階級フェイト3
ソラ「そういえば、あの短剣どこで手に入れたんだ?」
シン「え?あ~あれね……」
ソ「ん?」
シ「……ヒミツ♪」
人は極限まで追い詰められると何をするかわからない。感情を忘れる者、自ら命を断つ者、他人の物を奪う者。そういう人たちには決まって意味の無い死が訪れる。
意味のある死に辿り着くには。こんなところで死ねないという意思を持って、生き残ろうと足掻くしかない。
そうやって足掻いて生きてきた者の剣は重い。
双子の片割れは俺が諦めないのを見て短剣を抜き、本当に力ずくでも逃げ切る覚悟があるらしくて、持ち前のすばしっこさで襲いかかってきた。
けれど、片割れの彼には、人を傷つける覚悟が足りない。だからその剣先は鈍かった。何度も命を懸けた戦いに挑んだことのある俺にとっては遅すぎたし、隙もあった。
けれど、スラム街の子供が習得できる剣の速さではない。
「っ……お前、ソラか、シンかどっちだ」
俺は出来るだけ行き止まりの場所から動かないようにして短剣を回避し続けた。幸いここは人通りが少ないようだし、スラムの人にこんな戦闘場面を見られて厄介なことになりたくはない。
「どっちでもいいだろ!」
今まで斜め斬りばかりを繰り出していた片割れが叫ぶように答え、短剣を両手で持ち直して横腹辺りに持っていった。切っ先は俺の方を向いている。その構えは完全に斜め斬りのものではなく、突き技のものだった。
「はあああああッ!」
片割れは構えるなり身体ごと突進するようにしてこちらに走ってくると、短剣をもった両手を俺の腹目掛けて突き出した。
俺はその短剣を半身になって躱し、片割れが突き出した腕を引っ込める隙を与えずに右手でその手首を強く掴む。そのまま手首を引っ張ると、突進してきて殺しきれなかったスピードのせいもあって俺に抱きとめられるような形になった。
「っ……離せ!!」
片割れは俺の腕の中で暴れ回ったが、離せと言われて離すはずがない。
「なあ、双子のもうひとりの命が気にならないか」
誰がどっちなのか教えてもらえなかったため、もうひとりという表現になってしまったが、その言葉は片割れにとって効果抜群だったらしい。ビクッと肩が震えるのが分かる。同時に暴れるのも収まってふっと力が抜けるのも分かった。
「……どういう、意味だ」
「あのヒューイってやつ、人懐っこそうに見えただろ?」
見えるというか、実際に人懐っこいが。
「残念だけどあいつ、もうひとりを殺してもおかしくないから」
これは嘘ではない。ヒューイは人殺しに慣れている。俺よりも、誰よりも。小さい頃からそうやって生きてきたから。それに護衛部は執行部と違って依頼の遂行が役目ではないので、たまたま執行部に来ていた捜索依頼の捜索対象が、たまたま護衛部の人と出会って殺されたとしてもおかしくはないのだ。
俺は右手を片割れの手のひらに滑らせ、短剣をもぎ取った。片割れからは完全に力が抜けてしまっていて、短剣は簡単に俺の手へ渡る。
一歩引いて片割れを見ると目が合った。
「……殺さないでくれ」
「それはヒューイ次第だ」
「頼む、なんでもするから!」
片割れは本気で兄弟を助けて欲しいようで、必死な顔をして俺の服にしがみついてきた。ここで無慈悲な反応を返すと泣かれてしまいそうな気さえする。けれど、
「なんでもするなら気絶してくれ」
俺は冷たく言い放って拳を片割れのみぞおちに打ち込んだ。片割れが小さく呻き声をあげて崩れ落ちようとするのを支え、右肩に担ぎ上げる。
「ヒューイは……」
片割れを担いだまま元来た道を振り返り、目を使ってヒューイともうひとりの片割れを探し出す。やはり分かれ道をお互いが反対側に走ったのでそれなりに距離はあったが、ヒューイともうひとりも立ち止まって面と向かっているようだった。何か話をしているのかもしれない。少なくとも今すぐにもうひとりが殺されるようなことはなさそうだ。
「はぁ……」
俺はヒューイと合流するべくそちらへ歩き始めたのだが、結構気持ちの悪いことになった。何せスラム街の外から来た大人が気絶した子供を肩に担いで歩いているのだ。双子が有名だったことも手伝って人の視線が気持ち悪い。
この状況から早く逃れたくて早足になる。視線もできるだけ落として歩いたので、どこをどう進んだのか正確には覚えていない。
やっとのことで俺がヒューイの所にたどり着くと、そこは本当にスラム街の端だった。スラムは西王都と呼ばれるこの国の一番南に存在するが、更に南へ行くと巨大な森に入る。巨大すぎて森の中でいくつもの区域に分かれており、迷子になる人は多いし獰猛な獣も多く存在するので普通の人間は好んで近づかない。では普通じゃないのは誰かというと、昨日俺が一緒に依頼をこなしたカヤだ。彼女はどんな獣とでも仲良くなって帰ってくる。
今、俺の10メートルほど先には森の入口が広がっている。
「あ、スカラー……って、何だ、乱暴じゃねぇか」
俺が近付くと、ヒューイの方から気がついて声をかけてきた。後半は気絶した双子の片割れを見てのことだろう。
「いや、相手から仕掛けてきたんだ」
「ソラ……っ!」
フードのもうひとりが気絶した兄弟を見て駆け寄ってくる。どうやら俺が相手をした方がソラで、フードの方がシンらしい。
「ソラに何をしたの」
シンは俺を睨んで怒ったような低くて強い声で問う。
そんなに兄弟が大事か。
何をしたと問われれば、気絶させただけなのだが。
「……シン、お前が俺達に降伏しないなら、今すぐソラを殺す」
「え……?」
「本気だ」
本当は本気ではなく完全な嘘なのだが、ここは信じてもらった方がいい。
俺は左手で左腰に指していたハンドガンを抜き取り、丁度空を飛んでいたカラスに照準を合わせた。
そのまま躊躇わずに引き金を引く。乾いた銃声が響くと同時に左肩に銃独特の振動がくる。そして飛んでいたカラスはフラフラと不規則な軌跡で空の下へと落ちていった。
もう一度問う。
「俺達の言うこと聞けるよな?」
「……分かった」
苦しそうな表情で頷いたシンに選択肢はなかっただろう。
この双子は、多分スラム街では強かったのだ。けれど、スラム街以外でも強いとは限らない。現に今、依頼人の貴族と俺達の組織に負けたのだ。
生き残るには、死ぬほど足掻いてもっと重い武器を手に入れるしかない。
「さっすが執行部。依頼の遂行には慣れてんだ」
状況を見守っていたヒューイは口笛を吹いて楽しそうに言った。案外彼は双子を捕まえるために何かしようという気はなかったのかもしれない。だから執行部の俺が来るまでシンと話して時間が稼げればいいと思っていたとか。
多分、この依頼はヒューイにとって「楽しかった」で終わるだろう。
俺達は、双子を連れてさっさと屋敷へ戻ることにした。
屋敷に着いてからも、ソラが目覚めることは無かった。ちゃんと大人しくついてきたシンは終始心配そうである。ここまでくると罪悪感が全く生まれないというわけでもない……。
「あー!懐かしの拠点だー!」
一番乗りで屋敷の庭の門をくぐり抜け、庭を突っ切り、玄関の扉を入ってすぐにあるエントランスホールでヒューイがバンザイをしながら言う。一日も屋敷から離れていないというのに、懐かしいどころではない。
「……行くぞ」
いちいち突っ込んでいてはキリがないので、俺はそう短く告げて双子と一緒にエントランスホールの右側の廊下に入った。後ろからヒューイが付いてくるあまり歩かないうちに事務室が見えてくる。
双子はティカに届けなければならない。だから事務室に入るのだが……。やはり彼女と話すことを考えると気が重い。
事務室の扉をノックすると、「どうぞ」と言う声が扉の向こう側から聞こえてきた。この言葉はちゃんと声に出して言えることになっているので、ティカの声を聞ける希少なタイミングであると言える。
ゆっくり扉を開けると、いつも通りティカは綺麗に微笑んで出迎えてくれた。
『お疲れ様です。丁度依頼人がいらしているので、応接間に移動してください』
「え、依頼人が来てるんですか?」
と、後ろからヒューイ。
『大丈夫です。接待は監視を込めて全てカヤに任せていますから』
屋敷に来客があるときは、必ずティカの側には護衛がつく。それは護衛部であるヒューイの役目なのだが、今日は俺と依頼に出ていたため、仕事に慣れた護衛がいなかったのだ。
確かに常にカヤが来客である依頼人についているなら大丈夫かもしれないが、その役目をカヤに任せるのは、カヤの元気すぎる元気さを知っている上官組としてはそれはそれで不安だ。……無礼を働いて怒られていないだろうか。
『大丈夫ですよ』
ティカは俺とヒューイの気持ちを知ってか知らずか大丈夫だと念押しして、自分で車椅子をこいでこちらへ来ようとした。すかさずヒューイが前に出て車椅子の後ろに回り押し始める。
応接間は事務室の斜め前にあるので、扉を出るとすぐに到着する。俺は双子を連れてティカとヒューイの後を追いかけた。
ヒューイが応接間のドアをノックすると、すぐさまドアが開いた。
「おかえりなさい!!」
開けたのはカヤで、やはり元気溌剌としていた。
「中へどうぞ!」
言われるままにぞろぞろ中へ入ると、そこには確かに男がソファに座ってお茶を啜っていた。お茶というか、入れ物がティーカップなので多分紅茶だろう。男には大して特徴がなかったが、やはり服装は貴族のものだ。40代ぐらいに見える。
「っ?!何で……っ!」
シンがその男を見て反射っぽい声を出した。知り合いだったのか、男を見る目が少しだけ恐怖に染まっているように見える。
俺は男の前にあるソファにソラを寝かせ、シンを連れて立った。
「お待たせしました。探して欲しいのはこの二人で間違いなかったですか」
営業用の敬語を淡々と並べる。男はティーカップを置き、ソラとシンを交互に見た。そして口を開く。
「間違いない。だが、こちらの都合でそっちのソラしか必要なくなった」
依頼人の男は目でソラを指し示しながら言った。
途中で依頼内容を変えるのは反則ではない。
シンは少しだけ身じろぎしただけだった。
「分かりました」
俺が承諾すると、男はソファから立ち上がり、服の内ポケットから封筒を取り出した。この組織では、報酬は前払い可能、現金のみで手渡しになっている。
その封筒を受け取り、ちゃんと中に現金が入っているか確認する。
その作業が終わるのを見計らって、男が何故か俺との距離を一歩詰め、ぐっと顔を近づけてきた。
こんな至近距離まで他人に近づかれると不快だったため思わず目を逸らす。相手が何を考えているのか分からないし、正直今すぐ離れたかったがぐっと堪える。
「何でしょう」
「お前、似ているな」
「何がですか」
「……その銀髪、水色と紫のオッドアイ。昔の俺の知り合いとそっくりだ」
……なんだ、急に。
横目で皆の方を確認すると、カヤは不思議そうにしていたが、ヒューイとティカは真剣な顔をしていた。
「そうだな、まだ生きてれば丁度お前くらいの歳になる」
「は……?」
……それって、どういう……。
まさか、もしかして、その知り合いっていうのは、子供の頃の俺じゃないのか?
この男は、上級貴族なのだから。データは消せても、人間の記憶は消せない。データや書類上俺の存在がなかったことになっていたとしても、それまで会ったことのある人の記憶には残っている可能性があるのだ。
それに、オッドアイは全国的に見ても少ない。その上左右の色が同じオッドアイの別人なんて、それこそ双子でないと……。
と、考えたところで思う。
知り合いだから何だ。
「……貴方は何を言いたいんですか」
「もしお前が本当に俺の知り合いだったなら、」
男は勿体ぶるようにして言葉を切ると、顔を俺の耳の方に持ってきて何か囁こうとした。が、
「離れなさい」
急に響き渡った凛としたその声は、ティカのものだった。滅多に聞けない、その鈴のような音で発音される命令。
「依頼人の貴方が、それ以上私の仲間に近付く権利はありません。1メートルは離れなさい」
ティカの声は言霊となってこの場にいた全員の鼓膜を揺らした。が、言霊としても効き目は依頼人の男にしかない。男は意思とは関係なく強制的に数歩後ずさり、俺から指定された1メートルを離れた。
……助かった。
そんな気がした。
「すごい……」
初めてティカの言霊を見たカヤが感嘆の声で呟く。
ティカは自分の手で車椅子を動かし、男と俺の間に移動した。そして男を見て問う。
『家まで帰るのにどれくらいかかりますか』
「に、二時間だ。何故そんなことを」
言霊の力にさらされた男は、震える声で答える。
『いえ、聞いてみただけです。では、ソラを引き取ってお帰りください。貴方が帰りついてやっと依頼完了ですので』
ティカにそう言われ、男はソラを抱き上げてドタバタと応接間を出て行った。
その後の応接間には妙に緊張した空気が流れる
『スカラーとヒューイは、今から二時間、ゆっくり休んでください。カヤの今日の仕事は終わりです』
「分かりました!失礼しますね!」
この場には居づらかったのか、カヤは返事をしてさっさと出ていってしまう。
「二時間後に何かあるんですか?」
と首を傾げるヒューイ。
『はい。まだ正確には決まった訳ではありませんが、恐らくは』
ティカはくるりと車椅子を回転させ、シンに向き直り、ブレスレット型端末を見せる。
『貴方は行く場所がないでしょう。スラム街に戻ってもいいですが、少しだけならヒューイの部屋の正面の一室を貸します。あと、私達は二時間後に引き受けている依頼なしの完全フリーになります』
そう言いながら見せたティカの笑顔は、悪巧みをしてその結果を楽しみにしているときのようなものだった。
そして更にヒューイの所に戻ると、ヒューイに耳打ちをする。流石に内容までは聞き取れないが、ティカが声を出しているので、声を出しても大丈夫なことのはずだ。
それが終わると、ティカは俺を見て微笑んだ。
『では、二人とも、二時間後にミーティング室で』
自由だと傲慢で強欲になる。
あの貴族みたいに。