113:【CHAMBER】DYRAもRAAZもマイヨも、山へと足を踏み入れる
前回までの「DYRA」----------
タヌはハーランと一緒に外へ出た。連れて行かれた先は、廃墟だった。ハーランは、そこがかつて自分がいた文明の施設だったこと、そして文明そのものがRAAZひとりによって破壊されたことを明かす。
(当時のことを考えると、この山は境目ってことか)
タヌとハーランが山の向こうの廃墟へ行った日の夜のこと。マイヨ・アレーシはピルロの北に広がるネスタ山の中腹にいた。正確には数日前、謎の爆発事故が起こったのにも関わらず、埋められていた現場だ。DYRAが襲われた場所近くでもある。マイヨはランタンなど灯りの類を持っていないが、透明なゴーグル型のメガネを掛けて、すべて見えているとばかりに軽やかな足取りで移動していた。
(タヌ君の件もある。DYRAなりRAAZなり、そろそろ接触してくるだろうよ)
タヌが攫われた件について、RAAZがハーランの居場所にアタリをつけている様子はなかった。だとすれば、自分の元へ来るしかない。マイヨはそう確信していた。ここにいれば来るのではないか、と。根拠は彼なりにあった。数日前にRAAZと直接話した際、互いの利害が合致する間は手を下さない約束をしたことだ。DYRAの件が終わったのでその話はナシと言われる可能性も捨てきれないが、確率的には低いだろうとマイヨは考える。
(ヤツが来るまでに、少しでも、見るものは見ておくってことで)
しばらくの間マイヨは、周囲を見ては目印になりそうな木を見つけ、ラピスラズリ色に輝く夜空を見上げては星の位置を確認するとおぼしき仕草を繰り返す。
マイヨがだいたいわかったと言いたげな表情をしながら周囲を見回す。と、そのとき、背中にふわりとした風を感じた。
(お出まし、かな)
マイヨがゆっくりと振り返ると、少し離れた場所で、赤い花びらが舞い上がっていた。
「思ったより、遅かったね?」
マイヨは率直な感想半分、皮肉半分とも取れる言い回しで告げた。
舞い上がった赤い花びらが徐々に消えていくと、RAAZがそこに立っていた。
「お前のことだ。ここにいるとは思っていたさ」
RAAZがそう切り出したところで、二人の表情はどちらからともなく真剣なそれへと変わっていった。
「情報将校にして、威力偵察をやっていたお前なら、何かわかることがあるかと思ってな」
「ハーランの件だろ? 居場所とか、今さら何をとか、色々」
「まさしく」
RAAZが大きく頷いた。
「ご期待に添えなくて悪いんだけどさ。いくつかの質問には答えられる。が、全部は無理だ」
「正確な居場所はわかるのか?」
「現在の居場所、ってだけなら、だいたいか。今、古地図見てからここに来て、絞り込みを掛けていたところだ。あと一日あれば、ある程度精度を確保できる」
古地図とはもちろん、彼らが属していた本来の時代のそれだ。
「今さら云々については、俺の方も気になることがある。その質問の答えについては、追って、でいいか?」
RAAZにとって不本意な回答だった。ない、と言ったも同然ではないか。しかし、それでも今はマイヨの協力が不可欠なのだ。黙って頷いた。
「RAAZ。あの後、DYRAは大丈夫だったのか?」
真顔のまま尋ねるマイヨに対し、RAAZは困ったとでも言いたげな戯けた表情をして、両手のひらを天に向けて胸の高さで広げてみせる。
「拗ねちゃったよ」
拗ねた、などという表現が飛び出すとは夢にも思っていなかったマイヨは耳を疑った。それでも努めて何事もなかったような表情を保つ。
「何があった?」
「ガキを助けるってさ。私に言わせれば、ハーランにガキの父親を捜してもらった方が良いと思ったんだがな」
「厄介払いか?」
「ああそうだ。だが、DYRAが納得してくれない。それどころか、自分で助けにいくと息巻いていてね。止められない」
RAAZの言葉に、マイヨはらしくない舌打ちで応える。
「タヌ君を助けたい気持ちもわかる。けど、相手が悪すぎる」
マイヨは、まずいことになったとばかりに溜息にも似た深い息を漏らす。その後、天空を仰ぎ見ると、もう一度、深い息をついた。
「この前、お前が私に隠し通したことの中に、関係ある情報が紛れているんじゃないのか?」
「タヌ君というこの時代の人間と、DYRAを巻き込んだ以上、知らんぷり、はダメか」
マイヨは言いながら視線をRAAZへ戻していく。
「仮に関係あるネタを持っているとして、それでもここでアンタと話すことじゃない。あと、DYRAをいったん思い止まらせる必要があるんだろ? それなら、三人で話さないか?」
「今引き止めたら、彼女は暴れ出すか、もっと面倒なことになる」
「じゃ、彼女にちょっと落ち着いてもらうためにも、明日の夜、この座標で落ち合うってのはどう? それまでに俺も情報を集めておくってことで」
マイヨはそう言うと、懐から鉄扇を取り出し、身を屈めると、地面に何か書いていった。RAAZは書かれた文字を素早く読み取る。それは位置情報を意味する数字の羅列だった。
「これは?」
「生体端末から入手した目印の情報」
「なるほど。そういうことか。わかった。消して良い」
マイヨの提案は考え得る限り、DYRAを思い止まらせるための策としても役に立つ。現実的な落としどころとしても適当だと納得したRAAZは、頷いてみせた。何より、彼女がタヌを助けに行くのを止める役をマイヨに押しつけることができる、というところが気に入った。
「では彼女を明日の夜、そこへ連れて行く。今いる場所からそこへ向かいやすい地点へ彼女を移してくる」
RAAZはマイヨから二歩、三歩と離れると、その身の周囲に赤い花びらを舞い上がらせ、姿を消した。
一人その場に残ったマイヨは苦笑を漏らして、空を見上げた。空は相変わらず、ラピスラズリ色だった。
(俺も、心配になってきた)
マイヨも、黒い花びらを自身の周囲に舞わせると、RAAZと同じように、その場から姿を消した。
RAAZとマイヨがネスタ山の中腹で話し込んだ翌日。
「……ここ、は?」
目を覚ましたDYRAは、あたりを見回した。真っ暗で、何も見えない。
「どこ、だ?」
DYRAは自分がベッドらしきところに倒れていることに気づき、ゆっくりと身を起こした。少しずつ目が慣れ、周囲が見えるようになってくる。
「何だ……?」
どこかの小さな部屋だった。部屋には小窓が一つだけ。火が点いていないランタンが床に無造作に置かれていることに気づいたDYRAがそれを手に取ろうとしたときだった。
「ん?」
ランタンの近くにもう一つ、何かが置かれている。DYRAは確かめるように触れる。四角い何かだとわかる。
(あっ)
厚みから、DYRAはそれが何か漠然と気づく。鞄だ。持ち手がないか手探りする。ほどなくして見つかると、ランタンと共に鞄を手にした。
暗い部屋の中を数歩歩くと、扉がそこにあった。DYRAはそっと扉を開く。
(ああ……)
扉の向こうは、ラピスラズリ色の夜空が広がっていた。
(ここは、どこだ?)
見回す限り、周囲に広がっているのは乾いた土地だった。
「す……な」
乾いた土地のさらに奥には砂ばかりが広がる地。まだどこかぼんやりとしていたDYRAの脳が回転を始めた。
(ここは)
この場所にDYRAは覚えがあった。比較的最近、来た場所だ。そう。タヌと出会ってから──。
(『死んだ土地』!)
今、自分がどこにいるのかわかったDYRAは合点がいったとばかりに周囲をぐるりと見回した。
(ならばここは)
ペッレに来た夜、馬を借りて『死んだ土地』へ行こうと思い立ったとき、馬を繋いだ無人の捨て置かれていた山小屋ではないか。
DYRAは小屋の中に戻ると、鞄を開けて手探りでマッチを探し、ランタンに火を点けた。
小屋の中がハッキリと見えるようになった。以前、馬を停めたときは利用しなかったので想像でしかないが、外から見た限りは、無人の、打ち捨てられた小屋だった。それが今はどうだ。それなりに小綺麗な内装になっているではないか。DYRAは、ここを綺麗にして自分を運んできたのは誰なのか、すぐに察する。
ランタンの灯りのおかげで、DYRAは、開いた鞄に封筒が入っていることに気づいた。開くと手触りのいい便せんが入っており、早速一枚目に目を通す。
Ripensaci.
Vuoi davvero aiutare il ragazzo?
Guardati
Quindi leggi il resto se vuoi davveroaiutare.
(『本当にあのガキを助けたいのか、考え直せ』、か)
RAAZからのメッセージだとすぐにわかったDYRAは、二枚目を見ようとしたが、その手を止めた。
自分の行動をバカにしたり揶揄したり、呆れたりするばかりのRAAZがここまで言うのだ。DYRAは便せんから一度視線を上げると、灯りで照らされた天井をじっと見つめる。
理屈はいらない。それではダメなのか。
DYRAはいつしか、タヌと初めて出会った日からここまでのことを思い出していた。
村を焼かれ、帰る場所を失い、道中を共にすることになったタヌ。
これからどうしていいかわからないと、どこか自信なさげな態度でついてきたタヌ。
ピアツァで、夜のうちに戻らなかったからと、朝、森まで自分を捜しに来たタヌ。
ラ・モルテと呼ばれる自分を少しも恐れることなく、疎まれた際にはそれなりに気遣おうとするタヌ。
自らの母親に実は捨てられていたという現実に向き合うことすらもできぬ間に、目の前で母親が殺されてしまった、にも関わらず気丈に振る舞い、昏倒した自分を助けてくれたタヌ。
(タヌは、両親を、いや、今となっては父親を捜すって)
タヌの両親捜しを動的に手伝うと言った覚えはない。だが、自分と出会ってしまったせいでタヌが狙われ始めたと聞いたことで、状況が「ついてくるのはタヌの勝手」なる言い分を許さなくなってしまった。サルヴァトーレの姿をしたRAAZから帯同してくれと頼まれたこともあって引き受けたようなものだ。
(でも)
タヌとは出会ってから二〇日と少々。一三〇〇年以上の時間の中ではあまりにも小さな出来事なのに、側にいるのがいつしか当たり前になっていたのかも知れない。一体何故そうなってしまったのか。
DYRAは、無理だとわかっていながらも、生まれたときから今までの記憶をたどる。定かでない記憶を思い出すことは、やはりできない。ただ、ぼんやりと節目節目にRAAZがいたことが浮かぶだけだった。その他は、具体的に何が起こってどういう理由でかは皆目わからないが、嫌悪や不快感が湧き上がってくるだけ。
(きっと)
自分には、思い出せない時間がある。
そして、タヌと過ごした時間を、思い出すことすらできない『黒く塗りつぶされた何か』にしたくないのだ。
DYRAの中で漠然とだがそんな考えが浮かび上がった。
そのとき。
「あっ……」
頬に雫が流れ落ちる感触が伝わってきた。
落ちていった雫は、一滴、また一滴と滴り落ち、便せんを濡らしていった。雫が落ちた音で、DYRAはハッとすると、視線をそこに戻す。
涙で滲んだ文字を見た瞬間、反射的に顎の近くの輪郭に指を這わせた。
「何だ、これ。何故……?」
グローブを填めた指先が濡れているのを見ると、DYRAはそれをしばらくの間、じっと見つめる。
やがて。
見つめる手のひらの周囲に、青い花びらが舞い始める。
「タヌ……」
青い花びらが嵐のように舞い上がり、手には蛇腹剣が顕現していく。
「必ず……」
柄を握りしめたとき、一滴、雫が刀身へと落ちていった──。
改訂の上、再掲
113:【CHAMBER】DYRAもRAAZもマイヨも、山へと足を踏み入れる2025/01/15 12:57
113:【CHAMBER】ハーランという男(4)2019/08/22 22:00
CHAPTER 113 喜びなき再会2018/01/26 01:08