172:【DeSCIGLIO】オジサンとオニーサン
前回までの「DYRA」----------
DYRAとタヌは井戸の下に広がる地下道を通り、村を出た。ずっと歩き続けるうち、ようやく出口が見えてくる。ハシゴを上がって外へ出ると、そこはかつて、タヌが立ち寄った「ルガーニ村」だった。ふたりはそこでキリアンと再会する。彼は彼で、何やら意味深な話を持ってきた。
「純粋な志がある人間は、嫌いじゃないよ?」
デシリオの最大の港、ハムシク港。
交易船の停泊所から少し離れたところに1隻の白い小型帆船が碇を降ろしている。その船の前にはふたりの男が立っていた。ひとりは金髪の若い男で、もうひとりは彼より年上だとひと目でわかる、一眼型の色付き眼鏡を掛けた髭面の男。そう。ディミトリとハーランだ。ふたりはピルロを脱出した後、一度散会し、日を改めてここで会っていた。他に人影がないこの場所で、ふたりの男はグレーダイヤモンドのような色になった空の下で談笑している。
「いやさ、まさかこんなところに連れて行かれるとは思わなかった」
「そう言わないでくれよ。これでも私だって、キミたちの世界を少しずつでも知りたいし、上手くやって行きたいんだよ? 秘密のお話をするなら、キミたちの組織の網が甘いところが良い。だからここにしたんだ」
ハーランが言いながら、シャツの胸ポケットから小さな箱を取り出す。箱の中から紙巻きタバコを1本取り出して口に咥えた。
「火、持っているかな?」
「あ、ああ」
ディミトリはマッチを取り出すと、ハーランのタバコに火を点けた。
「ありがとう。それにしても」
ハーランがタバコを燻らせながら切り出す。
「キミたちの世界は本当に面白い世界だなぁ」
「え?」
「そのマッチ、どこで?」
まさかそんな質問をされると思わなかったディミトリは、不思議そうな顔でハーランを見てから答える。
「これは協会で配られている。普及させたいけど、まだ、数が作れない」
「おいおい冗談だろう?」
ハーランがタバコを咥えるのを止めると楽しそうに笑い出す。
「あのピルロとか言う街は、私が来る前は火打ち石を使っていたよ。今キミが使ったのは、摩擦マッチだ。それも硫化燐マッチ」
硫化燐マッチ。それはそれなりに進んだ文明ならどこにもある、飲食店や歓楽施設などでタダ配りするほどありふれた平凡なマッチだ。
「誰がどうやって作っているって?」
ハーランが言葉を続ける。
「黄燐を使いこなしている様子があるとも思えぬ文明で、一足飛びに硫化燐マッチ。おかしいに決まっているさ」
ディミトリは返す言葉が浮かばない。そもそも、黄燐だの硫化燐が何ものかわからない。
「キミらは黒色火薬も使えている。その辺は、すぐできるようになるさ」
ここまで聞いたところで、ディミトリは憑かれたように言葉を発する。
「な、なぁ! すげぇバカっぽい質問しちまうけど」
「良いとも。答えられる限り」
笑顔で即答したハーランに、ディミトリは間髪入れず言葉を続ける。
「すぐできるように、って言ったけど、誰でも使えるようになるってことか?」
「そうだよ? 俺たちの時代じゃ、タダでその辺に転がっていた。それにしてもキミたちの文明は見た感じ、歪だなぁ。小さなものだったらそこそこできるのに、それをそっくり大きくしたものは全然進んでいる感じがしない」
タバコを燻らせながら、柔和な表情で話すハーランに、ディミトリは詳しく聞かせてほしいと子どものように目を輝かせる。
「まず、資源採掘のノウハウが必要、か。そしてそれを加工する技術、そして大物の測量技術か。欲しいなら……」
ハーランが思わせぶりに言葉を止める。
「やぶさかじゃないよ?」
「新しいものを『いらない』なんて、言うわけないだろっ!?」
「んー? 若者はそう来なくちゃ」
ほとんどフィルター部分だけになってしまったタバコを携帯用灰皿に収めながらハーランが嬉しそうに頷く。ディミトリは彼が嗜んでいたタバコにも興味を示していた。
「トウモロコシの葉で巻いているんじゃないのか?」
「は?」
あまりにも思わぬ言葉だったからか、奇声にも似た声でハーランが驚きを露わにする。ディミトリもディミトリで、そんな反応に、じゃあ麻の布や木から一体どうやってタバコの葉を巻くものを作るのだと困惑の表情を見せた。
「キミたち、パルプの技術がないのか?」
「パルプ? 何だそりゃ?」
目を丸くしてハーランを見つめるディミトリ。
「おやおや。色々教えてあげられることが多そうだ。と言うより、教え甲斐があるってとこか」
教え甲斐。
この一言に、ディミトリはハーランと接触して良かったと心から思った。彼ならきっと、会長などが開示や教授を嫌がっていたものも含め、人々に役立つものならと、『文明の遺産』を嫌な顔ひとつせずにきっと与えてくれるに違いない、とも。
「なぁ。アンタは何がしたいんだ? 何が欲しいんだ?」
「アンタはひどいなぁ」
ハーランが苦笑しながら告げる。ディミトリは前のめりになってタメ口を叩いたことを反省する。
「あっ……えっと、あー、何て呼べば?」
「いやぁ、オジサンで良いよ? 敬語を使われ続けるのも何だし、キミに教えてもらったり、助けられたりすることもあるだろうからね。オニーサン」
「お、おう」
アンタ呼ばわりされたのに怒ったりすることもない、それどころか気さくに応えるハーラン。ディミトリは彼の寛大さに感謝せずにいられなかった。
「オニーサン。お互いにあまり聞かれたくない、込み入った話もしたいなぁ。良かったら、船の中で話さないか?」
「え? あの船、オッサンの船だったの?」
「ああ。こっそり手に入れて改造していた」
ハーランが懐から携帯用灰皿を取り出してタバコの吸い殻を収めると、船の方へ歩き出した。船のそばまで行ったところで、一緒に来るようディミトリに手招きした。
「え?」
ディミトリは懐いた子犬よろしく、足早にハーランの後を追い、船に乗り込んだ。
「え? 船員いないの?」
「ははは。いらないよ。密談のスペースだし、出掛けてもせいぜいすぐそこまでだから、操舵だけならひとりでできる」
秘密サロンのようなところなら確かに、あるだけで良いのだから、船員はいらない。その説明は合理的だなとディミトリは納得した。
ふたりを乗せた船が静かに動き出した。
「ところでさ」
船が沖合に出たところで、ディミトリはハーランへ話し掛けた。
「オッサン、どうやって生きてきたんだ?」
「そうか。彼からは聞いてなかったのか」
「何も」
ハーランが困ったとも小馬鹿にするともどちらにも見えるような表情で苦笑すると、ディミトリは拗ねた子どものような表情で言い返した。
「そっかそっか。じゃ、色々話すついでだ。一回り、遊覧航海しようか」
聞いた途端、ディミトリは本能的に嫌な予感を抱いた。まさか、洋上でいきなり突き落とされでもしたらどうしたものか。そんなことを思ったときだった。
「オニーサン、大丈夫だ。せっかく仲良くなれそうなんだ。海に突き落とすなんてしないよ」
完全に見透かされている。いや、足下を見られている。ディミトリは僅かに引き攣った笑顔を見せつつ、内心、一層警戒心を強める。
「それに、言っただろう? 『純粋な志がある人間は、嫌いじゃない』よって」
「聞いた」
「それにキミは、錬金協会だっけか? 実はあそこの連中が意外に保守的なのを嫌っていて、本心では『文明の遺産』をもっと色々見つけて使いたいんだろう?」
「もっと『善く』使いたいんだ」
「ならお力になれると思うよ。それにはまず、RAAZの正体を知っておいた方が良いかもね」
RAAZの正体。
この一言を聞いたとき、ディミトリは、高鳴る鼓動を抑えることができなかった。
「聞きたいけど、な、なぁ。どこまで行くんだよ?」
「そろそろ、良いかな」
ハーランの言葉に合わせるように、船が速度を落とす。
「海の真ん中じゃねーか」
「いやいや。見たまえよ」
ハーランが船首の先に広がる海の一角を指差した。ディミトリは目を凝らして見つめる。
「ちっちゃいけど、島みたいなのが見える? いや、岩山? 何だあれ」
ディミトリの視界の先にあったのは、岩礁らしきものだった。
「あの辺で話をしようか」
ディミトリは気持ち、心臓をドキドキさせながらハーランを見つめた。
(イスラ様はもしかして、俺とオッサンがこういう流れになるってわかっていたのか)
ディミトリの印象では、少なくともハーランが非道を働く人間には見えなかった。彼がピルロに技術を与えたとき、理不尽な見返りを提供した様子もない。それどころか、街を容赦なく焼いたのは会長だ。
(そうだ。あのオッサン、会長の正体を、って言っていた)
ディミトリは、一緒にここまでついてきた目的を思い出すと、気持ちを引き締め直す。はしゃいだり浮き足だって、大切な事象を見落としたり漏らしてはいけない。
ほどなくして、船が停まった。振り返ってみると、視界の先に豆粒のようではあるが、辛うじてデシリオの街や港が見える。
そのとき、大きめの鉄らしき筒を手にしたハーランがディミトリへコーヒーを勧めた。ハーランから差し出されたカップを見るなり、ディミトリは思わず声を上げる。
「何だこれ!?」
「何? って、コーヒーだよ。キミたちも飲むだろう?」
「いや、そうじゃねぇ。この入れ物だ!」
紙でできているものに液体を入れれば濡れて紙が使いものにならなくなるはずだ。
「ピルロではパラフィンを部分的に提供した。もちろん、技術そのものは石油を掘る技術がないから、何も教えていないがね」
「パラフィン? 石油?」
「ああ。石油は化石燃料だ。キミたちの文明も、あれを掘れるようになったら劇的に変わる。パラフィンを含め色々な加工ができて使い道が多い。その辺もおいおい教えることになる」
次から次へと出てくる新しいもの。ディミトリはそれらに知的好奇心をかき立てられずにはいられなかった。
「冷める前に」
ハーランに言われて、ディミトリはカップを受け取った。カップは厚めの紙でできているが、やはり紙。指先に熱さが適度に伝わってくる。
「あ、ああ。どうも」
カップを受け取ったディミトリはハーランが美味しそうに飲んでいる様子を見ると、何の変哲もないコーヒーなのだろうと思いながら、カップを口元へ運んだ。
(コーヒーは、フツーの奴なんだな)
ディミトリはコーヒーを流し込むように飲んだ。
「オニーサン。なぁ、錬金協会だっけ? あそこは、何をすることになっているんだ?」
ハーランが笑いながら2杯目のコーヒーをポットからカップへ注ぐ。もちろん、ディミトリのカップにも。このとき、ディミトリはハーランが使っている水筒に目を留めた。冷静に思い返せば、コーヒーは湯気が立っている上、水筒の内側からは見たこともない輝きが見える。ディミトリは知らないが、ハーランが使っているのはステンレス製の保温水筒だった。
改訂の上、再掲
172:【DeSCIGLIO】「選択」を迫る街へ 2020/11/30 20:00
172:【DeSCIGLIO】オジサンとオニーサン 2023/02/07 13:21
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無事に「文フリ東京」も「コミティア134」も終わり、年末になろうとしています。新型コロナ再爆発の中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回もお読み下さり、心から感謝いたします。ありがとうございます。
ブックマークしてもらえたり、感想とかいただけると作者はとても喜びます。多分踊り出します!
DYRAとタヌは、タヌの父親の手掛かりを求めてキリアンと共にデシリオへ向かっていますが、RAAZとハーランにそれぞれ動きが出てきています。
12月の展開はもう、大荒れの予感しかありません。
次回の更新ですが──。
12月7日(月)予定です!
日程は詳しくはtwitterでお伝えします。よろしくお願いいたします。
次回も是非、お楽しみに!
愛と感謝を込めて
☆最新話更新は、「pixiv」の方が12時間ばかり、早くなっております☆