014:【PELLE】記憶の手掛かりを探しに単身、縁起悪い土地へ
前回までの「DYRA」----------
突然、村が焼かれて帰る場所を失ったタヌは、自分を助けてくれたDYRAと共に村を出た。
ピアツァ、ルガーニを経て到着した交通の要衝と言われる都市ペッレで、タヌは一人の少年と出会った。
(これが……)
このあたりがペッレのバーテンダーから聞いた『死んだ土地』なのだろうか。DYRAはランタンを掲げてあたりを見回す。見渡す限り、草木も生えていない。幸い、崖や地割れの跡のようなものは見えない。そのまままっすぐ、奥へと進んだ。
一〇〇年ほど前にRAAZと戦った場所が本当にこのあたりなのか。果たしてこんな、砂漠のような場所だっただろうか。いつしかDYRAは、定かでない自身の記憶をたどる。確かにRAAZを追い込む過程で、土が恐ろしい勢いで乾いていった気がする。だが、『ここ』で間違いないかと言われると、確証がない。あのとき一戦交えた場所は古い城があった気がする。しかし、それらしきものは見当たらない。記憶を少しでもいいから鮮明に蘇らせることはできないのか。本当にここがかつて一戦交えた地なら、何か思い出すことはできないのか。DYRAは記憶に繋がる糸口を必死になって探し求める。
(何も……)
思い出せないのか。そんなはずはない。
あの記憶を今一度、丁寧に思い出そうと試みる。
無数の赤い花びらが織りなす嵐が蛇腹剣の刃となって自らの左腕を掠めるように斬っていく。
青い花びらの嵐も同様に蛇腹剣の刃となって相手の胸元を斬っていく。
双方共、身体に傷を受ける度に肉体の修復がなされ、蛇腹の刃が撓り、刃同士がぶつかる音を立て続ける。
何度かに一度、刃が分解され花びらに戻る。その度に剣を握り直し、刃を再成、顕現させ続けていく。
「あっ……!」
記憶をたどるDYRAの身体に小さな異変が起こった。一〇〇年ほど前、赤い花びらの嵐が蛇腹剣のように掠めたあちこちの箇所が疼き出す。左腕だけではない。脚や胸元、下腹部、頬骨の下に至るまで。物理的な痛覚は微塵もない。記憶から引き出され、各箇所に微弱な電気のように伝わっていくそれは、痛覚と性的な快楽が一気に襲いかかってくるようだ。
「ぐっ……」
呼吸も乱れ、浅くなる。息が苦しい。瞳孔も僅かではあるが開き始める。記憶が鮮明になるのに比例するように、身体も痙攣し始める。歩き続けていた足も止まり、膝を落としてランタンを置き、左手で口元を押さえ、右手で胸をかきむしった。
あのときよりもっと昔に剣を交えた記憶までも呼び起こされているのか、全身の疼きが激しくなる。耐えきれなくなり、声にならない声が漏れる。そのとき、彼女の周囲に青い花びらが大量に舞い上がり始めていた。
DYRAがネスタ山で苦しみだしていた頃。
錬金協会の建物の二階にある続き間の部屋の一角では、銀眼とくせ毛の銀髪、薄い唇を持った、目鼻立ちのハッキリした男がバスローブ姿で窓際から人通りが微塵もない外の景色を暇そうに見下ろしていた。
ふと、男が視線をずっと遠くの山の方へやったときだった。山の片隅の方でほんの小さくだが、何かが光ったように見えた。
男はその光が意味することがわかっているのか、じっと凝視する。
(……ん?)
その光がまるで、ろうそくの炎のようにゆらめいていることに気づくと、男は窓際から離れ、壁掛け時計に目をやった。夜が明けるまで、時間はたっぷりある。
(夜明けまでの暇つぶしだな)
男は続き間の向こう側へ行くと、手早く着替えを済ませた。
黒のシャツとパンツ、それに黒のブーツカバーをまとってから靴を履き、赤い外套に身を包むと、また別の部屋へ移る。中から施錠を済ませると、部屋の一番奥にある本棚から二冊取り出した。すると、隠し扉のスイッチが現れる。それを捻って扉の裏側へと消えた。
入った先は収納部屋のような空間だった。屋根へいくとおぼしき梯子と、何本かの長い棒と帆布を組み合わせて作る『空飛ぶ帆布』の道具が畳まれた状態で置かれている。他には棚がいくつかあり、薬剤や薬品の入った瓶が置かれている。ただ、その棚の隅に、明らかに不似合いな宝石箱が一つ置かれていた。男はその箱を開ける。中に入っていたのは、パーツが純金で作られたオーバルのサファイアの耳飾りで片耳分だけ。しかも、留め金の一部が壊れている。
(念のため持っていく、か)
耳飾りをシャツのポケットに入れると、『空飛ぶ帆布』を持って梯子を上がり、屋根のところでおもむろに広げた。それは、時代が時代ならハンググライダーと呼ばれるものだった。男は屋根から悠然と飛び立つ。
通常、グライダーの類で飛ぶには、助走距離が稼げないところからでは、かなり強めの風が必要だ。まして、普通は屋根からなど飛べるものではない。
しかし。
男は自身の周囲に赤い花びらを一気に舞い上がらせて風を起こすと、『空飛ぶ帆布』で山の方へ向かっていった。
一方。
ネスタ山の中腹から奥に足を踏み入れていたDYRAは、記憶をたどった際の負荷が自身の限界を超えたからか、意識を失って倒れていた。周囲には無数の青い花びらが散っている。見方によっては、砂まみれの地の一角で紺碧とも瑠璃色ともいえる美しい青のシーツの上に眠っているようだ。離れたところに転がるランタンはすでに消えている。木々などで影ができる場所もないので、瑠璃色の空と星明かりという名の灯りが地上を照らす。
やがて、夜の静寂の中、何かを踏む音が微かに聞こえてきた。
近づいてきたのは、赤い外套をまとった銀髪の男だった。
「……相も変わらず無防備すぎる」
男は倒れているDYRAの前を素通りし、少しだけ進むと歩を止めた。彼の足下には風化し崩れ去った建物らしきものを思わせる石がごろごろと転がっている。
(私とキミで紡ごうとした『滅び』の跡か。一〇〇年か。愚民共なら『自分の過去』だと実感すらわかぬ時間も、私たちにとっては昨日みたいなもの。なのに、思ったより時間が進んでいる、か)
懐かしそうな眼差しで見つめ、散策するような感覚でゆっくりと歩く。しばらく歩くと地割れの跡が見えてくる。
(確か、このあたりだったはず。誰にも探させない、拾わせないためにデマを流してここへ近づけないようにしたんだ。いい加減、回収するときが来たか)
そのとき、砂埃の間に微かに光ったものを男は見逃さなかった。身を屈め、指で掘り起こす。石の間に光るものが落ちているのを見つけると、拾った。それは大粒の光る石で、小さな金の留め金跡もある。楕円の両端を尖らせた形のブルーダイヤモンドだった。
見るなり男は一瞬、驚いた。その後、頬が少し緩む。そして、持ち出したサファイアの耳飾りを取り出すと、手のひらに置いて両方を並べた。留め金の部分で繋がることが一目瞭然だ。サファイアの三倍ほどある大きさのダイヤモンドと留め具についた砂埃を、息を吹いて払い、外套の裾で念入りに拭いた。何度か繰り返すうちにダイヤモンドに輝きが戻る。
サファイア側に歪んだカンが残っていたため、繋げることが可能だ。男は爪の先で歪みを直しながら慣れた手つきでカンの隙間を閉じて、繋いだ。耳飾りが本来の姿に戻ったことに、男は子どものように目を輝かせると、サファイアとダイヤモンドに相次いでキスをし、DYRAが倒れている場所へと戻った。
「DYRA」
性的に満ち足りて眠っているようにも見える、どこか艶やかな表情のDYRAの上半身をゆっくりと起こした。
(いつものキミに戻……)
男が直した耳飾りをDYRAの右耳にそっと填めようとしたときだった。
一瞬だが、パチン、という電撃にも似た奇妙な違和感が男の指先に伝わった。昨日再会したときにはなかった、いや、気づけなかった感覚だ。
直感が違和感の正体を伝えてくる。それまでの柔和な表情から一転、歪んだそれになる。
(……やはり、ヤツは触れていた。何様のつもりだ)
物理的に云々ではない。長く違いを知るからこそわかる感覚だ。
それにしても先日再会したときに気づけなかったとは。男は気づくのが遅れた自分自身に僅かながらの苛立ちを感じつつも、その感情を抑え込む。
(……なるほど。やはり毒蜘蛛がうろついていた、か)
男は先ほどの耳飾りを左手に軽く握ると、目を閉じて、握った拳を自身の右手で覆う。右手の周囲に赤い花びらがふわりと浮かび始めると、何枚か、彼女の身体の上にはらはらと落ちた。花びらに混じって、僅かではあるが金色の粒子も舞う。まるで何かに祈るような時間が流れると、右手の周囲に花びらが浮かばなくなったところで、目と拳を開いた。ダイヤが気持ち、一段と輝きを増したようだ。男はDYRAの右耳たぶにキスをしてから、耳飾りをそっと填めた。
「……RAA…Z……」
男の耳に、DYRAの譫言が微かに聞こえた。男は先ほどまでの柔和な表情を取り戻すと、親指でそっと彼女の頬を撫でてから、自らの外套を脱いでブランケットのように被せてDYRAの身体を横たえた。最後に、周囲に散っている青い花びらを二、三枚ほど拾ってから彼女のもとを離れた。
(もうしばらく、こんな役回りを引き受けなきゃならないとはな)
男は自身の周囲に赤い花びらを舞わせた。その姿が花びらの嵐で見えなくなると、その場から姿を消した。
空が微かに白み始めた──。
改訂の上、再掲
014:【PELLE】記憶の手掛かりを探しに単身、縁起悪い土地へ2024/07/23 22:28
014:【PELLE】記憶の手掛かりを探しに単身、縁起悪い土地へ2023/01/04 19:33
014:【PELLE】DYRA、記憶の手掛かりを探しに単身、縁起悪い土地へ2021/08/16 18:24
014:【PELLE】もうひとつの顔(1)2018/09/09 12:38
CHAPTER 15 死んだ土地2017/01/26 23:00