頁017.改善事項
「……ふう」
ペンを置き、右腕と肩をぐるぐると動かした。書き物をしていて疲れたのだと思ったが、まったく楽にはならなかった。
最近、少しばかり調子が悪い。身体を動かせないということはないが、動き出すのにいつもよりエネルギーを必要とする感じだ。
心当たりは特段ない。しいて挙げるならば以前より書類と格闘する時間が増えている点だが……その程度でこのありさまなのだとしたら脆弱にもほどがあるだろう。冒険者レベルなど欲深いことは言わない、人並みの体力が欲しいものだ。
再び書類に向き合った時、ノックの音がした。
「エレノアさん、報告書持ってきましたよ」
「すまない、助かる」
現れたのはセス。手には紙が握られている。当人の言うように報告用の書類だろう。
冒険者たちには依頼完了後に書類を提出してもらうようにしている。依頼の道中のことや依頼品、依頼主に関しての報告をまとめたものだ。次回以降の参考にしたり洞窟などの特定箇所に変化がないか知るために書いてもらっている。当初は口頭で報告を受けていたのだが、数が増えるにつれ覚えられなくなってきたためこういった形をとるようになった。私の能力の低さから皆に負担をかけて不甲斐ないことこの上ないが、さりとて代替案もなく。
ともあれ、さて書類を受け取ろう、とした時。それが一枚ではないことに気が付いた。セスの分ならば一枚で事足りるはずだが…?
私が首をかしげていると、セスが補足で説明してくれた。
「あ、せっかくなんで他の人たちにも声かけて集めてきたんですよ」
そこには他の冒険者たちの分も含まれていた。どうやら気を利かせて集めてくれたようだ。
セスはこういったところに気が回る性質のようで、いろいろと助かっている。彼らがやってきてふた月ほど経つが、すでになくてはならない存在になりつつある。
「相変わらず忙しそうですね…少し手伝いましょうか」
こうして書類作業も手伝ってくれている。もちろん本業の冒険者としての仕事もあるのですべて任せているわけではないが、この手伝いにも非常に助けられている。できればこのまま書類の業務を担当してほしいくらいだ。
「あ、一応全員分集めてはいますけど、トールさんがもう一件の依頼が終わってないとかでまた出かけていきましたよ」
珍しいですね、と述べてからセスは書類を整理し始めた。だが私は逆に書類から顔を上げた。やはり普段とは違う様子、か。
少し前から感じていたことだが、トールの様子がおかしいのだ。私の気のせいかとも思ったのだが……そういった変化が起こっているのなら間違いなさそうだ。
セスにも念のため確認してみるか。
「あいつ、何か言っていなかったか?」
「え、トールさんですか? うーん、特に何も言われませんでしたけど……」
「いや、言伝じゃない。最近どうも様子がおかしくてな。特にあいつが一人でいる時、何事かぶつぶつ言っている時があるんだ。聞き耳を立てたんだが、あいにく私ではすぐに気付かれてな」
正確な時期は不明だが、先週にはすでにおかしいと感じていた。どこか上の空だし、そのくせ私が近付くとひどく驚くのだ。何かに悩んでいる、あるいは迷っている…そんな印象だったが何故か「何でもない」の一点張りだ。
あんな不自然な奴のどこが何でもないのやら。
「すいません、僕は何も…。それに、新参者の僕なんかに特別なことなんて言わないと思いますよ」
「そうか? 私なら相談相手にはセスを選ぶが…」
「えっ!?」
私の知り合いの中から相談相手を選べと言われたなら私はトールとセスを思い浮かべる。私が誰かに相談したいと思う内容など大抵ギルド絡みだろう。よってギルドの内情にも詳しい者を選ぶ。
そして相談の内容にもよるが、トールの場合私の意見を尊重しすぎる傾向にあるので、よほど斬新なアイデアでも求めない限り私はセスを相談相手に選ぶと思う。落ち着いた性格だからというのもあるが、何よりセスは周りをよく見ているのだ。
自分の書類だけ提出しても文句は言われないというのに、他の者にも顔を出して集めてくれた。そればかりか、今もこうして作業を手伝ってくれている。
他にもノイの書類提出が遅れていることを私より先に指摘していたこともあった。それはノイの状況を把握していないとできないことだ。
私が書類の山と日々戦っていると知るとこちらを手伝ってくれるようになったし、私がいない間に部屋の清掃・換気などもしてくれている。トールのように強風の日に窓を開けてうっかり書類を飛ばすというようなこともない、完璧な仕事ぶりだ。
そういった諸々の理由をあげていくと、セスは苦笑を浮かべた。
「単に細かいだけですよ。ノイにはよくうるさいって言われますし」
逆にセスは自己評価がとにかく低い。それは冒険者として他の面々と比較した場合仕方がないのかもしれないが、それでも人間性が優れていれば充分だと私は感じる。というより、こちら側……書類と格闘する側には戦闘力など不要なので是非欲しい……いや無理強いなどしないが。
私の考えがセスに伝わるはずもなく、セスは別の部分が気になったらしい。
「でもそうやって相談する相手を考えたってことは、何か悩みがあるんですか?」
「ん、まあそうだな……」
悩み、というほどのものではないがどうにかしたい内容はある。
「たとえば今持ってきてもらったこの報告書類だが……もっとわかりやすくならないかと常々考えていたりはするな」
報告書類は冒険者たちに任せているので書く内容も順番もバラバラ、人によって情報量の差も激しい…など、書く側が自由に書ける分、どうしても書き方にそれぞれの個性が出るようで一枚を読み込むのに幾分時間がかかってしまう。
無論、私のわがままで頼んでいる書類だ、書いてもらえるだけで充分有難いものなのだが。
「ある程度決まった書式などあれば読みやすくなるし、処理しやすくなると思うんだが……と、これだと相談ではなくただの愚痴か。頼んで書いてもらっている立場なのに勝手が過ぎるな。すまん、今のは忘れてくれ」
「………あ、いえ、はい」
本当にただの愚痴だ。セスも考え込んでしまっている。どうすべきかきちんと考えればいいのだろうが、それよりも優先すべきことが多いので後回しだ。
そして本当にどうにかしたいのはやはりトールのことだったりする。
「ともかく、またトールの挙動がおかしければ報告してくれ。もしかしたら私に言いたくないだけでセスたちには特に隠していない可能性もある」
「うーん、あのトールさんがエレノアさんにだけ隠し事をするって僕には考えられないですけど……でもわかりました。一応見ておきますね」
あとは様子を見るしかない、か…。
まったく、トールの奴。一体何を考えているのやら。