270:【OPERA】この日、このとき、この瞬間、希望と引き換えに消えたもの
前回までの「DYRA」----------
漁師の助けで西の果てにたどりついたロゼッタ、それを追い掛けてきたピッポとキリアン。さらにDYRAとタヌもその場に現れる。ピッポに追い詰められたロゼッタを助ける走るふたり。日暮れの海岸に銃声が響き渡り、血が流れ、強い光が照らされ、そして──
その声に、DYRA以外の誰もが注目した。強い光の向こう側から、身がルビー色の大剣を手にした人影が現れた。少しずつ光が弱まると、それまで何もなかったはずだった西の果ての海に、まばゆく光る長い棒状のものが出現しているのが見える。その高さは都にある建物など掘っ立て小屋に見えるほどだ。それどころか、空を見上げても、てっぺんが見えない。
「何だ……あれ」
肩を押さえながら、キリアンは言葉で何とも説明できぬ、光る棒を見つめる。遠目からでも幾何学的な模様の何かが全体から見える。
「お前たち愚民には、どうでも良いものだ」
キリアンやタヌ、ロゼッタ、そしてピッポにも声の主がハッキリと見える。
「ぶ、『文明の遺産』……! くそっ! 馬の骨が」
ピッポが何を言おうが知ったことではないとばかりに、彼は、最後までピッポから目を離さず、声の主を見ようともしなかったDYRAの横に立った。
「確かに、早い到着だな」
メレトでの会話を思い出しながら、DYRAが告げる。
「ああ。ロゼッタが依頼を遂げてくれたから、ここに来ることができた」
「どういうことだ? RAAZ。何が起きている?」
「ああ? 説明は後だ」
姿を現したRAAZがそう言って、ピッポとキリアンを見る。
「部外者はさっさと立ち去れ。用があるのはそこのクズだけだ」
RAAZの言葉に、キリアンはまずいことになったと言いたげな顔でピッポを見る。
(ちょっ!)
いつの間にやっていたのか、ピッポがピストルに銃弾を装填し終え、隠し持っているではないか。そんなものを向けたところで冗談でも勝てる相手ではないのに。キリアンは言葉が出なかった。
「RAAZ」
手にした直列状の蛇腹剣を水平に掲げ、RAAZを制する。
「ん?」
「お前がピッポをどうしようが止めないし、私も止める気が失せた。ただし、タヌの目、いや、人の目が届かないところでやれ。『それでも』というなら……」
DYRAの言葉にタヌはハッとして顔を上げ、彼女を見る。DYRAはさらに続ける。
「タヌ。お前が悩んでいることくらい察しはついている。だが、私にできるのはこれが精一杯だ」
「ぁ……!」
タヌは唇を震わせた。DYRAの言葉に反論の余地などない。わかっているからこそ、それ以上、何も言えなかった。
(許せ)
ピッポを睨みつけたままのDYRAも内心、穏やかではなかった。出会ってからここまでタヌと過ごした日々の思い出が浮かんで、そちらへ意識を向けまいと努める。ここでタヌの力になれないのは心苦しい。東の果ての集落での騒ぎの前までならRAAZに立ち塞がる選択肢があった。騒ぎの後でも、マイヨが使っている部屋へ行く前までならピッポを過剰に傷つけることに反対する選択肢が残っていた。
(もう、これしかない)
今は違う。RAAZのあの姿を見た。言葉を聞いた。絶望に心を焼き尽くされた男が今、どんな気持ちで理性を最後の一線に踏みとどまらせているかを垣間見たからこそ。
タヌの気持ちも痛いほどわかる。同じようにRAAZが今、何を思っているのかも朧気ながら想像できる。それらすべてを斟酌してなおも落としどころを求めるなら、もう、これしかない。ここしかない。ここが最後の妥結点だ。これを超えてしまったら、もうどうすることもできない。絶対に、超えてはならぬ一線をRAAZに越えさせてはいけない。
DYRAは剣先をピッポへ向ける。
「ピッポ。ここまでだ。キリアン。お前はさっさとここから消えろ」
これが最後の警告だと理解してくれ。DYRAはそんなことを思いながら告げた。
「くっ……くっ……ふふふっ」
ピッポがくぐもった笑みを浮かべ、DYRAを見る。
「男に脚を開くのが仕事の女が、いっぱしの口をきくかね」
──この瞬間を以て、DYRAは「最後に残っていたはずの、人としてマトモで、かつ理性的な解決策への選択肢が完全に消え去った」ことを理解した。
「では、ここまでだ」
DYRAは剣を振り上げた。無数の青い花びらが、鞭のように変化する刃の動きに沿うように周囲を舞い上がる。ピッポが聞き取れぬ言葉を喚きながら銃を構えた。DYRAはそれを冷たい目で一瞥して、蛇腹剣を振り下ろした。ここまでがほぼ同時だった。
「ピッポさん!」
キリアンが反射的にピッポを突き飛ばした。
「痛っ!!」
ピッポを庇った煽りでバランスを崩したキリアンの脇腹を蛇腹剣が斬りつけた。同時に別の声も響く。
「ガキッ!」
ピッポがもんどり打って倒れながらも発砲した。ここでRAAZはタヌを守ろうと楯となって大剣を構え、赤い花びらの嵐を舞わせながら飛んできた銃弾を真っふたつに斬って捨てる。さらに次の銃声が響く。
「ちっ!」
RAAZの頬を銃弾が掠めた。後ろにいるタヌたちではなく、自分に当たる分なら知るかと、意にも介さない。頬から血が流れ、顎のあたりまで垂れるも、傷口は自然と塞がる。
「か、会長……!」
「RAAZさ……!」
頬から血を流す様子が目に飛び込んだロゼッタとタヌが相次いで声を上げた。超人的なRAAZが血を流す。目の前で起こった出来事が信じられなかった。
タヌの中で、怒りがわき上がる。自分へ銃口を向けたことは悲しかった。引き金が引かれたことで失望した。その弾が自分を庇ったロゼッタに当たってしまった。今、DYRAへ引き金が引かれ、とうとうRAAZにまで──。
もう我慢ならない。タヌは心の奥底から、怒りがわき上がった。
「父さん……父さんっ!!」
再び銃を手に立ち上がったピッポの前へとタヌが駆け出す。
「ガキッ! 邪魔だっ!!」
RAAZが制止しようと腕を掴もうとしたが、できなかった。DYRAもすぐに制止しようとしたが、蛇腹剣が鞭状になったままだ。このまま水平に構えれば刃の一部がタヌに当たってしまう。それでも、何もしないわけにはいかない。
「許せっ!!」
もう五体満足で、などと気遣っている場合ではない。タヌへ発砲されるくらいならピッポの身体をバラバラにした方がよっぽどマシだ。DYRAは銃を持つピッポの手元へと蛇腹剣を振るった。
「!」
タヌが舞い上がる青い花びらに阻まれる形で思わず足を止めた。
その一瞬を、ピッポは逃さなかった。
銃声が響く。
「がっ!」
「あっ!」
「っ!」
その場にいくつかの声が響き、いくつかの影が動いた。DYRAの背後でどさりと鈍い音が聞こえた。
「ピッポさん、大丈夫かいな……?」
ピッポに抱きついたキリアンが呟く。右肩から左の肩甲骨下に向かって斬りつけられた背中から血が出ている。
「オヤジが自分の子、撃っちゃ、ダメだって……痛っ!」
キリアンはそのまま、膝から崩れ落ち、ピッポの前に倒れた。
その光景を前にしてもなお、DYRAが冷たい瞳のまま再び剣を振るおうとしたときだった。
「ロゼッタさんっ! ロゼッタさんっ!!」
「ロゼッタ!?」
タヌとRAAZの声でDYRAはハッとし、振り返った。
ピッポにキリアンが抱きついたように、タヌにロゼッタが抱きつき、動かない。DYRAはロゼッタの真っ赤になった右肩を見た。ハッとした。布の端が白いではないか。
(怪我をして手当てをした箇所にもう──!)
何が起きたのかわかったDYRAは、少しの間、息すらできなかった。
RAAZが顔を上げ、ピッポを見る。
DYRAは何が起こるかわかると、RAAZの前に立ち、大剣を握りしめる手を自らの手で押さえた。
「私が!」
それだけ言って再びピッポを見ると、止めようとするRAAZを空気で圧するや、DYRAは間髪入れずにピッポへ蛇腹剣を振るう。
ピッポが青い花びらと共に鞭のように襲いかかる刃をとっさにかわすと、落ちている銃を拾い、銃口を向ける。
「無駄だ」
DYRAが蛇腹剣を直列状にするのと同時に銃声が響いた。剣で銃弾を受け止める。
「ぐうぅっ!」
ピッポはそのまま脱兎の如く逃げた。その様子をタヌたちの側で見ていたRAAZも彼を追うべく走り出す。
「クソがっ!」
「待て!」
足場が良くない岩場とは思えぬ足取りで走り去るピッポを、DYRAとRAAZが追う。DYRAが足を捕まえて止めようと、蛇腹剣を振るったときだった。
「!」
突然、前方の視界が文字通り、真っ白になった。それは大量の煙だった。
DYRAとRAAZが共に剣を振るう。赤と青の花びらが舞い、嵐となり、煙が晴れていく。
だが、ピッポの姿はもうどこにもなかった。
「また、逃げられた……」
DYRAが苦々しげに呟く。
「どうかな」
RAAZがこれまた忌々しげに言う。
「キミはガキのところへすぐ戻れ。私は確かめたいことがある」
「わかった」
DYRAはタヌたちがいる方へ引き返した。
「ふん」
ひとり残ったRAAZは、岩場に明らかに不釣り合いな缶が一つ落ちているのを目ざとく見つけると、それを拾った。
(ありふれた平凡な、発煙筒、か)
RAAZは乾いた笑みを浮かべてから毒づいた。
「『全員、敵』とは言ったもんだ」
直後、その表情が誰も知らぬ恐ろしいそれに変貌する。
「よくもっ! 私に尽くしてくれたロゼッタを……」
RAAZは手にした大剣を霧散させると、DYRAの後を追うように踵を返した。
「いい加減、この世界ごと、どうにかしたい」
「ロゼッタさん……ロゼッタさん!」
「だ、だいじょう……ぶ、です」
タヌの元まで戻ったDYRAは、ロゼッタを抱きしめ泣いている姿を見て、何も声を掛けることができなかった。手当てをしたくとも、できそうなものが何もない。タヌはすでに最初に被弾した際の手当てで手拭いを使い切っている。
そこへRAAZが戻る。
「ガキ。退け」
鋭い声に、タヌは驚きながらも、指示通りロゼッタからゆっくりと離れる。
「か、会長……。ご、ご無事で……」
「当たり前だ」
「申し訳……」
「しゃべるな。キミは仕事を完遂した。絶対に死なせるか。手当てを急ごう」
RAAZは上着を脱ぐとロゼッタにブランケットのように掛けてから抱き上げた。タヌは安堵したのか、涙を手で拭いた。
「私は彼女を手当てするからいったん塔へ行く。合流はマロッタだ。良いな?」
DYRAとタヌが、塔とは海の向こうに現れたあの光る棒だと理解したとき、RAAZはすでにロゼッタと共に姿を消していた。ふたりは次に、倒れたままのキリアンの方へと走った。
「キリアンさん!」
タヌが身を屈め、うつ伏せに倒れた男の身体を揺らす。何度か揺らしたときだった。
「……あーっ」
男のうめき声が聞こえた。
「オネエチャン……ったく、死ぬほど痛かったわ」
「キリアン?」
「キリアンさん?」
DYRAとタヌが見守る中、キリアンがゆっくりと仰向けへと姿勢を変える。肩や背中と同様、腹部も服が破れて血だらけだ。
「お前」
DYRAは、ピンピンとまではいかないものの、キリアンが取り敢えず命に別状がないことに驚いた。
「何でも屋なんてやっていると、誰がいつ、どっちから撃ってくるかわからないからな」
言いながら、上着の内側に手をやり、ゴソゴソと探すような仕草をした後、ふたりにあるものを見せた。数枚の板だった。
「あーっ!」
タヌはそれを見てすぐにわかった。デシリオの邸宅で撃たれたときに見せられた、身を守るための板だった。1枚ずつ袋のようなものに入っていて、どれも破れて板もろとも真っ赤だ。
「そら仕事柄、背中にも入れてるって。この間のこともあったしな。ついでに油断させるために鶏の血も袋に入れといたってワケ」
青磁色のツーブロック短髪を掻きむしっていたずらっ子のような笑顔で話すキリアン。そのしたたかさに、DYRAとタヌは内心、舌を巻いた。
270:【OPERA】この日、このとき、この瞬間、希望と引き換えに消えたもの2024/01/05 15:12
270:【OPERA】この日、このとき、この瞬間、希望と引き換えに消えたもの2023/08/28 20:06