228:【STRADA】アントネッラ、ハーランと対峙する
前回までの「DYRA」----------
ピルロからどこかへ連れ出されたアントネッラは、どこだかわからない場所で目を覚ました。そして、思わぬ人物と対面することになる。
「いやぁ。この機会に色々誤解も解きたくてね。ただ、乱暴に連れ出したことは謝るよ」
そう言ったのは、先に部屋に入っていたハーランだった。だが、アントネッラはまともに聞いていないのか、部屋を見回し、困惑していた。
「……!」
部屋には手前と奧とでそれぞれ大きな用テーブルと4つの椅子で構成されたセットがあり、奧のそれにはジャケットを着た金髪の人物が着席している後ろ姿が見えた。
アントネッラは一瞬、我が目を疑った。しかし、確かめることはできなかった。突然、部屋の奥側が視界から消えたからだ。まるで、一瞬前までガラス越しに見えたのが、ガラスの間に白い幕がサッと下ろされるように。
ほどなく扉を叩く音が聞こえ、ガチャリと開く。クリストが紅茶と3段スタンドを銀の盆にのせて持ってきた。
「お茶をお持ちしました」
クリストが慣れた手つきでセットをテーブルへ広げた。すぐに食べられそうな果物や菓子類、軽食が盛られたスタンドを中央へ置き、3人分の紅茶を用意する。1つだけカップをソーサーの上にのせたまま。最後に、スタンドのそばにティーポットを置いて保温カバーを掛けると、一礼して部屋を出て行った。
「座って。キミとはちゃんと話をしたかったんだ」
ハーランの言葉で、アントネッラはすぐに思い出した。「L.A.R」と書かれた黒いメッセージカードのことだ。
「私も聞きたいことがあるの。あのカードだけど、どういう茶番かしら?」
「茶番だって? まさか。こっちは大真面目だよ。前にピルロで会ったときは、あのバカな行政官や、ニワカ王子様のせいでちゃんとお話ができなかったからね」
ハーランが大きく頭を振ってから紅茶を口にした。
「じゃ、本題に入ろうか」
アントネッラは緊張した。だが、それを隠すようにハーランの口元へ視線を集中させる。
「お父上や都の大公家の人たちが20年以上掛けて準備したことを、キミに子どもじみた恋愛ゴッコでぶち壊されちゃ、困るんだよ」
寝耳に水。青天の霹靂。いや、そんな言葉で表せるものではない。目の前にいる男は一体何を言っているのだ。
「100年、いやそれ以上先の未来のために、今この瞬間、蛇蝎の如く嫌われる覚悟を持って歯を食いしばり、嫌いな相手でも利用し、大切な人でも大義を阻むなら追い落とす。その積み重ねで築いたものを、目先の情で壊されちゃ困る。そう言った」
自分が一体何をしたのだ。少なくとも目の前にいる男は兄を裏切り、街を乗っ取ろうとした人間と組んだ人物だ。悪党が自分の所業を棚に上げて、偉そうなことを言っている。アントネッラはそんな思いを言葉ではなく、視線でぶつける。
「その言い方、お父様や都のリマ大公が、『未来』のためなら今この瞬間を生きる人から嫌われようが、大切な人を追い落とそうが知ったことじゃないと言っているように聞こえますけど?」
「そうだよ。お父上たちがそれだけの覚悟を以て、長い時間を掛けて準備していることを、キミがぶち壊そうとしている」
アントネッラはハーランをテーブル越しに睨み付けた。
「はぁ? まるでお父様があなたと古い繋がりがあって、最初から組んでいたみたいな言い方じゃない?」
「その通りだよ。お父上の代からピルロと錬金協会は距離を取っていた、知っていたよね?」
「もちろん」
「それが1年前の、あの日のあれと言い、まったく」
ハーランが一瞬だけ、忌々しげな表情をしたのをアントネッラは見逃さない。
「兄上の努力が危うくブチ壊しになるところだった。どういうつもりだったんだか」
(1年前? どういうこと?)
アントネッラは感情を表情や仕草に出さないよう意識する。あの日のことを知っているのは、自分とアレッポ、そしてマイヨだけのはずだ。マイヨとハーランは明確な敵対関係だ。マイヨから漏れるはずがない。なら、誰から何を聞いたのだ。仮にハーランがアレッポから聞いたなら、何を聞いているのだ。だが、そこを考えるのは後回しだ。アントネッラは頭を切り替える。
「何なんですか? 逆ギレみたいに私が全部悪い、みたいに」
「そう言っている」
「ええ。私は確かに善人じゃありません。それは認めます。ですが、あなたの言い草だと、まるで私がお父様やお兄様の、ピルロを良くしたい気持ちまで否定しているとでも?」
「そうだよ。このままならキミは、『大公家の面汚し』だ。それどころか後世、キミは『恋で名君の改革を阻んだ悪女』呼ばわりだ」
そこまで言うとは何様なのだ。アントネッラはそれでも堪えた。今は感情を暴発させてはいけない。確かめなければいけないことがあるからこそ。
「キミや小悪党がかき回してくれたおかげで、危うく20年以上の努力が水の泡だ。炎上騒ぎのときは火消しのため出張るしかなかった。辛うじて最悪の結果を防いだと思ったら、キミがネズミの親玉にちょっと優しくされただけで……」
呆れた口調で言い放つハーランがさらに畳みかける。
「キミはたった今しがた、真実を見ただろう?」
「何が真実よ?」
「もう一度言う。ネズミの親玉と別れてほしい。兄上のたってのご希望だし」
兄は、ルカレッリはもう死んでいる。なのに何をワケがわからないことを言っているのか。そう。周年祭のときアレッポに殺されたのだ。
「『もう死んでいるのに、何言っているの?』って言いたいんだろうね。顔に出ている」
ハーランがクスッと笑った。アントネッラはハッとしたが、もう遅かった。
「いっそのこと、直接話したらどうかな? ちょっと力ずくではあったけど、俺はそのためにキミを呼んだわけだし。本物かどうか疑わしいなら、自分で直接確かめれば良いだけのことだ」
アントネッラは我が耳を疑った。ハーランの言葉は、口調と釣り合わないほど重い内容だ。
「ちょっと、待ってなさい」
ハーランが席を立ち、部屋の奥にある本棚の前に立った。アントネッラは先ほど壁の向こうで見たものに気を取られて、部屋のレイアウトをちゃんと見ていなかったことに気づく。テーブルと椅子だけではない。
(入口の扉がある方を背にして正面全部がさっきの、一瞬だけ壁の向こうが見えたところ)
アントネッラは部屋全体にサッと視線をやった。右奥に本棚があって、左側は全部大窓だ。位置を確認していると、いつの間にか、本棚の場所がずれていて、ぽっかり壁に穴が開いている。
(あの棚、隠し扉!)
そのとき、先ほど一瞬だけ見えていた、壁の向こうがもう一度、ガラス張りのようにハッキリと見えるようになった。
(部屋、家具とか皆、同じように並べてあったんだ!)
ハーランの姿も見える。それだけではない。先ほど向こう側で見たもうひとりも見える。しかも、立ち上がってハーランへと近寄っている。
ほどなくハーランが戻ってきた。後ろには先ほど見た、ジャケット姿の金髪の人物も立っている。
「うそっ……!」
アントネッラがその人物の顔を見て目を丸くして驚いたときだった。
「アントネッラ……ッ!」
トパーズブルーの瞳が美しい青年がハーランを軽く突き飛ばし、アントネッラへ駆け寄った。
「ま、しばらくごゆっくり」
青年に突き飛ばされたハーランは楽しそうに言い残し、部屋を出た。が、そんな言葉はアントネッラの耳に入らなかった。
アントネッラは、目の前に現れた、自分とそっくりの青年に困惑した。
改訂の上、再掲
228:【MORTE】新しい味方 2022/03/28 20:00
228:【STRADA】アントネッラ、ハーランと対峙する 2023/02/08 14:51