頁005.人の縁
そうして日は過ぎ、弁当販売の日となった。
仕事を始める前に、ベルタさんには今回のギルド立ち上げの件と弁当販売の日数を減らしたい旨を説明した。
終始驚いてはいたが、私のやりたいことをやれと笑顔で受け入れてくれた。ありがたいのだが、私ではなくトールのやりたいことなのだ、とはさすにが言えなかった。ベルタさんはいい人なのだが、多少、人の話を聞かないところがある。
ともあれ、ベルタさんの了承は得た。あとは……。
「こんにちは、エレノアちゃん。今日も来ちゃったわ」
かけられた声に、反射的に顔をあげる。仕事中に考え込んでいたようだ。気を付けねば。
ともあれ、目の前にあったのはにこやかな笑顔。知り合いの顔だった。
「レイチェルさん。また来てくれたのか」
「ええ、もちろん。エレノアちゃんのお弁当はとってもおいしいもの」
お昼は一人だからつい弁当を買ってしまうのだとぼやくこの女性は、レイチェルさん。何人かいる常連の一人だ。
レイチェルさんは既婚者だが、家族の出払っている昼の間は一人で食事をとらなくてはならず、毎度作るのも面倒だが外食するのも躊躇われるのだという。それで間を取って弁当、というのは私には少しわからないのだが、まあ、そういう人もいればそういう気分もあるのだろう。
「む、そうだった」
「どうしたの?」
これから弁当販売の回数が減るのだ、いつも来てくれている人には伝えておく必要がある。
「これからは会う機会も減ると思う」
「えっ…えっ!? どうしちゃったの、何かあったの!?」
む、非常に驚かれてしまった。これは…そうか、理由を語っていないからか。唐突に別れを告げられたと思ったのかもしれないな。どうにも私は言葉が少ない傾向にあるらしい。気を付けねば。
「この仕事の日数を減らすことにしたんだ」
「えっ…あら、そうなの…。でもどうして?」
ふむ、どう説明したものか…そう考え、ふと思い出した。そうだ、これがあった。私は机の一角に貼られた紙を指さした。
「“冒険者による相談所、ギルド。まもなくスタート”……相談所?」
律儀に説明文を読んで首をかしげるレイチェルさん。ふむ、これだけではわかりにくいか。
今度はその隣の小さな文字を指さすと、再び読み上げてくれた。
「“日々の生活で困りごとはございませんか? 魔物退治から食材調達まで、冒険者があなたの生活をサポート”
場所は…街の西区にあるのね。……って、これってどういうことなの?」
「実はこのギルドというものを立ち上げることになった。だから他の時間が減りそうなんだ」
「まあ、そうなの!」
相変わらずとてもいい反応を見せてくれるレイチェルさん。というより、他に人がいなければいつまででも話し続けてくれるのがこの人だ。私は暇がつぶせて非常にありがたいのだが、レイチェルさんもそれなりに忙しいのではないのだろうか、などと関係のないことを思い浮かべた。
「あら、でも冒険者ってあるわね。エレノアちゃんが戦ったりするの?」
「まさか。私は裏方だ」
「そうよね、ふふ、ごめんなさい。それにしても、よくこんな新しいものを考え付くものね」
それにはまったくの同意見だ。需要があったり過去に存在したとはいえ、実際に行おうとするとは。しかし、レイチェルさんの反応は思ったよりもいい。何か思うところがあるのだろうか。
トールの言うチャンスとは、こういった場面を指しているのだろう。
「細かい説明を書いた紙もある。よければ目を通してくれ」
「わかったわ。……ねえ、これっていろんな人に知らせたほうがいいのよね?」
「うん? まあ、それができれば苦労はしないんだが…」
「じゃあこの紙をあと何枚かちょうだい? 近所の方たちにも話しておくわ」
思いもよらない申し出に目を丸くしていると、笑われてしまった。そんなにもおかしかっただろうか、と少しばかり気恥ずかしくなった。
「うふふ、ごめんなさい。なかなか見ることができない表情だったから、嬉しくて」
人の驚く顔の何が面白く、何が嬉しいのか。私には理解できない。
けれども申し出自体はありがたいので礼を言っておかねば。
「ともあれ、ありがとう。非常に助かる」
「どれくらい助けになれるかはわからないけれどね。いつも頑張ってるエレノアちゃんの助けになれるんだもの、私だって張り切っちゃうわ」
そう笑いながら、レイチェルさんは去っていった。少しからかわれはしたが、いい人だと思う。世間話するような間柄の私に協力してくれるとは。
レイチェルさんだけではない。ベルタさんも、とてもよくしてくれる。私みたいな奴にここまでしてくれて、本当に嬉しい限りだ。
「……む」
気付けば次の常連客の姿があった。
見た目からして冒険者の風貌をした男。彼は弁当を買った後、いつも宿に入っていく。弁当販売の日は残りを宿で提供しているので弁当を買わずとも食堂で同じものが食べられると教えておいたのだが、軽くうなずいただけでそれでも弁当を買って行く。何らかのこだわりがあるのだろう。
「……」
「……」
いつも通り、会話はない。男は弁当を指さすだけで一度も声を発したことがない。私もそう口数が多いほうではないので、しばし無言で机を囲むのみだ。
やがて男が弁当を指さしたので値段を告げた。そうしてまた、この男もよく弁当を買いに来るので教えておかなくては、と思い出した。先ほどの失敗を踏まえて、ある程度理由を説明しておく。
「これから先、あまり弁当の販売をしなくなる。いつも買ってくれていたが、これからは宿の食堂を利用してほしい」
私の言葉を聞いて、男は動きを止めこちらを見た。何度となく会ってはいるが、目が合ったのは数えるほどしか覚えがない。
「………もう販売はしない、と?」
「――いや、少しばかり日数が減るだけだ。とはいえ、今よりも間隔は空くようになる」
「………」
それきり、男は黙った。初めてかけられた声に私は心底驚いていたのだが、気付かなかったのかどうでもいいのか。そのまま宿へと消えていった。少しはこの弁当を気に入ってくれているのだろうか。
そして私の気のせいでなければ、弁当を選ぶ際にギルドの説明にも目を向けていたような気がする。冒険者として過ごしているからか、やはり気になったのだろう。
しかし彼ら冒険者が依頼主になるとは思えないが…いや、少しでも多く知ってもらえたほうがいいのか。
その後も見知った相手や紙に興味を示した相手にはギルドのことを説明した。反応は様々であったが、まったくの無意味ということはないだろう。
いつものように余った分をベルタさんに任せ、帰路に就く。
少しずつではあるが、物事が進んでいるという実感がわいてくる。もちろんまだ先は長い。
帰宅すると、すでに鍵は開いていた。トールが先に帰っているようだ、と思った時には玄関までトールが走ってやってきた。
「エレノアごめんっ、これから一緒に役場行こう!」
「どうした」
「俺一人じゃ全然わからなくて…説明一緒に聞いてほしい」
今日私が働いている間、トールは役場へギルドを開始するための申請書類を提出する手はずになっていたのだが…昔から書類関係が苦手で私に投げていたからな、説明を聞いてもまったく理解できなかったのだろう。
「やれやれ、仕方ないな」
「ごめんありがとうっ、役場閉まるから急いで!」
生活が大きく変わろうとしているというのに、こんなところはいつも通りだ。
そう考えるとおかしく思えてきて、慌てているトールを横目に私は愉快な気持ちになった。