頁004.エレノアとトールとギルド
「……ふむ」
現在私たちが歩いているのは街の西区。トールが購入した件の屋敷へと向かう道中だ。
西区は私たちの住む東区と同様、飲食店や住居が立ち並ぶ。それだけで考えれば左右対称という言葉も浮かぶ。だが、実情としては異なる。
東区の飲食店では安価で量のある食事が楽しめる一方、味は推して知るべし、という評価の店舗が多い。逆に西区では価格は高いが、この地域では珍しい食材を使った料理や、思わず顔をほころばせるような素晴らしい料理を提供する店舗が多い…らしい。
そういった東西の違いがあるのだ、住宅に関しても同様の違いがある。東区に住む私が西区の飲食店に詳しくない理由については察してもらえれば幸いである。
元々西区には訪れる用件もなく、こうして歩くことも初めてに近い。私は子どものようにあちらこちらに視線を飛ばす。同じようでいて確かに異なる街並みはとても新鮮に感じられた。
「さ、ここだよ」
先を歩いていたトールが立ち止まった。トールが指さした先にはひときわ大きな屋敷が建っていた。私の目にもぼんやりと大きな建物が映るが、それが屋敷であると一見してわかるほどの大きさだった。なるほど、これは確かに家ではなく屋敷だろう。私たちが住んでいるあの家の倍はあるだろうか。もしかしたら三倍に近いかもしれない。
「西区だしこの大きさだけど、その割には値段ひかえめなほうだったんだよ」
子どものように誇らしげに報告してくるトールになんと言っていいものかわからず、無難に「そうか」とだけ返事をした。
正直なところ、いくら価格が抑えられていたと言っても出費は出費であるし、もっと時間をかければ東区でも優良な物件はあったのではないかと私は考えていた。が、トールの様子を見てそれを告げるのは躊躇われた。いくら付き合いが長いとはいえ、そのような酷な宣告はするほうもされるほうもつらいに決まっている。
小さな庭を抜けて、トールが屋敷の重厚な扉を開いた。
「入るのは二度目だけど、俺も緊張するなあ」
扉の軋む音の先に見えたのは私たちのいる場所からまっすぐ続く敷物だった。次いで見えたのはおそらく、階段。
中へ数歩進んでわかったが、最初のエリアは広い一室になっていた。そして真ん中に階段。階段が邪魔ではないのかという考えがよぎった。
階段の左後方にあたる位置には私から見て前面と側面に扉がひとつずつあった。
また、今立っているこの場所の左右それぞれに通路が続いている。前方の階段もあるのだから、どこから行ったものか悩ましい。
「この最初の場所が受付になるんだ。カウンターを置いてさ、左側が冒険者の……」
トールが一人でうんうん唸っている。長々としゃべっていたが正直聞いていなかった。
「まずは案内してもらおうか」
「あ、ごめん。うーんと、それじゃあ………」
その後、トールの案内で屋敷内を見て回った。
結論から言って、とても広い。そしてとても埃っぽい。以前トールが言っていたように使用人が住むための個室が複数存在したが、家の中央から離れた端の部屋などは特に埃がひどい。端の部屋はあまり使用していなかったのだろう。利便性の面から私たちも中央に近い部屋を使うことになりそうだ。
個室の件はいったん置いておくとしよう。それよりも気になる部屋があった。
食堂、そして風呂である。
どちらも複数人が使用することを想定して作られているようだった。風呂など私たちの住む家よりずいぶんと広い。一人で入るには落ち着かないが慣れる他ない。
そういえば、ベッドが置かれた狭い部屋もあった。誰かの部屋というよりは診察室だったのではないかと思う。トールは「仮眠室?」などと言っていたが、自室があるのに何故そこで仮眠をとらなくてはならないのか。
そうしていろいろと見て回ったのち、ようやく掃除を開始した。
手始めに生活用品を置くための場所を確保しようと話し合い、私は一人食堂を掃除していたのだが…。
「エレノアー、どこまで終わって……お!」
気付けば別の場所を掃除していたはずのトールが顔を見せていた。考え事をしていたので気付くのに遅れてしまった。
「さすがはエレノア、仕事が早い…っと、そうじゃなくって。お腹すいたからそろそろ食事にしない? ちょうどここもきれいになったみたいだし」
思った以上に時間が経っていたらしい。考え事をしながらの掃除だったのでどこかミスはないかと周囲を見渡してみたが、ぼんやりしながらも手は動いていたようだ。無意識下の私を褒めてやりたい。
まだこの場所の掃除すべてが終わったとは言い難いが、持ってきた昼食を二人で食べる分には問題ない。掃除を中断して昼食を摂ることにした。
「しかし、本当に立派な屋敷だな」
「だよね。けど立派な分、今日中に終わりそうにないなあ…」
まったくもってその通りだった。最低限の生活ができるようになるまでもう数日はかかるだろう。
そして問題はそれだけではない。
「依頼の件も平行して進めなくてはな」
「あー…うん、そうだよね。うーん…」
掃除を終えたからと言ってそれでいいわけではない。依頼なくしてギルドは立ち行かないのだ、すぐに依頼が来るとも限らないのだから先に先にと考えておかなくては。
とはいえ、その時点で掃除が終わっていないのもまた困る。つまりはどちらも必要なのである。
「そちらの調子は?」
「俺とエレノアの部屋用に二部屋掃除してるとこ。今やっと一部屋だから、さすがに今日は風呂とかまでは無理」
「まあ、そうだろうな」
私が手を付けているこの場所も、見えている範囲では片付いているようではあるのだが、実際はまだ先は長い。この場所から手を付けたのは失敗だったか…いや食材を置く以上優先順位は高いのだ、仕方ないと割り切ろう。
しかしこのままのペースでいいものかという疑問は残る。私かトール、どちらかだけでも別のことをするべきではないのか。
「そうだ、話は変わるけどさ」
トールが漬物をかみ砕きながら話している。食べるかしゃべるかどっちかにしろ、と指摘すべきか迷っていると、予想外のことを言われた。
「弁当売るの、結局どうすることにした? やっぱり日数減らすだけで完全に辞めはしない感じ?」
「………」
ん? 意味がわからない。
「ん?」
「だから、いつもやってる仕事だよ。こないだ話したと思うけど、こっち手伝ってほしいから辞めないまでも日数は減らし…て……」
そこまで語ったトールと、そこまで聞いた私とで、互いに止まった。
先日話したという→おそらくトールが私に打ち明けた時のこと
トールは私が聞いていたと思っていた→私はほとんど聞いてない
「……すまない、もう一度、いいか……」
「あ…うん…ソウデスネ…」
申し訳なさでいっぱいだったが、トールにはもう一度話してもらった。トールいわく、今までやってきた宿屋前での弁当販売の仕事を減らし、その分ギルドの手伝いをしてほしいのだそうだ。
確かにこれまで通り生活していたのでは時間が足りないだろう。そのことは理解できた。が…。
「で…次の仕事っていつ…?」
「……明後日だ」
目前に迫った仕事を回避するのはもはや不可能である。どちらかと言うと食材的な意味で。もう注文を終えているのでそれを撤回するわけにもいかない。
明日の夕方以降と明後日が丸一日使えなくなったと判明したが、私がトールの話を聞いていたとしてこの日の仕事を取り消しはしなかっただろうと推測する。現実逃避ではあるが。
「いや…考えようによってはチャンスなのかな…」
「うん?」
私とは別に考え込んでいた様子のトールがつぶやいた。忙しくなることの何が良い機会だと言うのだろうか。
「現状、ギルドに足りていないものって何だと思う?」
「時間か」
「まぁ、それも間違ってはいないんだけど。俺は知名度だと思うんだ」
実を言うと資金面も予想の範囲内にあったのだが、すでに正解が出てしまった。
「その存在を、名前を知られるっていうのは、とても有利に働くと思う。冒険者なんかでも有名な人とまったく名前の知られていない人じゃ、名前が知られてる人のほうが頼もしいよね」
なるほど、言われてみればその通りだ。これが知名度の差、知られていることの強みなのだろう。役場の冒険者向けの仕事をトールに割り振ってもらえているのが良い例か。トールの名前だけでなくこの街に住んでいることも役場の面々は知っている。そういったことを言いたいのだろう。
「今の俺たちじゃ頼りにしてもらえないと思うし、そもそも知られてさえいない。だから名前を売るんだ。弁当のついでとして、ね」
何かを思いついた時のトールは、とても生き生きとしている。やりたいことをやっているのだな、とほほえましく思う。
さて、今回はどんなことを思いついたのだろう。
私には予測できないが、得意げに話すトールを見ているだけで、私も少しばかり心が躍った。
16/11/18 一部描写を修正。