013:【PELLE】DYRA、自分探しの情報集め
前回までの「DYRA」----------
突然、村が焼かれて帰る場所を失ったタヌは、自分を助けてくれたDYRAと共に村を出た。
初めて着いた隣の町で、DYRAは捜し求めていたRAAZとの邂逅を果たす。
そしてふたりは交通の要衝と言われる都市ペッレに到着する。
一方、タヌと別行動を取ることにしたDYRAは、繁華街を歩き回った末、ようやく洋服屋を見つけると、そこへ入った。
「いらっしゃい」
「ブラウスが破れた。同じくらいの仕立ての服をくれ」
裾がほつれた外套に身を包む女からのあまりにも漠然とした注文。これに初老の店主は困った顔をしてみせる。
「ブラウスで……ああ、少々お待ちを」
店主は思い出したように店の奥へ行くと、四角い鞄に似た箱を取り出してから戻り、蓋を開いて中を見せる。
「こちらはいかがでしょうかね。サイズは少々大きめなので、お客さんの背格好なら問題ないでしょう」
淡い青みがかった控えめなピンクの、シルクの立ち襟フリルブラウスだった。見るからに上品で仕立ても良いのがわかる。
「それでいい」
「ただ、お、お値段が張るのですが……」
破れた外套を着ているような奴に金があるとは思えない。店主は言外にそう語る。
「アウレウス金貨八枚とアッス銀貨五枚で」
庶民がよそ行きで着るブラウスやシャツで一番高いものでもアウレウス金貨一枚かそれを越える程度だ。法外な値段とも取れるこんな価格が許される服は、西の都で特注仕立を用立てると評判の天才服飾仕立師サルヴァトーレが作るそれくらいのものだ。店主は客の姿を見ながら内心、どうしてこのブラウスを出してしまったのかと後悔した。
DYRAは無言で財布から代金を取り出すと、支払いを済ませた。
「え!」
絶対に買わないだろうと信じて疑っていなかった店主は、驚いた。
「今は服がないんだ。とにかく買わないことにはどうにもならない」
「お、お、おありがとうございますっ!」
「今すぐ着替えたい」
法外な値段の服を何も言わずに買った客は、文字通り、最上のお客様だ。店主もその願いを無碍に断るわけにはいかなかった。
「は、はい、こちらの試着室で! さ、ささ、どうぞどうぞ!」
案内された試着室で、DYRAは外套と、引き裂かれた血まみれのブラウスを手早く脱いだ。鎖骨の下あたりにあった撃たれた傷はもう跡形もない。新しいブラウスに身を包んで着替えを済ませると、外套に血まみれのブラウスをくるんで隠してから試着室を出た。
「いや、うわ……いやいや、その、大変よくお似合いで」
おべんちゃらなどではなく、店主の本心だった。
「世話になった」
DYRAが店を出るとき、店主は深々と頭を下げて見送った。
「本日はお買い上げ、まことにおありがとうございました」
見送った店主の脳裏は、あのブラウスの入荷の経緯でいっぱいだった。
(まさか、あの服! あのお客さんが買うって最初からわかっていたのかなあ?)
問題のブラウスは仕入れ業者に「西の都の特注品だ」と謳って昼前に売り込みされたものだった。そんな高いものを買う客はいないと店主は最初断った。それでも、「今日か明日のうちに必ず買われる。もし現れなかったら、次の仕入れの時に迷惑料をつけて仕入れ代金を返す」とまで言われて根負けした。長いつきあいの業者だったから渋々引き受けたが、まさか本当に買われていくとは思わなかった。
新しい服に着替えて店を出たDYRAが次に足を止めたのは、町役場の看板が掲げられた建物だった。役場といっても一軒家よりは大きい程度の、煉瓦造りの建物だ。
DYRAは入口の扉を何度か叩いた。ほどなく扉が開き、若い、金髪の女性が顔を出した。
「あの、本日は終わっておりますが」
申し訳なさそうな声に構わず、DYRAは質問する。
「この街と周辺に詳しい者はいないか」
女性は少しの間、考える仕草で宵の口の空を見上げてから答える。
「申し訳ございません。周辺まで、となると、役場には今、詳しい人がいません。詳しい人……そうですね、ここから南西にある小さな酒場のマスター、トラパットーニさんなら」
「わかった」
女性が扉を閉めるよりも早く、DYRAはくるりと背を向け、雑踏の中へ消えた。
役場の女性から言われた酒場は今いる中心部から少し離れたところにあった。カウンター席が五席ほどあるだけの小さな店だ。酒場が賑わうには気持ち早い時間だからか、他の客の姿はまだない。DYRAは店の扉を開き、中へ入った。
「らっしゃい」
褐色の肌と煉瓦色のスッキリした髪が印象的な初老のバーテンダーがカウンター越しに声を掛けた。DYRAは挨拶するでもなく、無言で一番奥の席に座った。バーテンダーがさりげなく、だが物珍しそうに彼女を見つめる。フリルのブラウスは女性らしいが、背の高さはその辺の男と変わらない。長いこと酒場をここで営んでいるが、こういう女を見た記憶はない。
「何にするかい?」
「麦酒」
注文をすると、DYRAはアウレウス金貨一枚をテーブルに置いた。
「役場の女から紹介されてきた。トラパットーニという人物と話がしたい」
DYRAが切り出すと、バーテンダーはニヤリと笑みを浮かべる。
「ワシだ。何の用だ」
旅の女性客は歓迎するとばかりに笑顔で答えると、ジョッキに麦酒を注ぎ、DYRAの前に置いた。
「ペッレから行ける町がどんなところか教えて欲しい」
この切り出しで、トラパットーニを名乗ったバーテンダーは、目の前の女が田舎の方から来たのだろうと推測していた。
「姉ちゃん。どっちから来た?」
「東の方」
「ってこたぁ、かなり長旅っぽいな。アオオオカミに襲われたレアリ村やキナ臭い噂が昼頃から聞こえるピアツァあたりか?」
DYRAは黙って頷き、麦酒を口にする。
バーテンダーはテーブルに置かれた金貨を受け取って自身のエプロンのポケットに入れると、店の扉の方へ行き、『準備中』の札を掛けた。別に他の客が来ても問題はないが、何となく、会話に横槍が入らない方がいいかも知れないと思ったからだ。
「来た方角以外の町がどんなところか、ってことだよな?」
「そうだ」
戻ってきたバーテンダーが笑顔で話を始める。
「ここから真西に行けば、フランチェスコ。西の都へ行くなら、ここからフランチェスコを通って、そこから川沿いを南下すればいい。この街から北西へ行けば工業都市のピルロだ。新興都市だがあそこは活気がある。フランチェスコからも川沿いを北上しても行ける」
聞いているDYRAは昼間、タヌに見せられた地図を思い出しながら頷き、頭に叩き込む。把握し切れていない部分もあるが、今はいったん言われたことを丸暗記しようと決めた。
「ああ、そうそう。南西まわりとピルロから北は避けた方がいい」
バーテンダーから笑顔が消え、言いにくそうに告げる。
「ピルロから北へ行くと、ネスタ山の端っこにも行けるが、やめとけ。あのあたり一帯はいわゆる『死んだ土地』だ。正確には、ここから北へ上がっても『死んだ土地』にあたるがな」
「『死んだ土地』だと?」
興味を引く言葉だった。
「ああ。昔からの言い伝えだが、魔女と錬金術師が派手にやりあったそうだ。おまけに地割れもすごくて断崖絶壁もあるらしいって。その噂のせいで、誰も近寄らない」
魔女と錬金術師のくだりがDYRAの興味をさらに引いた。どうやってその話の内容を聞き出そうかと考える。だが、考える必要はなかった。
「姉ちゃん若いから知らないだろ?」
聞きたいなら教えてやるとばかりの態度に、DYRAは黙って頷いた。それを聞きたい意思表示だと判断したバーテンダーは、彼女の麦酒のジョッキが空になっているのを見ると、二杯目を注いで、彼女に出した。
「西の都にナントカいう錬金術師がいて、そいつが魔女を退治したって。もちろん、話半分だろうがな」
RAAZではないのか。DYRAは口にしそうになるがグッとこらえる。
「死んだウチのじいさんの話じゃ、一〇〇年くらい前で、やりあっている最中にどんどん木も草も花も、川まで涸れちまったって。大地が乾きすぎてあそこだけ天変地異が起こったって話だ。魔女は死んだらしいが、錬金術師も相当深手を負ったって。ビビッて一〇〇年この方、誰も近寄りゃしない。正確には近寄ろうとした馬鹿野郎もいたらしいが、生きて帰った奴はいないって話だ。何でも、負けた魔女の呪いがすごいらしい。本当かどうかは知らん。ただ、アオオオカミもそこから生まれているって冗談も聞こえるくらいだからな」
一〇〇年ほど前。
地割れが起きて。
戦った片方は錬金術師。
つまり自分とRAAZの話なのか。DYRAはそんな風に思いながら、麦酒を流し込む。
「北の話はわかった。南西は何故?」
質問を聞いたバーテンダーは、自分の人差し指をDYRAの前でくるくるっと回す。
「ああ、南西まわりは港沿いに荒くれが増えちまってな。トレゼゲ島への交易利権をめぐって、海沿いの港町デシリオと漁村のチェルチが揉めているって話だ。何でも、女子どもも攫われるとかでとにかく治安が悪い」
普通の人間なら特にその町に用事がない限り避けるに十分な理由だ。DYRAはバーテンダーの話に頷いた。
「姉ちゃん。もし都の方へ行くなら無難にフランチェスコを通るといい」
キリがいいと思ったのか、バーテンダーは再び扉の方へ行くと、『準備中』の札を外した。DYRAはその間、聞いた話を頭の中でまとめ、これからどうするか考える。
RAAZを追うにしても、実のところ自分自身の記憶すらあやふやな現状は良いとは言えない。過去の自分にまつわる手掛かりが何かあるかも知れないなら、話に出た『死んだ土地』へ行くのはどうかと思い立つ。今から馬を使って移動すれば夜遅くにはなるものの、行くことはできる。移動中、山賊などに出くわしてもその程度なら自分の相手ではない。懸念すべきは、アオオオカミとの遭遇可能性だ。とはいえ、最悪の結果になるとしてもせいぜい、馬で戻れるかわからなくなるかも知れないだけのことだ。
DYRAは結果的にタヌと別行動を取ることにして良かったと思う。『死んだ土地』に行くと決めると、あと一つ、質問を投げる。
「ところで、この街には錬金協会はあるのか?」
質問に、バーテンダーはぎょっとした顔をしてみせた。
「姉ちゃん。それってまさか、山賊除けの札買って、これから出かけるってことか?」
普通の生活を送る人間にとって、錬金協会と言えば、御札や御守りの類を手に入れたり、託宣を受けたり祈祷する場所だ。さもなければ、病気になったときに診てもらう場所。異なる文明で言えば、神殿と占い屋、それに医療施設を兼ね備えるところだ。
「やめておけ。ラ・モルテが近くに出たって噂も聞こえている」
ここでもやはりその話を聞くことになったか。DYRAは特に驚く風も見せなかった。むしろこの切り返しで、規模はともあれ、施設があることがわかった。錬金協会はRAAZの息が掛かった組織だ。恐らく、自分が来たことが発覚するのも時間の問題だ。
「西へ行くにも、旅の御守りにラ・モルテ除けがいる、な」
誤魔化すにしては抑揚のない口調だが、それでもDYRAなりに言葉を選んだつもりだった。聞いたバーテンダーが安堵の表情を浮かべる。
「ああ。それだったら噴水広場の端に錬金協会の支部がある。明日の朝、買っておくといいさ」
DYRAは懐中時計で時間を確認した。八時が近づきつつある。二杯目の麦酒代金としてアウレウス金貨をさらに二枚置き、席を立とうとする。
「世話になった」
それをバーテンダーが制する。
「最初の分で情報料も全部コミだ。姉ちゃん。気をつけて」
「感謝する」
DYRAはバーテンダーに挨拶をしてから店を出た。その後、雑踏に紛れて移動し、目立たぬよう街の外れへ向かった。行き先は街の北側にある馬貸し屋だ。今から街の外、それも山の方へ行くとなると、タヌと明日の朝合流する約束を反故にするかも知れない。それでも、自分自身に関わることだ。彼には申し訳ないが、優先順位的にやむを得ない。
DYRAは立ち寄った馬貸し屋で金貨五枚を払ってランタンと馬を借り、さらに地図ももらった。馬に乗ると街を出て一路、北西へと向かう。時折速度を緩めて地図を確認しつつ、工業都市ピルロを掠めるように迂回し、ネスタ山を登り始めた。
山の中腹あたりに着いたところで、馬が疲弊したため、DYRAはここで馬を降りた。懐中時計を見ると時間は一一時三〇分過ぎを示している。
(思ったより、かかったな)
それでも、歩きなら半日以上使うだろう距離を移動したのだ。多少休ませながらとはいえ、馬にもかなりの負担をかけた。DYRAは使われていない山小屋を見つけると、その外れに繋ぎ止めた。馬貸し屋であらかじめ調達しておいた餌をやるのも忘れない。
DYRAはランタンを手に、山へと走り出した。
山の中へ入ってもDYRAは走り続ける。ふと肌に風を感じたときだった。
(何だ?)
何となくザラザラする。足元の感触も、地面が恐ろしく乾いていることを伝えてくる。土と言うより砂だ。土地が枯れているのだ。
この後、どれくらい走っただろうか。DYRAは砂まみれの風が自分の頬に当たっていることに気づいた。
改訂の上、再掲
013:【PELLE】DYRA、自分探しの情報集め2024/07/23 22:27
013:【PELLE】DYRA、自分探しの情報集め2023/01/04 01:17
013:【PELLE】DYRA、ボクの知らぬ間に情報集め2020/12/27 18:47
013:【PELLE】出会う人は、皆いい人(2)2018/09/09 12:33
CHAPTER 14 記憶の手掛かり2017/01/23 23:00