118:【CHAMBER】DYRAとハーラン、ついに邂逅する
前回までの「DYRA」----------
DYRAがRAAZとマイヨへの怒りと失望を胸に、タヌを助けようとひとり、ネスタ山を駆け抜けていく。朝になって曇天の空の下、道に迷ったことに気づいたとき、たどり着いた沢には、魚釣りをしているとおぼしき中年男性の姿があった。
ネスタ山の一角とおぼしき沢にたどり着いたDYRAの視界に、背の高い、アッシュ系の色合いの短い髪と髭が印象的な中年男性の姿が飛び込んだ。
男の足下には桶があり、魚が入っている。
少しずつ、忍び足でDYRAは近づいた。男が細い棒を手にしているのが見えた。剣や鞭の類ではなさそうだ。沢の方へ水平に向けて、そのままじっとしている。
(何をしているんだ?)
DYRAは相手の視界に入りにくいだろう場所からそっと見つめる。しばらくして水面が揺らぎ、男が細い棒を持ち上げるように動かす。水面がパシャパシャと跳ねると魚が姿を現した。男は慣れた手つきで魚のえらのあたりを包むように掴むと、サッと桶に入れた。
中年男性は、単に釣りをしていただけのようだ。DYRAは、この近くの集落から食料を確保しに来たのか、などと推察する。と、そのとき、再び中年男性が釣り竿を沢の方へ構える様子が見えた。今度はほどなく魚が釣れ、男は同じように桶へ収めた。
DYRAが見る限り、中年男性の振る舞いに特段、怪しい様子はない。だが、その認識をすぐに改めることになる。
「おはよう。迷子かな?」
まさか呼ばれると思っていなかったDYRAは、ハッとした。本気で隠れていたわけではないが、相手の視界に入りにくい場所をと意識していたつもりだったからだ。
「ここらで遭難したら、戻れないよ?」
手痛い指摘だった。迷い込んでここにたどり着いたのは本当だからだ。DYRAは何と言葉を返せばいいのか浮かばない。そうしている間にも中年男性が釣り竿をその場に置くと、DYRAの方へと近寄ってくる。
この場を立ち去るべきか、否か。DYRAは警戒しつつも、動かない方を選んだ。
(なっ!)
近寄ってくるに連れハッキリ見えるようになった、男の、赤ともピンクとも紫とも言えぬ奇怪な色に気づいたとき、DYRAは自身の選択が間違いだったと気づいたが、遅かった。あの目の色。忘れろと言われても誰が忘れるものか。
同時に、DYRAの記憶をあのときの、タヌの悲鳴にも似た声が掠めていった。
男の正体に気づいたDYRAは、どう接したら良いか考える。ピルロで初めて出会ったときと違い、近づいてくる男は例の、大きな筒のような飛び道具はもちろん、ピストルらしきものすら持っていないようだ。簡単に殺せるだろう。それでも、タヌが今どういう状況にあるかわからない以上、今ここで下手にコトを構えることはできなかった。
男は、DYRAの考えを察したかのように足を止めた。それは、あと二、三歩近づいたら蛇腹剣の餌食になるだろうギリギリの距離だった。
「怪しい者じゃない。この辺に住んでいる」
笑顔を浮かべて手を広げ、胸の高さでDYRAの方へ手のひらを向けて男は主張する。
「ウソは言っていない」
DYRAは鋭い視線で男を見つめつつ、返す言葉を慎重に選ぶ。
「確か、ハーラン……だったな?」
「覚えていてくれたとは、思えないね。……DYRA」
ピルロで初めて遭遇したあのとき、ご丁寧に自己紹介までしてタヌを攫っていった奴のことを誰が忘れるものか。DYRAはどこか煽るような物言いをするこの男を前に、今すぐ掴みかかって二、三発殴りたい衝動に駆られるが、堪えた。
「俺がここにいるのを、誰から聞いたんだか。けれど、キミのことだ。あのガキから、か」
だから何だ。それがDYRAの率直な、言葉にする必要すらない感想だった。
「それと先に言っておくが、あの少年に危害を加えたりなんてしちゃいない」
ハーランはここで、胸の高さで手を広げるのを止め、ゆっくりとした動きで腕を組んだ。
「キミとゆっくり話したいから、あの少年を連れ出した。それだけだ」
「それなら何故、ピルロで私を連れ出さず、タヌに手を出した?」
それまでハーランの言葉を聞いていたDYRAが言葉を発した瞬間だった。
「タヌを返してもらう」
言い終わると同時に、DYRAは左手の周囲に大量の青い花びらを舞わせると、細身の剣を顕現、その手に握った。
「ナノマシンリアクター内蔵の自己回復機能搭載型、か」
ハーランは呆れるような口振りで呟いた。しかし、応戦の構えを見せることはない。
「言ったろう? 俺はお嬢さんと色々お話をしたいだけだ。コトを構えるのは、あのガキだ……」
「ならば!」
DYRAが剣を構え、強めの口調でハーランの話をぶった切る。
「今すぐタヌをここへ連れてこい」
「ふふ。そんな乱暴な振る舞い、キミにはできないよ」
ハーランはゆっくり下がってDYRAとの距離を取ると、釣り竿と桶を置いてある場所まで戻った。DYRAも同じくらいの歩幅で後を追い、つかず離れずの距離を保つ。
「気になるならついて来れば良い。ただし、俺の生体反応が消えれば、つまり殺すようなことをすれば少年の居場所がわからなくなるだけじゃない。確実に死ぬことになると言っておく」
釣り竿と桶を手にすると、ハーランはDYRAに背を向け、森の方へと歩き出した。
「おい! ふざけているのか」
やられた、とDYRAは思った。森には木々が生い茂っている。中に入ってしまえば剣を振るう際に制約を受けることになる。蛇腹剣も例外ではない。青い花びらを舞わせながら剣を霧散させて収めると、ハーランを追うように森へと入っていった。
最初に言った「この辺に住んでいる」という言葉に偽りはないのだろう。一帯を知り尽くしているからか、ハーランは迷う様子を見せることなく移動していく。その速さは、普通の人間なら走るようなそれだった。
姿を見失うわけにはいかない。DYRAは昨晩ほどではないにしても、かなりの速さで走って追いかけた。だが、見失うことこそないものの、追い付くことができない。
(どこまで行くつもりだ!?)
進んでも進んでも続く森。次第に、時間と距離の感覚がなくなっていく。
やがて。
DYRAの視界に、森の切れ目が飛び込んできた。
森の外は、切り立った岩場のような場所だった。足場がいいとはお世辞にも言えない。
「ここは、どこだ?」
魚が入った桶と釣り竿を持ったまま、ハーランはしれっと言い放つ。
「キミたちが『ネスタ山』と呼ぶ山の端の方。ピルロやマロッタからは遠い」
DYRAはすぐさま頭の中で、以前タヌが持っていた地図を思い出す。今の話と突き合わせれば、推測にすぎないものの、タヌの故郷レアリ村からの方が近い、という解釈も可能だ。
「せっかく来てくれたんだ。食事でもしながら話そう。少年が無事なことも確認させる」
ハーランは、手のひらを動かして、DYRAに来るように告げる。
「けど、変なことを考えない方が良い。さっきも言ったが、俺が死ねば少年はその瞬間、死ぬ。出し抜いて連れ出そうとするのもダメだ。同じ結果になる。つまり、死ぬ」
ハーランの脅しとしか言いようのない注意喚起に、DYRAはRAAZやマイヨから聞いた話を思い出す。
「アイツにとってはそう簡単にくたばらない俺たちこそ一番恐ろしい相手だ。対策を立てまくっているだろうよ」
「そういうこと。ハーランは目的を達成するために必要なことを逆算して考える。要するに、勝つためならヒトデナシなことも平気でやる奴だ」
(本当に、涼しい顔で何でもやりかねない奴なのか)
心して掛かる必要がある。一つのミスで最悪の結末になる可能性もないとは言えない。DYRAは気持ちを引き締めた。
「申し訳ないけど」
ハーランは言いながら、目隠し代わりの布を出すと、DYRAに渡した。
「少しの間だけ、これを巻いてくれるかな?」
従わなければタヌと会えないのは明らかだ。DYRAは不本意だが、渋々布を受け取ると、目隠しの要求に応じた。
「少しだけ触るよ」
声を掛けてからハーランはDYRAの両肩に触れると、身体を何回か回してからそっと背中を押した。
足場が悪いことを意識しながら、DYRAはゆっくりと数歩、歩いた。
「もう、取っていいよ」
五、六歩くらいしか歩いていない。それで外して良いというのなら、周囲の風景をある程度記憶していたので楽勝だ。DYRAはそう思いながら目隠しの布を外した。
しかし、その認識は甘すぎた。DYRAは、目の前の現実に打ちのめされる。
「!」
目の前、いや、周囲は真っ暗だった。わかることがあるとすれば、先ほどまでと違い、頬に空気が触れる感覚がまったくないことだ。つまり、外ではないと言うことだけ。
「ついてきたまえ」
先ほど目隠しに使った布の端を掴んでハーランが歩き出す。布の反対側の端を掴んだ状態でDYRAも続く。歩いている間、何度も右折と左折を繰り返した。曲がった数が多かったためか、それぞれで何歩歩いたかなど覚えきれなかった。
「どうぞ」
足を止めたハーランのすぐ先に、まるで真っ暗な空間を切り取っているように四角い光があった。DYRAは部屋に着いたのだと理解した。
「牢獄なんかじゃない」
言われるがまま、DYRAは部屋の中へと進む。そのとき、ハーランが扉のそばで何かを手で隠したのを見逃さなかった。それに、先ほどまで持っていた桶や竿もどこかへ置いてきたのか、持っていない。
部屋の中は意外に広く、実用性だけを突き詰めた感じのテーブルと背もたれのついた椅子が置いてある。それだけではない。部屋の奥の方にこれまた実用一辺倒と言った感じのベッドとサイドテーブルが置いてある。DYRAの目を引いたのは、入って左手側の白い壁だった。その壁の一角だけ何となく光っている。まるで白い木の壁にそこだけ白い大きな四角いガラスを埋め込んでいるように見えた。
「ようこそ」
ハーランはそう言うと、DYRAに座るよう促した。
「一体どういうつもりだ」
DYRAが乾いた視線でハーランを見る。だが、ハーランは意にも介さない。
「ガラス容器にぶち込んだホルマリン漬けの死体が置かれた地下室は、おしゃべりをするのに相応しくないだろう?」
常識的に考えれば、ハーランの言い分は至極真っ当だ。死体が置かれた場所は、初対面での会話を交わす場としては論外だ。
「だが、人攫いをしていいという道理はない」
素っ気ない口調でDYRAは言い捨てた。
「でも、このくらいやらないと、あのガキ抜きでキミと話すことはできない」
「勝つためなら、何でもやる、か」
「ひどい言い方だなぁ。だが、あのガキもそうだろう?」
「RAAZがやったら、自分もやっていい、と? それと言っておくがRAAZはお前みたいな振る舞いをしない」
「そりゃあそうだ。キミにそんな振る舞いをするわけがない。マッマにそっくりなんだから」
マッマ。その一言で、DYRAのハーランへ注ぐ視線が一層乾いたものになる。
「お前も、私を見ながら死んだ女の尻を追う、か」
DYRAはそう言って、あからさまな不快感を示した。
「すごい言い方だなぁ」
ハーランは苦笑した。
「目の色以外、全部同じだったんだ。驚いたのは本当だ。どうかそんな言い方は許して欲しいなぁ」
「断る。私はどこぞの死んだ女の身代わりじゃない。まして、お前の母親に成り下がった覚えなんかない」
笑って許しを請うハーランの言葉など唾棄に値する。DYRAはRAAZやマイヨに対してバッサリ言い捨てたときと同じか、それ以上の不快と嫌悪を返事に込めていた。
「面白いね」
ハーランはDYRAが怒りにも似た感情をぶつけてきたことに対し、取り立てて表情を変えることはない。
「どこぞの死んだ女の身代わりほどの価値すら与えられたことのないキミが、そんなことを言うんだ?」
死んだ女の身代わり以下と言い切ったハーランに、DYRAは二つの意味で苛立ちを露わにする。
「お前、何者、いや、何様のつもりだ?」
自分自身ですら自分のことをわからないのに、他人が自分ですら知らない自分のことを知っているのは面白くない。そんなのは長いつきあいのRAAZだけでたくさんだ。しかも、目の前の男はDYRAを「どうでも良い奴」と言い切ったも同然なのだ。DYRAにとって侮辱以外の何物でもなかった。ただただ腹立たしい。タヌを攫った奴だという事実が怒りの種火としてある中、ハーランの言い草が火に油を注いだ形だ。
「キミのことはちゃんと調べさせてもらったよ」
ハーランは続ける。
「あのガキの玩具のままでいいの?」
「は?」
RAAZが『兵器』と言い切ったことも気に入らないが、この男の言い方はもっと気に入らない。DYRAは眦を上げていた。
「あのガキの玩具で、この時代の連中からはラ・モルテと蔑まれ、キミ自身のいた時代では……」
ハーランはわざとらしく言葉を止めた。
「気に入らない」
気に入らない奴を叩きのめすのに理由も理屈もいらない。目の前のこの男を今すぐ叩き殺してやりたい。だが、それでもDYRAは最後の一線を越えまいと懸命に耐えた。タヌの安否がわからないからだ。
「お前。私を挑発して何をしたい!?」
怒りを露わにするDYRAの表情を見ながら、ハーランは笑いを堪えていた。
「ふっふっ……いやいや失礼。いや、これだけ言って、『挑発して』という言葉がきちんと出てきたからつい、ね。ふふふ。自分の居場所がどこにもないのに、キミは本当に健気だなぁ」
ハーランは笑いを収めた。それから一転、憐れむような目でDYRAを見つめると、改めて切り出す。
「キミ、死んだ女の身代わり、いや違うね、死んだ女の姿をした兵器のままあのガキに良いように使われるばかりで、本当にいいの?」
改訂の上、再掲
118:【CHAMBER】DYRAとハーラン、ついに邂逅する2025/01/15 18:59
118:【CHAMBER】居場所のない死神(2)2019/09/09 22:00
CHAPTER 118 紅玉と蒼玉 前編2018/03/09 00:05