130:【Marotta】マイヨがタヌに手を差し伸べるのは思惑があるから
前回までの「DYRA」----------
タヌを休ませている間、マイヨは単身ピルロへ立ち寄り、アントネッラと情報交換をする。彼女をめぐり、黒い何かが胎動していることを察知する。
翌日の夜──。
目を覚ましたタヌはあたりを見回して、戸惑っていた。そこは、天蓋のあるベッドで、レースのカーテンが掛かっている。ベッド自体も非常に大きく、三人並んで寝ても問題なさそうな大きさだ。
「あれ? ここ、どこ? っていうか、ボク、どうしてここに?」
タヌは自分がベッドで寝ていたことに気づくと、上半身をゆっくりと起こし、カーテンを開いた。部屋は広く、どこかの家というより、宿屋の寝室か、そうでなければ、お金持ちの人が住む屋敷のようにタヌには見える。
「でも……?」
自分は何故こんなところにいるのか。いや、そもそもこれは夢なのか。タヌは自分の手で自分の頬に触れると、そのまま頬を軽く叩く。夢ではないことに気づいたタヌは、直前の出来事を思い出していた。
(そうだ。ボク、ピルロの手前の山で寝ちゃって……って!)
ようやく、今ここにいる理由がわかったタヌは、マイヨに迷惑を掛けてしまったかも知れないと反省する。
と、そこへ、扉が開く音がタヌの耳に入った。
「タヌ君。起きたんだ」
音がした方へタヌが振り向く。マイヨが入ってきたところだった。手には、湯気が立っているマグカップ。
「マイヨさん」
タヌはマイヨの姿を見るなり謝罪しようとしたが、それはできなかった。
「ああ、そのままで良いよ。タヌ君。疲れているだろう?」
タヌはマイヨに言われて改めて自分の状態に気づく。激しい筋肉痛が収まらない。おまけに痙攣もひどく、足も恐ろしく重い。足だけではない。首から下、ほぼ全身が怠い。起こした上半身がその重さに耐えられなくなったのか、タヌは再びベッドへ倒れてしまう。
「ほらほら」
テーブルにマグカップを置いて駆け寄るマイヨの姿がタヌの目に入った。
「ごめんなさい。マイヨさん」
「謝ることなんて何もない。むしろ、良く頑張ったよ」
ベッドサイドの片隅に腰を下ろしたマイヨが、タヌの頭を軽く叩いた。
「タヌ君。今はとにかく、身体を休めるんだ。疲れが抜けていないだろうしね」
「でも、時間が……」
タヌは、RAAZが言った『一五日』のことが頭から離れなかった。
「でも、そんな身体で無理をしたら、かえって時間の無駄になる。しっかり休んで、明日起きてから動き出そう」
「はい」
その通りだ。そう思った途端、タヌの意識は再び遠のいていった。
(タヌ君。起きてからしばらく大変になる。今はゆっくり休んで)
マイヨは腰を上げると、眠りについたタヌの肩のあたりまでそっと毛布を掛け直した。
(さて)
コーヒーポットが置かれたテーブルの方へ戻ったマイヨは、マグカップを手に取り、カーテンが閉じられている窓の方へと歩いた。そして窓のカーテンを少しだけ開くと、眼下に広がる夜の街並みを見つめる。
(今日を入れて一四、いや、もう夜だから、実質一三日か。RAAZ、アンタDYRAをどうやって……?)
この時代の地を砂に変えることなく、人間たちの命を片っ端から奪うこともせず、DYRAを一五日で元通りにする。正攻法でそんな方法があるものか。
(まさか、……プロトン弾の在庫処分大会?)
RAAZがDYRAを戻すために何を考え、何をしようとしているのか、マイヨは薄々気づき始める。本来の文明下で持っていた大量破壊兵器をRAAZが電源の代わりとして隠し持っているのではないか、と。
(いや、あのときRAAZが使いまくったなら今さらそんな……反応兵器だの核融合なんてな……)
マイヨは自らの中で浮かんだ考えを即座に打ち消そうとするが、昨日の朝の出来事と、そこにいた人物の姿が脳裏を掠めたことで、それができなくなっていた。
(おいRAAZ。まさか、たったそれだけ、DYRAの足のためだけに!?)
マイヨはこれから起こるであろう出来事を前に、全身が凍り付きそうな思いだった。願わくば、起こってくれるなと。
(こんな時代で……そんな! ドクター。俺はどうしたらいいんだ。ったくアンタのダンナ、やっぱりアタマがイカレている!)
嫌な予感を振り払うように、マイヨはマグカップのコーヒーを一気に飲んだ。
(それにしても、あと一三日を、どう使う? 俺)
マイヨは、マロッタに到着するまでのことを思い出す。
タヌを連れ、ハーランの監視網を潜るべく、山越え脱出を強行した。ネスタ山を越え、ピルロが近くなったところでいったんタヌを休ませた。今、自分の能力をみだりに見せたくなかったマイヨとしては、タヌが疲れから寝落ちした後、今さっきまでずっと起きないでくれたのは好都合だった。
(ま、爆睡してくれたおかげで……)
夜明け前、マイヨは眠るタヌを担いで、全速力で走った。五〇キロ前後の重量を背負うなり抱えるなりして長距離の悪路を走るのは、本来の文明下で訓練を受けていたこともあり、慣れている。しかし、どこで誰が見ているかわからない。極力、山越えの様子を見つからないよう、ピルロを迂回して山を下りた。かつてアレーシと呼ばれていた生体端末が利用していた近道や抜け道の情報を回収できていたのが幸いし、マイヨはそのルートを通って下山、ピルロからマロッタへ通じる街道へたどり着いた。この後は運にも助けられた。ピルロへの救援物資を運んできた荷馬車の一団が停まっていた。マロッタへ戻るところだった積み荷のない荷馬車に乗せてもらい、ようやく僅かではあるものの、緊張の糸を緩めることができた。
マロッタへ無事に到着すると、マイヨは早速宿屋を取り、タヌをベッドに寝かせた──。
(あの御者さん。俺が『弟を連れてピルロから脱出したい人』だって勘違いしてくれて良かったよ、ホント)
運の良さがこのまま続いてくれればいいが、そんなものに期待してこれからのことを考えるのは愚の骨頂だ。マイヨとてそれはわかっていた。
(ホント、何ができるかな)
マイヨは窓際から離れた。そして、二杯目のコーヒーをポットから注ぐと、一息に飲み干す。
マイヨ自身のやるべきことは見えていた。ハーラン排除へ道を開くことが一つ。そしてもう一つは──
(アレ、か)
RAAZがDYRAの左足を秘密裏に、かつ完全な形で戻す方法について二つの選択肢をマイヨはイメージできていた。しかし、そのうちの一つはハーランに自分の根城そのものを明かすリスクに晒される。だとすれば、残った一つしかない。マイヨはそんな風に考えた。
(けれどこれは、下手を打てば、ハーランに不必要な情報を与える可能性もある、か)
ここまで考えたところで、マイヨは思い出したように自らの服の裾に目をやった。山越えをして今に至っているため、服が汚れたままだ。
(あちゃー)
マイヨは今すぐできることからやろうと決める。そして、飾り棚に置かれた置き時計で時間を確認してから、部屋を出た。
戸締まりを済ませると、マイヨはあたりを見回す。怪しい、もしくは不審な人間がいないか確認するためだ。人の気配はなかった。念のため、マイヨは使っていない部屋すべての扉を軽く叩いてから開けて、中の様子を見て回った。
(この階にある部屋は幸い全部空いていたから、押さえたのは正解か)
すべての部屋に不審な気配などがないのを確認してから、マイヨは服を軽く叩く。埃や汚れを軽く飛ばしてから、階段を下りて宿屋の外へ出、煌びやかな夜の街へと溶け込んだ。
(ピルロほどではないにしても、ここも夜が明るい街、ってことね)
寒くなり始めた空の下、夜のマロッタの街並みは人々の歓声と共に穏やかに揺らめいていた。土産物屋を冷やかす観光客、酒場で騒ぐ労働者たち、愛をささやく男女。そんな人々のざわめきが、街の活気に彩りを添えている。
(取り敢えず、まだ洋服屋か洗濯屋が開いているといいんだけどね。でも、まずは……)
腹ごしらえだ。そう考えたマイヨは、早速、感じのいい店を探した。
歓楽街の近くだからか、酒を飲む店しか見当たらない。中には、女性と共に酒を飲む店もある。そういう店に用はない。
(もしかして、区画を間違えた的な、アレ?)
マイヨは早々にこの区画を抜け出すと、中心街の方へ繋がる道を歩く。
中心街から一番近い繁華街まで着くと、食事も酒も楽しめそうな店が多かった。視界に入る店のうち何軒かは閉店の準備を始めているが、それでもまだ大半の店が営業している。
(あそこ、良さそうじゃない)
マイヨはこれと思った店を見つけると、営業中であることを確かめてから扉を開いた。扉の脇に『アセンシオ』と彫られた看板が掛かっている。
「いらっしゃいませー」
パッと見、店の中も明るく清潔感がある。客層も良さそうだ。マイヨは、黒いエプロンを着けた、金髪の給仕の明るい声に迎えられた。接客商売一筋で生きてきた中年男性、という風にマイヨには見えた。
「一人だけど、いいかな?」
マイヨは疲れを感じさせない表情で問うと、給仕が笑顔で答える。
「お一人様でもこの店は歓迎ですよ。どうぞ」
給仕がメニューを持って歩き出す。マイヨは後ろをついていった。
「こちらの席で、如何でしょうか。街並みも見えますし」
「優しいね。ありがとう」
窓際の、ちょっとした間仕切りのある四人掛けのソファ席へ案内されると、マイヨは腰を下ろした。給仕はテーブルにメニューを置いてから、いったん、戻っていった。
(ん? お隣さんもちょうどお帰りみたいだし、落ち着いて食事できる、か)
間仕切りの向こうの隣席ではちょうど、三〇代半ばとおぼしき女性の一人客が帰るようだ。若い、料理人とおぼしき青年が丁寧に挨拶をしている。
「母さん。来てくれてありがとう」
「お前も仕事、頑張りなさいね」
「母さんも、無理しないようにね」
「ええ。あとこれ、お前に預けておくから。何かあったときに使いなさい」
聞こえてくる心温まるやりとりに、マイヨは女性と青年が親子だと理解した。微笑ましいやりとりだ。預けたものとやらも金銭的な価値がそれなりにあるものだろう。
マイヨがテーブルに置かれたメニューに手を伸ばしたときだった。席を立った隣席の女性の姿がマイヨの視界に飛び込んだ。
くせ毛気味のブルネットの髪と、鍛え抜かれているのが一目瞭然の筋肉質な身体つきが美しい女性の姿がそこにあった。
マイヨが見ていることに気づいたのか、チラリと目をやると、何事もなかったように女性は店の入口の方へと去って行った。青年も女性と一緒だった。
(ふぅーん。こんなところで出会うとは。偶然にしちゃあ、ね)
フランチェスコとピルロで二度も縁があったのだ。忘れるものか。マイヨはこの女性とはまだまだ縁が続くだろうと予感を抱いた。
マイヨはこの後、ゆったりと食事を楽しむと、テーブル席で会計を済ませた。
「ねえおじさん。聞いていいかなぁ」
会計の際、最初に接客してくれた金髪の中年男の給仕にあたったのをいいことに、マイヨは質問する。
「この辺でまだ開いている、イイ洋服屋さんはないかな?」
お釣りのアッス銀貨とデナリウス銅貨を用意しながら、給仕は考える仕草をしてから答える。
「んー。そうですねぇ。この時間ですからねぇ。……ああ、ここから街の中心、噴水広場の近くにあるお店ならまだ開いているかも知れませんねぇ。入口が全部ガラス張りだから、すぐわかると思いますよ」
「ありがとう」
釣銭を受け取り、礼を告げると、マイヨは店を出た。
(わかっちゃいたけど……)
店を出るなり、雑踏の中で自分を見ている存在がいることにマイヨは気づいた。情報を武器として扱う人間特有の気配だ。
(けど、おかしいな)
一人ではないのか。マイヨは本能的に、二、ないし三人はいるだろうと感じていた。
(もう一人は、どこにいるのかな?)
自分は誰かに見られている。マイヨは、自分を見ているであろう者を巻かずにタヌを寝かせている宿屋へ戻るわけにはいかないと考えた。
(洋服屋はガラス張りって、確か……)
マイヨは一計を案じた。そして何も知らぬと言いたげな顔で、街の中心の噴水広場がある方へ向かう道を人混みに紛れて歩き出した。
(尾行してくる、か。……けど、もう一人はどこだ?)
マイヨは洋服屋の方へ向かって、すれ違う人々とぶつからないよう、それでもかなり足早に歩いて行った。
目指す洋服屋が視界に入ってくる。マイヨは、さらにその先に裏路地のようなところがあるのを見つける。
道行く人々とギリギリの間合いですれ違いながら洋服屋を通りすぎると、人の陰に隠れるように、すぐさま裏路地へと入った。
マイヨは反射的に懐から鉄扇を手にすると、身構える。見失ったという反応を示す人間が現れたらその人物の顔をしっかり見てやろう、などと思いながら。
そのときだった。
ゆっくりと、見るからに目つきの悪そうなごろつきと言った風の男が通り掛かり、続いて、はちみつ色の髪の少年と、少年に並んで若くない女性とが相次いで通りすぎていく。
(一人は物盗りまがいさん、か)
マイヨは続いて、周囲を見回してからゆっくりと顔を上げる。二階建ての屋根に、人影が見える。どうやら隣の建物に立っているようだ。影の形から女だとわかる。
(せっかくの休日も、俺の顔を見た瞬間からお仕事モード、ね)
マイヨは、お仕事ご苦労様、とでも言いたげな苦笑を浮かべると、裏路地の陰に入り、自らの気配を消した。そして、陰に沿ってゆっくり、物音を立てずに移動、すべての尾行の気配が消えたところで何事もなかったように別の通りに姿を見せると、周囲に気をつけつつ、宿屋へ戻ることにした。
マイヨは完全に相手を巻いたと思っていた。しかし、このときマイヨを見つめる目が確かにあったのだ。
130:【Marotta】マイヨがタヌに手を差し伸べるのは思惑があるから2025/06/22 22:43
130:【Marotta】タヌとマイヨの戦い(4)2020/01/09 22:00
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気がついた正月が終わってしまいました。連休が終わったら世の中はすっかり通常運転かなと。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回もお読み下さり、心から感謝いたします。ありがとうございます。
ブックマークしてもらえたり感想とかいただけるととっても嬉しいです。
カルロス・ゴーンの記者会見で、「ルノーNISSANがヴェルサイユ宮殿のスポンサーでした」とか「妻のバースデーパーティー費用を宮殿が出してくれました」とか聞いて唖然としながら130話は書いています。いいですね。ヴェルサイユ宮殿えハピバしてもらえるなんて、鼻血吹きそうです(笑)。
次回の更新ですが──。
1月16日(木)予定です!
日程は詳しくはtwitterでお伝えします。よろしくお願いいたします。
次回も是非、お楽しみに!
愛と感謝を込めて
☆現在、最新話更新は、「pixiv」の方が14時間ばかり、早くなっております☆