282:【MORATA】情報や状況が動くと、見えなかったものが見えてくる
前回までの「DYRA」----------
タヌと店長は、マロッタの西にある小さな町で、武装の準備を始めているディミトリや錬金協会の副会長と再会。そんな中、副会長はタヌへ「父親を切り捨ててはいけない」と諭す。一方、ひとりで西の都へ赴いたDYRAは不測の事態を想定し、サルヴァトーレの店へ行き、言づてを頼む。
アントネッラが荷物の運び出しに紛れて店長の荷馬車へ乗り込んだのを見届けたマイヨは、誰もいなくなった部屋でひとり、思案する。
(RAAZがアレに灯を入れた。最初は太陽光ベースでやるしかない。超伝送量子ネットワークシステム起動後は、いよいよ『トリプレッテ』か。|名も無き霊妙たる煌めき《アノニモミラクリュミナリオ》起動シークエンスに入るにしても、水素電池が利用可能になるまで480時間、起動完了まで2160時間。ざっと数えて……)
150日。おおむね5か月だ。
(だが、事実上最初の40日、超伝送量子ネットワークシステム起動の時点で流れは決まる)
自分がハーランなら——。
(陛下復活のためなら、狙うのは当然、超伝送量子ネットワークシステム起動の瞬間だ)
では、どうやる。ハーランが取り得る選択肢には具体的に何があるのか。
(正攻法じゃどうにもできない)
マイヨはマグカップに残った、すっかり冷めきったコーヒーを流し込んだ。
(だが、ヤツは確かに『トリプレッテ』をRAAZへ要求した。策がないとは思えない)
ネスタ山の向こうにあった旧死刑囚収容所、もとい、ハーランを隠した施設へ潜入し、内部を見た。電源を確保しきれていないせいか、周囲の監視と人工衛星を使ったやりとり程度の利用しか見受けられなかった。無線通信の類はとにかく電源を喰う。理論値より3割増しは前提だ。いくら蓄電に使うバッテリーの性能が上がったからと言って、3000年以上交換なしで100%の蓄電率達成は不可能だ。加えて、発電の元手とも言える太陽光パネルとてそんなに使い込んでしまえば量子ドットのものでもない限り、紫外線を浴び続けることでの経年劣化でやられてしまう。
(西の果ての塔はメタマテリアルを使っていたはずだ。あいつで量子ドットを使ったパネルへの紫外線を極力避け、かつ最低限の通電のみで劣化を最小限に喰い止めているなら……)
電源の確保という意味でRAAZの方はギリギリながらも算段がある。だが、翻ってハーランはというと——。
(太陽光がまともに使えるとは思えない。ただ、ヤツの方はエンジン式の自家発電装置がそれなりにある、か。あのネスタ山のアレだしな)
ピルロの人々が『魔法の泉』と信じて持ち出していた、姿も形もないもの。RAAZが使い捨てライターで火を放っただけで街が廃墟と化したことでわかったその正体は、プロパンガスだった。そこからわかることだ。石油がある、と。
(使い勝手が良いって意味では石油は強いか。その気になれば火炎放射器よろしく武器にもできる。その点、太陽光じゃ直接的な武器にはならない。けど、石油は枯渇さえさせちまえばな)
エネルギーが尽きた方が負ける。だが、ハーランがどれだけのストックを持っているのかがわからない以上、ネスタ山をどうにかすればいいだけかは要確認事項だ。
(一度戻って、計測と予測計算をやり直したい。それに、DYRAのこともあるし。調べたいことや確認事項がどんどん増えてくる)
アントネッラをひとりにするわけにはいかないことから、結果的に行動に縛りが発生してしまった。彼女をタヌたちがいる方の店舗へ預けたことでようやく動けるようになる。
(今のうちだ)
ディミトリが来たあたりで再合流できれば良い。マイヨは人の気配がまったくなくなったのを確認したところで、周囲に黒い花びらを舞わせ、その場から姿を消した。
マイヨは根城代わりに使っている、ドクター・ミレディアの仕事部屋がある場所へたどり着くと、一歩目を踏み出すことを一瞬、躊躇した。
(何だ?)
誰かが侵入した様子はない。人の気配もないし、その痕跡もない。
周囲の風景もいつもと同じだ。
見慣れた空間である。なのに、理由もなく心がざわついた。
マイヨはとっさに身構えた。情報将校なのだ。感覚で察知した異変を見逃してはいけない。こういうときは言葉にできない何かが必ずそこにあるのだ。自分より熟達した者が姿を見せた可能性はもちろん、それまで見落としていたものがあるかも知れない。もっと言えば、それまでは察知した何かに繋がる情報を持っていなかったが、何らかの形で接したからこそ気づいたものという可能性もあるのだ。
(何だこれ……)
警戒しながら、ゆっくりと廊下を歩き出した。そして、いつも使っているあの部屋へと入ろうと、いつもと同じように、スライド式の扉を手で気持ち力任せに開く。
マイヨが恐る恐る部屋へと足を踏み入れた。
やはり。
誰かが侵入した気配はない。
ものがなくなっていたり、明らかになかったはずのものがあるわけでもない。
にも拘わらず、先ほどまでではないにしろ、心がざわつく。
部屋を見回しても変わった様子はない。聞き取りにくい何かが聞こえるわけでもない。
(だが……)
廊下に立っていたときほどの違和感はない。
(何だ? 廊下?)
何かがあるのは部屋ではないのか。マイヨはもう一度部屋から廊下へ出た。
ピリピリした何かはこちらの方が強く伝わってくる。
廊下をぐるりと見回すと、突き当たりの方へと走った。そちらはかつてDYRAやRAAZが出入りで使った階段がある方とは反対側だ。
突き当たりの両側には扉があった。片方はスライド式、もう片方は取っ手がついている。
(こっちは、部屋だろ?)
スライド式の扉は電源がない今は、使っている部屋と同様、手で開けるしかない。マイヨは扉と壁の間で、指を入れられそうな場所を見つけると、力ずくでひっぱって隙間を作り、力任せに扉を開けた。
人ひとりが通れる程度に開くと、マイヨは部屋の中を見た。
(ここは確か……)
過剰な警護を極度に嫌がったドクター・ミレディアに、それでも警護をつけようと動いた憲兵隊が使っていた休憩室兼詰め所だ。
(当時のまま、か)
唯一動いている空調のおかげなのか、3000年以上の時が流れているにも拘わらず、経年劣化で綿素材などが傷んでいる以外はほとんど当時のままだ。部屋の手前は居間となっており、衝立を境に、奥は作業用机があり、机にはキラキラした色合いのピンク色のボールペンが置いてあるだけ。
(これといって、何もない?)
マイヨは立ち去ろうとしたが、すぐにその考えを追い出す。
今の今まで、足を踏み入れたことがなかったのだ。見なければならない。
(目を覚ましたとき、俺の生体端末が足を踏み入れていた。あれはピッポたちで、当時ハーランと組んでいた。俺が目を覚ましたことそれ自体がアラートになった。それで恐らく連中は退散したんだろう)
マイヨは目を覚ましてからここまでの経緯を思い出す。
(何が起こっているのかわからなかった。あのときは、ただ『面倒が起こっている』と把握するのが精一杯だった。だからまず、時間を確認した。とんでもない時間が流れていた。それから……)
自分が眠り続けていた施設と空調だけではあったものの、これらがまだ生きていることから、生存に必要な最低ラインながらも自家発電が完全に死にきっていないとわかるや、施設への進入可能経路をすべて完全遮断した。そして誰がこんなことをやったのかすぐに調べた。そのあと、今日この日に至るまでの長い時間に何があったのかを確認した。その過程でRAAZ生存を知った。さらに、確証こそ抱けなかったものの、ハーラン生存の可能性も浮上した。
すさまじいRAAZの怒りと発生した事象の積み重ねから、当時は命の危険を感じ、表に出ることさえできなかった。どれだけの時間が経っただろう。DYRAの存在を知り、彼女に対してわき上がる興味を抑えきれず、画面越しで見ているだけではいられなくなったのが外へ出たきっかけだ。
案の定だった。再会した瞬間、RAAZは怒りの矛先を自分へ向けた。
(運が良かった)
DYRAや、負傷した人物がいたこと、それにタヌの目の前で起こった母親をめぐる悲劇などが、いきなりRAAZの手で自分が消されるリスクを緩和した。そこから先は色々と行き掛かりがあったが、今に至っている。自分へ嫌疑が掛かっていたRAAZの妻、ドクター・ミレディア殺しについても信頼と状況証拠を積み重ねることで、「クロ確定」でないことだけは証明した。とは言っても、犯人が誰か明言したわけではない。
(知っているさ。知っている。けどさ……)
証拠を提示できない段階で誰が犯人かを口にするのは無意味にも等しい。見方を変えればそれは擦りつける振る舞いも同然だ。
(けれど、その証拠も……)
もうすぐ出すことができる。
RAAZが超伝送量子ネットワークシステムを起動するという。今いるこの場所も含め、ドクター・ミレディアの研究の心臓部とでも言うべき場所で何が起こったかは、彼女が開発したシステムにすべて記録が残っている。それをもうすぐ開くことができる。
(アンタには、ちょっとアレな話かも知れないが……納得するはずだ)
マイヨの中で、ほんの少しだけ緊張の糸が緩んだ。何気なく作業机にひとつだけ備えつけられた引き出しを開き、中を確認する。それは不審物や有力な情報へ繋がる切れ端がないかを探すためのありふれた振る舞いのつもりだった。
「あれ?」
引き出しの奥に、|透明なガラス板状の端末があった。
(私物?)
電源を入れようとしたが、当然の如く、電源が入らない。
(まずは充電だな。その後、見てみるか)
マイヨはタブレットを手に、部屋を出た。
次に、まだ開けていないもうひとつの扉の前に立った。
(マジかよ……)
スマートロック式だ。しかも、不測の事態に備えたアナログの鍵がまったくない。マイヨは取っ手に触れ、ラッチが動くか確認するが、まったく動かない。
(スマートキーの電源が飛んだ時点で、扉が開かないって、どういう構造上の欠陥だよ)
このままでは鍵を破壊するしか方法がない。
いったん、どうすることもできないなら出直しだ。マイヨは自室代わりの部屋へ戻ると、タブレットへの充電をするべく、いわゆる急速充電用モバイルバッテリーとケーブル接続した。
(それにしてもこのタブレット、誰のだ? あそこにあったってことは、憲兵サンだろうけどさ。それも含めて、電源が入ればわかるか)
マイヨは待つしかないことを悟ると、いったん戻るかを考える。
(いや。たとえほんの少しでも、休めるなら、休むか)
来るべきそのときがいつ来るかわからない。何が起こるかも予想できない。それなら、少しでもナノマシンを補充しておこう。
目が覚めたときには充電もある程度できているだろう。そんな風に考えると、マイヨは下の部屋で休むことにした。
(RAAZなら、鍵まわりわかるかな。それとも、壊すか)
マイヨはそんなことを考えながら、眠りに落ちた。
夜。マロッタ中心街の食堂新店舗の2階で待っていたタヌは、アントネッラが入ってきたのを見て、少しだけ明るい表情になった。
「アントネッラさん。大丈夫でしたか?」
「ええ。マイヨがいてくれたし、だいぶゆっくり休めたから」
タヌはその言葉と、彼女の顔色が良くなっていることとで安心した。
「私、自分が思っていたよりずっと疲れていたのね。朝、皆が出掛けた後、恥ずかしい話だけど、ずっと寝ていたわ」
アントネッラが恥ずかしそうに話す姿を見て、タヌは無理もないと思う。夜中、マイヨにあそこまで詰められたのだ。きっとそのことで心が疲れてしまったのに違いない。
少し経つと、階段を何人かが上がってくる足音が聞こえた。音からして、大人だとはわかる。
ほどなくして、コンコンと扉を軽く叩く音が聞こえた。
反射的にタヌは扉の方へ振り返った。
すぐに扉が開き、ふたりの人物が現れた。
「あっ……!」
タヌとアントネッラは、店長に続いて入ってきた、黒い外套に身を包んだ人物を見て、一瞬だけ身構えた。
「約束通り、来たぜ?」
黒ずくめの外套を脱ぐと、ディミトリの姿が現れた。
「ディミトリさん!」
アントネッラは、ディミトリの姿を見ると、少しの間、じっと見た。
「あなた、ピルロへ来たことがあるわよね? 錬金協会の。アレッポと話していなかった?」
「ああ。街が焼かれた後とかな」
「待ってよ」
アントネッラが気持ち鋭い声を出すと、店長も何事だろうと言いたげに彼女を見る。
「ひとつ、確認させてちょうだい。あなた、アレッポと一緒になって、私を縛り首にしようとしたんじゃないの?」
「縛り首は知らない。アレッポがアンタを処分しようとしたのはお察しのところはあったが、別に俺たちはそれ自体には関わっちゃいない」
「今の状況、わかっている?」
アントネッラが少しだけ棘のある口調で言うと、ここで見かねたのか、店長が間に入った。
「アントネッラさん。言いたいこととか、納得できないこととか、たくさん抱えられているかと思いますが、今はちょっとすみません。錬金協会の会長さんとか、あの、マイヨさんとかも含めて、ねぇ。皆、探していたみたいな雰囲気の方ですし。せっかく見つかったわけですし」
「あっ」
宥めるように話す店長の言葉に、アントネッラはハッとした。
(言葉を間違えたら、終わっちゃうって)
マイヨからの戒めを思い出し、アントネッラは二度小さく頷いた。
「ごめんなさい。勢い余っちゃって」
RAAZやマイヨが、聞きたいことがあるからと、探していた人物なのだ。おだてたり気分良くさせる必要はないが、悪くさせるのは絶対にダメだ。
タヌは彼女の様子に、昨晩言われたことが響いているのだとわかる。
「店長さん」
タヌだった。
「RAAZさんや、マイヨさんは来ないんですか?」
「マイヨはあとで来るんじゃないかしら」
それ以上誰も何も言わない。RAAZについてはわからないということかとタヌは何となく察する。
(DYRA……大丈夫かなぁ)
別れてから丸一日が経とうとしている。自分たちを無事にマロッタへ行かせるためにわざとおとり役になった。でも、どうして戻ってこないのか。何かあったのではないか。
もし、DYRAの身に何かあったらどうしたら良いのか。その前にRAAZと一緒に戻ってきてほしい。そんな風に思わずにいられなかった。
282:【MORATA】情報や状況が動くと、見えなかったものが見えてくる2024/02/06 23:30