりしたとばかりに話を続ける。

「小舟に女の人が大けがをした状態で……その、まるで、ケガをさせてから小舟に乗せて放ったみたいな感じで……」

 おろおろした様子で話す男を前に、港の男たちは彼の驚きと動揺のほどを想像し、察した。

「お兄さんも船を降りて。いったん落ち着こう。な?」

「すいません。すみません」

「よっぽどすげぇもん見ちまったってことか」

 港の男たちが手を貸し、俯き気味のサルヴァトーレをヨットから降ろした。

 俯いたままのサルヴァトーレが口角を上げ、笑みを浮かべていた。

(これで、怪しまれずにロゼッタを戻すことができた)

 賢く、機転が利く彼女のことだ。目を覚ました後もうまく取り繕うだろう。サルヴァトーレ(RAAZ)はひとつ、大事な作業が済んだと安堵した。

「あ。あの。あ、あと、よろしくお願いします」

 顔を上げ、怯えた顔でそう告げると、サルヴァトーレは港の男たちの大半が心配そうに担ぎ込まれたロゼッタの後を追っていくのを見ながら、そっと気配を消して、港から離れた。


 港を離れ、都の中心部へ戻ったときには陽が暮れ始めていた。

(街では人の動きがある。店にいないでほっつき歩いているなんて誰かに見られて広げられるのも面倒だな)

 世間の目は適度に誤魔化した方が良い。サルヴァトーレは何食わぬ顔で中心街にある自分の店へと足を運んだ。

(あとはDYRAの追跡と、ハーランの所在地確定作業だ)

 店の前まで着いたときだった。

 取っ手に手を掛けるより早く、扉が開くと、若い男性店員が姿を見せた。

「お帰りなさいませ」

 その声で、女性店員たちが全員入口へ注目した。

「サルヴァトーレ様、お帰りなさいませ」

「お疲れ様でございます」

 全員が並んでサルヴァトーレを迎え入れた。

「ありがとうね。えっと、エメリ君はいるかな?」

 エメリとは、この店で一番のパタンメーカーで、いわば洋服作りの司令塔役だ。この店で実質的にブランドを背負って制作しているのは彼だと言っても過言ではない。DYRAの服以外は。

「呼んできますか?」

「いるなら自分から行くから大丈夫だよ。それから、自分がいない間に注文のお客様とかいらっしゃったかな?」

 笑顔でサルヴァトーレが尋ねると、店員たちが一瞬、互いの顔を見合わせた。

「あの」

 少し前に、DYRAに対応した女性店員が声を上げた。

「何かあった?」

「あ、はい。その、実は……」

 切り出すと、接客用のテーブルに置いたままになっていた、ポシェット状の財布と、椅子の背もたれに掛けたしょぼい外套(・・・・・・)を取ってくる。

「ん?」

 サルヴァトーレはポシェットを見てすぐ気づいた。

「もしかして、それ」

「はい。あの、青いお花のコサージュを施した、一点もののチョーカーをつけていましたし、純金の糸を縫い込んだお召し物を着ていらしたので、その、……間違いないかとは思います」

 店員はDYRAが来店したときのことをかいつまんで説明する。

「何でも、深夜山賊に追われそうになったとかで、外套が破れてしまったと」

「それで?」

 口調こそいつもの柔らかいそれだが、視線は見たこともないほど鋭い。女性の店員たちは一瞬顔を引き攣らせた。それでも、自分たちがミスをしたわけでもないのだからとすぐに落ち着きを取り戻すと、件の女性店員が話を続ける。

「外套は、バックヤードからお色味の合うものを予備としてご用意いたしました。その上で、サルヴァトーレ様に立ち寄った旨と、『先日マロッタで会ったお客様のところへ会いにいく』と伝えてほしい、と」

 ここまで聞いてサルヴァトーレはすぐに、DYRAが今、どこへ向かって誰と会おうとしているのかわかった。

「ありがとう。助かったよ」

 サルヴァトーレは笑顔で謝意を伝えた。

「ちょっと、エメリ君のところへ。お待たせしているお客様のお洋服のデザインを渡さないといけないから。終わったら自分、そのままピルロのお客様のところへ行ってくるんで」

 言うだけ言って、サルヴァトーレは店のバックヤード側へと姿を消した。

 店の奥の廊下からさらに奥へ行くと、広い作業部屋があった。そこには童顔で若い、オレンジがかった金髪をポニーテールにした上で、先端までリボンで網掛け状に結った男性と数名のお針子が仕事をしている。

「エメリくーん」

 サルヴァトーレが声を掛けると、布を型紙と合わせ、今まさに鋏を入れようとした金髪リボンの青年が顔を上げた。

「ちょっと良いかな」

「はい」

 エメリが鋏を腰につけた道具入れに収めると、サルヴァトーレの方へ軽やかな足取りで近寄った。

 ふたりは作業部屋の入口脇にある衝立の向こうで話をする。

「これね」

 言いながら、サルヴァトーレは金庫から百枚近い紙の束を取り出すと、それらをドサリと手渡した。

「今、ご依頼受けている分のお洋服。お客様のお名前とオーダー、それに応えたデザインが全部。これね」

「あ、あ、ありがとうございます。サルヴァトーレさん。いつの間にちゃんと作って下さっていたんですね」

「もちろんだよ」

 サルヴァトーレが笑顔で返事をすると、エメリは顔を綻ばせた。

「それとね。あと、『一般のお客様向けに既製服のお取り扱いを始める』話があったじゃない? それで考えた女性用の動きやすいカジュアル着と、軽くて丈夫な鞄のデザインも50点ずつくらい、上がっているから」

 言いながら金庫から別の紙の束を取り出して、さらにこれを渡した。

「鞄は前みたいに、お色の種類をいくつか用意するといいかも知れませんね!」

「今度のデザインは、持ち手や留め具のところにチャームとか付けられるようにしているよ。全員同じ鞄でツマンナイ、なんて言わせない」

「すごいです! そうしましたら、素材もお値段帯によって変えても良いかも。お洋服も、アクセントになる小物を揃えていって」

 エメリが嬉しそうにアイデアを告げる。

「任せるよ」

「では、これ、並行して準備いたしますね!」

「エメリ君、この鞄とカジュアル路線を成功させてね! 自分はこのお店の大きくするのに手助けしてくれたキミを共同オーナーにするつもりだから」

「えー!」

 まさかの話に、エメリが目をまん丸くして、喜びを露わにする。

「大丈夫大丈夫。自分はここにあまりいないことの方が多いから、そっちの方が何かと良いかなって。エメリ君、一生懸命頑張ってくれているから安心だし。ここで働いてくれている子たち皆にも悪いようにしない。困ったことがあったら、業務日報の横にある自分の作業記録見て良いからね」

 言うだけ言うと、サルヴァトーレは作業部屋を後にした。

(これで、仮初めの日常も終わり、か)

 暇つぶしと世を忍ぶ仮の姿をでしかないはずの「サルヴァトーレとしての生活」は、自分が思っていたよりずっと楽しかったかも知れない。一瞬だけ、そんな考えが頭を掠める。

(あの地獄のような世界でない場所でミレディアと出会っていれば、この生活だってそこそこ楽しいって感じたのかも知れない)

 しかし、そんなものは幻想でしかない。

 自分たちがいた文明は、生まれたときからそんな安寧とは無縁だった。人生の選択を迫られたとき、偽りの安寧も、ハリボテの世界も選ばなかった。選ばなかったからこそ、出会うことができたのだから。

(この世界もなくなる、か。……今度こそ、何も残さない。思えばここまで、本当に、長かった)

 心のどこかで小さな違和感が伝わってくる。何がどう違うのかはわからない。それはまるで、絵にほんの僅かな塗り残しがあるような小さなそれだ。

(すぐ近くなら、DYRAを回収だ。時間もそんなに経っていないはずだ)

 自分専用の仕事部屋へ戻ったところで、中から施錠すると、サルヴァトーレ(RAAZ)は自身の周囲に赤い花びらの嵐を舞い上がらせ、姿を消した。

 このとき、店先で街の人々が「火事だ」とざわざわし始めていることにサルヴァトーレ(RAAZ)は気づかなかった。




「──あの火事、大公様がいらっしゃるところじゃない?」


283:【AGNELLI】仮初めの日常にサヨナラを告げる間にも事態は進む2024/02/12 20:00

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