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277:【?????】そんな覚悟はできている あとはなすべきことをなすのみ

前回までの「DYRA」----------

 アントネッラの不用意な発言がDYRAを追い詰め、彼女に単独行動を強いたことを知ったRAAZは怒り、彼女にオトシマエをつけろと迫る。その迫力にタヌは恐怖を感じた。マイヨは彼女に対し、一連の発言に対して埋め合わせを要求。その具体的な内容は、耳を疑うものだった。


「マ、マイヨさん……! そ、そんなっ」

「待てよっ! いくらその嬢ちゃんがオネエチャンへあんまりなこと言ったからって、それだけでヒトの道じゃない、『ケモノの道を通れ』ってかっ!!」

 タヌは、マイヨがアントネッラへ突きつけた要求に慄然とし、キリアンはその内容の理不尽さにすぐさま反論した。

 対照的にキエーザはそれでも冷静さを失わない。

「待て。マイヨはあくまで『確実に何とかしろ』としか言っていない」

「話の流れから考えて、それが何を意味するかなんてお察し(・・・)ってヤツや。ひでぇ話だぞっ!!」

 タヌは、自分よりも激しい反応を示し、今にもマイヨへ掴み掛かりそうなキリアンに驚いた。

 険悪な場の空気がまさに頂点に達そうとした、そのときだった。

「いいえっ……いいえっ!!」

 アントネッラだった。最初こそ蚊の鳴くような声だったが、言わなければという強い意思の表れか、二度目はハッキリと声を上げた。RAAZの射るような視線からも絶対に逃げないとばかりにまっすぐ見つめ返す。

「実のところ、キエーザたちが私を助けてくれた時点で、そのことはもう……」

 緊張からか、恐怖からか、彼女の声が気持ち震え、上ずっている。息も浅い。それでも、覚悟を決めて発しているからか、タヌは聞く以外何もできなかった。

「キエーザと、フランチェスコから逃げていたとき、それは起こるかもと……」

「どうだかな。だが、良く言った」

 RAAZが不敵な笑みを浮かべる。

「この際だ。ここにいる全員にも証人というか、見届け人になってもらおうか」

 突然、マイヨが全員に告げた。その瞳は先ほどまでの冷たい感じとは違うが、厳しいそれだ。

「アントネッラ。ピルロが焼かれた後、最初にふたりだけで話したときのこと、覚えている?」

「ええ。覚えているわ。街を再建するのは、街の人にしかできない。けど、悪意の排除には手を貸してくれるって話をしたときのことよね?」

 アントネッラが思い出しながら、話す。

「あのとき君は、何て言った? 街の再建のために」

「私が死んで街が再建されるなら、私、喜んで死ぬって」

「よく、覚えていたね。あのときは陰謀を巡らせていたハーランを引っ張り出して処分し、『文明の遺産』をめぐるゴタゴタが終わった後で死んでもらう筋書きだった。街を混乱させたかどで裁判でも受けてもらって、ね」

 タヌは、マイヨとアントネッラの間に何か重い約束事があることは何となくわかっていた。にわかには信じられぬ、まさかの内容だ。改めてタヌは、彼女の覚悟に驚いた。

「でも、事はそう単純じゃなかった。ハーランが本当に抱き込んでいたのはルカレッリだった。つまり、俺と君との約束は、前提がすべて変わってしまった」

「そうね……」

 蚊の鳴くような声でアントネッラが答えた。

「ハーランはルカレッリという『旗』を手にした。それがある今、人心を集めることができるようになった。しかも、君になりすましてという最悪の形でそれを利用することさえできる」

「それは止めないと。絶対に、絶対に止めないと……」

 キエーザとキリアンも、黙って聞いていた。

「その通りだ。『殺す』とか『殺さない』とか、そんな物騒な話を差し置いても、君はルカレッリと対決しないといけない。今となってはもう避けて通れない」

 諭すように話すマイヨの言葉に、アントネッラが静かに頷く。

「ハーランは、自らの成すべきことを成すために『旗』を使って人心を集め、ひいては武器を集める。君が街を復興したいと願うなら、ハーランのつける道筋に異を唱えるのであれば、君は戦わないといけない」

 マイヨの言葉がアントネッラはもちろん、聞いているキリアンやキエーザの心にも重く響く。

(お兄さんと戦うって、大切な人なのに。そんなっ! でも……)

 ここから先、アントネッラが置かれる状況が自分と同じになるかも知れない。タヌは息ができなくなるほど胸が苦しくなった。

(ボクだって、父さんを止めないとって……)

 アントネッラがルカレッリと戦う状況をひどいと言うなら、自分のそれもひどいではないか。それでもどうしてやるのか。タヌは自問する。

「止めないとって……」

 考えているだけのつもりが、タヌは気づかず、言葉にする。

「ボクも『文明の遺産』を追いかけるようになった父さんに振り回されて……」

 タヌがぽつりぽつりと発する言葉に、全員が耳を傾ける。RAAZも背中を壁に預け、聞く姿勢を見せている。

「……父さんは、もう、越えてはいけない一線を、多分越えちゃった。ボクを助けてくれた人たち皆を傷つけた。『文明の遺産』が欲しいから、って」

「タヌ……君?」

「……きっと、アントネッラさんのお兄さんは、『文明の遺産』をと願ったばかりの頃の父さんと同じかも。良いことに使おうとか、皆のためになるからとか、そういう風に考えて」

「タヌ君なりに、良ぅ見て、良ぅ考えたんだな」

 キリアンが腕を組み、うんうんと何度か頷いた。

「……でも、父さんはきっと、DYRAやRAAZさんを見たり、たくさんの言い伝えや記録を調べていくうちに、『皆のため』が、いつの間にか『皆のためなら、何をやっても良い』に変わっちゃっんじゃないかなぁって」

「信念や理想が、承認欲求や自己顕示欲という名の野心に絡め取られていく過程だな」

 キエーザも小さく頷く。

「ボクは止められなかった。気づきもしなかった。ただ、村が焼かれて、帰る場所がなくなっちゃって、DYRAに助けてもらって。最初は、何となく旅をして。サルヴァトーレさんに出会って、どこ行ったかわからなくなった、父さんや母さんを捜したいって」

 タヌがDYRAと行動を共にするようになった経緯を、アントネッラは続きを促す。

「それで?」

「色々あって母さんは、自分が父さんの踏み台にされたみたいに思い込んで、錬金協会に利用されて、ボクの目の前で……その……」

 タヌは自分が大粒の涙をこぼしていることにも気づかず、続ける。

「それでその、アントネッラさんに、ボクみたいになってもらいたくない。まだ手を強く引っ張って、戻すことができるなら、そうしてほしい」

「タヌ君。あなた、そんな思いをしていたのね」

 アントネッラがタヌの前に立ち、涙を気持ち細い親指でそっと拭った。そのトパーズブルーの瞳にも涙がたまっている。

「気づいてあげられなくて、ごめんなさい」

 何度か瞬きをして、涙をこらえてアントネッラは膝を落とした。

「あなたが、そこまで追い詰められていたなんて。あの彼女と、そんな気持ちで……」

 タヌの手をそっと握る。

「ごめんなさい。本当に」

「あ、……あのっ」

 タヌがハッとした。

「ご、ごめんなさい! ボク、変なこと言っちゃって」

 言いながら、タヌは手で頬をゴシゴシとこすって、涙を拭き、息を整えた。そして、アントネッラが立ち上がるためにと、手を差し伸べた。

「ありがとう。タヌ君、私の方こそ本当にごめんなさい。……私、皆さんに甘えていました」

 アントネッラの言葉を聞いて、マイヨがいつもの柔らかい瞳を彼女へ向ける。

「ようやく、自分の成すべきを、わかったのかな」

「多分。私、本当に軽率だった。心のどこかで、『お兄様の代わりになれる』くらいの気持ちでしか、街の人と接していなかったのかもって」

「そこまで気づいたなら、上等だ」

 RAAZの言葉に、アントネッラとタヌがハッとして顔を上げた。

「RAAZさん」

「ガキがこれだけ覚悟しているんだ? 小娘。お前が何も覚悟していなくて、どうする?」

「本当に、そう。街の人を助けるために、『お兄様の代わり』じゃなくて、『私が』やらなきゃいけない」

 アントネッラが呼吸を整えるために、息を二度、呑んだ。

「なら、街や、街の人を助けるために、君は何でも利用しないといけない」

 マイヨが告げる。

「為政者はね、そこの暮らす人たちの幸せを最大公約数で実現するもの。そのためには、自分が毒をあおったり、ときには敵を同じ毒で制さないといけないこともある」

 アントネッラはマイヨが紡ぐ、恐ろしい説得力を持った言葉のひとつひとつに頷いた。

「少なくともこの、『文明の遺産』をめぐる醜い争いが終わるまで、君は街の人たちをすべての悪意から守らなければいけない。そして君が持っている武器は、言葉だ」

「言葉が、武器?」

「そう。君の言葉が、人心を集める。戦う武器を集める」

「そして、さっきも言ったけど、今の君は何でも利用しないといけない。倒すべき相手は、君と同じ姿をした『旗』を手にした。君は君の言葉で、人心を、そして武器を今すぐ集めないといけない」

 タヌは、マイヨがアントネッラへ何を言っているのか、何となく理解した。キエーザやキリアンも彼らなりに言葉の意図を察する。

「今この瞬間から先、君は言葉をひとつ間違えるだけで、何もかも失うことになる」

 今ある選択肢の中から正解を出さないといけない。考える時間は文字通り一瞬という場面もあるのではないか。

(ボクにはDYRAがいてくれたけど)

 タヌは、自分よりはるかに重いものを背負いながら、限りなくひとりで正解を探し続けないといけないアントネッラへ同情の気持ちを向けた。

 マイヨとRAAZがアントネッラをじっと見つめる。

 アントネッラは考えているのか、しばしの間俯いた後、顔を上げて何度か深呼吸をした。やがて、トパーズブルーの瞳は壁に背を預けたRAAZの姿をしっかりと捉えた。




「あなたのことは何て呼べば良いのかしら? 錬金協会の会長? それとも、RAAZさん?」

「どれでも良い。最低限の礼儀さえ弁えていれば」

 RAAZの返答を聞いてから、一呼吸置いて、アントネッラは切り出す。

「こんな状況とは言え、考えようによってはせっかくの機会です。こちらからも、お願いがあります」

「あ? こちらへ要求するだと? こっちはあくまでお前のDYRAへの仕打ちに対するオトシマエを要求したにすぎないというのに」

「そこは、重々承知の上です」

「まったく。反省したかと思えば、愚民が、図々しい」

 RAAZの嫌味での返しを前にしてなお、アントネッラは微塵も怯まない。それどころか、話を聞いてもらえるなら自分への罵倒などどうってことはないと言わんばかりだ。

「……言うだけ言ってみろ」

 この一言で、タヌは唐突にあることを思い出す。年に一度、錬金協会で会長に直接陳情できる機会が設けられていたことだ。RAAZは人の話を聞く。聞き入れるかどうかは別として。

「私たちをいい加減、あなたがたが持ち込んだ恐怖から解放してほしい」

「ほぅ」

 RAAZだけではない。この場にいる全員がアントネッラに注目する。

「私が小さい頃から知る限りを思い返すだけでも、錬金協会とモメたり、『文明の遺産』がどうのこうとか、本当に色々なことがありました。ついこの間、ピルロはあなたの手で焼かれた。でも、そんな中でマイヨや錬金協会の会長本人ともこうして出会えた。焼き討ちからここまではいっぺんに起こったから、上手く言葉にできません。それでも、私なりにいくつかのことはわかってきたつもりです」

 深呼吸をしてから、アントネッラが語気を強める。

「結局これって全部、『文明の遺産』に端を発した人災(・・)。もちろん、私もその『文明の遺産』にさんざん振り回された。私の浅慮で街の皆にも迷惑を掛けた。私がこんなこと言えた義理じゃないのは、誰より私が一番わかっているつもりです。でも、それでも言わなきゃいけない」

 アントネッラは廃墟同然となったピルロの様子や、再建のため懸命に働いた街の人々を思い出したのか、一呼吸置く。そして、一気にまくし立てる。

「『文明の遺産』をめぐるあなたや髭面の対立で、私たちは巻き添え喰ってとんだとばっちり。ご先祖様かも知れないあなたがたから子孫かも知れない私たちへ、敢えて身も蓋もない言い方をすれば、とんでもない迷惑、とも」

 言い終わると、一瞬だけ水を打ったような沈黙が訪れる。そして。

「ぷっ! あはははははっ……」

 一体アントネッラのどの言葉が刺さったのか、突然、RAAZが腹を抱えて笑い出した。タヌ、キリアン、キエーザはそれを困惑気味に見つめる。

「おいISLA。我々はすごい言われようだ。どうする?」

「え? ご先祖様だの子孫だのはともかく、『ハーランさえ起きなきゃこんなことにはならなかった』って意味では案外その通りだと俺は思うよ?」

 マイヨも笑顔を見せて軽い口調でRAAZへ告げると一転、真顔でアントネッラを見る。

「ではアントネッラ。君たちは、俺たちとどうしたい? どうなりたい? どうしてほしい?」

「それは聞きたいな。傲慢な愚民共の思うところ、ってヤツだ」

 アントネッラはここでほんの少しだけ俯き、考える仕草をした。ほどなく顔を上げると、RAAZとマイヨを先ほど同様、まっすぐ見て答える。

「あなたがたが今みたいな態度なら、残念だけど、同じ世界で生きていくのは不可能だと思っています」

「だから?」

「あなたがたと私たちはものの考えの基準がまったく違う。『文明の遺産』を見れば、あなたがたが生きてきた世界が私たちの理解なんかずーっと超えていることもわかります」

「それで?」

「それでも、今この瞬間に存在する世界は『私たちの世界』です。あなたがたが私たちと折り合いをつけて上手くやっていく気がないなら、『文明の遺産』を全部、こちらへ迷惑掛けることなく残らず処分してほしい」

「安心しろ」

 RAAZが口元に笑みを浮かべて即答すると、立ち上がった。

「こちらとて、私から妻を奪った世界などと上手くやっていこうなんて気はさらさらない」

 アントネッラは耳を疑い、一瞬だが視線をマイヨへ向ける。それを察知したRAAZが言葉を続ける。

「先に言っておくが、ISLA、いや、お前が『マイヨ』と呼ぶお気に入りのこの男がお前たちの肩を持つと思ったら大間違いだ。この男にとっても私の妻は命の恩人だからな」

「え……」

 アントネッラだけではない。これにはタヌも驚いた。キリアンはもはや話についていけないとばかりに、口をあんぐりと開けたままだ。キエーザは厳しい表情のままだが、振り落とされまいと聞き役に徹し、頭の中で情報を整理し続ける。

「もう一度言う。お前たち愚民と共存する意思などない。こちらから示すお前たちへ今残された選択肢は、私に滅ぼされるか、ハーランから恐怖と暴力で支配されるか、どちらか。そういうことだ。小娘、今選べ」

「……あなたとマイヨが大切な人を失って悲しんでいる。そこはわかりました」

 唇を震わせながらアントネッラが切り返した。マイヨが鋭い視線で、そんな彼女を視線の動きひとつ見逃すまいと注意深く見つめる。

「ですが、どんな理由があろうとも、私たちは一方的に滅ぼされることも、理不尽な支配を受け容れることも到底できません」

「それで?」

「だから……髭づ、いえ、『ハーランを排除する』。今はこの一点だけであなたやマイヨと協力関係を築ければと願います。もし私たちを滅ぼすというのなら、どうぞハーランを完全排除(・・・・)した後に」

 演説さながらのアントネッラの話が終わったとき、マイヨを除く誰もが驚きの色を表情に浮かべた。

(あっ)

 RAAZから見えない位置にいるマイヨが柔らかい表情で彼女へ頷いたのを見たキエーザは何かに気づくと、表情こそ変えないものの、僅かに頷く。

「……小娘。少しだけ見直した」

 RAAZは楽しそうに笑い出す。

「何にもわかっていない世間知らずで小生意気なクソガキお嬢サマも、多少は状況を見られるようになったということか」

 これを聞いたキリアンは、張り詰めた空気が和らぐかと胸をなで下ろす。

「それとISLA。『環境が人を変える』とはそうだとしても、お前の『人の心を書き換える』能力がそういうもの(・・・・・・)だとわかったよ」

「あのさぁ!」

 マイヨがすぐさま言い返す。

「その言い方っ! 俺をその、詐欺師か悪党みたいに言うの止めてくれよ? あとさ! 俺はマイヨ・アレーシだ。ISLA呼びもいい加減にしてくれっ!!」

 言われて見ればそうだとタヌは気づく。

(RAAZさんが何度もマイヨさんの名前をああ呼ぶけど、マイヨさんは何であそこまで反発するんだろう)

 何かあるのではないか。マイヨのらしくない強い反発にアントネッラも怪訝な表情を見せた。

「だが、事実(・・)だろ?」

 RAAZはそれだけ言うと、マイヨの指摘など意にも介さず、アントネッラの方へ近寄った。

「お前の覚悟のほどを私に見せてみろ。せいぜいお気に入りのマイヨを失望させるなよ?」

 タヌはRAAZの言葉を聞いて、ホッと息を漏らした。少なくとも、アントネッラが目の前で死体に変わるなど、最悪の事態を心配する必要がなくなった。




「ISLA」

 RAAZが真顔でマイヨを呼びつけた。

「お前は迂闊に動くな。ハーランから身を隠せ。理想はねぐら(・・・)に籠もることだが、最悪でもここかメレト。ピルロ入りなど論外だ」

 確かに、ハーランがマロッタにいないなら、ここでも特に問題はない。言われた指示に、マイヨは気持ち渋い顔で頷いた。

「『DYRAを取られているから』、か」

「お前まで取られたらこの勝負は完全敗北(・・・・)だ。小娘との取引も成立しなくなる。それに……」

 ここでアントネッラを一瞥してからさらにRAAZがマイヨへ続ける。

「お前にはやるべきことがあるだろう? 私に『身の潔白の証拠を見せる』という、な?」

「ああ。そうだったな」

 マイヨが真剣な面持ちで頷いた。

「では、こちらの動きを修正する。……キエーザ」

「はい会長」

「さっき言った話、やっておけ」

「ピルロへ入り、副会長を救出」

「そうだ。あと余力があればで良いが、山の麓にある資料館、あそこを燃やせ」

「わかりました」

 このやりとりに、アントネッラが反論しようとするが、飛び出そうになった言葉をぐっと喉の奥に押し込んだ。RAAZを怒らせて話し合いをブチ壊しにしては元も子もない。何より現実問題、余裕がない。

「キエーザ。俺からも頼みたい」

 マイヨだった。

「何だ?」

「ピルロで街の人間を抱き込んで工兵隊、つまり、ハーランがやろうとしていることを妨害する部隊を構成してくれ」

「戦力となる人手といくばくかの資材が揃うなら、お安い御用だ」

「ヤツは必ず、情報を効率的に拡散させるための手段を講じてくる。たとえば、街いっぱいに声を響かせる機械とか、手紙より速く、人の声だけを一瞬で遠くにいる人間へ伝える鉄の糸とか。そういう情報網をどんどん潰していくんだ」

 マイヨからの説明に、キエーザは言われたものが具体的にどういう姿形をしたものなのか想像できない。それでも何をすれば良いかだけは大筋で理解した。

「それは、これから人集め、それもピルロでスパイを排しつつ、か」

「そうなる」

 そこへアントネッラが手を上げる。

「私に、手伝えることはない? 人集めなら」

「気持ちは山々だが、良くも悪くも君は目立ってしまう」

 アントネッラへそう告げたマイヨは、先ほどまでの恐ろしい冷たさをチラつかせた人物ではない。タヌのよく知る彼だった。

 そこへ、キリアンが手を上げる。

「オレなら多分、しがらみもないし、身が軽い方だ。手を貸せる。それに、ピルロなら俺たちならでは(・・・・)のツテもあるし」

「待て」

 RAAZだった。

「お前、ピッポとのことはどうするんだ? それに、雇い主も雇い主だ」

「あー、それな。ピッポさんは俺が死んだと思ったんだ。契約終了や。それに、大公サンだってあんな話を持ってきた。そこの嬢ちゃん殺せってアレに乗れない以上、もうパァや。そもそも、ピッポさんがタヌ君を手に掛けようとした時点で、半分愛想が尽きていたし。『違約金払え』言うなら、別に払うし」

 キリアンの言い分に、タヌは、やはり彼は良識ある人なのだと喜んだ。

 マイヨが指示出しを続ける。

「じゃ、頼んで良いかな?」

「あー。着替えを用意してくれるなら合点承知」

 確かに、キリアンの格好は服は破れ、血だらけと端から見て本当にひどい有様だ。

「次にタヌ君」

「は、はい!」

 自分が呼ばれると思わなかったタヌは、突然呼ばれたことで、大声で返事をする。

「君にもできることがある」

「え!」

 それならやるのみだ。タヌは気持ち、前のめる。

「この街でディミトリが潜伏していないか、捜すんだ」

「わ、わかりました! で、でも……」

 タヌが口ごもったときだった。

「DYRAのことは私が引き受ける。迷惑なクソ親父のこともな。私の目と手が届く範囲なら、お前の前に突き出すまで殺処分は待ってやる。怪我くらいはさせるだろうがな」

 RAAZがDYRAや父親の件にあたるならいったん、信じるしかない。タヌは「わかりました」と小声で返事をした。

「この街の中だったら、あの食堂のオジサンにも手伝ってもらえないかなぁ」

「ああ。あの店長か。取引先のツテに頼る形なら、アリだな」

 マイヨの声がけに、RAAZが条件つきではあるが承諾した。タヌは自分ひとりだけでやるわけではないと知り、安心した。

「あとは連絡手段だ」

 キエーザが話し出す。

「郵便馬車じゃ間に合わない。伝書鳩? それか、飛脚?」

 飛脚は郵便馬車と提供するサービス元こそ同じだが、道の駅や宿屋など、提携した通り毎で次々リレーする形式で届けるため、費用はかさむものの送り届けの所要時間はもっとも短い。さらに言えば伝書鳩より確実性も高い。

「資金的に問題がないなら。両方使うのが良いだろう」

「手紙はすべて、発信時刻を書くこと」

 マイヨが注意点を補足するようにキエーザに伝えた。

「わかった」

「待って! ピルロへ行くなら」

 アントネッラがキエーザへ声を掛ける。

「あなたが味方かどうか、街の人にわかってもらわないと!」

 言いながら、アントネッラは着ていた外套を脱ぎ、マイヨへ渡す。

「私、犬を飼っているの。白い子犬。首輪に翡翠がついているわ。多分、街の子どもたちが面倒見ているはず」

「その子犬は、ルカレッリとも相性が悪い。つまり、アントネッラのニセモノにはすぐに気づけるってことだ」

 キエーザへ説明しながら、マイヨも受け取った外套に少しの間、身を包む。そしてそれを脱いでキエーザへ渡した。

「そういうことか。有り難く使わせてもらう」

「話終わったんか。んじゃー、オレらは仮眠取って、朝起きたらすぐピルロやな」

 移動の疲れに加え、緊張の糸が切れたのか、キリアンが尋ねた。タヌは彼が父親と共に西の果てへ向かい、到着するやすぐ今度は自分たちと共に都へ舞い戻ったことを思い出す。さらに馬を乗り継ぎマロッタまで来たのだ。近道を使ったとしても、一日中移動しっぱなしなら、疲れていないはずがない。だが、キエーザが首を横に振った。

「自分はいったん休んでいる。今から先に行く。アンタは朝になってからで良い」

「ここの上に寝泊まりできる部屋があったはずだ。そこを使え」

「助かるわ。ありがと」

 RAAZの提案に、キリアンが謝意を示した。


 キエーザが出かけ、キリアンが休んだあと、部屋は4人だけになった。

「アントネッラ。確認のため、聞きたいことがある」

 マイヨが切り出す。

「何?」

「植物園の裏にある隠し部屋のことだ。大事なことだから、すべて正直に答えてほしい」

 RAAZはもちろん、植物園と聞いたタヌも興味を示す。

「あの部屋、いつ頃作られて、何に使われていたか知っている?」

「いつ頃、って……私たちが生まれる前からある部屋よ。ビアンコが入れる小さな隙間は、壁が傷んだところが見つかったときに私が後付けで作ったんだけど」

「その部屋だけど、床や天井、本棚とかに何か仕掛けがある?」

「それはわからないわ。本棚はいたずら半分で私も調べたことあったけど、それっぽいのなかったし。床は……そう、一度、小さい頃に床が抜けてお兄様が落ちたことがあるの。幸い、お父様がすぐに駆けつけて助けてくれたから大事にならなかった。でもその後すぐ、床を直すようにって指示していた」

 嘘をついている様子はない。

「アントネッラ。実は俺、偶然からあの部屋へたどり着いたんだ」

「そうなの? でも、どうやって?」

 意外な内容に驚きながらも、アントネッラは冷静さを失わない。

「もちろん、植物園から入ったんじゃない。全然違う場所から地下道を見つけて、そこの出口があの部屋だったんだ」

「えっ!? じゃ、お兄様が落ちたところがもしかして……!」

「君の話と突合すれば、そうだと見て間違いない」

「どこかと繋がって? って、ど、どこと繋がっていたの?」

「RAAZ」

 アントネッラから聞くことは聞いた。マイヨは彼女の質問に答えず、次にRAAZを呼んだ。

「ん?」

「確定だ。ハーランとピルロはずっと(・・・)繋がっていた。これで完全に裏が取れた。あの日記を見る限り、ルカレッリもグルだ。もっとも、利用されっぱなしのつもりはないみたいだけどね」

「日記!? お兄様の日記を見つけたの!?」

 まさかと驚くアントネッラに、マイヨは頷いた。

「どこにあったの!? 私でさえ見つけられなくて、中を見たことないのに!」

「日記は恐らく地震があったときにどこからか落ちてきたんだろう。机の下あたりに落ちていたのを拾った」

 もうこの人は、アントネッラすら知らないことも知っているのではないか。もし、今アントネッラが何か隠しごとをしていたら、この会話で彼女は完全にマイヨの信頼を失ったかも知れない。タヌは、マイヨの振る舞い方に複雑な気持ちを覚えた。

「マイヨ。聞いて良い?」

「何?」

「自分がいる世界のことをこんな風に悪く言いたくないけど、あなたがたからみてこんな鄙びた世界を、どうして髭面は何とかしようとか考えているのかしら」

 タヌとRAAZもアントネッラからの話に興味を示す。

「だって錬金協会というか、そこの会長は、私たちに『文明の遺産』に触れてもらいたくなかったわけでしょ? でも、髭面は私たちに火の点く見えない泉や、大量の氷、他にも色々提供してくれた。機織りをある程度自動でできる技術も、もう……」

 アントネッラが言ったとき、タヌも頷く。

「ボクもそれは思いました。ボクがハーランさんに攫われたときも、あんなこと言っていたし」

 タヌはそのとき、アントネッラが聞かせてほしいと言いたげな目で見つめていることに気づいた。しかし、RAAZの瞳が先ほどまでのような恐ろしく鋭い光を宿していることをタヌは見落とした。


277:【?????】そんな覚悟はできている あとはなすべきことをなすのみ2024/01/05 15:20

277:【?????】そんな覚悟はできている あとはなすべきことをなすのみ2023/10/16 20:00

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