153:【Pirlo】15日を待たずして、DYRAが目を覚ます
前回までの「DYRA」----------
ハーランと遭遇し、悪魔の取引を断ったマイヨ。街へ戻るとディミトリを発見。彼が『文明の遺産』に前のめりになる様子に、残酷で厳しく、辛辣な忠告の言葉を浴びせた。
「……ここは? どこだ?」
ピルロで慌ただしい夜の時間が流れていた頃、床も壁も天井も真っ白な空間で、DYRAは目を覚ました。だがそこは、円筒形の容器の中ではなく、素っ気ないベッドの上だった。記憶が確かなら、あの容器で眠ってしまったはずだ。DYRAはあれこれ記憶の糸をたどった。
「良く眠っていたな」
聞き覚えのある男の声が聞こえた。DYRAは上半身を起こし、あたりを見る。ベッドから少し離れた場所で背もたれのない丸椅子に座っているRAAZの姿があった。赤い外套を着ておらず、淡い色の襯衣に焦茶色の細身のパンツ姿だ。手には本一冊と同じくらいの大きさのガラスの板らしきものを持っており、時折視線を落としていた。
「夢を見ていた」
藪から棒に切り出したDYRAに、RAAZは興味深そうに視線を向ける。
「どんな?」
「おかしな夢だった」
「おかしな?」
「ああ。……お前と一緒に、どこかで食事をする夢だった」
DYRAは怪訝そうな表情で言う。だが、RAAZはあまりにも平凡な内容に拍子抜けする。
「そのどこが『おかしな夢』なんだ?」
不機嫌とも不満とも取れる口調でのRAAZの質問に対し、DYRAは淡々と答える。
「ナイフやフォークがたくさん並んでいるんだが、私は使い方がわからなくて、それで……」
DYRAが話す夢の内容に、RAAZは僅かに目を見開いた。
「ポサーテが使えない、と?」
素知らぬ顔で言ったが、内心、RAAZはDYRAが話した内容に戸惑っていた。
(覚えているのか……!?)
「おかしな夢だろう?」
「だが、夢は夢だ。キミは問題なく食事もできるじゃないか。気にするな」
RAAZはそう言うと、浴室の扉を指差した。
「多少は歩けるようなら、風呂でも入っておけ。着替えを持ってきておいてやる」
RAAZはガラス板らしきものを手にしたまま立つと、近くの扉から部屋を出た。
廊下へ出ると、RAAZは天井を仰ぎ見ながらクローゼットのある部屋へと歩き出した。DYRAと出会ってから初めて二人で街へ出た日のことを思い出しながら。
仕立ての良い白金色のワンピースに身を包んだ、藍色混じりの黒髪と青白い肌、それに金色の瞳が印象的な女性は、身体を僅かに震わせていた。今にも泣きそうな表情で顔の筋肉を硬直させ、何かに怯えているようだった。彼女が座る席の正面テーブルには皿が重ねて置かれており、テーブルナプキンが花のように見事に添えられていた。皿の両脇には大きさの異なるフォークとナイフが四組置かれ、さらにテーブル中央部にはデザートスプーンも置かれている。
そこは、高級な食堂の、一番奥まった場所の席だった。少し離れた席にいる客たちが時折、ちらり、ちらりと震える女性の様子を覗き見ていた。
震える女性の真向かいに座っていた、ガーネット色のシャツに濃いグレーの細身のパンツ姿をした銀髪の男は苛立っていた。原因は彼女ではない。彼女や自身の背中に刺さる無数の好奇の視線だ。
(愚民共が)
RAAZは何かを思い立つと、テーブルに置いてあった真鍮製の小さな鐘で給仕を呼んだ。
給仕が脇に立つと、RAAZは小声で、だが、不快感を隠さぬ口調で告げる。
「彼女は見世物ではない」
「あっ……えっ」
予期せぬ言葉だったのか、給仕がおろおろした。そんな様子を見かねたのか、金髪をオールバックにして、後頭部のあたりでお団子のようにまとめている中年の男が厨房の奥から早足で姿を見せた。この食堂の支配人だ。
「如何されましたか」
「彼女は晒しものではないと言っている」
RAAZの言葉が何を意味するのか把握できぬ支配人が、おそるおそる向かい側の席で怯えた様子の女性客へ切り出す。
「ご婦人。何かお困りでいらっしゃいますか?」
支配人が立ったまま、見下ろすような態勢で質問してきたことに対し、女性は一層震え出し、目に大粒の涙を浮かべる。
「客の、好奇の視線に晒されていることに、彼女は怯えているんだ」
明らかに状況を把握していない支配人からの無神経な質問に、RAAZは自らの中でこみ上がってくる怒りを抑えつつ、棒読みのように事務的に伝えた。
「お客様」
支配人が身を屈めてから、RAAZの耳元で告げる。
「無理からぬことでございます。お連れ様は、お姿が似すぎてい……」
面倒事になるのは当然とばかりに支配人が言い放った言葉。だが、最後まで続くことはなかった。
「もう一度だけ言う。彼女は見世物でも晒しものでもない」
RAAZは彼女の方を見つめたまま給仕のベストのポケットへ金貨をねじ込むと、有無を言わせぬ響きを込めて告げた。
それからほどなく、二人の席と他の席を隔てるように、圧迫感を抱かせない洒落た作りの衝立が用意された。
「もう、大丈夫だ。何も怖くない」
この後、RAAZは席を立って彼女の傍らに立つと、幼い子どもを相手にするように、丁寧に食事のマナーを教え始めた。
「少しずつ教える。だから、ゆっくり覚えていけば良い。今のキミはDYRA。もう、私と出会う前のキミじゃない」
目に涙を溜めたまま、女はどこか自信なさげに小さく頷いた。
(まさか、そんな形で覚えていてくれたなんて)
クローゼットのある部屋から出て、来た廊下を戻るRAAZの手にはガラス板のようなものの他に、DYRAの服や靴など一式があった。
「タヌはマイヨとピルロにいる、確かそう言ったな」
着替えを済ませたDYRAはRAAZに問うた。左脚が完全に回復していないせいか、時折、僅かであるが、ふらつきそうになる。
「ああ。言った。だが、今どうしているかは知らん。上手くやっているかも知れないし、もしかしたら、最悪の危機に陥っているかも知れない」
最悪の危機、などと聞いて穏やかでいられるわけがない。DYRAはRAAZを軽く睨み付ける。
「危機なら、今すぐ助けに行く」
「その足で」
「動けるなら、何とかなる」
「笑わせるな。六日前、ガキを庇った後さらに私を守ろうとしたとき、回復一つしようとしなかったキミが一体、何を言っている?」
RAAZの指摘がDYRAの心に鋭く突き刺さる。
「あの場で回復させれば今のようにはならなかった」
DYRAは言葉を選びながら反論する。
「だが、それをやってしまえば、あの地は砂になったかも知れない。マイヨがタヌへ言ったように、山の向こうの街まで」
「バカバカしい」
DYRAの言い分はRAAZに一蹴された。
「ISLAは、山の向こうの街、平たく言えばピルロに用があるから面倒を起こしてほしくなかっただけだ。キミより愚民を選んだってことだ」
「何だと?」
DYRAは眦を上げる。
「いい機会だ。キミにも教えておく」
RAAZはここで、それまでずっと手にしていたガラス板らしきものをDYRAの眼前に突き付けるようにかざす。
「何だ、この板は?」
初めて見るものを前にDYRAは目を見開く。板の向こうにRAAZの姿が見えるものの、まるで板の内側に線で描いた地図が挟まっているようだ。
「見ろ」
「なっ……何だ!?」
それまで透明だった板が一瞬にして透明ではなくなった。黒地に白い線で地図のような線や紋様がハッキリと見えるようになる。その板は、RAAZたちの時代では当たり前のように存在した、画面を触って操作できる薄型の情報処理端末だった。もちろん、DYRAはその存在そのものがわからないので、それが何なのかすら理解できない。
「あのネスタ山とか言う山は、もともと存在していた山じゃないと言っている」
「は?」
鋭い口調で、気持ちまくし立てるように話すRAAZの言葉をDYRAは理解できず、困惑した。
「こんなことは永遠にキミに話す必要のないことだと思っていた。だが、すべての状況が変わってしまった。悔しいが私はそれを認める」
この一言でDYRAは朧気ながらRAAZの言わんとすることを把握し始める。
「……ハーラン、か」
「ああそうだ」
「ハーランが山を作った、とでも言うのか?」
「違う。だが、奴が山の下にあるものを探していることは間違いない」
山の下にあるもの、とはどういうことなのか。宝物の類でも埋まっているなら探す範囲があまりにも広すぎないか。DYRAはそれを指摘しようとするが、RAAZが言いたいことを言い終わっていないのが表情からハッキリわかったため、少しうつむくだけに留める。
「例のものと、その他にガキの父親の死体も探しているかも知れないな」
「何だと!?」
DYRAは驚きに僅かならも怒気を乗せて言葉にしてしまった。RAAZがガラスの板らしきものをかざすのを止めると、今一度、言い切る。
「もう一度言う。ハーランが現れたことで、すべての状況が、いや、前提が変わった」
「わかるように言ってくれ」
「今、キミが理解するべき事実は三つ」
一転、諭すような口調でRAAZが続ける。
「まず一つ目。キミが『それでもガキと一緒にガキの父親捜しをする』なら、ハーランとの対決は避けられない。そして勝つためにキミはもう、綺麗事も言っていられないし、手段も選べない。相手は邪魔な人間をたとえ赤子でも涼しい顔で殺すケダモノだからな」
「それは、お前もだろう?」
「違う」
RAAZが先ほどまでと同様の鋭い、攻撃的とも取れる言い方で即答した。DYRAは「どこが」と言いそうになるが、喉のところで言葉を堪えた。
「私は復讐だが、奴は『正義』の名の下で殺す」
「復讐? マイヨへ復讐するためか? お前のその、死んだ女の件で」
「ミレディアの件はそうだが、ISLA個人が相手じゃない。そこは、キミと同じだ」
「私が同じだと?」
DYRAがなおも食い下がろうとしたが、それはできなかった。
「……二つ目」
また、少し前までの柔らかい口調でRAAZが続ける。
「ガキの父親のことだ。今、キミに必要なことを伝えておく」
「……お前が何か知っていることは気づいていた。だが敢えて私も聞かなかった」
タヌの父親のことで、RAAZが知っていることを明かすという。これは一言たりとも漏らさず聞かなければとDYRAは意識を集中する。
「ガキの父親はその昔、錬金協会の連中とつるんでISLAを覚醒させたらしい」
RAAZの思わぬ切り出しに、DYRAは一瞬だけぎょっとした表情をしてみせるが、すぐさま何事もなかったようなそれに戻る。
「と言っても、ISLAの言い分と突き合わせると生体端末の方だがな」
「待て。そもそもセータイタンマツとかいうのは、マイヨの身代わりみたいなものなのか?」
そこを説明しなければならないのかとでも言いたげなRAAZの表情を、DYRAは見逃していない。
「身代わりと言うより、目と耳の代わりをする別個体だ」
「人形みたいなものか」
DYRAの問いに、RAAZはすぐさま首を横に振った。
「この文明の連中はもちろん、キミのいた文明でも信じられないことだろうが……生体端末は見たもの聞いたものを、制御本体に送り込むことができる。今までの流れでわかりやすく説明すれば、アレーシとかいう端末や、ピルロのあの小間使いの姿をした奴が見たもの聞いたものはすべてISLAに伝わる、そういう役割を果たすための存在だ」
わかったような、わからないような。DYRAは疑問を表情に出す。だが、RAAZは続ける。
「キミが言うような人形ではない。むしろあれはクローニングで起こした……わかるように言えば、たまたま同じ姿の人間だった、と言った方がしっくりくるか」
「つまり……何だ、ええと、同じ姿の別の人間が見たもの聞いたものなのに、いつの間にかマイヨに、さも自分が見たように聞いたように正確に伝わる、そういう仕掛けなのか?」
「そんなところだな。ま、ISLAが言うには、自分と同じ姿ではないタイプもあるそうだ」
RAAZはここまで答えたところで、「本題に戻るぞ」と告げてから、話を続ける。
「ガキの父親に何があったか知らんが、ヤツは私から盗んだ『鍵』を隠した。最初は使い道も、使い方も知らない『鍵』を盗み出したところで、この文明の奴らには何もできやしないと私もタカを括っていた。ISLAが後ろについていたところで、どうすることもできない。そう、ISLAは『鍵』のことを漠然と知っているが、細かいことは知らないからな」
「マイヨがそれを使うと何ができる?」
「今の段階でキミが知る必要はない」
「質問を変える。ハーランにそれが渡ったらまずいものなのか?」
「ミレディアが残したもので、奴に渡して良いものなど、何もない。キミも含めて」
結局、死んだ女絡みなのか。DYRAは嫌味の一言でも零したくなる。それでも、今ここで感情的になってはいけない。不快感を心の奥に無理矢理しまい込んだ。
「……質問と答えが、合っていない」
「キミにわかるように答えるなら、『この文明の連中が地獄へ堕ちることは間違いない』だ」
RAAZからの回答に、DYRAは取り敢えず今はそれがわかれば良いと言いたげな顔をしてみせた。
「最後の一つだ」
「何だ」
「キミに『私を殺せ』と仕向けたのは私だった」
「確か、マイヨを引っ張り出すため、と言っていたな」
「そうだ。キミを守るためなら、私だって手段を選ばない。その気持ちは変わらない」
「あんなやり方で、か」
「あれは私が知る限りで、奴の手口を完全に逆手に取っただけだ。恨むな。とはいえ、実際は私ですら思ってもみなかった、まったく違う展開になったわけだが」
「言いたい三つは、それで終わりか」
「いや」
RAAZは一呼吸置いてから改めて切り出す。
「私は復讐を完遂するつもりでいる。キミだってそうだと信じている。だからこれ以上、愚民に情を移すな。キミと私とガキ以外への不利益を、躊躇するな。私は何があってもキミを守る。だから、キミも私を信じろ」
「復讐? 私が? 何の話だ」
DYRAは訝るように問う。
「思い出せないなら、良い。無理に思い出すことじゃない」
そのときだった。
「待て」
それで話を終わりにするなとばかりにDYRAは続ける。
「私の記憶がないのはどうしてだ? お前は以前言った。『誰も奪っていない』と。あれはどういう意味だ?」
「DYRA。言葉の通りだ。キミが思い出したくないから、思い出さない。たったそれだけだ」
何を当たり前のことを、と言いたげなRAAZの口振り。DYRAは詰め寄ろうとしたが、止めた。RAAZがこれ以上答えるとは思えないからだ。まして、ただでさえハーランの件で神経質になっているこの男を無駄に苛立たせても良いことがあるとは思えない。
RAAZの手の中に収まらざるを得ないのはDYRAにとって面白くない。それでも、現状はDYRA自身にも一体何が起こっているのかわからないのだ。わからないのに一人で何とかしようとするのは得策ではない。今は、流れを理解しているRAAZを良い意味で利用する方がはるかに効率的だ。DYRAの中で、そんな計算も働いた。
「不本意なこともある。納得もしていない。だが、今はお前の話をいったん、頭に叩き込んでおく」
「そうしてくれると助かるよ」
RAAZがそう言っていつもの、どこか人を見下すような視線でDYRAを見る。
「素直なキミは本当に可愛い」
153:【Pirlo】15日を待たずして、DYRAが目を覚ます2025/07/01 09:53
153:【Pirlo】起死回生の道の先に(1)2020/06/29 20:00
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ヒートテックを着たまま寝落ちするため、体調が結構ヤバくなる今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回もお読み下さり、心から感謝いたします。ありがとうございます。
ブックマークしてもらえたり感想とかいただけるととっても嬉しいです。
YouTubeとニコニコ動画で、麗しいイラストでDYRAワールドを表現して下さる、みけちくわさんがチャンネルを開設をいたしました。
DYRAイラストのメイキング動画が紹介されておりますので、この機会に是非ご覧いただければと思います! どうぞよろしくお願いいたします。
っていうか、絶対チャンネル登録してね!
タヌはもう、何と言うか、地雷踏みまくっている気がするんですけど、どうなんでしょうか。この後の展開が恐ろしいです。
次回の更新ですが──。
7月6日(月)予定です!
何せ、ブリュンヒルデの「中の人」が誕生日絡みで、9日(木)を予定していましたが、ノッてしまったことと、月曜が定着していることから、いきますよ。
日程は詳しくはtwitterでお伝えします。よろしくお願いいたします。
次回も是非、お楽しみに!
愛と感謝を込めて
☆最新話更新は、「pixiv」の方が12時間ばかり、早くなっております☆