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111:【CHAMBER】DYRAは意識を戻すや、タヌ救出に感情的になる

前回までの「DYRA」----------

ピルロで手掛かりを探し回っていたマイヨはここに来て、こっそりとアントネッラのもとを訪れる。彼女の野心が「自分のためではなくピルロのため」であり、その心に偽りがないことを知ったマイヨは全面協力を申し出た。

「……こ、こ……は」

 目を開けたDYRAの視界に映ったのは、揺らめく、真っ白な空間だった。

「いった、い?」

 視線を動かしたとき、DYRAはハッとした。身体が水のようなものに浸かって、いや、沈められているではないか。ピルロで、街に火を点けていたRAAZを追って、タヌと一緒に市庁舎の奥にある屋敷に乗り込んだのではなかったのか。そしてそのとき、見知らぬ男が現れ――――。



「タヌッ!」

 突然現れた男と共にタヌの姿が消えた。

 その瞬間を目の当たりにしたDYRAは動揺を露わにし、悲鳴にも似た声を上げた──。



 DYRAは自分が狭い空間に横たわっていることに気づくと、上半身を起こした。自分自身と、あたりを見回すと、全裸で、呼吸のできる液体で満たされた容器に入れられていたことを理解する。かなり大柄な体格でも余裕を持って入れられる大きさなので、DYRAなら寝返りを打つこともできる。横倒しに置かれていた容器は液体で四分の三ばかり満たされていながらも、蓋はアームで支えられて足下を軸に、四五度、持ち上げられた形で開いている。

「ようやく、目を、覚ました、か」

 RAAZの声がDYRAの背中に軽くぶつけられた。容器の頭側にいるのだろうとDYRAは察知する。

「肌着類と服はそこにある」

 RAAZの言葉に、DYRAは足下側に大判のタオルと服が置いてあることに気づいた。即座に容器から出て、髪や身体を拭き、続いて木綿でできている検査着のような服に袖を通した。

 服を着たDYRAはRAAZが立っている方を見る。着替えているところを見ないようにと気遣っているのか、男は背を向けていた。彼女の視線を背中で感じ取ったのか、RAAZはゆっくりと振り向いた。

 RAAZはDYRAの前に立つと、彼女の首筋にそっと手のひらを当てた。

「傷は治って、跡もない、か」

 DYRAは何も答えない。

「何故、あのときすぐに身体を回復させなかった?」

 RAAZからの問いかけに、DYRAは少しだけ俯くと、首を小さく横に振った。

「あそこでやれば、あの建物は崩落しただろう。タヌがケガをするかも知れなかった」

 DYRAが言ったのは、市庁舎の奥にある屋敷の地下でのことだった。ピルロの闇とでも言うべき裏の顔が凝縮された場所で待ち受けていたのは、想像すらままならぬ出来事だった。

 アッシュ系の短髪と、赤ともピンクとも言えぬ奇妙なガラス玉のような目を持った大柄な男が、見たこともないような飛び道具を使って襲いかかってきたのだ。DYRAはタヌを守ろうとしたとき、この飛び道具で飛んできた破片が首を掠め、傷を負った。普通の人間だったら即死か、出血多量でそのまま死ぬのが明らかな深手だ。だからRAAZは身体を即回復させるべきだったと言い、DYRAはタヌのことを考えてその手段を執らなかったのだと主張する。

「そんなことより、タヌを助けに行かないと……!」

 しかし、DYRAの言葉は最後まで続かなかった。遮ったのは、DYRAの頬を平手打ちした音だった。

 いきなり痛打を喰らったDYRAは、何故そんな目に遭わなければならないのか理解できない。「ふざけるな」と声を上げようとするが、その言葉は喉のあたりまで出掛けたところで消し飛んだ。

「キミはっ!!」

 RAAZは平手打ちをするなり、そのまま両手をDYRAの背中に回すと、彼女の身体を抱きしめた。

「おっ……あ……」

 あまりにも突然の出来事に、DYRAは激しく戸惑った。RAAZの腕に込められた力の強さに、身体の自由を取り戻そうとするDYRAの抵抗など無駄にも等しい。さらに、胸板のあたりに頬を押し当てられたこともあり、少しばかりの息苦しさを感じる。だが、戸惑った理由はそれだけではなかった。

(息が、重い……?)

 息を止められているわけではないのに、苦しい。それだけではない。脈拍が上がっていくのも自らの身体から感じ取れる。

「放……」

 放せと言う言葉さえ思うように出ない。口を塞がれているわけでも、息を物理的に止められているわけでもないのに。DYRA自身、何が起こっているのかわからなかった。

「キミが、無事でよかった」

 DYRAは、RAAZの言葉が今まで聞いてきたものと違うことに気づく。意識を戻したときからこの方、掛けられた言葉にはどれも、今までにない優しい響きがあった。

「キミが……」

 何かこの男の中で異変とでも言うべきことが起こっているのか。DYRAは訝る。

「ど、どうした?」

 DYRAは一瞬、RAAZが叫ぶか泣くかするのではないかと心配する。この男に限ってそれはないだろうと頭ではわかっているが、そう思わせるほど、明らかに様子が変だと伝わってきたからだ。

「無事で……良かった……」

 まさか、この男がそうも自分のことを心配していたとでもいうのか。DYRAは驚きつつも、そうならRAAZの思いを受け止めていいのかも知れないと気持ちが傾く。

 その矢先だった。

「……ミレディア……良かっ……キミが……!」

 RAAZの発した言葉を理解した瞬間、DYRAの脈拍が急速に下がっていき、息苦しい思いも嘘のように雲散霧消する。代わって、激しい自己嫌悪感と醒めた思いがDYRAの全身を覆った。

「一瞬でもお前を心配した私がバカだった」

 それまでとは打って変わって、DYRAは全力で男の腕を解くと、男の頬骨の下に、突き上げるように掌打を浴びせ、続けざまに足を踏みつけて腹部に肘鉄を見舞った。

「ひどいなぁ」

 RAAZの口調は、DYRAの良く知るいつものそれだった。ほんの少し前に垣間見えた動揺の色は微塵もない。

「笑わせるな」

 吐き捨てるように呟くなり、DYRAは走り出した。壁のように見える場所の一角が同時に開く。扉だった。DYRAはそのまま部屋を出て行った。

 廊下も、床壁天井のすべてが真っ白だ。方向も距離も感覚がなくなりそうな空間をDYRAは走った。どこへ行くとかどうしたいとか、何一つ考えていなかった。理由はわからないし、ないかも知れない。それでも、今この瞬間から逃げたい、それだけだった。

 どこをどう走ってどこにたどり着いたのか、まったくわからない。だが、DYRAは開いた扉がある空間まで行き着いた。

 扉の向こうの空間は、小さな部屋になっているようだ。入ってみると、使用感がほとんどない簡素な作りのベッドと、枕元の位置の近くに置かれたサイドテーブルがある。テーブルの上では、小さなネックレスらしきものがキラリと光っている。

「ん?」

 DYRAは、光ったものを確かめようと、サイドテーブルへ近づいて良く見る。ネックレスではなく、ロケットペンダントだった。指先がペンダントに触れたそのとき。

 突然、サイドテーブルに透き通った人物像が現れた。満面に笑みを浮かべた女性の姿だ。中指ほどの大きさで、まるでペンダントを台座にして立っているように見える。DYRAには理解できないが、それは、ホログラム映像だった。

 DYRAは驚きのあまり息をのんだ。特に驚いたのは、透き通った人物の見た目(・・・)だ。

「わた、し……!?」

 そんなはずはないと、DYRAはすぐさま首を横に振る。だが、もう一度見ようとしたときにはもう、透き通った人物の姿は消えていた。

 無性に苛々する。

 理由は良くわからないが、心の奥底で何かが疼いている。

(こんなところで、こんなくだらないことで! タヌを助けにいかないと!)

 DYRAの心に嵐のように渦巻く感情が静まる気配がない。タヌを助けに行こうという感情すら呑み込んで行ってしまうこの苛立ちは一体何なのか。どうしてこんなに苛立つのか。

(そうか。そうか……)

 RAAZの振る舞いや言葉がきっかけだったことは間違いない。

(私は心配をして、だが、結局心配するほどのことでもなかった)

 心配をしたのは自分の勝手ではなかったのか。それなのに、どうして八つ当たりみたいな感情を抱いたのか。DYRAは自己嫌悪に陥る。救いがあるとすれば、こんなバカげたことで声を荒げるような大人げない振る舞いをしなかったことだ。

 答えが出た。しかし、もう一つの、微かな違和感が消えない。

(さっきのあれは、何なんだ? 私じゃ、ない)

 先ほど一瞬だけ見た、自分の姿をした、自分ではない存在のことだった。

 事情を知らなければ、人は恐らく「DYRAだ」と言うだろう。しかし、DYRA本人には違うとハッキリわかった。一つは、目の色だ。ペリドットのような美しい橄欖(かんらん)色の、美しい瞳だった。もう一つは表情。DYRAが自身でたどれる記憶の範囲で、あんな表情を人に見せた、いや、それどころか、鏡に向かってすら浮かべた記憶はない。

(でも……)

 少なくとも、直接会ったことはないので、知らない人間であるのはその通りだ。だが、本当に、少しも知らないのだろうか。DYRAは必死になって自身の記憶をたどり始めていた。

「本当に……知らないのか?」

 ベッドサイドに置かれたテーブルのペンダントを見ながら、DYRAは思い出そうとする。

 部屋の扉の前で、白い四角い鞄を手にしたRAAZがDYRAの背中を見ていることなど、彼女は気づかなかった。

 DYRAは記憶をたどるうち、一瞬だけ、脳裏に何かが掠めた気がした。

「あ……」



「本当にドクター・ミレディアにそっくりだね。君」



 DYRAは、フランチェスコでマイヨがマイヨとして現れたとき、言った言葉を思い出した。

(そうだ!)



「私の妻を殺したお前が、妻の名を軽々しく口にするな……!」



 フランチェスコでのやりとりを思い出した瞬間、DYRAは涙を零していた。泣くような場面ではないのに、何故だというのか。DYRAは乱暴に手で涙を拭うと、必死になって息を整える。

 くだらないことに気を取られている場合ではない。一刻も早く、タヌを助けに行かなければならないのだ。RAAZが何を考えているのか知らないが、今はそこへ意識を回している余裕はないのだ。

「そうだ。今は……今はタヌを」

 息を整え直したDYRAが自分を鼓舞するように呟いたときだった。

「止めとけ」

 DYRAがすぐさま声のした方を振り向くと、RAAZが立っていた。

「私としては行って欲しくもないし、ガキのことは放っておくことを推奨するがね」

 DYRAが言い返そうとするのを先に制するようにRAAZは言葉を続ける。

「キミにはわからないだろうが、あのガキにとって今の状況はそう悪くない。考えようによっては問題の九割は解決する。何せヤツこそガキの父親の居場所を知っているんだからな」

 DYRAは、そんな言葉に耳を貸す価値もないとばかりにRAAZを睨みつける。

「ガキにしてみれば、終わり良ければすべて良し。この状況の何が悪いんだ? 今、キミが動けばかえって余計なお世話になるのがオチだぞ?」

 言われてしまえばその通りだが、それを言っていいのはタヌ本人だけだとDYRAは思う。そして知る限り、タヌ自身はそんな意思表示をまったくしていない。それなら、助けを待っていると信じて動くのみだ。止めようとする者の言い分など、今は聞く必要がない。

 DYRAがRAAZへ言う言葉はもはや一つだけだった。

「死んだ女の尻を追ってろ」

 直後、部屋には水を打ったような沈黙が訪れた。


 やがて。

 DYRAがぶつけてきた辛辣な言葉に、RAAZは苦笑した。

「ひどいなぁ。……でも、嬉しいよ。DYRA」

「はぁ?」

 RAAZが相手でないなら、言い過ぎたことを反省しなければならないほどひどい言葉を放ったつもりだった。それを嬉しいと返すなど、アタマがおかしいのではないか。DYRAは冷たい視線をRAAZへぶつけた。だが、RAAZは彼女が何を考えているのかだいたいわかっているとばかりに、軽く頭を振った。

「今までのキミなら、世界に対して無表情で、出会った人間が去ろうが死のうが裏切ろうが、取り立てて何の感情も示さなかったのに」

 また、自分の知らないことを言い始めているとわかったDYRAは、睨むような目でRAAZを見る。

「今のキミは、ガキがハーランに攫われた件で苛立っている。個人的にはガキに嫉妬するが、それを差し引いてなお、何かをしようとするキミがいつにも増して可愛いし、美しいとすら思ったのも本当だ」

 DYRAにはRAAZが何を言っているのか理解できない。

「アイツを、あのハーランとか名乗った奴のことをお前は知っているんだろう? タヌをどこへ?」

「どうしてそんなにガキのことをそこまで……」

 DYRAは即答する。

「では、お前が未練がましく死んだ女の尻を追っているのは何でだ?」

 RAAZの表情から笑みが消え、険しい表情を露わにする。

「……」

 何も答えないRAAZに、DYRAは畳みかけるように言い放つ。

「私だって同じだ。これは理屈じゃない。目の前で攫われて、腹立たしい」

 RAAZは目を丸くしてDYRAを見た。

「何があった? あのガキと」

 RAAZが知る限り、DYRAがこんな形で感情を剥き出しにしてきたことはなかった。怒りも悲しみもだいたい、刃を向ける形で表現するだけだった。それだけに、RAAZは戸惑いを隠せない。

「とにかく、私はタヌを助けに行く。あのハーランとか言う奴の居場所を教えろ」

「断ると言ったらどうする?」

 再びDYRAは即答する。

「力ずくで聞き出す。それだけだ」

「では、着替えたら来い。部屋の外で待っている」

 RAAZはそれだけ言うと、踵を返し、部屋を出た。スライド式の扉が閉まったのを見届けると、DYRAは鞄の中を覗き込んだ。

(服……)

 中には肌着から靴まで、いつも通り一式が入っていた。DYRAは早速着替えを始めたが、そこで違和感を覚える。

(ん?)

 着替えた服のブラウスとグローブ、それにタイツの感触が今までと異なる。着心地がいいのは変わらないが、微妙に何かが違っているような気がするのだ。

(何だ?)

 そして、着替え終えたとき、一つ、見たこともないアイテムが残った。美しいレース素材のように見える、花柄の筒状の何かだった。いくつかの小さなフックで填めるようなデザインだが、大きさ的に、腕や脚用ではないようだ。

 DYRAはいったん、それを手に部屋を出た。

「来たか」

 RAAZが声を掛けてきた。

「これは、何だ?」

「ネックコルセットだ。首に填めろ」

 RAAZの説明で、DYRAはどうしてこれがあるのか理解した。ピルロでハーランに襲われたとき、爆風で飛んできた破片が首に刺さったからだ、と。

「そういう、ことか」

 DYRAはチョーカーを外し、コルセットを填める。そして、その上にチョーカーを再度つけた。

「DYRA。ガキを助けに行くのを止められないことはわかった。だが、ここから出る方法については、知って欲しくない」

 RAAZは言い終わるなり、DYRAの後頭部とうなじに二発、掌打を見舞い、彼女の意識を奪った。

(記憶を飛ばすわけにいかないとなると、これしか方法がない。悪く思うな)

 DYRAを抱きかかえながら、RAAZはさらに考える。

(ハーランは恐らく、錬金協会の縄張りの外に、拠点を構えているはずだ。だが、どうやって探そうか)

 そのとき、脳裏に一人の人物が浮かんだ。

(情報を武器として扱う奴に聞くのが、いいか)

 この先の段取りは、自分一人では困難だ。効率良く進めるためにも、使えるものは何でも使う必要がある。RAAZにとって、使える人間を動員することは何ら恥じることではない。

「さて」

 男は早速、動き出した。


改訂の上、再掲

111:【CHAMBER】DYRAは意識を戻すや、タヌ救出に感情的になる2025/01/15 12:22

111:【CHAMBER】ハーランという男(2)2019/08/15 22:00

CHAPTER 111 喧騒の向こう側2018/01/18 23:23

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