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018:【PELLE】デメリットなしの取引

前回までの「DYRA」----------

ペッレの宿屋にタヌを訪ねてきた来客。彼はクリストの兄でサルヴァトーレと名乗った。昨日、この宿屋を紹介してくれた少年の兄と知り、タヌは歓迎する。だが、DYRAは彼の顔を見るや──。

 口を塞がれた上、身体を密着させられたDYRAだが、男が危害を加える類のオーラをまったく放っていないことに気づくと、男をじっと見る。相変わらず睨むような鋭い視線ながらも、殺意をこめず、話を聞く、と伝えるように。

「大声を出すなよ?」

 男は今一度静粛を求めてから、彼女の口元から手を離した。

「結論から先に言う。錬金協会の奴ら、あのガキを殺しに来るぞ」

 寝耳に水、いや、青天の霹靂と言うべきか。どこをどうしたらそういう話になるのか。DYRAは耳を疑いつつ、視線で続きを促した。

「あのガキは錬金協会の副会長ご所望のものを隠し持っていると睨まれたんだ。もとはと言えばガキの親父がパクッたブツだ」

 男の言葉に、DYRAは合点がいったと言いたげな表情をする。

「そういうことか」

「何か知っていることがあるのか?」

 男が聞いたときだった。

「知っていても、お前に話す理由はない」

 DYRAの冷たい言葉に、男の眦が僅かだが上がる。

「ガキが狙われる理由はそれだけじゃない。キミも絡んでいる。それでも、か?」

 それは流れを変える言葉だった。そのとき、測ったようなタイミングで扉をノックする音が聞こえてくる。

「サルヴァトーレさん。お茶、持ってきましたよ」

 老婆の声だった。二人はハッとすると、男は鍵を解き、扉を開けた。

「お気遣いまで。すぐに終わるのに」

 サルヴァトーレとして応対し、熱い紅茶の入ったマグカップ二つが載った盆を受け取った。

「あら、そう。じゃ、タヌ君にも言っておくわ」

 老婆が笑顔で扉を閉めた。

 足音が小さくなっていくのがわかると、施錠してから二人は話を続ける。



     Ⅷ


「どういう意味だ?」

 目の前の男とは、本当なら悠長にこんな話をする関係ではないはずだ。ただ、今は内容の性質上、ことを構えるわけにいかない上、子細如何では考える必要がある。だからこそ話を聞いているだけだ。DYRAは口にこそしないものの、態度を隠さない。

「時間がないので詳しい説明は割愛するが、私と出会って以来、キミが美しいからだ」

 質問と答えがまるで噛み合っていない。説明にもなっていない。DYRAはそんな気持ちをぶつけるように男を睨みつける。だが、男は意にも介さずに続ける。

「鈍いな。わからないのか。キミの身体も『被験体』として狙われていると言っている。それ絡みを研究テーマにしているのがガキの親父で、キミはそれで目をつけられた」

 タヌから、彼の両親が研究者らしいことを聞いていたが、よもやこんな形で絡んでくることになろうとは。DYRAはどうしたものかと考えこむ。

「そうだ。ついでに。キミ絡みで言えば、もう一つ」

 男は笑顔を見せる。

「……キミはどうして昨日の夜、あそこへ行った?」

 DYRAは言葉に窮した。何であれ答えてしまえば、目の前の男を追う理由が実はわかっていない上に、自分の記憶があやふやであることも見破られてしまう。沈黙を回答に代えることしかできなかった。だが、男は彼女が答えられないことを最初からわかっていたからか、構わず質問を続ける。

「では、その耳飾りを覚えている(・・・・・)か?」

 知らないし、それはお前が填めていったものだ。こちらが聞きたいくらいだ。そんな言葉が喉のところまで出掛かったが、ぐっと呑み込む。いつの間にか耳にあることに気づいたとき、外す方に違和感を抱いたのもまた事実だからだ。

「『答えられない』? それとも」

 男はわざとらしいくらい一呼吸置いた。

「……『わからない』、かな?」

 露骨な上から目線の物言いに、DYRAの中で不快感がわき上がる。しかし、ここで乗せられてはいけない。ただただ堪えた。

「DYRA。怖い顔をしないでおくれ。ここは取引といかないか?」

「何だと?」

 何故取引をする必要があるのか。だが、今はこれを口にしてはいけない。タヌに危険が迫っている上、原因が自分にもあると言われてしまったのだ。

「私とキミの一三〇〇年を越える『特別かつ濃密な関係』に愚民共が茶々を入れてくることを私は望まない。この関係は二人だけのものだ」

「一三四〇年だ」

 数字の修正に男は頷くと、DYRAの頭を撫でた。

「記憶があやふやでも、そこは覚えていてくれた、か。修正ありがとう。本題に戻るが、キミが私の正体をあのガキに明かさない限り、私はガキに手を下さない」

 図星を突く一言に、DYRAはすぐさま反論する。

「は? 錬金協会はタヌを狙っているんだろう? お前が狙わなくても、同じことじゃないか」

「おいおい。落ち着いて考えろ。もし私がガキを殺すつもりなら、今頃とっくにこの宿屋は血の海だ。それに……」

 男は指先でDYRAの唇から首筋、鎖骨のあたりまでをそっと撫でる。

「私は今、とても嫉妬している。可愛いキミが私以外の男に目を向けてつまらない寄り道をしていたと知って。それでも『手を下さない』と言っているんだ」

 その言葉で、DYRAはようやく言いたいことがわかってくる。

「つまり、タヌの前ではその、サルヴァトーレとかいうふざけた姿でいると?」

 男は子どものようにニッコリ笑って頷いた。

「いさせてくれるなら、手を下さない」

 タヌ絡みのことはいったんわかった。が、それは納得したという意味ではない。

「どういうつもり、いや、何を考えている?」

 その質問を待っていたとばかりに男は答える。

「キミが何も覚えていない状態で対峙して、何が面白い? それに、こちらにも思うところがある。飛び入りで手を貸す方がよっぽど楽しく過ごせそうだからな」

 DYRAにしてみれば正直、この男と行動を共にするくらいなら、成り行きで一緒にいるだけのタヌを切り捨てる方がマシだ。事実、それが一番手っ取り早いし、選択肢として負担も軽い。しかし、聞かされた話は吟味する価値がある。男の言い草こそ実に腹立たしいものの、その内容を受け容れる分には、タヌにデメリットが何一つない。DYRA自身もRAAZ個人と錬金協会をまとめて捌かなければならない状況を回避できる。加えて、錬金協会の頂点に君臨する男とその組織とで思惑が違うとわかったことは、それ自体が貴重な情報だ。

 では、とDYRAは切り出した。

「こちらも条件がある」

「ん?」

「お前の正体を言うなと言ったように、私についてタヌに話すなと言っておく」

「ま、妥当だな」

 男は頷いた。

「もう一つ」

「聞くだけなら聞く、と言いたいが」

 DYRAの言葉を遮った男は、指先で彼女の右耳に填められた耳飾りに触れてから、彼女の耳元でそっと囁く。

「キミの記憶に関することなら、誰にもどうにもできん」

 こうは言ったが、男は場の空気をもたせるため、補足を怠らない。

「そうだ。せっかくだからガキ回りのことで、手掛かりになる話を一つ、やろう。……ガキを狙う問題の副会長の名前はイスラ。奴は永遠の若さと命を欲しがる、腐れ魔導師みたいな奴だ」

 聞きながら、あることがDYRAの中で腑に落ちた。以前タヌから聞いた、レアリ村に火をつけた連中が口にしたという、「御館様のお相手に手を出した」云々のくだりだ。この御館様なる存在はRAAZではなく、副会長のイスラのことではないか、と。これなら辻褄が合う。

「まぁ、そういうわけだ。では」

 DYRAから離れて、改めて男が切り出す。

「取引は成立、でいいかな」

「タヌに協会の組織だった危害が及ぶ心配がなくなるまで、だ」

 返事を聞きながら、男は紅茶の入ったマグカップ二つを手に取って一つをDYRAへ渡した。

「もともと敵じゃないから休戦協定のつもりはない。でも、キミがそう思うならそれでいい。決まりだ」

 男はDYRAの手にしたマグカップに自身のマグカップを軽く当ててから、彼女に向かってウィンクしてみせた。

「RAAZ」

「今は『サルヴァトーレ』だ」

 煉瓦色の髪で変装しているときはそう呼べと解釈したDYRAが渋々納得すると言いたげな表情をしたときだった。

「はーい。採寸はおしまい」

 男は扉の向こうに聞こえるように大きな声で言ってから、解錠し、扉を開けた。その表情はサルヴァトーレを名乗る、朗らかな男のものだった。

「あらあら。終わったんですか」

 老婆が近寄ろうとしたとき、サルヴァトーレが軽く制止する。

「ああ、ノンナ(おばあさん)。タヌ君に、自分の鞄を持ってきてもらうよう頼んでもらっていいですか?」

 その声が聞こえたのか、老婆が返事をするより早く、タヌが白い四角い鞄を持って部屋の前まで来た。サルヴァトーレが受け取ると、部屋の中にいるDYRAへ鞄を差し出した。

「お姉様の服。いったん間に合わせで申し訳ないけど、これ。もともとは都でお披露目するため作ったものの試作だけど、多分サイズは合うかと。次にお会いするときまでにちゃんと良いのを作ります。それでサイズ確認も兼ねて、今着ている服を全部鞄に入れて、自分に預けてもらっていいですか」

「中、見ていいですか?」

 タヌが興味津々と言いたげに割って入ると、サルヴァトーレはタヌの背中を軽く押して、宿屋の入口近く、老婆の指定席である帳場の方へ追いやった。

「お姉様でも着替えるところを見るのはまずいでしょ?」

 サルヴァトーレはDYRAを残して部屋の扉を閉めた。

(あの鞄……)

 見たことがある。タヌがそれに気づいたことを、サルヴァトーレは知る由もなかった。

 DYRAは部屋で一人になると、早速鞄を開けた。中には服一式が揃っていた。総シルクの肌着類、フリルカラーの白い袖なしブラウス、お洒落ながら、二の腕まである長さのロンググローブ。そしてハイウエストで深めのスリットが入った、アシンメトリーなデザインのロングスカートと、外套。この三点はサファイアブルーで統一されている。それにエナメルと革でアクセントのついたレースアップのロングブーツ。ヒールも高めながら太いのが良い。おまけにブラウスのボタンまでもがサファイア製。今までの服もかなり仕立ての良いものだったが、目の前のものは文字通りの最高級品。服だけではない。懐中時計も入っている。外装がすべてピンクゴールド製。サファイアがあしらわれた竜頭を兼ねた開閉ボタンが美しい。文字盤は一二個のポイントのうち一番上のみがルビー、他の一一個はサファイア製。文字盤の下三分の一には昼夜表示機能もある。昨日、郵便馬車の御者から受け取ったものなど比べものにならない。こちらは素人が見ても最高級品だとわかる。

(『全部代えろ』ということか)

 ポシェットのようにも使える小さなバッグもひと目で品質のほどがわかる。中にはアウレウス金貨九五枚。

 だが、彼女の目を最も引いたのはそれらではなかった。

(これは?)

 茶色の紙の封筒だった。中を開けてみると、思わぬものが顔を出した。

 花のエンボスが施されたカードだった。

(何だ⁉)

 過去に受け取ったような白いカードではない。酸か何かが掛けられたのか、真っ黒に変色していた。

 よく見ると茶封筒にはもう一枚、別のカードが入っている。こちらにはエンボスこそないものの最高品質の紙を使っており、今までとは比較にならない手触りだ。取り出して目を通す。


  Non andare a Francesco.


(フランチェスコへ行くな、か)


 変色した方のカードをもう一度見る。よく見ると、


  Francesco


 と書かれているのが辛うじてわかる。

 ここでDYRAはあることに気づいた。

(そういえば)

 カードが二通ある状況は以前にもあったではないか。タヌと初めて出会ったレアリ村へ行ったときだ。あのときはどちらのカードにも同じ場所が書いてあった。だが、今回は正反対のことが書いてある。何を意味しているのか。

(想像の域を出ないが)

 先ほどの話と併せて考えれば、それなりの仮説らしいものになる。二つの勢力が存在し、それぞれ自分に接触してきているのではないか、と。

 それにしても、誰が自分に服や資金を出していたのか。思い返せば、今まで考えたこともなかった。いや、そもそもどうしてそれを考えなかったのか。今しがた受け取った鞄の中身は、これまで受け取っていたものと似て非なるものだ。だとすれば今ここにあるものはあの男、つまりRAAZから渡されたものとなる。あろうことか、自分が殺そうと付け狙っている相手から受け取ったことに他ならない。傍から見てこんなバカげた話があるものか。

 では誰が、これまで諸々提供してきたのか。

 自分がどこにいても何故か正確に位置を把握できる。そんなことができる規模の情報網を持った組織など、それこそ錬金協会くらいだ。

 RAAZの息が掛かった組織でありながら、彼の思惑と違う動きをする存在がある。それがわかった時点で、答えは「お察し」だ。ただ、それを単純な正解として片付けていいのかは甚だ疑問の余地が残るが。

 考えるのを止め、DYRAは着替えを済ませると、今まで着ていた方の服の中で肌着類のみ包むように畳んでゴミ箱に捨て、それ以外を鞄に入れた。

 準備を終えると、鞄を持って部屋の扉を開け、帳場へと向かう。

「まぁ! まぁ!」

 歓声を上げたのは老婆だった。

「とっても似合っているわよ」

 サファイアブルーの外套には裾などの随所にさりげなく淡いチェリーピンクのパイピングが施されており、それまでの黒い外套姿から一転、華やかな雰囲気になっていた。

「まるで最初からお嬢さんが着ると知っていたみたい」

 その言葉でタヌもハッとする。

「確かに……」

 二人の感想に、サルヴァトーレは「まさか」と言って笑顔で首を振る。

「お披露目で服を着る役の人は皆、女性にしては背が高いですから」

 キリがいいとばかりにサルヴァトーレは改めて、切り出す。

「それじゃ、昼食、行きましょうか」

「行ってらっしゃい。タヌ君、お嬢さん、道中気をつけてね」

 老婆の言葉に送られて、三人は宿屋を出た。最後に出るタヌが老婆に改めて頭を下げる。

「本当にお世話になりました。ありがとうございます」

「近くへ寄ることがあったら、またいらっしゃい」

「はい」

「そうそう。サルヴァトーレさん、相当お姉さんのこと気に入ったみたいね」

 タヌもそれは何となくわかっていた。

「帳場越しに六〇年近くあの人を見てきたけど、あんなこぼれるような笑顔の彼は初めて見たもの。仲良くね」

 宿屋を出て、扉を閉めてから、タヌは老婆が最後にとんでもない内容を口にしたことを知る。

(六〇年⁉)

 六年の間違いではないのか。だが、老婆が嘘を言っているようには見えない。実際、昨日からこの方何度か老婆と言葉を交わしたが、呆けているような感じは微塵もなかった。

 しかし、タヌの思考は扉を閉めて通りの方に視界がいった瞬間、文字通り吹っ飛んだ。

 三人は宿屋の入口の前で、黒い外套姿の三人組に取り囲まれた。


改訂の上、再掲

018:【PELLE】デメリットなしの取引2024/07/23 22:33

018:【PELLE】デメリットなしの取引2023/01/04 21:03

018:【PELLE】もうひとつの顔(5)2018/09/09 13:19

CHAPTER 18 ほろ甘い密約2017/02/06 23:00

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