頁001.プロローグ
エアル大陸の北西、海からほど近い場所に位置する街――カルディア。
冒険者がありつける仕事もそれなりにあり、街の規模もそう小さいわけでもない。
だが一方で、特殊な生産物もなければ大陸を巡る進路からも幾分離れているのが難点である。そのため冒険者たちにとって魅力ある街とは言い難い。
それでも近年ではカルディアの街を訪れる冒険者の数は増加傾向にあるという。その理由のひとつとして、この街の宿屋が値段の割に質のいい料理を提供するようになったからだという噂がある。
「………」
その料理提供に一役買っているのは、宿屋の軒先でぼんやりと立っている少女だった。
少女の前には台が置かれており、その上には箱のような形状をしたものと大鍋が鎮座していた。それぞれの正体は弁当とあたたかなスープである。
スープの入った鍋は蓋の隙間から湯気が立ち上り、ぬくもりとともに食欲をそそる香りが辺りに広がっている。夏を間近に控えたとはいえ、未だ肌寒い日もある。それらは人々の胃袋と購買意欲を刺激するだろう――通りがかる者があれば。
普段ならば活気のある時間帯、だがこのような日もあるのだろう。現に少女は気にも留めておらず――それどころか、心ここにあらずといった様子であった。目の前で立ち上る湯気を、ただただ眺めるのみ。
「ちょいとエレノア。あんた長いことそうしてるけど、もうそろそろ帰ったほうがいいんじゃないかい?」
突然の人の声に少女――エレノアは我に返った。
声をかけてきたのは宿屋を切り盛りする女将、ベルタだった。エレノアがなかなかやって来ないので様子を見に来たのだろう。
「すまない。少し考え事を、していた」
「珍しいねえ。あんまり無理すんじゃないよ」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
少女には似つかわしくない口調でエレノアは礼を述べた。彼女の表情は終始無表情から変わらなかったが、ベルタは気にした様子もない。このやりとりが常なのだろう。
エレノアは慣れた手つきで作業を終えると、残った大鍋と弁当をベルタに引き渡し帰路に就いた。
軒先を借りて昼の間に販売し、余った分はそのまま宿屋の食事として使用してもらう手筈となっている。その余剰分は買い取ってもらい、材料費にいくらか上乗せした金額を支払ってもらっている。
余りを処分してもらうだけでも助かるというのに金銭までもらえないと、エレノアも当初は固辞した。したのだが…宿屋夫妻の善意、もとい、ベルタの勢いに押されてしまった。ありがたいが、ますます頭が上がらない。
何年か前から週に何日かこうして販売しているのだが、なかなか評判がいい。宿屋のほうも食事目当ての冒険者が再び足を運んでくれるようになったのだと喜んでいた。
はじめた当初は本当にうまくいくのかと懸念したものだが、現にこうして何とかなっている。考案者の考えに舌を巻くと同時に、懸案事項を思い出してエレノアはため息をついた。
この商法を考えついた人物とエレノアの悩みの種は同一人物である。
よし、と小さな声でつぶやいた。彼女の中で何らかの結論が出たようである。
エレノアが帰宅すると、家の中にはすでに人の気配があった。
彼女の悩みの種であり、目的の人物であり――ともにこの家に住んでいる同居人である。
「おかえり、エレノア。遅かったね?」
「ああ、ただいま。……トール」
トール、というのが件の人物の名前だった。付き合いの長い彼は、エレノアの常とは違う声色を聞き取った。
「エレノア…? どうかした?」
「教えてほしいことがある…」
――何かあったのか。そう思い、身構える。
そんな彼の耳に届いたのは。
「ギルドとは、どういうものなんだ」
彼の予想もしなかった言葉で。
トールが目を丸くして「……へ?」と言ってしまうのはこのすぐ後のこと。
――これが将来、冒険者たちにとってなくてはならない『ギルド』の起こりであり、彼らはこれより力を合わせ『ギルド』を発展させていくことになるのだが――
この時の彼らにはまだ、知る由もなかった。