026:【FRANCESCO】夜の都会で宿探しも一苦労?
前回までの「DYRA」----------
DYRAとタヌはペッレからの移動中、乗合馬車を途中のハブ駅で出会った、不思議な雰囲気の三つ編み長髪男。車中でタヌへ話しかけてきた彼は、とても社交的で感じも良く、打ち解けるまでに時間はいらなかった。そして男は乗合馬車から降り際「また会えると思う」と意味深な言葉を残して去った。
門をくぐり、フランチェスコの街へ入った二人は、煌びやかな街並みに迎えられた。
「うわぁ」
通りに沿って整然と設置されている街灯が照らす灯りに、タヌは息を呑んだ。村を出て、初めて隣町ピアツァに着いたときも驚いたが、その比ではない。それどころか、交通の要衝だった街ペッレですら冴えない田舎町に見えてしまう。幼い頃、両親から聞かされていた「都会」とはまさにこういうところなのかと、タヌは肌で感じた。夜なのに街は明るく、色々な店がまだ開いており、働いている人や食事を楽しむ人、そして買い物を楽しむ人々の姿がある。その上、広い道には馬車が何台も通っている。
「DYRA、すごい。人も馬車もいっぱい!」
ここでDYRAは懐中時計を取り出すと時間を確認した。時計は九時が迫りつつあることを示している。今日はもう、時間的には泊まるところを探しておしまいだ。街を見物したり散策したりするのは明日にすれば良い。
「何見ているの?」
懐中時計をちらりと見ていたDYRAをタヌは見逃さなかった。
「時間を確認していた」
「時間? そうだ! ボクずっと気になっていたんだけど、それ、どうやって見るの?」
タヌからの思わぬ質問に、DYRAは困惑した。
「え? な、何を言っている?」
「その数字の板だよ。レアリ村ではほとんどの人が農作業で生活していたから、ボク、何気なく見てはいるけど、実はあんまり良くわからないんだ」
「冗談だろう?」
「ううん。村長さんの家に行ったときも、板の下にある丸い表示が白か黒かで、昼か夜かを判断すれば問題なかったくらいだし」
タヌの言葉にDYRAは耳を疑った。時計の見方もわからずに、よくもこれまで問題なく生活できたものだ。だが、ここで村のあたりに乗合馬車が往来する形跡がなかったことを思い出す。確かに、時間指定で外部から何かがある、という事象がないなら、農村ではそんなに困らないのかも知れない、とも。同時に、レアリ村は朝昼晩の大まかな流れさえわかればやっていけるほどの田舎、いや、限界集落だったのかと改めて思い至る。
「よく聞け」
今後行動を共にするならこれは非常にまずい。DYRAは早速、懐中時計を見せながらタヌに時計の見方と時間の概念を簡単に説明していった。
「ありがとう。その数字の部分に慣れていないから、こまめに見るようにする」
「それがいい。時間の感覚はできる限り正確に身につけろ」
説明が済むと、二人は宿屋探しのために歩き出した。しばらく人通りの多い街並みを歩いて探してはみたものの、ことごとく満室で、適した宿屋が見つからない。どうしたものかとそれぞれに思い始めたときだった。
人混みの中で、タヌの肩がすれ違った男の上腕部に触れた。
「痛ぇぇぇ!」
突然、場の空気をブチ壊すような素っ頓狂な声が夜の街並みに響き渡った。タヌとすれ違った男がこれ見よがしに大げさに道ばたを転げ回る。その様子に、道行く人たちの視線が二人と転げ回る男へ集まり始めた。
「わああああああ! し、し、しぬぅぅぅぅ!」
すれ違ったときに確かに肩が触れた。しかし、ぶつかった覚えはまったくない。タヌは、不思議な表情で傍らに立っているDYRAを見た。
「あの人、どうしたんだろう?」
「当たり屋か何か、だろう」
「当たり屋?」
タヌはDYRAの口から出た初めて聞く言葉に、首をかしげた。
「自分より弱そうな奴にわざとぶつかって大げさに騒ぎ立て、被害者のフリをしてカネをむしり取る卑劣な奴のことだ」
タヌの腕を引いて自分の背後にやったDYRAは、転げ回って同情を引こうとする当たり屋男を冷たい視線で見下ろした。
「何も見ていないとでも思ったか? いい大人が子ども相手に下手な猿芝居。みっともない」
ふと視線を男から外すと、野次馬が集まり始め、人垣ができ始めているのが見える。DYRAは早々に立ち去りたいのに面倒なことになりそうだと、不快感を露わにする。
「ぐううううう」
芝居を見破られた当たり屋男が顔を真っ赤にして身体を起こす。立ち上がると、怒りを露わにDYRAを睨みつけた。しかし、DYRAはそんな視線で見られることは日常茶飯事だとばかりに表情どころか、顔色一つ変えない。
「クッソアマ! テメェ! ひん剥いて娼館に売り飛ばしてやろうかっ!?」
ここでケンカか。不本意だがそっと立ち去ることはできそうにない。DYRAは軽蔑混じりに冷たい視線で当たり屋男を見つめ返す。
「DYRA」
逃げないとまずいのではないか。タヌがDYRAのブラウスの裾を小さく、だが急かすように引っ張ったときだった。
「あっ!」
それは突然の出来事だった。野次馬を突き飛ばしながら道の反対側へ行こうとする小間使いが現れた。何やらたくさんの荷物を手に歩く女性がDYRAたちの前を突っ切ろうとする。そのとき、彼女は男の足下で躓くと、男を下敷きにして倒れた。
「ああらぁ。ごめんなさいねぇ」
小間使いは、小太りで牛乳瓶の底のように分厚い眼鏡を掛け、髪をアップにしてシニヨンヘアーにした冴えない女性だった。彼女が持っていた大きな袋から、あふれんばかりの野菜や果物が散乱する。
「な、何だババア!」
思わぬ乱入者の登場に、ケンカが始まるのを期待していた野次馬たちの間からも、拍子抜けしたと言いたげな、溜息ともどよめきとも言えぬ声が漏れ聞こえる。すでにこの場から緊迫した空気はすっかりなくなっていた。ケンカが始まらないとわかったからか、野次馬の姿も三々五々散り始めている。
「大変申し訳ございません」
身体を起こそうとする当たり屋男に小間使いが立ち上がって丁寧に謝る。そのまま、その場を立ち去ろうと小間使いが歩き出したときだった。
「あっ!」
今度は小石にでも躓いたのか、小間使いはまたしてもバランスを崩すと、買い物袋の中身を今まさに身体を起こそうとしていた男に向かってぶちまけた。今度は何と、彼女はDYRAへもたれかかるような体勢になる。
(何!?)
それはまさに一瞬の出来事だった。
「すぐにお移り下さい。宿をお探しでしたらこの通りを真っ直ぐ歩いた突き当たりにございます」
小間使いがDYRAにもたれかかるフリをして耳打ちしてきた。当たり屋に謝ったときの声からでは想像もできない低い声と、しっかりした口振りで。
DYRAが我に返ったときにはもう、小間使いはあたふたしながら買い物袋から落ちてしまったものを拾っていた。しかも、ちゃっかり当たり屋男にも手伝わせている。ここで、DYRAはすぐにタヌの手を引いた。そして、二人はそのままその場から姿を消した。
二人は人混みに紛れて足早に、無言で歩いた。人通りが少しずつまばらになる。
ちょうど、通りの突き当たりが見えるところにさしかかったときだった。
「DYRA。あのおばさんがぶつかってくれて良かったかも」
あの小間使いが何処の誰かは知らないが、タヌは感謝した。彼女が割って入ってこなかったらどうなっていただろうと思わせる場面だったからだ。
道の突き当たりまで行くと、その正面に宿屋とおぼしき建物が二人の視界に入った。そこは三階建ての建物で、一見、金持ちが住まう屋敷のようだった。
「DYRA! 見て! 扉のところに『宿屋』って!」
タヌが声を上げて指差したのは、扉の脇にある小さな真鍮でできた看板だった。DYRAは言われるまま、看板を見た。
(本当だ。宿屋だ。ここで良いのか?)
DYRAは先ほどの小間使いが耳打ちした言葉を思い返しながら、念のため他に宿屋がないか、誰か尾行していないかなど確かめた。周囲には他に宿屋も見当たらないし、殺気や悪意の気配もなかった。
二人は宿屋へと入った。中に入ると、小さなロビーがあり、その一角に帳場があった。
「こんばんは。お泊まりですか」
帳場にいた若い女性従業員が挨拶し、二人へ声を掛けてきた。
「ああ。二人だ。部屋は、できれば同じ階に他の客がいないところで」
「かしこまりました。係の者がお部屋を確認しまして、すぐ御案内いたします」
「ああ。よろしく頼む」
言いながらDYRAが帳場で支払など宿泊に必要な手続きを済ませた。案内されたのは三階全部を利用できる部屋だった。
「広い部屋だなぁ」
部屋に入るなり、タヌは声を上げた。今まで泊まったどの宿屋の部屋よりも高級感がある。居間と寝室が続き間になっており、レアリ村に住んでいた頃の家より広い。浴室を覗いてみると、浴槽がただ置いてあるのではなく、床に埋め込む型となっている上、すでにお湯がなだらかに循環していた。
「何か、すごい! ふかふかする!」
浴室からベッドルームに戻ってきたタヌはベッドに身体を投げ出すと、その心地良さに驚き、歓声を上げた。DYRAはそんなタヌの様子をちらりと見てから、着替えの肌着類とバスローブを手に、浴室へ移動した。用意されていた上質の石けんで身体を洗ってから湯が循環し続ける浴槽に身を沈めると、フランチェスコに着いてから今し方までの出来事を振り返る。
(おかしい)
DYRAは宿屋に着いて以来、何となく腑に落ちなかった。原因は先ほど宿屋へ支払った代金だ。帳場で請求されたのは僅かにアウレウス金貨二枚だけ。小さな町だったピアツァの宿屋で払ったそれより安い。にもかかわらず、案内されたのはこの贅沢な部屋。この宿屋で一番良い部屋に違いない。宿賃を少なく見積もっても、こんな良い部屋なら数倍の額となるはずだ。話がうますぎる。差額を『誰か』が払っているのか。そうでなければ、この状況は有り得ない。
わからないことはまだある。
(あの小間使いだ)
当たり屋男に絡まれたときの、小間使い登場による救いの手。今思い返すと、示し合わせていたのではと疑って良いほど完璧なタイミングだ。宿屋を探していることを含め、自分たちの情報を何一つ明かしていないのに、まるで最初から知っていたかのように宿屋の場所を耳打ちしてきた。普通に考えて、そんな都合が良すぎる展開は疑って当然だ。DYRAはここである疑念を抱き、それを確信する。
(やはり……)
自分とタヌは今この瞬間もなお、完全に『誰か』の監視下にある。そう考えてまず間違いない。だとすれば、あの小間使いは一体何者なのか。
(錬金協会の網、か)
この世界で最も大きな組織として知られている存在だ。DYRAは改めてその情報網の強さ、深さ、細やかさを思い起こす。つまり、自分が山の向こうの村で意識を戻したときから監視されていたとしても何らおかしくない。その一方で、その錬金協会が必ずしも一枚岩ではないことも思い出す。そう。ペッレであんな形でRAAZと会ったのだ。
「結論から先に言う。錬金協会の奴らがあのガキを殺しに来るぞ」
ペッレでサルヴァトーレなる世を欺く姿で現れたとき、そう告げてきた。錬金協会は他ならぬRAAZが頂点に君臨する組織なのに。
(そうだった。あの……)
ここで、異なる行き先を示した二通のメッセージカードを思い出す。仮に自分を監視しているのが錬金協会だったとしても、必ずしもRAAZの手の者とは限らない、と。
「ふぅ……」
結局、あの小間使いはどちらの勢力に属しているのか。気にはなるが、今ここで考えてもわかるものではない。DYRAは浴槽から上がると、バスタオルに身体を包み込んだ。これ以上湯に浸かったまま考え続けるとのぼせてしまいそうだ。
この後、DYRAが着替えを済ませて部屋へ戻ったところで、今度は入れ替わるようにタヌが浴室へと入った。
頭のてっぺんからつま先まで念入りに洗って、さっぱりしたところで湯に浸かった。
(父さんと母さんは、どこへ行っちゃったんだろう?)
タヌはふと、両親のことを思い出す。
知る限り、両親の仲は決して悪くはなかった。それどころか、母親は書類整理など、父親の仕事の手伝いを率先して行っていたし、留守中も嫌な顔一つ見せたことがない。逆に、母親が冬の間出稼ぎに行っているときも、父親が不満を漏らすことなどなかった。春になる直前に母親が戻って来ると、それまでと何ら変わらぬ日々を送っていたし、村の人たちが浮気などを疑うような噂を流したときも、二人揃って一笑に付していた。
両親のことを思い出すうち、タヌの目に涙がたまる。誰に見られるわけでもないのにタヌは浴槽の湯で顔を洗って、泣き顔を隠した。
(父さんと母さんを捜さないと)
三か月前、父親と母親が相次いで家を出てそれっきりとなった。しかし、どうしていいかわからなかったタヌは、村人たちの厚意に甘え、ただ無為に時を過ごすだけだった。
(帰る場所はもうなくなっちゃったけど)
三日前、村が焼き討ちに遭い、村人も皆殺されてしまった。それでも、両親が死んだわけではない。すべての希望がなくなったわけではない。タヌはそう思い直すと、二度ほど深呼吸をしてから、もう一度湯で顔を洗い、浴槽から出た。
改訂の上、再掲
026:【FRANCESCO】夜の都会で宿探しも一苦労?2024/07/23 23:08
026:【FRANCESCO】夜の都会で宿探しも一苦労?2023/01/05 16:10
026:【FRANCESCO】語り合うふたり(1)2018/09/09 13:39