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110:【CHAMBER】マイヨ、アントネッラへ取引を申し出る

前回までの「DYRA」----------

DYRAを連れてピルロを脱出していたRAAZは、ハーランとの再会に驚く一方、因縁の始まりとなった事件を思い出し、仕留められなかったことを悔やんだ。

「何? 一年も前の、貴方の忠告を聞かなかったこと、今になって(わら)いに来たの?」

 ピルロで火災延焼を免れた市庁舎は病院代わりになっていた。その一室で、アントネッラは一人の見舞客と話をしていた。他の患者の姿は部屋にはない。彼女はベッドに横たわっており、首のあたりから肩に掛けて、包帯が巻かれている。こめかみのあたりも包帯でガーゼが固定されており、手当てを受けたとわかる。

 ベッドの横に置いてあるサイドテーブルの一つで、見舞いで持ってきたとおぼしき花を花瓶に挿していた男は、穏やかな表情で首を横に振る。

「いや」

「嗤ってくれてもいいのに。……ねぇ。貴方のこと、何て呼べばいい?」

「マイヨで、いいよ」

 花を挿し終えると、マイヨは壁を背に窓際に立って、アントネッラを見る。

「私は、ピルロのためにやった。ピルロを良くしたくて……」

 アントネッラの言葉を聞きながら、マイヨは頷く。

「そんなひどいケガをしてもなお、自分のことより街のこと、ね」

「レンツィの家に生まれた以上、当然だわ。ネスタ山の麓から山合いのあたりにあるってだけの理由で、マロッタやフランチェスコより遅れているのが当然だなんて、冗談じゃない。取り残されたままでいいなんて、もっと冗談じゃない」

「けど、結果はこれだ。これからどうするの?」

「ピルロを再建するわ」

 マイヨの問いに、アントネッラは淀みない口調で答えた。

「それ、本気で言っている?」

「ええ。たとえこのまま起き上がれなくても、私は、この街の再建に命を懸ける」

 そんな言葉が出てくるとは思わなかった。あまりに意外で、マイヨは素直に驚く。

「ふぅん」

 マイヨは鉄扇を懐から取り出すと、ベッドへ近づき、尖端をアントネッラの首筋に軽く突きつけた。

「もし仮に、『アンタの命と引き換えに、俺がピルロの再建に力を貸す』と言ったとしよう。普通に考えて、それ、信じる?」

 マイヨの質問に対し、アントネッラは小さくではあるものの、首を縦に振った。

「貴方があのとき植物園で私に警告をしたことは正しかった。貴方の言葉を聞かなかった結果が今回のこと。……結局、私が悪かったのよ。全部。ピルロを助けてくれるなら、私の命くらい、あげる」

「あっ、そ」

 マイヨはそう返事をすると、鉄扇を突きつけるのを止めた。

「じゃ、本当に今、この場でアンタの命をもらっていいんだね?」

「いいわ。ピルロを助けてくれるなら」

「わかった」

 ベッドに横たわっていても、視線を逸らすことなくマイヨを見つめるアントネッラ。そこでマイヨは真剣に頷くと、鉄扇を仕舞い、彼女に見えるように右手をかざす。

「あっ……」

 驚くアントネッラの前で、マイヨがかざした右手の周囲に黒い花びらが一枚、また一枚と舞い始める。ふわりと黒い花びらの小さな嵐が現れたかと思うと、長い穂のついた細身の、ブラックダイヤモンドさながらの輝きを放つ剣が顕現した。

「じゃ、そういうことで」

 マイヨの金と銀の、左右異なる色の瞳がギラリと輝く。黒く輝く剣をアントネッラの首筋にそっと当てた。刃が彼女の首筋に触れている。この状態なら、力を入れずとも、ほんの少し動かすだけでアントネッラの命は確実になくなる。

 首筋に当たる冷たい刃の感触に、アントネッラは一瞬、息を呑みそうになった。熱のない瞳で真っ直ぐ見つめてくるマイヨが目の前にいる。覚悟は決まっているからどうぞお好きに、とでも言わんばかりにアントネッラはゆっくりと目を閉じた。

 恐ろしく硬い空気が場を包んだ。

 どれくらいの時間が流れただろうか。

「……?」

 死ぬ覚悟を決めたアントネッラは、時が流れても自分がまだ生きている状況に戸惑いの表情を浮かべる。

「……ふふ。アンタすごいね」

 マイヨは小さな溜息を漏らした。そして、ゆっくりと剣を持ち上げてアントネッラの首筋から離し、黒い花びらを舞わせながら、剣を霧散させていく。

「本気だったんだ?」

「バカにしていたわけ?」

「そうだよ。そういうヤツはさっさと処分するに限るってね。けれど、アンタ、いや、君は本当に本気だった」

「『嗤ってくれていい』って言ったでしょ?」

 アントネッラが責めるだろうと思っていたマイヨだが、彼女はむしろ、穏やかな表情さえ見せているではないか。彼女の本気を疑い、愚弄したことへの非礼を詫びようと思うが、できなかった。まったく別の考えが沸き上がってきたからだ。

「……嫌いじゃないな」

「え?」

 マイヨは苦笑して、一呼吸置いてから続ける。

「何だろう。ピルロを何とかしたいと本気の君を、助けたくなった」

「え?」

 予想外の申し出を受けたアントネッラは一瞬、狐につままれたような顔をする。しかし、マイヨは気にも止めず、話を続ける。

「君たちとピルロに降り掛かった災いの発端となった出来事ね。正直、俺は大迷惑している。まぁ、俺も色々事情があるんだよ」

「貴方に協力したら、ピルロを助けてくれると?」

「再建自体は最終的には君たち、そう、生き残った人たちがやらなきゃいけない。けれど、間接的なことなら助けられるし、何より、邪魔するヤツの排除に手を貸すことはできる」

「邪魔って、錬金協会ってこと?」

 アントネッラの質問に、マイヨは首を横に振った。

「恐らく、錬金協会さえ本当の災いをもたらす者に踊らされていただけだ。事実、ピルロが焼かれた顛末も、災いを消すため(・・・・・・・)だった面があったからね」

「災いを、消す?」

「そう。ピルロにとっては一年前だかに端を発している件だ。そこはおいおい話すけど、今、取り急ぎ確認したいことがある。いくつか俺に教えてくれないか?」

「答えられることなら、いいわ。聞いて」

 アントネッラは首を縦に振ると、痛みを堪えながらゆっくりと上半身を起こそうと身体を動かす。彼女が何をしたいか気づいたマイヨは、側に行って身体を支え、起こすのを手伝った。枕も縦置きにし、怪我人の背中に当たるようにする。

「ありがとう」

「じゃあ、質問するよ? ルカレッリ、つまり君のお兄さんだけど、君は最初から彼を殺すつもりだったの?」

 それまでとは違い、マイヨは感情をまったく入れることなく、事務的に尋ねた。

「いいえ。誓ってそれはないわ。ただ、あれは結果がそうなっただけ」

 アントネッラはこれまでのことを思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「お兄様と私は、ピルロを発展させたいって気持ちは同じだった。……でも、何て言うか、歩幅が違ったのよ。今までは漠然としていて、お互いに気づくこともなかったけど、一年前のあのとき、そこに気づいて二人で言い争ったの」

「誰かに聞かれた?」

「いいえ。誰も聞いていないわ。だって、夜中の植物園の、隠し部屋でだったもの」

 マイヨは軽く頷いてから、視線で続きを促した。

「お兄様も私も、錬金協会に搾取されることに反対だったのは同じ。でも、彼らの手をできる限り借りることなく、そのためにはどうするか、ってところでぶつかっちゃって」

「お兄さんは一年前の話を『悪魔の取引』と見抜いていた、ということかな?」

 マイヨの問いに、アントネッラは頷いた。

「ええ。でも、私は見抜けていなかった。……そして、お兄様と別れて植物園でぼんやりしていたら、偶然そこに貴方がいたのよ」

「なるほど」

「ちょっと前に来たときと正反対のことを言っているから、どういうことよってなって、私、全然貴方の言葉が耳に入らなかった」

 マイヨは言葉を選ぶように、これまたゆっくりした口振りで明かす。

「君が言った、先に来たヤツは……そうだね、ウチの親戚は皆、似ていると思ってくれればいいよ。ちなみに、|あそこの植物園で君が会った《・・・・・・・・・・・・・》のも、ね」

 言いながら、マイヨは少し表情を和らげる。

「え? 何? 皆、仲良しで情報交換していたってこと?」

「とんでもない。そんなことしていたら、最初の段階で災いなんて起こさせなかったよ」

 アントネッラと話をしながら、マイヨは今後、ピルロへ再度生体端末が接触してくるようなことを起こさないためにはどうしたらいいか考える。本来なら生体端末にこちらから指示を出せば済むことだ。しかし、今それをやれば、量子通信を抜かれるようなことが起こった際、悪意ある相手にこちらの手の内を見せてしまう恐れがある。それ故、その手を使うことはできない。せめて、目印みたいなものだけでも伝えられれば──。

「アントネッラ。俺の家系って、ごく少数を除いて皆、顔や背格好がそっくりなんだ。とは言え、色々事情があって」

「え、ええ」

「君が用心棒代わりに雇ったのは、まぁ、俺と考えの近い親戚だったわけだけど」

 マイヨが言ったのは、ピルロの大公家にいた|三つ編みをまとめている髪型ギブソンタックが印象的な背の高いメイド、エミーリエのことだ。それは外の世界のうち、ピルロの内情だけが全くわからないという理由から、マイヨが唯一、早い段階で判断して個別に投入した端末だった。

「俺の目を見ればわかるけど、これは、俺だけだ」

 自分の目を指して説明するマイヨを、それまで意識して見ていなかったからか、アントネッラはまじまじと見つめる。

「目が……」

 金色と銀色。瞳の色が左右で違う人間が存在するなど想像したこともなかったアントネッラは少しだけ驚いて見せた。

「そういうこと。覚えておいて。そして、今この瞬間から先は、俺と同じ姿をした奴を絶対に近づけちゃダメだ。万が一、来たというなら俺に知らせてくれ」

「でも、私はともかく、他の人にどうやって」

「こうしよう。君の身体が良くなったら、俺が君に用事があるときは夜、植物園にいる。逆に君が俺に用があって、俺がいないときは、一番奥の鉢植えの下に手紙を置く。ただし、中身は何も書いちゃダメだ。誰かが持っていかないとも限らないからね」

 マイヨの指示に、アントネッラは頷いた。

「俺の側の話はいったんここまで。次はピルロを建て直すことについてだ」

 マイヨからピルロ再建にまつわる話を振ってきたことで、アントネッラの目つきが僅かずつながらも、一層しっかりしたものになる。

「ええ」

「君たち双子が愛されていることはウチの親戚(エミーリエ)から聞いていてわかっている。君たちがいなくなれば恐らく街の人たちは心の拠り所を失うだろう。そうなれば、できることもできなくなってしまう」

「それは……私が生きている限りお兄様でい続けろというなら、私は喜んで」

 アントネッラの覚悟にマイヨは感心するものの、現実的ではないとも思う。同時に、アントネッラに求心力を集めるため、最小のコストで最大の効果を上げる方法を見つけ出していた。

「いや。君は君でいい。せっかくピルロには嫌われ役がいるんだし、彼に最後までその役を演じきってもらうだけのことだ」

 マイヨの言葉が意味するところを理解したアントネッラは一瞬だけぎょっとした表情になるものの、視線を落とし、少しだけ考えると、小さく頷いた。

「まぁ……あの人は確かに、私を殺そうとして、間違えてお兄様を殺した人だから」

 マイヨは、生体端末からの情報で問題の日、何が起こったかをすべて知っていたが、敢えて何も知らないというスタンスを貫く。

「どういうこと?」

「一年前のあの件があった少し後、ピルロの周年祭があって、夜、仮装パーティーだったの。そのとき、私とお兄様は相談して、パーティーで入れ替わっていたのね。女装したお兄様と男装した私ってこと。そのときに、お兄様のことが好きで、私のことをずっと疎んじていたアレッポが……」

「お兄さんは君を守るために、最後まで君を演じ抜いた、と」

「ええ。……でも、私はこの件を利用した。そういう意味では、私も悪党よ」

「そうだね。悪党だね」

 マイヨは感情を入れずに告げた。

「けれど、悪党云々を言うのは今じゃない。いずれ君が裁かれ罰を受ける日が来るとしても、ピルロを建て直すなら、今じゃダメだろう?」

「ええ」

「そこは、俺に任せてくれないか? 顔がそっくりの親戚がいるっていうのは、色々やりようがあるからね。悪いようにはしない」

 言い終えると、マイヨはアントネッラの肩にそっと手を置いた。

「大丈夫。今の君は、ピルロを建て直すことを考えて、まずは身体を治すんだ。また来る」

 マイヨはそう言うと、アントネッラから離れ、部屋から出て行った。

 部屋を出ると、廊下に誰もいないことを確認してから、近くにある階段を上った。建物の屋上へ出る扉の前で、マイヨは立ち止まった。

(植物園で会ったのが実は俺じゃなくて端末だったことは言わなかったけど、ま、いっか)

 マイヨはその身の回りに黒い花びらを舞い上がらせると、その場から姿を消した。


改訂の上、再掲

110:【CHAMBER】マイヨ、アントネッラへ取引を申し出る2025/01/15 12:13

110:【CHAMBER】ハーランという男(1)2019/08/08 22:00

CHAPTER 110 チェルチ2018/01/15 23:09

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