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251:【OPERA】水晶の如き美しい涙は、絶望のほどを伝える

前回までの「DYRA」----------

 ペッレの宿屋にも間者が? いや、何か違う。「全体的な雰囲気」が違う。そんな中、マイヨは自分の隠れ家として使っている場所へ案内し、「ハーランとピルロと『随分前から』繋がっている」と、驚くべき報告をしてきた。そんな中、RAAZの様子が明らかにおかしい。


「ミレディアの、いや、妻の部屋へ行っていいいか?」

 言い終わるや、マイヨの返事を待たずにRAAZは部屋を出た。後ろ姿を見送ったDYRAは、彼が何を思い、どこへ行こうとしているか察知すると、悔しそうに下唇を軽く噛む。

 少し経って、マイヨがDYRAの肩にそっと手を置く。

「嫌な思いを、させちゃったかな?」

「いつものことだろう? 何を今さら」

「ゴメンね。DYRA。安全に話せる場所がここしかなかったのもあるけど、もう一つ。これから先のことがあるから、わかっておいてほしいことがあって」

 DYRAはわき上がる色々な気持ちを抑えて尋ねる。

「ここはRAAZの死んだ女の部屋ってことだろう?」

「ドクター・ミレディア。RAAZのカミサン専用の研究施設。それだけじゃない。俺が『俺』でいられるように計らってくれた人の仕事場」

「RAAZが愛した女で、お前の命の恩人で、そしてハーランにとっても……」

「ああ。ハーランだけじゃない。ヤツの部下たちにとっても主治医であり、力の源を物理的に与えてくれたって意味で母親みたいなモンだ」

「それで『マッマ』、なわけか」

「そしてあと一つ。ここが因縁の震源地、だね」

「因縁?」

 ここまで聞いたDYRAは、以前マイヨを助けたとき見た、まだら模様の部屋を思い出す。

「ああ。ハーランがドクターを連れ戻そうとして、RAAZが阻止した部屋。そして、ドクターが変わり果てた姿になった……その舞台となったまさに現場だよ」

 誰かが死んだ部屋かも知れないとは思っていた。だが、まさかあの部屋こそ、とは。

「マイヨ! その話の流れでいけば、殺したのはハーランなのか!? お前は本当のことを知っているんだろう!?」

「前に言ったよね? 証拠をきちんと出せない段階で軽々しく口にはできない」

「ここにいて、お前は何を言っている? RAAZもいる。なのに証拠を出せない?」

 DYRAは一瞬、マイヨを疑う。そもそも証拠なるものはもう存在していないのでは、と。だが、その考えは杞憂だった。

「その辺の話も含めて、わざと今回の話はここに集まってもらえるよう仕向けた。物証はともかく、単に話すだけならピルロの北側のネスタ山や、東の果ての建物でも良かったわけだし」

 タヌを守りつつ話からは外し、かつ、伝えたかった。そう考えれば合点がいく。DYRAは頷く。

「それで? わざわざここへ私とRAAZ、両方を招き入れたんだ。お前は何をしたい?」

「ドクターの遺産を、使えるようにする必要がある。証拠もそこにあるんだ」

「あの部屋へ、回収しに行けば良いのか?」

 マイヨは静かに首を横に振った。

「RAAZは今きっと、カミサンの部屋だ。君へお願いすることがあるなら、そうだね、ここから先、ヤツの気持ちを受け止めてほしい、かな」

 申し訳なさそうに、マイヨが続ける。

「君にすれば、自分とそっくりってだけで、二言目にはカミサンの話ばっかりじゃやってられないだろうけど」

「どうして、そんなことを」

「前にタヌ君をハーランに取られたとき、ネスタ山で話したよね。あのときの君の反応を見ればわかる。君にとってRAAZは特別なんだろ? だから、あんな態度を取ったんだろ?」

「別に。面倒くさい男だってだけだ」

「良く言うよ」

 マイヨがクスッと笑う。

「存在が大きすぎて近すぎて、大切だと気づいていないだけじゃない?」

「何を言っている?」

「嫌われ役上等で君を守ってきたのは誰? 『嫌われても良いから守る』なんてのは、相当な覚悟がないとできないことだよ?」

 DYRAは一瞬、視線を泳がせる。

「それだけじゃない。君の身体にRAC10プログラムを組んで、自己回復機能を搭載したナノマシンのシステムを入れた。それってさ、『生涯一緒にいる』と決めたようなモンだ」

 マイヨからの指摘に、DYRAは信じられないと言いたげな顔をする。

「私をそうまでして、死んだ女の代わりにしたいのか!?」

「最終的には逆だと思うよ?」

 意外な答えだった。

「確かに、心の整理って意味ではそうかも知れない。でも、それだけでそこまでやるかな? 長い先を見据えたら、そっくりな別人なんてかえってストレスがたまるもんだと思うけど。君はもちろん、RAAZもだ」

 確かにそれはその通りだ。しかし、それでも納得できるものではない。

「さっきも言ったけど、ここから先は『全員、敵』になる。そんな状況でドクターの遺産をハーランへ渡すような真似はもちろん、無邪気で何も知らないピッポみたいなヤツに渡すのもダメなんだ」

「そこはわかる。だが、それと私がRAAZを受け止めることは、お前の身の潔白を証明する証拠と、どういう関係がある?」

「そこの答えは、そうね。3人揃わないと開けたくても開かない箱、ってヤツだ」

 自身の身の潔白を証明するために利用する魂胆か。思わず言葉にしそうになったが、DYRAはそれを喉の奥で抑え込んだ。

「何て男だ」

「多少君からキツイ言葉をもらうことくらい、こっちも折り込み済みだ。でも、これだけは言っておく。この先、ハーランは俺たちを何とかするためになりふり構わず仕掛けてくるはずだ。俺がハーランなら真っ先に君を狙い撃ちして、タヌ君、そしてRAAZとの間を切り崩しに掛かる。それをやられちゃ困るんだ。何せ人手が足りないし」

 最後の一言こそ茶目っ気が籠もっていたが、重く、そして現実を突きつける内容だ。DYRAも自分がハーランなら、のくだりについてマイヨと同じことを考えた。

「だから、君に本当の意味でRAAZを知っておいてほしい……ってこと」

 身勝手な論理の押しつけは気に入らない。だが、中途半端に説得力がある。DYRAは不本意ではあるものの、マイヨの頼みを受け容れた。

(ハーランは確かに、RAAZと対決するために、今そこにいる人々と手を組むことを選んだんだ。RAAZにとっては『全員、敵』になり得るのか)

 世界のすべてが敵になる。ものの喩えで使われ、聞きそうな言葉だ。しかしこれが現実となるなら、対峙する側にとっては耐え難い苦痛だ。ラ・モルテ(死神)と人々から蔑まれる自分はともかく、それ以外の人間には特に。たとえ圧倒的な暴力を背景に君臨するRAAZや、この文明世界自体に対しどこか冷めたマイヨでも。ましてや、タヌがそんな目に遭うなど、論外だ。

(もう、私が思っているほどタヌに残された時間もないのかも)

 このままの流れでいけば、早晩、自分たちへ悪意の刃が表立って向けられるだろう。そのとき、タヌのことを守らなければ。

(父親の件が終わった後、できる限りこれまで通りの生活ができるようにしなければ……)

 父親を見つけるだけで良いなら、時間的な要素を除き、難易度はかなり下がった。問題はその後だ。RAAZは殺す選択肢を固めている。マイヨも庇ったり助けたりする気配を見せない。

(道はなし、か)

 DYRAが天井を仰ぎ見ると、深い溜息を漏らした。

(RAAZ。お前は本当のところ何を考えている? 仮に世界をもう一度焼き尽くしたとしても、死んだ女が戻ってくるわけじゃないのに)

 すぐ戻ると言いたげな感じでマイヨに視線をやってから、DYRAはRAAZの様子を見るべく、部屋を出た。

 マイヨは敢えてふたりを追うような野暮をしなかった。

(こういうタイミングで悪いとは思うけど、これは儀式みたいなモンだ。通らなきゃならない。避けることはできない。……あの日の真実にたどり着くための、『心の準備』みたいな)

 走って行くDYRAの後ろ姿を見ながら、マイヨは少しだけ、微笑んだ。

(それにしても、ドクターはホント、俺にひどいことを要求したよ。それでも俺は約束通り、身体も魂も売り飛ばした。だからこそアンタにはホント、しゃんとしてもらわないと)



 DYRAたちと話をした部屋を出たRAAZは、廊下の先にある部屋のスライド式扉の前に立っていた。奇しくもそこはマイヨが利用している部屋だった。そして以前、DYRAも出入りした場所だった。目の前の扉は鍵が使用されていないのか、施錠状態を示すランプが消灯している。

 RAAZは何度か深呼吸をした後、部屋の扉を両手で掴み、力ずくで開ける。厚めの鉄を挟んで作られているため、少し重い。

 人ひとり通れる程度までずらすと、RAAZは部屋の中へと目を向けた。

(あの日、以来だ)

 RAAZは身体を横向きにして扉を潜り、中へと足を踏み入れた。

 殺風景な部屋の床や壁のあちこちはもちろん、奧にある机の方までまだら(・・・)模様で変色している。奧の床は特に激しく汚れていた。

(あの日と、ほとんど変わっていない……)

 1歩だけ足を踏み入れたが、RAAZの足はそこで立ち止まった。いや、進めなかった。そのときだった。

「ぁ……」

 RAAZは自身の視界の先に、あの時の自分(・・・・・・)が見えた。



「ミレディア!」

 あの日の自分が妻の無事を祈りつつ、警戒しながらゆっくりと部屋の奥へと進んでいく。

 周囲を見回しながらゆっくりと部屋の奥へと歩いていく。

 やがて、何かに気づいたように立ち止まると、足を避けてから腰を落とし、何かを拾う。



 鮮明によみがえる記憶に、RAAZは呼吸が少しずつ乱れる。



 あの日の自分がゆっくりと腰を上げ、もう一度、あたりを見回す。

 それから、ゆっくりと部屋の奥、仕事机がある方へと歩く。机の前で足を止めた。



(あそこは)

 そうだ。あのとき、あそこで倒れた花瓶を見た。花瓶にはミレディアが薔薇(ばら)と呼んでいた、彼女が種を復活させた花が挿してあった。だが、それがないことに気づいた瞬間だ。RAAZはあの日の記憶をより一層クッキリと思い出す。──そう。この後、見てしまったもの。目の前が真っ暗になるほどの衝撃を受けた、悪夢だの地獄だのと呼ぶことすらも安っぽく感じたあの光景。



 あの日の自分が血の海まみれの床で、何かを見つけ、腰を落とす。花瓶に挿してあった切り花を拾おうとするが、拾う手が止まる。薔薇の花を握る手は肘下から切断されているではないか。

「うっ!」



「──!」

 声にならない声を上げ、RAAZはその場に膝を落とした。左手で口元を押さえ、右手で胸を掻きむしる。その手はぶるぶると震えている。

 あの日(・・・)の記憶に精神が押し潰される。そんな感覚に襲われたのか、RAAZは激しい嘔吐感に苦しみ、その目にうっすらと涙を浮かべた。

 そのときだった。

「……て、いい」

 何か(・・)が聞こえた気がした。それ(・・)はあの日、聞こえたものではない。同時に、RAAZの背中や二の腕、胸元に置いた手に温かい感触が重なった。

「……ミレディア……!」

 温もりを感じたとき、RAAZの頬を涙がこぼれ落ちた。思わず、頭をほんの少し動かして自分の胸元を見る。自分の手の上にサファイア色の細い手が添えられるように重なっていた。

「……誰も見てない。私も、見えない。だから、泣いていい」

 DYRAの優しい声に、RAAZは小さく頷いた。

「ごめん……」

 顎のあたりからひと粒落ちた涙の滴がRAAZの手に重ねられた手の甲を濡らした。


「……!」

 RAAZが泣いている。彼の背中に頬を押し当て、身体を重ねるように抱きしめていたDYRAは驚いた。

「……ぁ」

 RAAZがほんの少しではあるものの、嗚咽の声を漏らす。

「ぅ……ぅ……」

(お前、死んだ女のために泣いたことがなかったのか……?)

 愛した人間の死に接したとき、泣くものではないのか。遠い昔の話なのに、昨日のことのように泣いている。DYRAは最初のうちこそ呆れたとも何とも言えぬ複雑な心境だったが、嗚咽の声を聞くうち、そんな気持ちが少しずつ溶けていく。まさかRAAZは大切な人を奪った相手への怒りに焼かれるばかりだったのか。何故彼が死んだ女のことばかり見つめているのか、DYRAは少しずつではあるものの、腹に落ちていった。



 本当のところ誰が殺したのかわからない。やり場のない怒りをマイヨへぶつけるしかなかったのではないか。

 自分を死んだ女とずっと重ねていたのは、心の整理がまったくできていないからではないのか。

 自分を『兵器』にしたのは、死んだ女の無念を「彼女からの報復」という体で具現化するためではないのか。



「私は……守れなかっ……」

 滴り落ちる涙がまた、ぽつり、ぽつりとDYRAの手を濡らすが、RAAZは流れる涙を敢えて拭わなかった。

 DYRAはRAAZの心の傷の大きさ、絶望の深さを垣間見た気がした。まだらの部屋を見る限り、彼の妻はまさに非業の死と言うべきものだったに違いない。彼女はどんな気持ちで最期の瞬間を迎えてしまったのだろう。

 たとえほんの僅かであったとしても、苦しみや悲しみを受け止めたい。DYRAは心から願う。

「ごめんよ……キミから多くのものを与えられたのに……私は、何も返せず、それどころか……」

 涙の滴がDYRAの手を濡らすたび、いつからか、淡い金色の輝きに包まれた青い花びらが数枚顕現し、ふわり、ふわりと舞っては消えていく。

「ひとりぼっちで……悔しかっただろ……辛かっただろ……」

 RAAZの口から漏れる妻への懺悔とも取れる言葉。DYRAは、彼女を救えなかった無力感がRAAZの復讐心の原動力であると同時に、もうひとつ、別の見方にも気づいた。それが正しいかはわからない。そもそも1300年以上RAAZといたはずだが、DYRAは一緒にいた時間をほぼ何も思い出せないからだ。だとしても、彼の涙を知った今なら、わかる範囲の情報からだけでも朧気に理解できる。

(お前……)

 信じられない、もはや数えることもできない、たったひとりで人間という種を絶滅させるのではないかと思わせるほど殺して、殺して、殺しまくってきた男は、自覚の有無はともかく、本心から皆殺しを望んでいるわけじゃないのではないか。

(自分が、許せない?)

 最愛の女性を孤独と絶望を抱えさせたまま死なせた、文字通り最悪の結末から救えなかった自分自身への「永遠の孤独」という名の罰。不老不死同然なら、自分以外を殺し続けていけばたどり着くのはこれしかないではないか。本当の復讐相手は、RAAZ自身だ。

 だが、それだとひとつおかしなことになる。RAAZは自分を『兵器』として産みだしたのか。DYRAはあれこれ考えるが、何も浮かばなかった。これについては自分でああでもない、こうでもないと考えたところで想像の域を出ないことだ。色々腹立たしいこともあるが、今それを言うのも人としてどうかと思う。

 青い花びらが消えていき、DYRAがRAAZからそっと離れようとしたときだった。

 RAAZの手に添えていたDYRAの手を、RAAZがそっと剥がした。

「DYRA」

 RAAZがDYRAから少し離れると、涙を自身の手の甲で拭ってから、立ち上がった。振り返ってDYRAを正面に捉えると膝を落とし、目線の高さを合わせる。

「優しいな。キミは」

「……別に」

「優しすぎるくらい、優しいよ」

 柔らかい眼差しでDYRAを見て、RAAZが彼女の背中へ腕を回すと胸元へ抱き寄せた。

「お前に優しくされたら、雪でも降りそうだ」

「ひどいなぁ」

 いつもと違う、RAAZの力ない笑み。DYRAはクスッと笑ってから、同じように背中へ腕を回し、そっと抱きしめた。

「死んだ女は、お前にとって本当に大切だったんだな」

「ああ」

「じゃ、どうして私に中途半端に優しくする?」

「……」

「私が『兵器』なら、もっとそれらしく扱えば良い」

 DYRAは少し俯いて、言った。

「キミは、大事なことをわかっていない」

「瓜二つの女って理由で、『使い捨て』兵器にしただけだろう?」

「『兵器』はときに……」

 RAAZがDYRAの長い髪を優しく撫でる。

「自分の強さと心の拠りどころたるものだ。だから何よりも丁寧に扱い、大切にする。手入れもする。代わりがきかない『兵器』であればあるほど」

「『兵器』なんて所詮、使い捨てだろう? 剣や槍を見ろ」

「剣? 槍? そんなものはいくらでも代わりがきく」

 では、『兵器』とは。DYRAは率直な疑問が浮かんだ。

「DYRA。『兵器』は殺傷能力の大小だけで定義するものでもない。仮に最強の殺傷能力があったとして、使わなかったり、使う理由がないなら無意味な長物だ。銃があっても弾がなければ鉄くずだろ? 引き金を引く者がいなければ鉄の塊。それに、引き金を引く者がいても、引くに足る強い意思と確固たる信念がなければ自分を振り回すだけの面倒なものだ」

 RAAZの中にある兵器観をDYRAは静かに聞き入る。

「手にして負けたとき自分のアイデンティティもレーゾンデートルもすべて消えるほどの『兵器』は、何にも変えられない」

 さらに続く。

「キミは『兵器』の定義をはき違えている。自分の『存在』そのものの下支えになるものは、内なるものも、外にあるものも、すべて大切な『兵器』だ」

「お前が愛した女も?」

「もちろん。そして彼女にとっても、私は『兵器』だ」

 DYRAはRAAZが言う、『兵器』の意味を理解した。だがらと言って、納得したわけではない。

「そう、か。……私は『どこぞの死んだ女の身代わり程の価値すら与えられたことのない』ものじゃない、と?」

「何?」

 それまでの柔らかい空気が一瞬にして変わった。RAAZの筋肉がわずかにこわばった感じがDYRAにも伝わる。

「DYRA。誰だ。誰が、いつそんな戯言を?」

 RAAZがDYRAの両肩を掴んで胸元から少し離す。彼女の頬に手を置いて、軽く顔を上げた。ハッキリ見えるように。

「別に隠すことでもない」

 DYRAは明かす。

「ハーランから言われた言葉だ。あの男なりにお前のその、死んだ女の件に思うところがあるのだろう。それを踏まえて、私を『身代わり』以下と」

 不快感露わな表情を浮かべるRAAZを見ても、DYRAは動じない。

「ミレディアがいなければ、自分の身体の面倒も見れないヤツらの戯れ言だ。所詮アイツらは長生きするイヌでしかない」

「私やお前は? イヌではないと?」

「長生きするが、誰かのイヌではない。私たちは、自由だ」

「何から?」

「肉体と自分という名の魂以外のすべてから」

 哲学者のような答えだ。だが、RAAZらしい答えなのかも知れない。

「つまり、死ねない以外は……」

「そうだ」

「そう、か」

 DYRAは2度、小さく頷いた。死ねない。改めて、現実を嫌というほど思い知らされた瞬間だった。しかし、以前のような苛立つ感覚は全くわき上がらない。

「キミを何度もミレディアだと思った。それでキミが嫌な思いをしていたこともわかっていた。だが、人間である以上、大切なものに対するたくさんの感情は、そう簡単に手放せるものじゃない」

「面白くはないが、そこはいい」

 呟いてから、DYRAは自嘲した。

 RAAZはハッとする。

 金色の瞳に、うっすらと、涙が浮かんでいるではないか。

「DYRA」

 RAAZがDYRAの耳元に顔を近づけると、二言、三言何かを耳打ちした。

 それは思わぬ言葉だった。DYRAは驚くと、RAAZの方へ少しだけ身を乗り出した。

「え?」

 RAAZがDYRAの頬をそっと指先で撫でる。そのときの表情は、サルヴァトーレを演じているときですらも見せたことがない、穏やかで優しげなそれだった。最後に、RAAZは自分の頬をDYRAの頬に重ね、頭を軽く抱いた。

「そのときまではどうか許してくれ。ミレディアのことも、キミへの扱いも」

「ああ。わかった。話半分で、聞いておく」

 穏やかな口調でのDYRAの返答に、RAAZは一瞬だけ、口角を上げた。

「部屋を出る前に、持って行くものがある」

 RAAZはそう言って、DYRAを待たせ、部屋の一番奥にある机の向こう側へと回り込むと、血糊ですっかり赤黒くなった机の天板下と同じ高さにある右側の引き出しを開けた。手を入れ、まさぐる。奥の方で何かを見つけると、それを取り出し、机に置いた。

 DYRAは見覚えがあった。以前、マイヨとこの部屋に来たときに見つけたものだった。まだら模様に汚れた、指輪でも入っていそうなベルベットらしき布に覆われた箱だ。RAAZがすぐさま箱を開く。中には絹の布が敷かれた宝飾品の台座があるだけ。

 RAAZが絹の布を剥ぎ取り、台座のスポンジも外す。箱の底が露わになると、さらに箱の底を壊す。

「……あった」

 箱は二重底になっており、小指の爪の半分程度の大きさをした記憶媒体の他、金色の板が現れた。板は異なる文明のもので喩えれば、ICチップが近い。手のひらに載せたふたつのものをじっと見つめるRAAZの様子に、DYRAは念を込めているか、何かを思い出しているように見えた。しばらくの後、RAAZはふたつ共持ち出した。

「これからやることが多くなる。ここから先、そのときのために私はキミにも不本意なことをやらせる。恨むならハーランと愚民共、それにガキの親父を恨めよ」

 それまでから一転、RAAZがいつも通りの口調でそう告げると、足早に部屋を出た。

 DYRAはRAAZの後ろ姿が今までと違う風に見えた。


251:【OPERA】水晶の如き美しい涙は、絶望のほどを伝える2023/03/12 20:00

251:【OPERA】水晶の如き美しい涙は、絶望のほどを伝える2023/07/27 13:09

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