257:【OPERA】もっとも情け容赦ない敵、その名は「時間」
前回までの「DYRA」----------
ピルロから連れ出されたアントネッラは、ハーランとクリストが仕掛けた罠に嵌まりかけるも、ジャカに助けられて難を逃れた。しかし、今度はそのジャカが狙われる。
目の前にいる男が話題に出たハーランとわかるまで時間はいらなかった。ジャカはまずいことになったと思うより早く、身体が動く。仰け反りつつも間合いを取る。ほぼ同時に銀色の何かが微かに腹部の高さで光った。
(一瞬遅かったら……!)
刺されるか、斬られていただろう。ジャカはとっさの判断で回避に成功する。同時に脳へ一気に情報が駆け巡る。しかし、それらをひとつひとつ考えている暇はない。ひと振り、ふた振りと鋭い動きが止まることなく立て続けに、ほぼ音もなく襲いかかって来ているのだ。
(4人を殺ったのはコイツだ!)
退散する必要がある。それも、振り切って。アントネッラの身柄を奪われるわけにはいかない。彼女を無傷でマイヨのもとへ連れて行かなければ。防戦一方になりながらも、ジャカはどうやってこの場を切り抜けようか、本能的に考え続ける。
次の振りを回避した瞬間、ジャカは一気に身体を入れ、タックルを決めた。
「うっ!」
ハーランが身体のバランスをほんの僅かに崩す。ジャカはそれを逃さず、膝下へローキックを入れて追い打ちを掛けると、一目散に逃げ出した。
(今、真っ直ぐアントネッラの元へ戻るのは危険すぎる!)
自分が最悪の展開への道しるべとなってはいけない。ジャカは繁華街へ入り、人混みに紛れると、周囲に細心の注意を払いつつ、気持ち早足で歩いた。
(やりたくなかったが、やむを得ん!)
ジャカは尾行されていないことを確認すると、繁華街の中にまだ閉店する様子がない一軒の大衆食堂を見つけ、そこへ入った。
「いらっしゃい」
中は4人用テーブル席4組と、カウンター席4席。こぢんまりとした店だが、席はほぼ埋まっていた。カウンターの向こうには食事の用意をする気のよさそうな老夫婦がいる。
「あ、ああ、待ち合わせだったんですけど……」
ジャカが何食わぬ顔で老夫婦に声を掛けると、客らがいっせいに互いの周辺席に視線をやった。
「い、いないみたいですね。失礼しました」
そう言いながら堂々と店の奥へと入っていく。
「え? あれ? お客さん?」
「今、『いない』ってぇ」
給仕役の老婦人はそそくさと店の奥、それも勝手口がある方へ行ってしまったジャカを見ながら追い掛けようとした。
「あら」
老婦人はジャカが通り抜けていくとき、カウンターの端に小さな麻袋と何かを置いていったことに気づくと、手に取り、袋を解いた。
「何だったんでしょう?」
麻袋には10枚のアウレウス金貨が入っていた。カウンターの、袋をいた場所には火打ち石に似たものも置かれていた。
「すみませーん」
入口近くにあるテーブル席を陣取る客のひとりの声が老婦人が考えるのを止めさせた。
「はいはい」
普段通りの愛想良い声を出すと、彼女を呼んだテーブル席へと足早に向かった。
「追加注文お願いしまーす。牛肉の香草焼きと──」
テーブル席の客が言い掛けた言葉は続かなかった。再び店の扉が開いた。
「いらっしゃい」
老婦人が反射的に顔を上げ、声を発した。
「今、連れが来なかったかな?」
そう言って店へ足を踏み入れたのは、黒い外套に身を包んだ、ハーランだった。
「さぁ。今来て、『待ち合わせがいない』って帰っちゃった人なら」
老婦人は何事もなかったように答える。だが、ハーランは足を踏み入れ、奥まで見回す。カウンター席の隅に置かれたものに目を留めると、棒状になっている部分に目をやり、そっと触れる。わずかに温かかった。
「奥さん。この火打ち石は?」
「あらっ。きっとさっきの人のだわ。見回すだけ見回して、いなくなっちゃったから」
婦人の言葉に、ハーランは「これもらって良いかな?」と言いながら、火打ち石に似たものをポケットに入れて、店を出た。
ハーランが去って行き雑踏の中へと消えていく姿を、物陰からアレキサンドライト色の髪を後ろでまとめた男が見送った。
(火を持って行ったのか……)
ジャカ、もとい、キエーザは嫌な予感を抱きつつも、ハーランが次手を繰り出す前に急いで動くべく、アントネッラを匿った家へ急いだ。
(マイヨと合流できずとも、せめて連絡さえできればと思うが。どうすれば良い?)
キエーザは内心、頭を抱えた。
「ふー。やれやれだ」
キエーザは、アントネッラを匿った一軒家の屋根にいた。ハーランをまいた後、手近な建物に入って2階から雨どいなどを伝って屋根に上り、屋根から屋根へと移動して、ようやく戻った。時間はもう11時が迫りつつあった。
「さて、これからが問題か。まず、このナリで接する以上、別人ってことにしないとな」
キエーザは人通りがほとんどなくなり、街灯も消え始めた眼下の街並みをざっと見て、人の気配がないのを確かめたところで屋根から敷地内へ下りた。
隠し扉から中へ戻ると、台所を通り抜けたところで足を止めた。
「アントネッラさん」
ジャカを演じるときとは違う、低い声でキエーザが部屋の中へ呼びかけた。
「は、はい」
か細い声が聞こえ、ランタンを手にしたアントネッラが姿を現した。
「ど、どなたですか?」
怯えた声で尋ねられると、キエーザは一礼した。
「自分はキエーザ。さっきまでいたジャカと交代で来ました」
名前を聞いて、アントネッラは少しだけ安心するが、ランタンの光に照らし出された顔を見ると、引き攣った声を上げた。
「えっ!」
男か女か区別がつかない。土気色の肌とアレキサンドライト色の髪と瞳を持った人物がそこにいる。ある種の不気味さすら漂わせた容姿に、アントネッラは驚愕した。
「嘘でしょ!?」
すぐにキエーザが自身の口に指をやり、静粛を要求した。アントネッラはハッとして「ごめんなさい」と謝った。
「あの、どうか気を悪くしないで」
「何を」
「間違っていたらごめんなさい。あなたもしかして、トレゼゲ島の人?」
土気色の肌とアレキサンドライト色の目と髪。その昔、学術機関の蔵書で読んだり家庭教師に教わった、昔滅んだと言われるトレゼゲ島にいる人間の特徴そのままだ。アントネッラはおそるおそる問うた。
「そうですが? 何か不都合でも?」
「い、いえっ」
「世間的にはそうらしいです。でも自分は生きていますよ」
トレゼゲ島。
アントネッラの記憶に、ルカレッリの言葉が掠めた。
「身を隠している間、歴史をたどって、自分なりに調べた。トレゼゲ島って、当時は今よりもっと大きかったんだって知って驚いた。そして、今こうして暮らしている人たちの中には、島が滅びるからって命からがら逃げてきた人たちの子孫もいる」
衝動的に、アントネッラは質問をしなければと思い立ち、それをそのまま言葉にする。
「あ、あの。あなたたちは、生きていたの? お兄様に会ったりしたの?」
「『お兄様に』? どういうことですか」
キエーザはジャカとして聞き出した情報を参考にしつつ、素知らぬ顔で返した。
「実は、1年ほど前に私の兄がトレゼゲ島に行ったそうなんです。だから、会ったことあるかなって」
「いえ。自分は故あって都にいたので、残念ながら」
「そう……」
アントネッラはがっかりした感じの声を出すと、キエーザは視線は厳しいまま、だが優しくフォローする。
「お役に立てることがあるかも知れません。色々聞かせてもらえませんか?」
「あの、あなたはさっきのジャカさんの……」
「職場の飲み友だち兼、情報源です。彼らの情報は自分に集約されます。彼は自分の部下4人を一気に失った件があるので」
257:【OPERA】もっとも情け容赦ない敵、その名は「時間」2023/04/24 20:00
257:【OPERA】もっとも情け容赦ない敵、その名は「時間」2023/07/27 13:55