001:【LEARI】救世主は「死神」と呼ばれる美女だった
文明が3回も滅亡した「この地」──。
今や、「この地」で生きる人々の中に、この世界が三度の滅亡を経験したことはもちろん、もはや「この星」の名前を知る者すらいない。
はるかに進んだ文明を失ってしまったものの、長い時間をかけて自然との対話を繰り返し、ときに獣におののきながらも人々は少しずつ文明、文化を再建していった。
やがて文明や文化が生き返った。そして、生活水準が少しずつ戻り始めつつある「今」を舞台に、この物語が始まる。
しかし、この世界に生きる人々は誰ひとりとして『はるか昔の文明の遺産』が自分たちと同じ空の下に存在していることを知らない。
カーネリアン色の空の下──。
「この地」の東に位置するレアリ村は、空と同じ色に包まれていた。だが、夕焼けや朝焼けの静けさとは異なり、今まさに村を覆っているのは激しい炎と煙、そして悲鳴だった。
それは、あっという間の出来事だった。
片田舎の小さな村に、全身を黒の外套で覆った五人組がやってきた。彼らは村へ入るや否や、油を入れて火をつけた瓶を納屋や飼料庫へ投げ込み、次々と家屋を燃やしていく。倉庫には畑から刈り入れたばかりの麦が保管されており、麦わら焼きさながらに激しく燃え上がる。それが、周囲の家々へと燃え広がるのに時間はいらなかった。
「な、なんだ、一体!」
「わたしたちの育てた麦に何てことするんだい!」
黒衣の五人組の凶行に気づいた何人かの年老いた村人たちが次々と声を上げ、駆け寄った。
「殺れ」
五人組のうち隊長格がそう指示するや、黒衣の面々は次々と自身がまとう外套の内側へ手をやり、剣を抜いた。
「御館様のお相手に手を出した奴を匿うからだ」
何があったか察知し、逃げ出そうとした人々はもちろん、火を消そうと井戸から水を汲んでくる人々にさえ、黒衣の者たちは容赦なく剣を振り下ろした。
「村の人間は残らず殺せ!!」
「ガキでも生かすな!!」
やがて、阿鼻叫喚の声すら聞こえなくなり、村人の姿がほとんど見えなくなると、黒衣の隊長格が告げる。
「そろそろ匂いでアオオオカミが山から下りてくる! 逃げるぞ!」
「しかし、例の『現物』を確認していな──」
すかさず別の一人が言いかけたときだった。
「喰い殺されたいのか!?」
隊長格が言い切ると、それを合図とばかりに四人が剣を手にしたまま、麦畑が見える北側の出口へと走り出す。無論、途中で遭遇した逃げる村人たちの始末も怠らない。
その後、しばらくの間村は燃え続けたが、麦や木々など火種となるものが尽きたからか、火の手が小さくなった。その頃には、麦畑より北側に広がるネスタ山の方から大型の四つ足動物が数頭、村に近寄ってきていた。大型犬より一回り大きな体格で鋭い瞳と牙、近寄るあらゆる生き物を威嚇する六つの目を持つ獣だった。
風に乗って流れる、肉の焼ける匂いに誘われた獣たちは麓の金色の麦畑を通り抜け、ゆっくりと村へ足を踏み入れた。
「た、た……助けて」
村で唯一火の手を免れた家の前で、一人の少年が今、まさに追い詰められていた。周囲の家が次々と燃えていることに動揺し、慌てて逃げ出そうと家を出るなり、三頭のアオオオカミに囲まれたのだ。どこかまだあどけなさが残る、チョコレート色の髪の少年は腰が抜けそうになるほどの恐怖を前に、涙をぼろぼろこぼして震え上がった。
「……助けて……誰か……」
アオオオカミは雑食で、農作物のみならず、動物や人間をも捕食する。たまに近隣の町で討伐隊が組まれるが、全滅することもざらだ。そんな評判を少年も嫌と言うほど知っていた。
このまま喰い殺されてしまうのだろうか。怯えきった少年へアオオオカミの一頭が舌なめずりしながらゆっくりと近寄る。
「く……来るな……っ!」
まだ死にたくない。少年は膝を震わせながらゆっくりと後ずさりする。トン、と背中に扉が当たる感触が伝わる。もう一度家へ戻るべきか。いや、背中を見せた瞬間に飛び掛かられたらひとたまりもない。それでも一縷の希望に縋り、少年は後ろ手で取っ手を探した。が、手がぶるぶると震え、思うように動かない。そうしているうちに、にじり寄るように距離を詰めてきたアオオオカミが唸り声を上げる。
もうダメかも知れない。
死を覚悟した、そのときだった。
「え……」
突然、色々なものが焼け焦げた異様な臭いに混じって、場違いとしか言いようがない花の香りが少年の嗅覚を刺激した。続いて、ふわりと舞う美しい花びら。風に乗って流れてきたのか、空から舞い落ちてきたのか、一枚、また一枚──。
幻想的な美しさに、少年の意識が一瞬恐怖から解放された。だが、自分の腹や足下へはらはらと舞い落ちる花びらを見るや、少年は表情を引き攣らせる。
青い花びらはラ・モルテが現れる証
脳裏を掠めたのは、幼い頃、村の長老から聞いた言葉。ラ・モルテ。すなわち死神の言い伝えだ。舞い落ちた花びらの色は、まるで宝石のサファイアのように美しい青だった。
(ボク、死にたくない!)
アオオオカミに追い詰められた上、周囲に青い花びらが舞っている。それでも、死の運命を絶対に受け容れたくない。その気持ちだけは揺るがなかった。しかし、飛び掛かれば確実に届く距離まで迫ったアオオオカミの一頭が少年の思いを嘲笑うように低い声で吠える。
もうこれまでなのか。少年は反射的に目をぎゅっと閉じて顔を背けると、そのまま頭を抱えて身を守るようにうずくまった。
「わあああああああ!」
少年の叫び声と同時に三頭のアオオオカミが襲いかかった。
「……ひっ!」
頭やうなじ、服越しに肩や背中に液体がかかった感触が伝わる。もしかしたらあまりの痛みで、痛覚が飛んでしまったのではないか。どこもかしこも噛みつかれたに違いない。
やがて、少年はぶるぶる震えながらうっすらと目を開けた。
「……あ、あれ?」
どこも痛くない。身体に目をやると、服こそ血だらけではあるが、傷一つついていない。少年は困惑した。そこへ断末魔とでも言うべきアオオオカミの激しい唸り声が響いた。少年はおそるおそる全身から力を抜くと、今度は大きく目を開け、こぼれ落ちる涙を拭いもせず、ゆっくりとあたりを見回した。
足下に血まみれの骸となった三頭のアオオオカミが転がっている。その向こうに、頭から黒い外套で全身を覆った人物が立っているではないか。左右それぞれの手に細身の剣を握っており、周囲には無数の青い花びらが少しずつ和らいでいる。
その光景の美しさに、少年はしばし魅入られた。青い花びらの嵐が止むと、両手の剣の輝きが魔法のように消え失せた。まるで、花びらが剣をかき消したようだった。
次に少年は、地面に転がる三頭のアオオオカミの骸に目を留めた。首を鋭利な刃物で斬られた跡があり、よく見ると、骸に青い花びらが何枚も落ちている。
少年はここでハッと我に返った。しかし、一体何が起こったのか、皆目理解できなかった。
「ボク……助かったの?」
少年は涙混じりの声で呟いた。
外套姿の人物は、地面に転がっていた白い四角い鞄を手にすると、ゆっくりと少年の方へ近寄った。少年はアオオオカミの骸や美しい光景に気を取られ、鞄の存在に気づかなかった。
「た、助けてくれて……ありがとう」
よろめきながら立ち上がった少年は、涙を手の甲で拭くと、弱々しい声で告げた。目の前の人物は少年の言葉が聞こえていないのか、気にも留めずに外套の被りを脱いだ。
「えっ……?」
顔を見るなり、少年は目を丸くした。黒にも青にも見える藍色の髪、白磁のようにきめ細かく美しい肌。見たこともない金色の瞳。一方で、一度出会ったら絶対に忘れないであろう容姿からでは想像もできぬ抑揚のない、低い声。そして、一瞬のうちにアオオオカミを斬り捨てた、圧倒的な強さ。だが、何よりも驚いたのは──。
「お、女の人だったんだ……」
自分を助けてくれたのは、どこか中性的な雰囲気を持ち合わせた美女だった。少年は女の美しさに魅入られたのか、まじまじと見つめた。そのときだった。
「お前、RAAZの居場所を知っているか?」
「ら、らーず?」
女が藪から棒に質問をぶつけてきた。少年は理解が追い付かず、オウム返しに問い返すのが精一杯だった。
「ああ。RAAZ。不死身の錬金術師だとか言われている奴だ」
錬金術師。この村ではもちろん、少年にとっても無縁の存在だ。村にそんなすごい人が来たなんて話も聞いたことがない。村に来るのは行商人や郵便馬車くらいだ。だいたい、この村は病人が出ようものなら、医者を呼ぶために街道を西へ行ったところにある隣町へ行かねばならないほどの田舎だ。錬金術と関係あるかわからないが、知っていることがあるならせいぜい、医者や教育機関をまとめている組織が都会にあり、そこが『錬金協会』と呼ばれていることくらいか。ついでに言うなら、少年自身は錬金術なる魔法まがいの事象などまったく信じていない。もっとも、それについてはたった今、考えを改めた。目の前の女性が錬金術か魔法、もしくはそれに匹敵するものを使い、剣を霧散させる瞬間を目の当たりにしたからだ。
少年は首を横に振った。知らない以上、何も答えようがない。
「ああ、あのっ! た、助けてくれて、本当に、ありがとう」
少年は改めて深々と頭を下げると、絶体絶命の場面を救ってくれたことに心からの謝意を示した。彼女がいなかったら今頃、間違いなく肉片に変わり果てていたところだった。
一方、女は少年からの謝意に特に関心を示さなかった。しかし、外套の被りへ伸ばしかけた手をピタリと止めた。
少年は女がその金色の瞳で自分、いや、自分の頭越しに何かを見ていることに気づいた。声を掛けていいのだろうか。そんなことを考えた矢先、女に玄関扉の方へ軽く突き飛ばされた。
「っ…!」
背中を扉にぶつけつつも目の当たりにした光景に、少年は改めて驚嘆の声を上げた。女の手のひらの周囲に一枚、二枚と青い花びらが舞い始め、嵐のように吹き荒れるや、彼女の手に再び、だが、まったく違う剣が姿を現した。サファイアのように美しい輝きの刀身が細かく等間隔に分かれ、蛇腹状になっている。剣というより刃の鞭だ。
女は少年の視線など気にもせず、すぐさま剣を振るった。青い花びらならぬ、鋭い刃の嵐が少年のすぐ脇を抜け、火災を免れた家の陰に隠れていた人影を捉えた。
気づかれたかとでも言いたげに、物陰から顛末を見届けていた人物が飛び出した。女と同じような黒い外套で全身を覆っている。一歩目の足が出た瞬間、蛇腹剣がその足に巻きつく。相手はそのまま体勢を崩すと、家の脇にある古びた井戸の近くに俯せに倒れた。少年はこのとき、この人物から油の臭いがすることに気づいた。
「がああああ」
悲鳴の声で、黒衣の人物が男だとわかった。女は男の足に刃を絡めたまま、男の被りを慣れた手つきで剥ぎ取った。
「ひっ! や、止めてくれっ!!」
地べたに頭をつけたまま命乞いを始める男を前に、女は無表情のまま尋ねる。
「お前、RAAZの居場所を知っているか?」
女の質問を聞いた途端、男は今の体勢ででき得る限り、首をぶんぶんと横に振る。
「い、い、一体何を言っているんだ!?」
答えにならぬ言葉を聞くや、女は男の足から刃を解くことなく、今度はその足の膝裏を踏みつけた。
「『RAAZはどこにいるのか』と聞いている」
「そ、そ、そんなの知るかっ!!」
激痛をこらえながら悲鳴にも似た声で男が話す。
「だ、だいたい、錬金協会の最高幹部でもほとんど知らな……ぐあああああっ!!」
錬金協会と聞くや、女は男の膝裏を一層強く踏みつけた。蛇腹剣も気持ち強く引っ張る。
「やめろおおおおおおっ!! あ、あしっ! あしっ! あしがああああああっ!!」
男が今にも死にそうな悲鳴を上げたが、女は眦一つ動かさなかった。
「ペ、ペ、ペッ! ペッレあたりならそれなりの幹部がいるっ!! そいつらに聞いてくれっ!!」
聞くことを聞いたからか、聞くだけ無駄と思ったのか、女は男を踏みつけるのを止め、足に絡めた蛇腹剣を解いた。再び周囲に青い花びらが大量に舞い、剣が鞭状から諸刃のそれに形を変えた。
男は身体に自由が戻ったとわかるや匍匐の体勢で進み出す。このとき、目の前に青いものが落ちていることに気づくと、男は動きを止め、指で摘まんだ。
「お、おわっ……おまっ……!」
それが青い花びらとわかった途端、男は恐怖で顔を歪めた。
「ま、まさか……や、やめっ!! ……し、死にたくないっ! 嫌だ! いやだぁぁぁぁ!!」
四つ足の体勢ながら、足を怪我しているとは到底思えぬ動きで猛然と逃げ出した。
一連の顛末を見届けた少年の目に、男の姿は何とも情けないものに映った。ほんの少し前までの自分と同じようにラ・モルテを恐れたのは一目瞭然だ。
男の姿がすっかり見えなくなると、少年は改めて周囲を見回した。自宅以外、村の家を始めとした建物はほとんど焼き尽くされた。そのせいか、火もほぼ消えている。焼けたものの下に僅かに残る種火が突然の強風で燃えるものに移らない限り、再燃の心配はなさそうだ。
女は先ほどの小さな白い鞄を手にすると、少年の家の前に立った。女の突然の行動に、少年は困惑の色を浮かべた。
「あ、あの! ここ、ボクの家なんですけど」
ボクの家。少年のこの一言で、女は初めて少年へと視線を向けた。
「ど、どういった御用でしょう、か……?」
「『ここに来い』と言われたから、来ただけだ」
女は無表情のまま、そう告げた。
「あ、えっ……あの、どなたからその、『来い』って」
「それも含めて『ここ』に来ればわかるのだろう?」
「えっと、父さんか、母さんの知り合い、ですか?」
女が小さく首を横に振ると、自身の外套の内側に手を入れ、何かを取り出した。二通の封筒だった。どちらにも開封した形跡がある。女は少年へ差し出した。
「すみません。失礼します」
何か手掛かりになることが書いてあるかも知れない。少年は女から二通共受け取ると、その目の前で一通目の封筒を開く。入っていたのは見たこともない花柄のエンボスが施された白いメッセージカードだった。そこには『レアリ村の一番奥、少し離れたところにある家』と書いてあった。差出人が誰かわかるような文言どころか、それ以外何も書いていない。少年は続いてもう一通を開いた。やはりこちらの中身も白いメッセージカードだった。ただ、最初のものとは紙の質がまったく違う。エンボスのような目に見える凝った作りではないものの、素人目にも高級な紙とわかるほど手触りがいい。それでも残念なことに書かれた内容は同じだった。やはりこちらも差出人に繋がる情報は一切ない。
「こ、これだけ? 本当に、他には何も書いていない……」
少年は封筒にカードをそれぞれ戻してから、女に返した。
「そうだ。ええと、ボクはタヌ。名前、聞いていいですか」
少年は、自分の名前を告げた。ここで彼女がもし両親の口から出てきたことがある名を名乗れば何かわかるかもと期待する。
「DYRA」
「でぃら?」
確認するように復唱したタヌに、DYRAと名乗った女が頷いた。タヌは記憶を掘り返してはみたものの、両親から聞いた覚えがなかった。
「タヌ、と言ったな」
「あ、はい」
「アオオオカミがまた来るかも知れない。今夜は安全な場所にいることだ」
無愛想で無表情、口調もどこか醒めている。それでも、今彼女が発したのはまぎれもなく気遣いの言葉だった。タヌは彼女をじっと見ながら、きっと良い人に違いないと思う。
しかし、DYRAはタヌに興味を示すこともなく、黙って足早にその場から立ち去った。
一人残されたタヌは、改めて家の外の光景を見回した。DYRAの美しい姿と圧倒的な強さに心奪われ、すっかり意識から抜け落ちていたことがここに来て一気に戻って来る。
廃墟同然になった村。
自分以外、骸に変わり果てた村人。
そしてDYRAが始末した三頭のアオオオカミ。
日常が一瞬にして破壊された現実を前に、タヌは大粒の涙をぼろぼろこぼし、泣いた。
改訂の上、再掲
001:【LEARI】救世主は「死神」と呼ばれる美女だった2024/07/23 22:09
001:【LEARI】救世主は「死神」と呼ばれる美女だった2023/01/03 22:15
001:【LEARI】追い詰められたボクを助けてくれたのは、死神だった2020/11/20 11:22
001:【LEARI】救世主は、死神だった!?(1)2018/09/09 10:43
CHAPTER 01 プロローグ~青い花びらとの出会い2016/12/08 23:14