144:【Pirlo】DYRAへの愛と感謝にRAAZは自分でも気づいていない
前回までの「DYRA」----------
タヌとマイヨは深夜、ピルロへたどり着くと、陰謀の存在を察知する。これからまた面倒が起こりそうな予感に、アントネッラに危機を知らせるべく彼女との連絡場所に指定した植物園へと向かった。
DYRAとの再会をタヌへ約束した期限まで、今日を入れてあと九日となった日の夜明け前──。
床も壁も天井も真っ白な空間に、RAAZの姿があった。赤い外套は脱いでおり、絹と上等な山羊の毛織りから作られた淡い色の襯衣に焦茶色の細身のパンツ姿だ。
(ハーランは『負の遺産』か)
円柱型の半透明な容器の中で眠るDYRAの姿を見ながら、RAAZは傍らで、持ち込んだ折りたたみ式の椅子に腰を下ろしていた。手には発泡水の入った瓶。
(ISLA。『お前が言うな』という言葉もあるんだがな)
前の日から未明に掛けて、ISLAことマイヨと話をしたRAAZは、やりとりを思い返すうち、悲劇が起こったあの日の記憶をたどり始めていた。
(三〇〇〇年以上か。マトモに考えたこともなかった)
最愛の妻が骸を抱きしめることすらできぬ姿に変わり果てた。この苛烈な現実を前にRAAZが最初にやったのは、セキュリティシステムの異変に気づかなかった警備兵たちの皆殺しだった。救えたはずなのに、彼らの怠慢が彼女を死に追いやったことへの怒りからだ。その後も、怒りと悲しみと絶望に任せて軍や政府の要人を次々と殺していった。数日の後、最高権力者までもその手に掛けた。このとき、いわゆるWMD発射認証コードと付随する一式を奪い取ると、迷わず使った。この世界にいる人間という人間を殺すために──。
その後、RAAZは「疲れた」とだけ呟くと、この世界で唯一安全となった、とある場所で眠りについた。その後も、目を覚ましては殺し、殺しては眠るを繰り返した。そう。あの日、運命の出会いを果たすまで。
(愚民共、いや、ヒトなど皆、死ねば良い)
RAAZは最愛の妻を奪われた怒りの矛先を人間すべてに向けた。彼女を利用するだけ利用した人間に。そんな人間たちを支持した人間に。それ故、ヒトをすべて殺す、と決めた。それにしても、ヒトのしぶとさは想像以上だった。片付けても片付けても、ゴキブリのように湧き出てくる。
手っ取り早く完遂する方法として、星ごと吹っ飛ばす手段もあった。しかし、それはある事情からできなかった。それ故に、時間が掛かる上に、効率の悪い殺し方しかできなかった。DYRAが誕生するまでは──。
RAAZは容器の中で眠り続けるDYRAに目をやった。半透明の容器越しに、彼女の左脚がすでに完全再生しているのが見える。
(ミレディアの姿をした兵器。それがキミのはずだった)
若さと美しさを維持するための生命力を外部から吸い上げる。人間や動物だけではない。植物や、水なども例外なく。そんな存在にしたはずだった。
だが、実際は違った。ラ・モルテと蔑まれる存在にはなったものの、兵器として見れば完全からはほど遠い。失敗作でこそないが、不安定極まりなかった。
(キミは世界を憎み、恨んでいるのではないのか? 何故?)
RAAZは思い当たる原因を考えようとしたが、思考の海に沈むことはできなかった。
(……!)
いったいいつからか、容器の中で眠っていたはずのDYRAの瞳が開いているではないか。RAAZは一瞬だけ驚いた。それでも、次の瞬間には何事もなかったような表情で彼女を見る。
「休んでろ。左脚は戻ったが、まだ『戻っただけ』だからな」
容器の中でオロカーボンの液体に沈んでいたDYRAが顔だけ浮かせ、声を出す。
「タヌは……?」
DYRAの問いを聞いた途端、RAAZは眉間に皺を寄せて険しい表情をした後、一転、芝居じみた仕草で、呆れ果てたと言わんばかりに溜息をついた。
「その状態でもあのガキ、か。ああ、ガキは無事だ。今はISLAとピルロにいる」
「マイヨと? どういうことだ?」
食い下がるように質問するDYRAを、RAAZは軽く睨む。
「心配するな。私も直接聞いて把握している」
RAAZはそう告げると、部屋の隅へ行き、壁の一角、一か所だけ材質の違う白い小さな板に触れた。同時に、部屋が全体的に少しずつ暗くなる。
「キミの脚が治る頃にはガキに会える。だからキミは身体を完全に戻すことに専念しろ」
部屋の明るさを半分程度にしたところで、RAAZはDYRAの傍らへ戻った。
「それと、私からも一つ、キミへ伝えておきたいことがある」
「何だ」
「私を助けようなどと、余計なことを。まったく……」
素っ気ない口調で告げてから踵を返すと、RAAZは部屋の扉を開いた。そして独り言らしき呟きを残し、部屋の外へと去った。
「……嬉しかった。ありがとう」
DYRAの耳に、その言葉が届いていたことを、RAAZは知る由もなかった。
真っ白い空間を後にしたRAAZは、突き当たりにある扉らしきものを潜り、姿を消した。
(何も思い出せないはずのキミが、それでも『何か』を覚えている、か)
新鮮な空気を吸いに外へ出たRAAZは、丘の一番上にある邸宅の最上階のバルコニーで、炭酸水の入った瓶を手に、じっと海を見つめ、脳裏に蘇るやりとりに意識をやっていた。
「ガキ。マッマも『トリプレッテ』も、お前には過ぎた玩具だからな!!」
「夢でも見ていろ! 『トリプレッテ』など、とっくの昔に消え失せている!!」
「マッマの『鍵』も返して貰うぞ!」
「私の妻のもので、お前に渡すものなどない!」
「あの『鍵』があって、『トリプレッテ』がないわけないだろうが!」
「そんなものはすべて、私が燃やし尽くした!」
「あっはっはっは」
「ガキ! 嘘をつくのは良くないな」
炭酸水を飲む間、さらに別の記憶がRAAZの脳裏に蘇る。
「ああ。俺の無実を証明できるのは……ドクター・ミレディアの遺産だけだ。そう、あの日の『記憶』という名の『記録』だけだ」
(『トリプレッテ』を誰が渡すものか。だが……)
RAAZの中で、さらにもう一つの言葉が蘇る。
「本当のことを全部知って、それでなお俺を殺すって言うなら止めないさ。けど、本当のことを知らず、恨む相手を間違えて生きるのは、精神衛生上オススメしない」
(ISLA。さすが、軍の情報将校で一番冷静で冷徹と評判だった男だけのことはあるか。だから、ミレディアも欲しがったわけだ)
RAAZは炭酸水を口にすると、何となく納得したようなしないような笑みを漏らす。
いつしか記憶は、ミレディアと結婚する直前の、ある日のやりとりにたどり着いていた。
「ねぇ、ダー」
「ん?」
「あのね!」
満面の笑みでミレディアが切り出す。こういうときはだいたい、とんでもないことを言い出すときだ。だが、同時に彼女が自分で言った無茶苦茶なことを本気で叶えようと動きだすか、すでに動いている合図とも言う。
「新婚旅行なんだけど!」
「し、新婚旅行?」
「とーっても遠くへ行こうよー」
「は?」
社会常識としてそれはそもそも新婚旅行の相談と言うのだろうか。だが、ミレディアへ質問することはできなかった。
「正直」
ここでミレディアの表情が一変、沈んだそれになった。
「皆が私とあなたに怯えている。この間みたいなことにならないとも限らない。いえ。きっと、もっと悪くなる。それに」
「ミレディア?」
「いつから始まっているのかさえもう誰にもわからない、目的なのか手段なのかもわからない、そんな戦争、もう嫌なの。バカバカしいし。だから私はとにかく、現状を変える存在を作りたかった。それがあなたなわけで」
「……量産も、奪われるのも、技術の開示も、全部イヤだ、と?」
ミレディアは頷くと、さらに続ける。
「つまらない最終兵器を作れって言われて。だったらって、私からの答えの一つがあなただった」
「一つが、とキミは今言ったけど」
「ええ。言った」
「もう一つ、ある?」
「あるわ」
ミレディアがそう言うと、少しだけ笑みを浮かべた。そして一冊のファイルの表紙を半ば突き付けるように見せる。そこには軍で『最終兵器』とまで噂になっていた、陽子だか反陽子だか知らないが、そんなものを利用したミサイルなり爆弾なり砲なりを積載した鉄の城を思わせる線画イラストが描かれている。加えて、その表紙にミレディアが書いたであろう大きな×印と、『Triplette』の手書き文字が躍っている。
「だからー、私はそのために『アレーシ少尉サンを』って」
「ちょっと待った。つまらない最終兵器とあの情報将校がどうして繋がる?」
「むふふふふー」
ミレディアはそこで、耳打ちして告げた。
「なっ!」
「この戦争のバカらしさをすべての人へ思い知らせつつ、私たちが楽しい新婚旅行するにはこれしかないかなって♪ 技術自体はあるわけだし。私がコッソリ手を入れちゃうし」
「はぁ!?」
「それで私たちが帰ってくる頃にはいい加減、もう平和かなって!」
思い返せば、ミレディアの話は論理もクソもあったものではなかった。彼女が普通の女性だったら一蹴される。しかし、彼女は今、この世界で一番の頭脳を持ち、アイデアを具現化する行動力がある。RAAZはそのことを誰よりも理解していた。誰が何と言おうと関係ない。彼女の頭脳と行動力が生み出した『傑作』がRAAZ本人なのだから。
(あれを使うには、超伝送量子ネットワークシステムの起動と、本体そのもののセキュリティ解除が必要だ。しかも、暗号鍵の照合システムを起動させない限り、セキュリティ解除もできない。私でさえ、いることしかできないのに)
RAAZは瓶に残った炭酸水を飲み干すと、外の景色に背を向け、部屋へと戻った。
(どちらにしろ、ミレディアを傷つけた奴に『トリプレッテ』を触らせるのも穢らわしい)
部屋の中央のテーブルに空になった瓶を置くと、再び窓の外に広がる景色に目をやる。
(何だ?)
このとき、RAAZはふと、あることに気づく。
(今私は、違うことを考えた)
この世で一番大切な人を奪ったものへの報復。これが常に優先順位の最上位に来ていたはずだった。だが、今しがた考えたことは、それとは明らかに相反する内容だ。
(私は一体……)
RAAZは自分の思考が混乱し始めていることに気づいた。
(ハーランと、ミレディアの件は切り分けて考える必要がある、か)
ここでさらに、RAAZは自問しなければならないことが発生したとも気づく。
(では仮に)
その問いが脳裏に浮かんだ瞬間、RAAZはすぐさま思考から追い払う。
(それは、二番目に下がるだけの話になるのか?)
一瞬とはいえ、そもそも、三〇〇〇年以上まともに考えたことすらなかった件と向き合ったのだ。内容が内容だ。考えるためにある程度の時間が必要になる。数分で答えを出すような問いではない。RAAZは、意識して深呼吸をしながら、頭の中や胸の奥深くで湧き上がったざわつきを抑える。
(思い出したくもないのに。それでも『考えろ』と? ならば、情報が足りない)
RAAZはここで、ピルロで自分が考えを改めるきっかけとなった出来事を思い出す。
──どちらにしろ、どこかで、何かが間違っているということだ。
情報不足が原因で認識の齟齬が起きたこと、そしてそのまま動くのが危険だと気づいた。それ故、ミレディアの死に関わりがあるISLAの話を聞く気にもなり、結果的にハーラン生存という悪夢のような情報を知るに至った。もしあのとき、自分を信じて突っ走っていれば、ISLAを殺し、生体端末の跋扈を許し、挙げ句の果て、今この瞬間さえ踊らされていることに気づかないままだっただろう。当然、ハーランが裏で糸を引いていると気づくことすらなく。
(あの日、何が起こったのか調べ直すことから始める必要があると?)
確実なのは、ISLAの言う、「あの日の『記憶』という名の『記録』」の開示だ。
(ダメだ。それは、奴に『トリプレッテ』を奪われるリスクが発生する)
RAAZは、今すぐできることから手を付けようと決めると、窓の外を見つめるのを止めた。扉の方へと歩き、取っ手を引いた。
(ハーランの件が先、か。まったく、ヒトという名の愚民共はそれまでの間、確実に種としての寿命が延びたか。運の良い奴らだ)
RAAZは部屋を出て扉を閉めると。廊下を歩き出した。
144:【Pirlo】DYRAへの愛と感謝にRAAZは自分でも気づいていない2025/07/01 00:00
144:【Pirlo】そこは伏魔殿(2)2020/04/27 20:00
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もはや緊急事態宣言とやらはGW明けても解除は無理だろうと思われる、SFさながらの世界を生きている今日この頃ですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今回もお読み下さり、心から感謝いたします。ありがとうございます。
ブックマークしてもらえたり感想とかいただけるととっても嬉しいです。
コミケ入稿が終わり、緊張の糸が切れたのでしょう。今日月曜、ついにダウンしました。といっても、コーヒーの味もわかるし、ロキソニンの苦さも、ビタミンCの酸っぱさもわかるので大丈夫です。アレじゃないです。ただ、早く寝ます。
さて。
マイヨはRAAZとやっぱり夜中に色々密談していたわけですが、RAAZはこれから何を考え、どうするのか。ちょっとみものです。
これからも応援どうぞよろしくお願い致します。
次回の更新ですが──。
5月7日(木)予定です!
日程は詳しくはtwitterでお伝えします。よろしくお願いいたします。
次回も是非、お楽しみに!
愛と感謝を込めて
☆最新話更新は、「pixiv」の方が12時間ばかり、早くなっております☆