102:【PIRLO】報復の炎が真実を照らせど、RAAZは眉一つ動かさない
前回までの「DYRA」----------
山の中腹で襲撃を受けたDYRAは、レンツィ家の地下室で目を覚まし、そこで、恐ろしい真実の一端を見た。そんな彼女を助けたのは意外な人物だった。自由を取り戻したDYRAはが街へ戻ると、夜の街が恐ろしいオレンジ色に染まっているのを目にすると、タヌを見つけるべく、街へと走り出した。
「DYRA!」
「タヌ! タヌなのかっ!?」
二人は共に、互いの姿を確認すると、駆け寄った。
「DYRA! 大丈夫!?」
DYRAと再会できた安堵からか、タヌは泣きそうな声で切り出した。
「私は大丈夫だ。取り敢えず、服が散々だがな」
DYRAは細かくあちこちが破れてしまった服を見ながら、困った顔をしてみせた。タヌは彼女のそんな仕草に、自分を少しでも安心させようとする彼女なりの気遣いを感じた。
「ボクが言うのも変だけど、サルヴァトーレさんに言うしかないかもね」
「新しい服をもらって、一日でこれだ。呆れられそうだ」
「そうだ!」
タヌは思い出したように声を上げた。
「サルヴァトーレさんから、『DYRAと合流したら、マロッタへ行け』って言われていたんだ」
「マロッタ?」
DYRAとてその名は知っている。ピルロから南西に位置する、西の都アニェッリに次ぐ大都市だ。サルヴァトーレの自宅やアトリエもあると聞いている。
「わかった」
この後、タヌが息を整えるのを待って、二人は街の入口へと向かおうと走り出した。
ほどなくして二人の耳に、ドン、ドンという地響きを彷彿させるような音が聞こえてきた。
「何だ?」
「DYRA! あれっ!!」
繁華街の中心部の一角をタヌが指差した。
「火が広がっているのはわかっていたが、さっきはこんなにひどくはなかった」
最初に見たときとは局地的な火災に見えたが、今は違う。繁華街全体に燃え広がっているようにしか見えない。
「おかしい……」
ここに来て、DYRAはもう一つの異変に気づき始めていた。
「タヌ。お前、逃げる人を見かけたか?」
DYRAからの質問に、タヌは足を止めることなく記憶の糸をたどった。
「うん。でも、途中から……」
何度かぶつかってはいた。しかし、火元から離れていたからなのか、ある時点から人にぶつかった記憶はない。DYRAの言う通り、先ほどより火は燃え広がっているというのに。それに、とタヌは気がつく。
「誰も逃げてこないだけじゃない」
消火しようとする人を見かけなかった。ある意味、逃げる人がいない以上に、そっちの方がもっとおかしい。
「タヌ……」
DYRAの言葉は続かなかった。今まで以上に激しい爆発音が繁華街の奥の方から響いた。続いて、二人の行く手を阻むように近くで爆発が起こる。DYRAは反射的にタヌを庇った。幸い、何も飛んでこなかったため、ケガはない。
DYRAとタヌは立ち上がると、周囲を見回した。
「前が」
タヌは、真っ直ぐ行くことができなくなったことを指差しながら示した。
「広場の方から回り込むしかないかも」
タヌの言葉でDYRAは広場へ繋がる道へ目をやった。
「えっ……?」
DYRAがそのとき見たものは、目を疑う光景だった。
「あれは……」
後ろ姿ではあるが、道の先、離れた場所にいる背の高い、赤い外套に身を包んだ銀髪の人物がDYRAの視界に飛び込んだ。問題の人物は外套のポケットから小さな何かを取り出して、片手でこする仕草をしては街灯の足下へ投げており、もう片方の手には真紅の刃が美しい大剣を持っている。
「DYRA、どうしたの?」
DYRAが見ている方をタヌも見る。
(え! って、あれもしかして、RAAZさん!?)
タヌは、DYRAが何を見つめ、考えているのかを察する。
「タヌ。お前は先に行け」
「嫌だよ」
タヌは文字通り即答した。まさかここで、こんな風に拒否されると思わなかったDYRAは戸惑った。
「この間みたいに倒れたり、夕方みたいなことになったら!」
強い口調で離れたくないと言うタヌに、DYRAはこれ以上、先に行くように言っても聞かないだろうと判断した。
「離れるなよ? それと、背後を見ていてくれ」
小さなことであっても、自分に何かできることがある。タヌはDYRAの役に立てることが嬉しかった。
「うん! わかった」
DYRAは赤い外套の人物を尾行よろしく、追い始めた。タヌも時折後ろや周囲を見回しながら後に続く。距離を詰めなかった理由は簡単だ。ポケットから何かを取り出して、それを指でこすって投げる度、投げた先で火柱が立っているのが見えたからだ。
(爆弾を投げているのか?)
何かを投げるたびに、火柱が上がった。しかし、そんな都合の良い小さな爆弾がこの世にあるものか。DYRAは火柱が上がるのには何か条件なり共通点があるはずだと探す。
(あれは……!)
DYRAは一つ、気づいた。
小さなものを投げている先だった。
(街灯の真下に投げている?)
DYRAが目を留めたのは、街灯の真下に置かれている樽だった。樽に小さなものが当たるたびに火を噴いたり、ときには爆発さながらに火柱が立ったりするのだ。
街灯の下の樽に何かを投げて火を点けて回っているというのなら、止めなければならない。DYRAが走って追いかけようとしたそのときだった。
「うわっ!」
タヌが悲鳴とも何とも言えぬ声を上げた。DYRAがすぐに振り返る。
「あっ!」
「何だ?」
DYRAはタヌが見ている視界の先に目をやった。死体が転がっているではないか。一つや二つではない。おまけに、どの死体にも、焦げた状態の創傷がある。まるで熱した刃物で斬りつけられたようだった。
二人は今この瞬間、逃げる人をめっきり見かけなくなった理由を理解した。
「タヌ」
DYRAはタヌに、脇目も振らず進むように促す。その間も二人は赤い外套の人影が広場のかなり奥の方へと進む。追い掛けていくうち、時計台がある広場までたどり着いた。
「DYRA」
赤い外套の人物が時計台の角の壁を見ているのが見えた。そこは普通なら死角になるため、意識しないと気づけない。タヌは遠目ではあったものの見逃さなかった。
壁の一角だけが明らかにおかしな色だった。まるでそこだけ塗料をぶちまけたようだ。おまけに夜で、その上さらに茜色の照り返しまであるにも拘わらず、檸檬のような派手な色で光っている。タヌは今置かれている状況を忘れ、見たこともない色に魅入られそうになった。だが、赤い外套の人物がまた動き出したことで我に返った。
DYRAとタヌは赤い外套の人物と入れ違いで時計台の問題の壁の側まで行くと、陰に隠れて様子を見る。件の人物は数歩進むごとに街灯の下へ、何かをこすっては投げる仕草をしている。
「何か、投げているよね?」
「ああ」
「何だろう? 投げているものが爆発しているわけじゃないなら、拾ったりできないかなぁ」
タヌの提案に、DYRAが頷いた。
二人が歩き出そうとしたそのときだった。突然、鉄でできている市庁舎の大きな正門がガラガラと崩れる音が耳に飛び込んだ。
「えっ!」
「何だ!?」
これにはDYRAもタヌも声を上げた。火事で鉄が音を立てて崩れるなどあるのだろうか。タヌはそんな疑問を抱くが、答えはすぐにわかった。赤い外套の人物が振るった剣が、二振り程度で門をバラバラにしたのだ。くず鉄と化した門は地面に落ちた残骸に変わり、同時に大量の赤い花びらが舞い上がる。
物陰からDYRAは、赤い外套の人物の横顔を覗き見る。遠目ながら、この人物の顔は目元以外を隠したマスクで確認できなかった。しかし、それが逆にDYRAへ、この人物の正体を確信させた。
「RAAZ……!」
「えっ! っていうか、やっぱり?」
タヌはRAAZの振る舞いに、彼がピルロを文字通り滅ぼさんばかりの勢いで攻めているように見えた。
それにしても、どうしてここまで苛烈な仕打ちをするのかDYRAには理解できなかった。よしんば、自分が拉致されたことが理由だとしても、仕返しとしてはあまりにも過酷だからだ。
(どうしてこんなことを!)
そのときだった。
一体いつの間に門の向こう側で構えていたのか、六人ばかりの民兵らしき男たちが市庁舎の二階のバルコニーから、火のついた矢を一斉に赤い外套の人物へと放った。
火矢は一発たりとも当たらなかった。というより、赤い外套の人物に到達する寸前、足下にバラバラと落ちたのだ。
赤い外套の人物はその周囲に赤い花びらを舞わせ、真紅の刃の大剣を構えながら、せせら笑っていた。
「愚民共。勝てると思っているのか?」
DYRAはもちろん、タヌにとってもそれは聞き覚えある声だった。
赤い外套の人物がピルロ市庁舎の正門があった場所から奥へと進んでいったのを、時計台の物陰から見届けた二人は、自らが隠れているその場の壁に目をやった。そこは先ほど、檸檬色のように見えたところだった。
「あれ……?」
タヌは壁を見ながら、DYRAに声を掛けた。
「ねぇDYRA。さっき遠くから見たときは壁がすごい、檸檬の皮みたいな色をしていたのに、すぐ近くのここから見ると、何も見えないよ」
DYRAもタヌに言われた壁を凝視した。うっすらと黄色っぽい気がする程度にしか見えない。
「どういう仕組みなんだ?」
「でも、あれは見間違えじゃあないよ」
「私も見た。だが、それを気にするのはいったん、後だ」
「そうだね」
二人はまた、追跡を再開した。
そんな二人を、物陰からそっと見ている人物がいることに、二人は気づかなかった。
DYRAたちがいる位置からバラバラになった門を挟んだ反対側。市庁舎の塀の陰に一人の男が立っていた。
「次から次へと、悪い意味でも退屈しないよ」
物陰でDYRAとタヌが走って行く様子を見ながら、マイヨは苦笑した。
「DYRAへちょっかい出した報復で、この街にとっての進化のシンボルアイコンを潰して回るとはね。気持ちはわかるけどさ」
DYRA可愛さに――いや、RAAZにとって最高にお気に入りの『兵器』を略奪しようとした輩へのかくも苛烈な報復。この事実自体はマイヨも理解した。
「この時代の人たちが莫大な費用を突っ込んで、いや、魂まで売って築いた設備が俺たちの時代でピーナツ一粒分にも満たない安物で容赦なく破壊されていく。ったく、たまったもんじゃない、か」
マイヨは今少しの間、街を燃やしていく炎をじっと見つめてから、今度は先ほどDYRAとタヌがいた時計台の角の壁へ移動した。
(蛍光塗料?)
この時代にはまだ蛍光塗料はないはずだ。マイヨはそれが意味することを考える。RAAZがこんなところにこれをぶちまける意味は何もない。だとすれば、考えられるのは、小間使い姿で活動しているRAAZの密偵だ。
断定は危険だが、確率的に極めて高い。他の選択肢も念のために考えたが、そちらは不確定要素が多く、ただの憶測の域を出ない。
「文明の遺産とすぐさま見破られない範囲で使い、最後は灰にして証拠隠滅……って!」
マイヨはハッとした。これから何が起こるのか。RAAZが何のためにわざわざ街を焼き払っているのか。その本当の意図を察すると一転、苦い表情を浮かべた。今は三人の動向を絶対に逃してはいけない。視線で彼らを追う。
それだけではない。やらなければならないことはまだある。自らの生体端末を引き上げる命令を送り込まなければならない。が、思いとどまった。
(ダメだ!)
山の中腹で起こったあの出来事を思い出した。この混乱している今なら、いや、今だからこそ、この混乱に乗じてまだ姿を見せない登場人物が動き出すかも知れないのだ。そちらをより危惧するべきだ。
マイヨは後を追うように移動した。
切り刻まれた門を踏み越え、赤い外套の人物は、市庁舎の敷地内を進んだ。一〇人ばかりの民兵がわらわらと姿を現すが、彼らは姿を見せて数秒とせず、大剣の一振りで骸に変わる。
「死にたくないなら出てこなければ良いものをと言いたかったが……どちらにしろ。だ」
赤い外套の人物から放たれる殺気を前に、市庁舎の玄関から覗き込むように推移を見守っていた職員や民兵たちは皆すっかり怯み、竦み、怖じ気づく。
「逃げろ!」
「誰かああ!」
我先に、それぞれ何やら喚きながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。同僚が玄関先から逃げ出したのを見て、市庁舎の中から外を覗き込むようにして様子を見ていた職員達はどよめく。
覗き見をしている男たちの存在などわかりきっているとばかりに、赤い外套に身を包んだ人物は手にした大剣の刀身を自身の右肩に乗せると、一歩一歩、市庁舎の建物の方へと歩いた。
「こ、こっち来るぞ!」
「まずいまずいまずい!」
「誰か、ピストルとか猟銃ないのか!?」
赤い外套の人物は市庁舎の玄関をじっと見つめる。マスクで顔を隠しているというのに、慌てふためく男たちを嘲笑うようだった。
「剣を汚す価値もない」
玄関の両脇にある、足下に樽が置かれた背の高い外灯に目を留めると、外套のポケットから小さな何かを取り出した。それは片手の中に十分収まる程度の細長い、四角い小さなものだった。全体的に透き通っており、内側に液体が入っている。端の片方には親指でこすれる程度の大きさの、ヤスリにも似たギザギザがついた回転ドラムがあり、ドラムの脇にある極めて小さな石をこする作りとなっている。
「ごきげんよう」
赤い外套の人物は、親指で回転ドラムを軽くこすった。シュボッという小さな音と共に、小さな火が灯されると、樽の方へ火の点いた小さな箱を放った。樽に当たる寸前、ボッ! という音と共に凄まじい勢いで炎が燃え上がり、樽を、そして外灯そのものを猛烈な勢いで燃やしていく。もう一方の外灯の足下へも投げ込むと、同じように燃えていった。
赤い外套の人物がさらに大剣を振るい、燃えている背の高い外灯が市庁舎の方へと倒れる。炎はそのまま、市庁舎の建物へと燃え移った。炎が回るのは早かった。建物は阿鼻叫喚の地獄と化した。
「──!」
奇声なのか悲鳴なのかすらもわからぬ声が響き渡る中、市庁舎の建物の一角がガラガラと音を立てて崩れていく。ほどなくして、左右対称の建物は半分が崩れ去った。
「おお? 出てこないのか? ん?」
誰にでもなく、赤い外套の人物は笑いながら言い放った。それから、市庁舎前を通り抜け、広い庭を挟んでさらに奥にある屋敷へと走り出した。
赤い外套の人物を追いつつ、時計台の一番市庁舎寄りの壁あたりでDYRAとタヌは、起こった出来事に戦慄した。
「ど、どうして……」
タヌは驚きの目でDYRAと、崩れる市庁舎とを交互に見る。
「DYRA……あれ、RAAZさんだよね」
「ああ」
「どうしてこんなことを……」
タヌの疑問に、DYRAは何も答えず、下唇を軽く噛んで視線を逸らした。
「ねぇ! あの奥って、ごはん食べているときに会った市長さんとかのお屋敷じゃ!」
タヌは、燃え広がる炎のおかげで見えるようになった建物を指差した。そこはDYRAにとって、ほんの少し前まで地下に閉じ込められていたその場所だ。
「助けにいかないと!」
「ああ」
DYRAはタヌの言葉に同意すると、すぐにあたりを見回した。そこへタヌがDYRAの腕を軽く叩いて呼んだ。
「DYRA。こっちから抜ければ近道じゃない?」
タヌは時計台の脇の隙間道のようなところを指差した。
「行こう」
「RAAZさんを止めなきゃ。こんなにあちこち燃えていたら、街が全部焼けちゃう!」
「急がないと」
タヌは返事を聞いた瞬間、走り出した。DYRAも追う。
燃えさかる市庁舎がどんどん遠ざかる。広い公園を外周に沿って走る形で、屋敷がある方へとタヌは全速力で走った。DYRAはタヌにスピードを合わせてついていく。
「はぁ。はぁ」
タヌは足が攣りそうになるかならないかギリギリで、屋敷の正面玄関が見える場所までたどり着いた。二人はここでいったん、足を止めると、タヌは肩で息をし、ふくらはぎのあたりを揉む。DYRAはあたりに誰かいるか確かめるようにあたりをざっと見回した。
「火が点いている」
火災というほどではないが、屋敷の三分の一ほどに火が回りつつあった。屋敷が燃えていることが意味することはただ一つ。赤い外套の人物が先に着いた、だ。
「ま、まずいよ! DYRA!」
「まだ焼け落ちるほどには燃えていない」
「助けに行こう!」
「タヌ。お前は待ってろ。ちょっと見てくる」
「ボクも行く!」
タヌはそう言って、正面玄関前の庭に小さな噴水池を見つけるなり飛び込んだ。頭のてっぺんからつま先まで水を被ってから戻った。タヌのこの振る舞いに、DYRAは厳しい表情を浮かべたものの、同時に小さく頷いた。
「タヌ。来るというなら、私から絶対に離れるな」
「うん。わかった」
DYRAは強い口調で言い切ると、タヌは大きく頷いた。
二人は屋敷の中へ足を踏み入れた。このとき、別の方向から屋敷へと近づいて二人の様子を見ている者がいることに二人共気づかなかった。
「な、何だ……?」
「え、何これ」
二人が屋敷に足を踏み入れるなり目にしたものは骸でもなければ、焼け焦げた壁や天井などでもなかった。
「穴!?」
エントランスホールのど真ん中の大理石の床に、大きな穴が開いている。綺麗にくりぬかれて作られたものではなく、それこそ、床に大砲の弾でも当てて無理矢理壊した感じだ。
「ねぇ見て! 下が、地下室みたいなのが見える!」
タヌがしゃがんでそっと覗き込んだ。普通なら飛び降りることは非常に難しい高さだが、幸いなことに、何かが床からたくさん積み上げられており、その積み上げられたものの上に一度下りてからなら無事に下りられると言った感じだ。
タヌは飛び降りようとしたが、DYRAはすぐさまタヌの襟首を掴んで動きを制した。
「──何なのよ! アンタ!」
二人の耳に少々低い気もするが、まぎれもなく女性とわかる声が飛び込んできた。タヌはDYRAが制止した理由を理解すると、彼女の方を見た。
「DYRA、あの声ボク知っている」
そう言ってからタヌは、DYRAに耳打ちして告げる。DYRAは頷きつつ、タヌの口元に自らの人差し指を当てて、声を出さないように伝えた。
「──キミたちがどういうつもりかは知らないし、興味もない、と言いたいところだが」
続いて聞こえてきたのは、二人にとっても聞き覚えある男の声だった。タヌが再びDYRAの耳元で告げる。
「あれ、RAAZさんの声だよね?」
「間違いない」
二人は周囲に火が回っていないか様子を見ながら、耳を傾ける。
「──だったら、この仕打ちは何よ!?」
女の声が反論したときだった。地下から犬の甲高い声も聞こえてくる。それはまるで女の言葉に呼応するかのようだった。タヌは犬の声に少しだけ驚きつつも、身体をギリギリまで沈み込ませて地下の様子を覗き見る。
「え?」
様子が見えた途端、タヌは顔を上げて、DYRAを見る。
「どうした?」
タヌはDYRAに顔を近づけ、耳打ち程度の小声で告げる。
「DYRA。犬と、あの女の人が見えた。ほら。ボクが植物園みたいなところで出会った人。犬を連れていた。っていうか、サルヴァトーレさんとごはんを食べたときに会った市長さんとそっくり」
地下でのやりとりは続く。
「──『白』は女だけに懐く。……ふっ、ふっ……あははははは」
「──何がおかしいのよ!」
「──見分けのつかない双子も、犬は片方にしか懐かない。市長のスーツに白い犬の毛がついていたとなれば、おかしくて笑うしかないじゃないか。アントネッラ」
「──アンタまさか!?」
険も露わに女が叫ぶ。
「──自分たちの力と技量を弁えた上で、好き勝手やる分には一向に構わないんだが、な」
「──ピルロは自分たちの力でここまで来たの。バカげたことを言わないでくれないかしら?」
「──そんなことを言っても良いのかな?」
険のある女の声に対し、せせら笑いを浮かべる男の声はあまりにも対称的だ。
「──私が何も知らないとでも思っていたのか? ん?」
「──何にも知らないから、マヌケな密偵をたくさん送り込んだんじゃなくって? おバカさん。私にひれ伏すなら今のうちよ?」
「──そのおめでたさが心底羨ましい。協会の密偵など、私には知ったことではないからな」
二人のやりとりを聞いていたDYRAとタヌは、二人が気づく気配をまったく見せないのを確かめたところで互いの顔を見ると、地下へ行く意思を確認した。先にタヌが地下室へと下りた。
タヌが下りたったのは、積み重ねられた氷の上だった。幸い、地下には火が及んでいないため、溶けていなかった。さらに、布が何重にも巻かれていたことで、それなりに冷たいものの、滑ったり、身体が痛くなるほど急激に冷たさを感じることはない。下りたとき、タヌは自分の足下を指差してから、次に、雪菓子の皿を指で宙に描き、食べる仕草をしてDYRAへ氷の存在を伝える。DYRAが頷いたのを見てからゆっくりと床に下りた。幸い、大きな音を立てることもなかったので、地下で話をしている者たちに気づかれなかった。
次にDYRAが下りた。
二人は身を屈めて、声を聞き取りやすいであろう物陰へと移動した。やりとりはその間も続く。
タヌが歩くのを止め、DYRAの方を振り向くと、氷と氷の間からある方向を指差した。DYRAはタヌが示した先を覗き見た。
タヌが見たのは、食事をしたときに市長と一緒にいた、アレッポと呼ばれていた行政官ともう一人、背の高い、三つ編みをまとめた髪型が特徴的な、小間使いだった。彼らはそれぞれ、少し離れた、話す二人からは見えない場所に立っている。DYRAとタヌがいる位置は図らずも彼らからも死角だった。
改訂の上、再掲
102:【PIRLO】報復の炎が真実を照らせど、RAAZは眉一つ動かさない2025/06/10 21:49
102:【PIRLO】街の闇が報復の炎で明らかになるとき……?2024/12/22 20:15
102:【PIRLO】絶望をもたらす者、降臨(2)2019/04/29 22:38
CHAPTER 102 描いていた絵2017/12/11 23:02