112:【CHAMBER】タヌ、ハーランと外出し、歴史の講義を受ける?
前回までの「DYRA」----------
意識を戻したDYRAは、タヌを助けに行こうと思い立つが、RAAZは渋る。だが、その理由を知ったとき、DYRAはRAAZにも、そして自分自身にも失望にも似た感情を抱くようになる。
ハーランとアイスを食べ、腕輪をつけられた日の翌日。タヌは、やはり同じ部屋にいた。どうにかしてこの部屋から抜け出す方法がないかと何度も考えたが、今ここに至るまでいい案が浮かぶことはなかった。
「タヌ君。いいかい」
タヌがいる部屋へ、ハーランが入ってきた。昨日と変わらぬ、黒いシャツとパンツ姿だ。初めてピルロで見たときのような、色のついたメガネも掛けていないし、鎧のようなものもつけていない。
「は、はい」
連れて来られた当初は、内心の動揺を隠そうと必死だったタヌも、今は大分、落ち着きを取り戻していた。ハーランは今のところ約束を守っている。タヌの心身いずれにも危害を加えていない上、部屋に現れる度、「退屈しないように」と、本やパズルなどを置いていくのだ。それらに触れて、段々と冷静になれた。
「せっかくだ。気晴らしに外の空気を吸いに行こうか」
「え」
タヌは内心、逃げるチャンスなり、逃げられずとも助けを求める手段を得られるかも知れないと喜ぶ。が、それを顔に出してはいけないと思うと、平静を装った。
「もう少し、喜んでくれると思ったんだけどなぁ」
「だって……」
タヌは言いながら、手首に填められた腕輪に視線をやった。
「キミはやっぱり賢いな。連れ出し甲斐があるというものだよ」
笑顔で言うと、ハーランはタヌに一緒に来るように手招きした。
タヌは部屋を出るとき、ハーランが扉の外側、脇の壁についている小さな数字配列ボタンを押しているのを見逃さなかった。顔を動かさないように、目線だけでちらちらっと見る。
(3、6、75……)
開いた扉の外には普通の廊下が広がっていた。昨日タヌが部屋の外へ出ようとしたときに、底が抜けたような空間になっていたのがウソか見間違いのように思えてくる。そのくらい、ごく普通の廊下だった。
「外はこっちだ」
歩き出したハーランの後にタヌは続く。廊下を真っ直ぐ歩くだけで、迷路のように複雑、などと言ったことはなかった。ただ、床も壁も天井も、銀色とも灰色とも言えるような色の、同じ素材でできていた。道を覚えたいとタヌは思ったが、目印になりそうなものを見つけられない。突き当たりまで行くと、螺旋階段があった。ハーランが上り始めたのを見ると、三歩後ろをついていく。
「ここだ」
タヌはハーランに促される形で階上まで上がったところで、軽く背中を押された。
「あっ……」
タヌの頬を風が撫でる。久し振りの外の空気が非常に新鮮だった。
「ここ……」
見渡す限り、茶色と灰色の山、山、山。寒い季節が迫っていて木々が枯れているのか、別の理由で山がはげているのかはタヌにはわからなかった。
「キミたちが『ピルロ』と呼んでいた街からこの山が見えただろう? ここはその、山を挟んだ反対側の中腹だ」
ハーランは、タヌへ指差しながら説明した。次に、指差す方向を逆に向けた。
「あっちを見てご覧」
タヌは、ハーランに言われた通り、振り返って指差されている先を見る。
「何ですか? あれ」
タヌの目に、平地らしき場所の一角に何か、巨大な輪のような壁に囲まれた、街らしきものが見えた。
「タヌ君は、山の向こうへは行ったことがないのかい?」
「ボク、DYRAに会うまで、村を出たこともなかったから」
「そう。それだったら、知らないのは無理もない、か」
ハーランは、タヌの言葉に小さく二、三度頷いた。
「タヌ君が見ているあそこはね、廃墟だ」
「廃墟?」
「うん」
「元々何があったんですか?」
「あそこは昔々、大昔、今とは違う文明があった頃に建てられた街だよ」
「そうなんですか!」
「せっかくだ。見に行くかい?」
「えっ?」
建物の外に出たりしたら腕輪が爆発するのではないか。タヌがそれを言葉に出すより早く、ハーランが答える。
「一緒に行こう。大丈夫だ」
タヌはハーランの言葉から、山の向こう側かこちら側か、それからハーランとの距離とで、腕輪が爆発するようになっているのかも知れないと推測する。
「じゃ、出かける準備をしよう」
ハーランはタヌの背中をそっと押し、戻るようにと伝えた。
この後、タヌはハーランに連れられて、山の反対側へと下山した。最初に外へ出たときは朝だったような気がする。上着や、厚手のブーツなどを履いたりしなかったが、特に問題はない。それにしても、どれくらい時間が経っただろうか、などとタヌは考えていた。
「こっちだ。見てごらん」
ハーランが指し示す方向にタヌは目をやった。
「あそこは?」
タヌの視界の向こう側に、砂埃まみれとなった瓦礫の山が見渡す限り広がっている。まさかこんなものを見ることになるとは思わなかったタヌは、気の利いた言葉はもちろん、感想らしい感想も浮かんでこない。
「さっき、見せたところだよ」
この説明で、先ほど山の上から見下ろしていた、『昔の文明の頃の建物』の廃墟のことだとタヌは気づいた。山を下りた後のでこぼこしたところは、丸い外周のようになっていたところだったのだろうとも想像できる。
(近くで見ると、こんな感じなんだ)
タヌは瓦礫の山を見ながら歩くうち、あることに気づき始める。
(いつだったかの、ピアツァよりひどいっていうか……何だろう?)
タヌは、DYRAと初めて出会い、村の外へ出て初めて寄った小さな町、ピアツァのことを思い出していた。たくさんの火薬で町が吹き飛ばされてしまったところだ。
「タヌ君。ここがこんな風になったのは、どうしてだと思う?」
突然の質問にタヌは一瞬、目を点にしたが、自分なりに想像し、答えを出す。
「や、山が爆発したとか、地震とかですか?」
ハーランは穏やかな口調で返した。
「違うね。……たった一人の男のせいで、ここはなくなった。ここだけじゃない。同じように、数え切れないほどの都市が一瞬で、だ」
「あの、ど、どうやって?」
「キミたちが使う火薬の何千、いや、何万倍分の爆弾を、それこそ、夜空に見える星の数ほど使ったんだ」
一人でピアツァよりひどく町を壊す、しかもたくさんの都市を同時になんて、一体どうやってできるのか。タヌにはとても想像することなどできなかった。
「えっと、仮にそんなことができたとしても、どうしてそんなことを? って、それに誰が」
まさか、ハーランが。
タヌがそんな風に考えたときだった。
「俺たちが生きてきた文明にたった一人だが、死なない奴がいたのさ」
街が廃墟になった話以上に何を言われているのかわからないタヌは、目を点にすることしかできない。
「RAAZだよ」
「RAAZ……さん?」
タヌは一瞬、我が耳を疑った。
「ハーランさん。何を、言っているんですか?」
「アレのせいであちこち、こんな風になったんだ。タヌ君が生まれるずーっと前の話だけどね」
「ボクが生まれる前?」
「聞いたことくらい、あるだろう? この世界が火で焼き尽くされただの、人が一人残らず皆死んだだの、人も街も皆滅びてしまっただの」
「子どもの頃、見た本にはあったかも。でも、うろ覚えだし」
タヌの偽らざる記憶だった。幼い頃に父親の書斎で勝手に本を見たとき、そんな絵が描いてあったページを見たかも? 程度の知識しかない。
「その、怒りで世界を焼き尽くした張本人こそ、キミたちがRAAZと呼んでいる奴だよ」
すぐさま、タヌの中で疑問が浮かび上がる。
「待って。どうしてハーランさんがそんなことを!?」
「この間の、あの薄暗い地下室で聞いていただろうから、何となくわかっているだろう。……俺とRAAZは、知った顔同士だ。もう、三六〇〇年を越えたのか。数字だけなら長いつきあいだ」
「え」
廃墟の中を歩きながらハーランが説明する。タヌは聞き漏らすまいとついていく。
「この間、三六〇〇年以上ぶりに会ったんだ」
タヌにはいよいよ、ハーランが何を言っているのか、わからなくなっていた。
「俺はね、地下深くで冬眠していたから、難を逃れたんだ」
「冬眠? 人間って、そんなことできるんですか?」
タヌが知る限り、冬眠とは熊などの動物がやるものだ。タヌは疑問をそのまま口にしていた。
「俺たちの時代には、できたんだ。人間を冬眠させて、そのまま死刑とかね」
寝ている間に殺す、という意味だけ理解できたタヌは、サラリと話すハーランを前に顔を強ばらせた。寝ている間に殺されるのはある意味、痛いとか苦しいとかわからないのが救いだろうかなど、タヌの頭の中で次々疑問が湧き上がる。が、すぐにその思考を振り払った。考えても仕方がないことだからだ。
「あの」
タヌが深呼吸をしてから、尋ねる。
「どうして、RAAZさんがそんな、あっちこっちの町や村を全部瓦礫にしないといけないんですか? だいたい、どんな理由で……」
タヌが知っているRAAZは、DYRAを守るためなら自分が嫌われ役になることを含め、どんな手でも使う。彼女へ危害を加えようとする相手には迷わず報復で応える。そんな印象だ。
(そうだ……)
ピルロの街そのものを焼失させるような勢いで、あちこちに火を点けて回っていたではないか。タヌは数日前の出来事を思い出していた。
「思い当たる節はあるだろう?」
ハーランの言葉は、タヌが何を思い出したかを見計らったようなタイミングで聞こえてきた。
タヌは、立ち止まると、廃墟をじっと見回す。元は建物だったのかも知れないが、原型すら留めていないのでもはやわからない。それでも、家にしては大きい気がする。錆びた鉄かも知れない棒のようなものがひしゃげた状態で剥き出しになっているものもたくさんある。地面は土というより砂まみれだ。
「ここはちょうど、ミサイルが当たった場所だ。でもこの程度の破壊で済んだのは、核だの反応兵器だのが投入されたわけじゃないからだな」
また、ハーランの口から出てきた初めて聞く単語。しかし、タヌはわからないからと言って聞き流したりしない。
「ミサイル? 何ですか? それ」
「爆弾を効率良く正確に、遠く離れた的に飛ばすものだ」
ハーランの説明を受けたが、タヌは実物を見たことがない。タヌには、火薬をたっぷり詰めた樽を投石器で遠くの壁に発射するイメージしか浮かばなかった。それのもっとすごいやつなのだろう、と。
「夜空の星の数ほどその、火薬を詰めた爆弾の雨を降らせたなら、町だの村だのって話じゃなくて、ボクたちがいるところ全部なくなっちゃうんじゃないですか?」
「その通りだよ。俺は『RAAZが昔、世界を滅ぼした』と言っている」
「あの、でも、人は?」
普通、死体がたくさんあるのではないか。タヌは、この廃墟に骨を始め、人がいたことを示すようなものがまったく落ちていないことに気づいていた。
「もうないよ、そんなものは」
「ない?」
「骨なんざ、灰になって消えた」
肉を食べるために焼いたときだって骨が灰になった試しはない。タヌには、骨を焼いたら灰になることもまた、想像できなかった。
今しがた見たことや聞いたことはタヌにとって、これまで生きてきた時間で得た知識のすべてを凌いでいた。四か月ほど前の両親の失踪と、一か月ほど前の故郷の村が襲撃された件がタヌの「これまで当たり前のように過ごしてきた日常」を完膚なきまでに砕いたものなら、今目の前で見せられているそれは、「これまで当たり前のように得てきた知識はあまりにも少なく、小さいものだった」ことを思い知らされた瞬間とでも言うべきか。
「ハーランさんは、どうしてボクに色々教えてくれるんですか?」
タヌは、今までの常識からではまったく追い付かなくなっている状況で、何をどこから聞けばいいのか、わからなくなっていた。それどころか、パニックになりそうな気持ちを堪えるのが精一杯だった。
「キミには、俺のことを誤解して欲しくなかったからだよ」
「誤解?」
「俺はこの時代に目を覚まして、確かに驚いている。それでも、キミたちと敵対するつもりはないんだ。RAAZじゃあるまいし、この世界を支配しようとか、上に立って何とかしてやろうとか、そんなつもりは少しもない」
タヌは言葉を挟まず、ハーランが言い終わるまで聞く姿勢を保つ。
「俺は今まで生きてきた世界では、言ってみれば『嫌われ役』だった。人の嫌がることをやって、憎まれたり、恨まれたり。けれど、今はこの時代にいる。生まれ変わりたい、とでも言うのかな……」
(生まれ変わりたい?)
ハーランの言葉を聞きながら、タヌは口を小さく動かして、声を出すことなく呟いた。
「俺だって人間だ。嫌われ、蔑まれるより、たとえささやかでも敬意を払われ、静かに暮らせる方が良いに決まっている」
「……」
「キミたちの文明の発展に寄与できるなら、俺の知っていることを教えるくらいはできる。間違った道に進まないためにも」
「間違った?」
「俺たちの時代は、間違ったんだろうな。だから延々と戦争なんざやって、挙げ句の果てに最後はクソガキ一人の手で世界が吹っ飛んだ」
タヌは、ハーランの言葉に何と返せば良いのかはもちろん、ハーランが心からそう思って言っているのかさえわからなかった。
「俺はこの文明を発展させたいと思ってる。それで、少ないけれど、『文明の遺産』を探したり、それを元に何かを産み出そうとしている研究者に出会うこともあった。キミのお父さんとかね……」
「えっ……」
それまであれこれ考えていたタヌの頭の中が真っ白になる。
「今……」
この人は、父さんのことを、知ってる──。
「あ、えっと」
タヌは返す言葉がまったく浮かばない。
「えっと……」
視線を泳がせ、唇を僅かに震わせながら、タヌは言葉を探すことしかできなかった。
「さ。寒くなるといけない。戻ろうか」
改訂の上、再掲
112:【CHAMBER】タヌ、ハーランと外出し、歴史の講義を受ける?2025/01/15 12:29
112:【CHAMBER】ハーランという男(3)2019/08/19 22:00
CHAPTER 112 再臨の青い花びら2018/01/22 23:00