転章 ALL complete
ヒューイ「スカラー、お茶しよー」
スカラー「断る。何故ならそのティーカップの中身が高級な紅茶だからだ。今すぐい〇ごオレを買ってこい」
ヒュ「は、はい!」
シルヴァ「……これが貴族の上下関係なのね……」
貴族街は、上級貴族である華音家の一人息子の話題で持ちきりだった。
まだ八歳だが、人並み以上の頭脳を持ち、武術にも優れ、礼儀作法も完璧。何をやらせてもすぐに出来るようになる。一言で言ってしまえば天才。その上天に与えられた容貌も整っていた。そんな有望な子供が貴族にいるとなれば、有名にならないわけがない。
勿論、今日のパーティでも。
「見て、あの方が華音家のご子息様よ」
「いつにも増して凛々しくて男前でいらっしゃるわ」
「ああ、私の娘を妻にめとってくださらないかしら」
「ダメよ、最近婚約者が決まったらしいもの」
どこに行ってもそんな会話が聞こえ、何をしていても多数の視線に付き纏われた。いい加減うんざりしている俺は、ため息を飲み込んで上品な笑顔を作り続ける。
「ご機嫌麗しゅう、華音様」
また別の男が話しかけてきた。誰だっけ。
「私のこと、覚えていて下さっているでしょうか?」
「申し訳ございません、失礼ながら、お名前を思い出せないのですが……」
「私は犬塚と言う者です」
名前を聞いてもピンと来ない。知り合いの振りをして近づいてくる人は珍しくない。そうでもしないと会話をする理由もタイミングも掴めないのだ。
「犬塚様。僕にご用でしょうか?」
「いえ、ご挨拶を、と思いまして」
こういう人も珍しくないが、俺は挨拶だけのために話しかけられるのが嫌いだった。話題を広げるのに苦労する。今回もどう話を広げようかと考え始めるのだが、そこで後ろから聞き慣れたメイドの声が聞こえた。
「華音様。時間でございます」
「ああ。……すみません、先約が入っておりまして。失礼します」
俺はその先約に救われた思いで犬塚という男に向かって頭を下げた。相手の別れの言葉も聞く前に踵を返し、メイドの横を通り過ぎてパーティ会場を横切る。
入口付近まで行くと、金髪の髪を緩く巻いてピンクのドレスを着た同い年くらいの女の子がいた。迷わずそこへ行き、話しかける。
「エンシェ様。お待たせしました」
彼女の名前はエンシェ。いつから決まっていたのか知らないが、1ヶ月くらい前に知らされた俺の許嫁で、これで会うのは二回目だ。
正直面倒だと思う。貴族とか、形式とか、好きでもない人と一緒になるから好きになる努力をしなさい、とか。
でも、全て俺が生きていくために必要な仮面。
建前だけでもいい。
「いいえ、全然待ってないわ。今パーティの大きさに圧倒されていたところよ」
「ふふ、ご冗談を」
彼女だって何代も続いている貴族なのだから、このくらいのパーティは何度も経験してきたはずだ。
「では、行きましょうか。丁度ダンスが始まる時間です」
「その前に、その他人行儀な話し方はやめてくださる?前にも言ったでしょう」
「しかしここは人前ですし……あまり言葉を崩してしまうと……」
俺が作り上げてきた印象を崩すわけにはいかない。
「無理をしてそんな言葉を使っている貴方を長時間見続けるのは苦痛ですわ」
そうだ。初めて彼女と出会った時、いつも通りに笑って、いつも通り貴族的で紳士的な接し方をしていたのに、何故か見破られてしまった。
「それに、生涯を共にするのにそのような他人行儀な話し方をされると悲しいです」
「……申し訳ありません」
それでも言葉を崩すことは無理だ、という意味での謝罪だった。エンシェは当然のようにその意味合いを汲み取り、ふわりと微笑んだ。
「仕方ありませんわね」
そして、俺の手を取りながら言う。
「一緒に踊ってくれるのでしょう?エスコート、お願いしますわ」
「お任せを」
慣れていた。女性の扱い方にも、勿論ダンスにも。だから、いくら八歳という小さい子供が大人達の輪に入って踊っても違和感なんてなかっただろう。
俺達はひとしきり踊って、ご馳走を食べて、それなりにパーティを楽しんだと思う。エンシェといると、不思議と他の貴族たちは寄ってこなかった。視線は感じるので、空気を読んで話しかけてこないだけかもしれないが。
……だから、俺にとってはエンシェといる時間が休憩時間みたいなもので、少しだけ疲労が抜ける気がした。彼女と一緒にいると楽だった。
けれど。
「華音様」
数時間前にエンシェとの約束の時間を知らせに来たのと同じメイドが俺に声をかけた。
「お時間ですので、奥様の所へ行かれた方がよろしいかと」
時計は午後10時を指していた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
お母様のところに行かないと。ああ最悪だ。だから俺はエンシェが嫌いだ。俺に楽しさや幸せを与えてしまうエンシェが嫌い。
「分かった。……エンシェ様、今夜はこれで失礼致します」
そう言って一礼し、顔を上げた時、エンシェはひどく悲しそうな顔をしていた。
「貴方は……」
「……?」
「いえ、何でもありません。今日は楽しかったですわ」
エンシェはきっと、この時本当に言いたかったことを飲み込んだ。俺はそれを分かっていながら問い詰めない。まるでその言葉などなかったかのように。
「俺も楽しかったですよ。それでは」
まだ晴れない表情のままのエンシェを置いて会場の入口へと戻る。今度はその入口から廊下へ出て、外で待っている馬車へと乗り込んだ。隣には既に座っていた母。
「遅れてすみません」
「時間ぴったりよ」
いつもの通り、必要最低限の会話。静かに感情を押し殺して、淡々と。
馬車は街灯と月光に照らされた貴族街を東に向かい、すぐに俺が住んでいる屋敷に辿りついた。
俺がこの時間に屋敷ですることは毎日同じなので、母にも何も告げずに馬車を降り、応接室へと向かった。
応接室の扉を開けると、普段通り緩くウェーブがかった茶髪の娘が座って待っていた。全然似ていない俺の姉だ。
「おかえりなさい」
「ただいま」
似ていないけれど、俺にとっては一番話しやすい人だった。他人みたいで、でも本当の家族の温かさを持ち合わせた人。世渡り上手で誰からも好かれるような人。
「今日は魔法陣のお勉強をしましょうか」
「魔法陣?」
名前は聞いたことがある。異能のひとつである魔法を簡単に操るために使われる紋章だとか。でも見たことがないし、使える人もいないと言われていて失われた異能だと言われ始めている。
「魔法陣は本当にもうこの世に存在しないと思う?」
お姉様は俺の目を見て問いかけた。
「言い切れないんじゃないか」
「そうよ。魔法陣はとっても強い力。だから対処法を知っておかないとね」
……この世に最強なんてないんだ。
「魔法陣には必ず核があるの。そこを潰せばいいわ」
言いながら立ち上がり、俺のところまで歩いてくる。
「地下へ行きましょう。実戦の方が早いわ」
といっても魔法陣の幻を見せるだけだけどね、と付け足す。
俺は地下へと進むお姉様を追いかけた。それほど歳は離れていないはずなのに、俺とは比べ物にならないほどの知識を持っている。帰ってくるのは夜だけで、昼間はどこにいるのか分からない。彼女は謎に包まれていた。
彼女なら何でも知っているし、何でも答えてくれる。だから俺は素朴な疑問をぶつけた。
「……ねぇ、お姉様」
「どうしたの?」
「こんな勉強が何の役に立つの?」
返ってきた答えは、とてもシンプルなものだった。それこそ、考えれば誰でも出せるであろう答え。
「あなたの将来の役に立つのよ、スカラー」
華音様って、誰?




