248:【OPERA】ホームからアウェーに変わっていく現実
前回までの「DYRA」----------
DYRAたちがまだいる集落にマイヨが現れた。ここで何が起こったのか。集落やウーゴの正体。それはDYRAのルーツに繋がるものらしい。しかし、それを聞くのは今ではない。マイヨは事態が「風雲急を告げる」ことを伝えに来た。
タヌはマイヨに抱えられ、東の森を駆け抜けた。
「う、うわああっ……」
風が肌に突き刺さる。タヌは葉や小枝などが目に飛び込まないよう、じっと目を閉じた。まるで馬に乗って走っている速さだ。RAAZやDYRAと同じように、マイヨもまた普通の人間ではないことを痛感した。移動中、タヌは疲れないのだろうか、自分が重くないのか、森は昼間でも黒いのだろうかなど、あれやこれやと考える。だが、何ひとつ、答えらしきものが浮かぶことはなかった。
一体どれくらい走ったのだろうか。
やがて、ザザザッという地面を滑るような音を合図に、風がタヌの肌を刺さなくなった。
「目を開けて、良いよ?」
マイヨが言いながらタヌを下ろす。足が地面についたところでタヌはゆっくりと、目を開いた。
ぼんやりした視界が少しずつハッキリしてくる。しばらくあたりを見回す。黒っぽい森や、山間の方は木が枯れかけているのが見える。そのうち、タヌは見覚えのある馬を見つけた。
「……あっ」
タヌが見た方をマイヨも確かめた。
「馬、あれか」
離れた場所に、2頭の馬が繋がれていた。少し疲れた感じではあるものの、アオオオカミなどの襲撃に遭わず、一晩をやりすごせたようだった。
「あんまりこういうことはやりたくないけど、背に腹は代えられないか」
マイヨは言いながら、懐から何かを取り出す。小さな薄い銀色の箱だった。
中から小指ほどの大きさをした何かを取り出したマイヨは、それぞれの馬の臀部にそれを押し込むように当てた。タヌはそれを見て、いつだかフランチェスコにある錬金協会の建物裏にあった井戸で拾った、透明な何かに似ていると思った。
「行こう。時間がない」
「え? でも、餌とか……」
「大丈夫だから」
マイヨの言葉を聞いてもなお、タヌが心配そうに馬を見る。だが、杞憂だった。みるみるうちに疲れた様子がなくなっていき、元気になっていくではないか。
「え! ってマイヨさん何をやったんですか!」
「気にしなくて良いから」
本来の文明で当たり前のように使われていた高濃度の栄養剤によるドーピングを施したなどと言う必要はない。
「急ぐよ、タヌ君。馬は、ペッレで返せば良いのかな?」
「ルガーニ村で借りたけれど、貸馬組合が何とかって言っていたから」
「それなら、お金払えば大丈夫だろうね」
街や村などにある馬貸し屋だが、所謂『乗り捨て』契約も問題なく対応できる。時代が時代ならチェーン店だからだ。
「じゃ、急ごう」
「はい。あの、DYRAは、大丈夫かなあ」
「RAAZが一緒なんだよ? 何が心配なの?」
「そうじゃなくて」
「ん?」
タヌは、初めてペッレへ行ったときに起こった、街がアオオオカミに襲撃されたときの顛末を話した。
「なるほどね。そんなことがあったのか。それならなおさら入念に準備してくるさ。大丈夫」
マイヨは言い終えると、馬に乗った。タヌも続く。そしてふたりは一路、西へと向かって走り出した。
ペッレへマイヨとタヌが到着したのはほぼ正午だった。街へ入るとふたりは馬を下り、ゆっくりと引きながら馬貸し屋へ向かう。
(……空気が、硬い?)
それなりに人が多い昼間の街なら活気があるし、特段のことが無い限り、人をチラチラ見るなどほとんどない。だが、ここはそうではない。街で買い物をする人やすれ違う人々、店の人々、皆が皆、一瞬とはいえ、こちらを見るではないか。彼らがチラ見する視線の先は馬ではない。タヌでもない。明らかに自分ではないか。マイヨは何か感じたのか、さりげなく、三つ編みを横髪から後ろに回すようにヘアピンで留め、目立たないように隠した。
「ま、昼過ぎって話だったし、ギリギリ間に合った、ってことか」
街の北にある馬貸し屋へ着くと、ふたりは馬を返す手続きをする。
「え? ルガーニ村でお借りしたんですか?」
馬貸し屋で働く若い女性はマイヨから事情を聞くと、驚いた顔をした。
「あの、つまり、村で返す約束をしていたってことですよね?」
「はい。……多分」
タヌはそう答えることしかできなかった。
「いや、ちょっと色々事情ができちゃったんだ。この子の連れが深夜、急病で倒れちゃったりさ。で、俺が代わりに来たんだけど、俺もちょっと南へ行く用事があってね。お金は色をつけて払うから」
マイヨは若い女性の同情を引くように話した。
「うーん。わかりました。では、すみません。ここから村へ、馬の返却が1日遅れることになるので、その分の遅延料金と、乗り捨ての差額を払っていただけますか?」
若い女性にどうしたものかと言いたげな顔で告げられると、タヌは鞄から財布を取り出した。以前預かった、DYRAの財布だ。
「お金は払います。いくらですか?」
タヌが財布を開こうとしたときだった。
「お釣りはいらない。ねぇ、2、3、聞いて良いかな」
マイヨが5枚のアウレウス金貨を渡しながら、尋ねる。多すぎる金額に含むところを察した若い女性はニッコリ笑った。
「昨日あたりから色々世の中バタバタしているけど、どうなっているの? 俺、実はずっと遠出していたから全然わからなくて……ははは」
「ああ、錬金協会の件ですよね?」
若い女性が笑顔で話す。
「何でも昨日、昼前に瓦版が回ってきた話ですと、マロッタで火事騒ぎがあって、会長がいなくなっちゃったって。それで、代行に若い方が選ばれたけど、今朝方、都の大公様もお認めになったから、正式に新しい会長が決まったって」
「その、若い人に?」
「いえ、そこまではちょっと。でも、正式発表は本日の夕方に都で発表するそうですから、恐らく夜にはわかるかと」
話を聞いたマイヨは、怪訝な表情を浮かべた。
(電波を使った通信施設もないのに、どうして数時間のタイムラグで都からここまで届くって?)
錬金協会の上層部はすでに新しい人事を確定させているのではないか。そうでなければ通信機材を各地の錬金協会施設に配ったか。だ。
「そうなんだ。じゃ、瓦版待ち、かな。街では何か騒ぎとかなかったの?」
「特に。何もないですよ。『あ、変わったんだ』ってだけです」
聞くことは聞いた。もう用はない。、
「ふうん。そうなんだ。……ああ、長居しちゃってごめんね」
マイヨは話を終わらせると、タヌの背中をそっと押して店を出た。
「マイヨさん。どうしてさっき馬貸し屋さんに?」
歩きながらタヌは問う。だが、マイヨは静粛を促した。
「ここで話さない。あと、ヤツはどこで合流するって?」
「多分、宿屋さんかと」
そう言って、タヌはマイヨを宿屋へと案内した。
15分ほど歩いて、かつて知ったる噴水広場と、その近くにある年季が入った石造りの建物な宿屋が視界に入ると、タヌは指差す。
「あそこです」
マイヨは宿屋の周囲にある建物にもざっと目をやった。どれも石造りの建物で、この文明世界ではごく普通のものばかりだ。
「錬金協会も割と近いの?」
「はい」
ふたりは宿屋の前に着いた。扉には「満室」と書かれた小さな看板が掲げられている。
「じゃ、入りますか」
マイヨが宿屋の扉を開くと、ふたりは中へ入った。このとき、マイヨは言葉にできない何かを察知すると、鋭い視線で正面にある帳場をざっと見回す。
「申し訳ございません。本日はもう満室でして……」
帳場でそう告げたのは、以前縁あった、品の良さそうなあの老婆だった。傍らには若い男性の従業員もいる。マイヨは気づかれるより早くいつもの柔らかい表情に戻った。
「あの、おばあさん、お久しぶりです」
タヌが声を掛けると、老婆がハッとした。
「あらっ! まぁっ!」
声を聞くや、誰が来たのかわかった老婆が相好を崩した。このとき、男性従業員が一瞬、厳しい顔をしたことにタヌは気づかなかった。
「あのときのっ! 元気そうで! 色々あったから心配していたわぁ」
「おばあさんもお元気そうで、良かったです」
タヌがぺこりと頭を下げたところで、男性従業員が「お茶を用意してきます」と言って、その場から離れた。
「ちょうど少し前にサルヴァトーレさんとお姉様も来たわよ」
老婆が幸せそうな口ぶりで話す。
「サルヴァトーレさん、お姉様のことよっぽど気に入っているのねぇ。新しいお洋服もとっても素敵だったわ」
聞いていたタヌは意外そうな、マイヨはやはりと言いたげな顔になる。
「ところでそっちのお兄さんは? 初めてよね?」
老婆の言葉にマイヨは会釈してから自己紹介する。
「初めまして。俺はサルヴァトーレさんの知り合いです。この子を送り届けてって頼まれていたんで」
このとき、タヌは一瞬、怪訝な顔でマイヨを見た。いつもなら礼儀正しく接し、名前を名乗るはずなのに。
「あらら、そうだったのね。おふたりはもう、一番奥のお部屋にいますよ」
「行って大丈夫かな」
「じゃ、ボク先に行ってみます」
そう言って、タヌはもう一度老婆へ会釈してから、部屋がある廊下を奧へと歩き出した。帳場は、マイヨと老婆だけになった。
「昨日から街がバタバタしているみたいだけど、おばあさんたちは大丈夫だった?」
「何だからわからないけど、黒ずくめのあの趣味の悪い人たちが3回くらい来ましてねぇ」
「何かあったんですか」
「ええ。私は目が悪いからわからないけど、何か変な、生きている人を切り抜いたみたいな絵が描かれた紙を持ってきて、置いていきましたのよ」
マイヨはここで、写真入りの瓦版がこの街でも巻かれたこと理解する。
「へぇ。すごいですねぇ」
「サルヴァトーレさんに会うんでしょ。こんなところで油を売っていちゃダメでしょ。さ、さ」
老婆に言われ、マイヨもタヌを追って部屋へと向かった。このとき、マイヨは一瞬ではあるが、自分への視線を感じた。
タヌが廊下の突き当たりにある部屋の扉を軽く叩く。
「こんにちは」
「──良いよ」
扉の向こうから聞き慣れた男の声。タヌが安心して扉を開こうとしたときだった。
「え」
突然、マイヨがタヌの手首を掴んで取っ手を掴もうとする仕草を止めた。
「もっと慎重に」
マイヨが小声でタヌへ注意した。そして扉の四角をざっと見回しながらタヌを脇へやる。
タヌはそんなマイヨの姿にどうしたのだろうと思う。パッと見た感じではいつもと同じような柔らかそうな雰囲気なのに、すさまじい警戒心が感じられてならないからだ。
ほどなくして、内側から部屋の扉が開いた。
「どうぞ」
煉瓦色の髪の男が廊下に立っているタヌとマイヨを招き入れた。
「うわっ……」
サルヴァトーレが扉を閉めたところで、タヌが声を上げた。
「DYRA、いつもと雰囲気が違う」
248:【OPERA】ホームからアウェーに変わっていく現実 2023/02/27 20:00