108:【CHAMBER】拉致されたタヌ、人生初のアイスを振る舞われる
前回までの「DYRA」----------
ディミトリは夜になったピルロで、マイヨ・アレーシと再会する。ディミトリからの質問攻めに対し、マイヨは「知らなければならないこと」を教えるが、ディミトリには理解できないものばかりだった。
「ここ、どこ?」
タヌが目を覚ましたのは、殺風景な部屋だった。足や頭部が鉄でできたベッドと、背もたれのない丸椅子が二つ、それに丸テーブルが置いてあるだけで、窓すらない。部屋の広さはレアリ村で生活していたときの寝室と変わらないものの、床も壁も天井も、見たこともない材質でできている。
「何だろう?」
タヌは身体を起こすと、靴を履いてから、床を恐る恐る蹴ってみる。硬い床だが、それ以外にこれと言った特徴などはなかった。身体を起こしたことで、丸椅子の上に自分の鞄が置いてあることに気づくと、タヌはそちらへ向かった。
丸椅子に置いてあった鞄をテーブルの上にのせると、タヌは中身を確認した。何かが抜き取られていると言ったことはなかった。次に、思い出したようにタヌは首のあたりにも手をやる。チョーカーに通した鍵型のペンダントも、ちゃんとあった。
どうして自分が連れて来られたのだろう。タヌがそう考え始めたときだった。
部屋の扉が開く。扉が開くと同時に聞こえた初めて聞く音──電子音──がタヌの思考を遮った。
入ってきたのは、大柄な男だった。黒いシャツにパンツ姿。さっぱりしたアッシュ系の髪、大柄な体格、そして皺が刻まれた肌と、赤にも紫にもピンクにも見える奇怪な瞳が強烈な印象を与える容姿は、タヌを怯えさせるには十分だった。それでも、タヌは顔に出さないように努める。男は手のひらより大きい程度の銀色の袋を持っていた。
「驚かせた上、怖い思いをさせてごめんな」
「え?」
第一声がまさかの謝罪だったことに、タヌは拍子抜けした。
「ああ、心配しないで大丈夫だ」
話しながら、大柄な男は丸椅子の一つに腰を下ろしてタヌを見る。
(あれ? もっと怖い人かと思ったけど……DYRAみたい。何か、優しい?)
初めて会ったときのような冷酷そうなそれではない。メレトで再会したあたりから、ほんの一瞬だけながら何度か見ることができた、DYRAの様子をタヌは思い出していた。
タヌが極度に怯えている風ではないことに安心したのか、大柄な男は言葉を続ける。
「名前は? 俺は、ハーラン。ハーラン・ハディット」
「タヌ。……ボクは、タヌ」
「タヌ君、か」
「はい」
攫われてひどいことをされるかも知れないと内心覚悟していたタヌは、簡単ながらも丁寧に自己紹介をしてくれた上、非常に物腰低いハーランに驚く。そのまま会話を続けるうちに、少しずつではあるものの、相手に興味を抱くようになっていた。
「一昨日の夜、マッマと一緒にいたな?」
「一昨日?」
「そう。あの街が燃えた日から二日目だからね」
「そ、そうなんだ……」
「うん」
「でもあの、マッマって一体?」
そんな名前の人物といた覚えはない。タヌは不思議そうな表情でハーランを見る。
「ドクター・ミレディアといただろう? キミ」
ミレディア。タヌにとって、どこかで聞いたような覚えがある名前だった。しかし、知り合いにそんな名前の人物はいない。
「あの、すみません。ボク、その、ミレディアさんって人といた覚えはないです。人違いじゃ?」
「人違いだって? 何を言っているんだ? あの場にはRAAZもアレーシもいた。RAAZは顔を隠していたが無駄だ。別に俺とは隠すような関係じゃない。あそこにいた面々を見る限り、隠したい相手はキミや、この時代の人間たちだろうがな」
ハーランはスッパリと言い切った。タヌは、話の流れから、今まで何度か顔を隠して姿を見せた人物はRAAZと断じていいこと、ミレディアと呼ばれている人物はDYRAを指しているのだろうと把握する。同時に、RAAZやマイヨを知る目の前のこの人は一体何者なのだろうと疑問を抱くと、タヌはそれを口にした。
「ハーランさん。あの、RAAZさんやマイヨさんを知っているみたいですけど、知り合いなんですか? あと、どうしてDYRAを」
「ドクター・ミレディアのことを何も知らないのか? 本当に? ……だとしたら」
ハーランが独り言のように呟き、タヌはその思考を邪魔しないように黙って頷いた。
「マッマ……彼女はミレディアじゃない? と」
タヌはどこでミレディアの名前を聞いたか、そしてその女性が人間関係的にどの位置にいるのか、ここでようやく思い出す。
(そうだ! RAAZさんの奥さん! フランチェスコで!)
しかし、自分からあれこれ話してしまうと、返ってくる言葉が自分の理解の範疇を超えてしまうかも知れない。タヌは、知っていることを言葉にしない方を選んだ。
「ボクが知る限り、別人です。その、全然関係ないっていうか」
「そっか」
ここで、ハーランは持ってきた銀色の袋を開くと、封をされた小さな袋を二つ取り出して、一つをタヌに差し出した。
「ま、喰え」
ハーランは小袋を慣れた手つきで破った。出てきたのは、白い分厚いものを上下クッキーで挟んだような菓子だった。ハーランが美味しそうに食べ始めたのを見ると、タヌも真似して袋を開く。
「つめたっ!」
「美味いぞ」
恐る恐るタヌは口に近づけ、一口囓った。
「冷たいけど、甘い」
甘くまろやかな感触がタヌの口の中に広がっていく。
「三六〇〇年モノのアイス、だな」
三六〇〇年と言われ、タヌは目を見開いて驚きを露わにした。ハーランがアイスと言っていたそれは、雪菓子とはまったく違う、タヌにとってはこれも人生初体験の美味しさだった。
「ま、話は喰ってからだ。溶けたら食べられなくなる」
椅子に座った二人は、甘く冷たい菓子を十分に味わった。
ハーランはアイスを食べ終えると、小袋を回収してからタヌに告げる。
「心配するな。危害を加えたり、痛い思いをさせたりすることはない」
タヌが食べ終わったのを見てからハーランは続きを話す。
「むしろ、教えてもらいたいことがたくさんあるからな」
「え? でもボク、何も知りませんよ?」
タヌの言葉を聞いたハーランは頭を横に振る。
「いいや。『知らない』と思っているのはキミだけで、俺を含めた他人から見れば『良く知っている』なんてことは往々にして山のようにあるもんだ」
ハーランは笑いながらそう言うと、先ほどアイスを取り出した銀色の袋から、今度は金属製の腕輪を取り出す。そして慣れた手つきでタヌの左手首を軽く掴み、手早く填めてしまった。
「え? これ、何ですか?」
「キミ自身のためだ。迷子になったら困るからな」
タヌは填められた腕輪をジロジロと見つめる。一見、何の変哲もないが、一箇所だけ、爪の先よりもまだ小さな青い光がゆっくりと、だが寸分の狂いもなく点滅している。
「外そうとしたら爆発するよ?」
藪から棒に何を言うのか。ハーランが放った言葉の意味を一瞬、タヌは理解できなかった。
「その腕輪を無理矢理外したら、火薬の塊以上の勢いで爆発するよ、と言ったんだ。試したくはないだろう?」
タヌはようやく言われた言葉の意味を理解する。これを外して逃げようとするなと言っているのだ、と。どうしてそうなのか理屈はわからないが、きっとこの腕輪は紐のない犬の首輪のようなもので、自分がどこにいるのか常にわかるようにする目印代わりだろう、とも。
「あの、ボク、これからどうなるんですか?」
タヌは、今、これは絶対に聞いておかなければならない気がした。
「ん? 迎えが来たら帰す。それだけだ」
「迎えって」
「RAAZと、キミがその、DYRAって呼んだ彼女のことさ」
それはおかしい、とタヌは思った。そもそもあのとき、ピルロには、DYRAもRAAZもいたではないか。二人に用があるなら、自分だけを連れてくるのは理屈に合わない。疑問を抱いたタヌが質問するより早く、ハーランが言葉を続ける。
「あんな地下のジメジメした暗い、死体のホルムアルデヒド漬けなんて見苦しいものが置いてあるところは、話をするには良くない」
ハーランの言い分は言われて見ればその通りだったが、タヌはそれでも納得できない。
「できれば、本来の、あるべき場所で話したいんだけどね。三六〇〇年ぶりの再会でもあるし」
「あるべき、場所?」
この人は何を言っているのだろう? タヌは困惑の表情をハーランに向けた。それにしても、三六〇〇年という数字を何度か聞いているが、どういう意味なのか。タヌは思ったことをそのまま質問する。
「あの、三六〇〇年、って?」
ハーランは答える。
「そうだよ。三六〇〇年」
人間がそんなに長く生きられるわけがない。タヌは、三六〇〇年という時間が何を意味しているのか、まったく理解できなかった。
「ハーランさんは、三六〇〇年も生きていたんですか?」
「そうなのかも知れないね。実際の体感は五〇年くらいだけどね」
あっさりと話すハーランに、タヌはついていけなくなりそうだった。
「ところでタヌ君。改めて聞くんだけど」
ハーランが仕切り直しをするように、タヌに声を掛けた。
「どうしてキミはDYRAだっけ? あの彼女と一緒にいたり、RAAZを知っていたりするのかな?」
「DYRAとは、村で出会ったんです」
「村?」
「レアリ村。ちょっと前に、村が焼かれた上、アオオオカミに襲われちゃって。そのとき通り掛かったDYRAにボクは助けられたんです」
「そう」
大変だったね、とでも言いたげな表情で見つめるハーランに、タヌは、小さく頷く。
「村も全部焼けちゃって、村の人もボク以外は皆死んじゃった。父さんと母さんはその前からもういなくなっちゃっていて。それで……父さんと母さんを捜そうと思って、ボク、DYRAについていって」
「ついていって?」
ハーランが話の続きをタヌに促す。
「初めて村の外に出たんです。いくつかの街へも行ったし。でも、考えてみると、村を出て、何日くらいなんだろう。三〇日、経っていないんです」
「彼女と一緒にいた時間が、キミには充実した時間だったんだね」
タヌは、DYRAと出会ってからまるで何年も経っているかのような気がしていたが、指を折って数えてみると、実は二〇日前後とあまりにも短い期間だったのだと今、気づいた。
「あ、あの、ハーランさん!」
「ん?」
DYRAのことを思ったとき、同時にタヌは聞くなら今しかないとばかりに切り出す。
「ここは、どこなんですか?」
質問を聞いたハーランは、相変わらず優しげな表情でタヌを見つめた。
じっと見つめられたタヌは一瞬、ドキッとする。
(え!?)
これまで優しそうに見えていたハーランの、その目はまったく笑っていないではないか。タヌの背中に冷たいものが走った。もしかして、自分はすごく勘違いをしていたのかもしれない。この人は優しくないのだ。タヌは、心臓が止まりそうなほどの恐怖を感じずにはいられなかった。
「ここはね、山の、向こう側。キミたちがいたあの街から見える山の」
辛うじて「山の向こう側」という言葉だけがタヌの耳に届く。
(こ……)
タヌの人生で生まれて初めて、視線で刺し殺されてしまうかもという恐怖を味わった瞬間だった。
「大丈夫だ。安心しなさい」
ハーランは席を立つと、タヌの肩を軽く叩いた。
「お迎えが来れば帰すから」
「で、でも、どうやってボクがここにいるって……?」
恐怖のあまり、タヌは言葉に詰まってしまい、最後の、肝心な部分は声にならなかった。しかし、ハーランはタヌが何を言いたいか察しをつけているとばかりに、口角を上げる。
「タヌ君がここにいることを二人にちゃんと伝えてくれる人はいるから、大丈夫だよ。人も、ネズミも」
「ネズミ?」
タヌが僅かにうわずった声で質問をすると、ハーランは静かに頷いた。
「ああ。何も心配することはない。キミにひどいことはしないし、傷つけることもしない。ただ、その腕輪を外して逃げることだけは考えちゃダメだ。実行した瞬間、ドカンだからね」
ハーランは席を立って扉の方へと行くと、扉を開いた。
「聞きたいことも、話したいこともいっぱいあるだろうけど、少しずつ、だ。いっぺんに話せばキミが混乱してしまうからね。それに、お父さんを捜しているんだろう?」
「えっ!」
まさかの言葉が飛び出したことにタヌは驚くが、ハーランは部屋を出て、扉を閉めてしまった。
「今……ハーランさん!」
タヌは慌てて追いかける。部屋の扉の前に立った途端、扉が横にスライドし、開く。
「え? ボクまだ扉に……」
触れていないのにどうして? タヌは今起こった出来事に目を丸くしたが、今は、そこを気にしている場合ではない。タヌは扉の件を思考からいったん追い出して、部屋を出ようとしたときだった。
「あれっ!?」
部屋の外は真っ暗で、ほんの少し先も見通すことができなかった。それどころか、タヌの目には、真っ暗な空間にこの部屋だけが浮いているようにさえ見える。一歩踏み出せば、底なしの空間に落ちてしまいそうだ。タヌはハーランを追いかけることができなかった。
「ど、どうなっているの?」
震え上がるほどの恐怖を心の内側に隠しながら、タヌは部屋を出るのを止めた。
(あの人、どうしてボクが父さんを捜しているって、言い切れたの!?)
話しているとき、「父さんと母さんを捜そうと思って」とは言った。しかし、それならせめて、「ご両親を」とか言うはずだ。母親がどうなったかを話した覚えはない。それなのにどうして「父親を捜している」と言い切ったのか。
(母さんに何があったかとか、知っているってこと!?)
タヌは、先ほど感じたハーランへの恐怖は間違いではないのだと、改めて思い知った。
改訂の上、再掲
108:【CHAMBER】拉致されたタヌ、人生初のアイスを振る舞われる2025/01/15 01:53
108:【CHAMBER】激しく動揺するふたり(1)2019/06/24 22:00
CHAPTER 108 淡々と2018/01/08 23:00