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階級フェイト7

……既に太陽は空の真上を通り過ぎ、西に傾いていた。

昼間大通りに出た時よりも、コートの裾をはためかせる風が確実に冷たくなっており、もうすぐで夕焼けが見えるだろう。

そのことは俺の心を少しだけ焦らせた。

この作戦にはヒューイが参加している。あいつは夕焼けが嫌いだ。感情的に、本能的に、大嫌いで戦闘に支障が出るくらい。


「……落ち着け」


自分に言い聞かせて眼下の景色を見下ろす。

高さは約三十メートル。馬鹿デカイ貴族の屋敷もミニチュアのように見える。

俺は高級街の西側にある時計塔に登っていた。時計がある一つ下の階が吹き抜けになっており、そこに登ることが出来るのだ。

視線を東側の貴族街に向けると、ちょうど何の遮蔽物もなく犬塚の屋敷とその庭が見えた。確かに庭には二人の番兵がいる。


俺の目の前では、高さも距離も無意味だ。


犬塚邸の門に続く道を辿ると、怪しまれない程度の速さで歩くヒューイとシンが見えた。間もなく屋敷に辿り着き、門の左右に別れて塀に隠れるようにしゃがんで止まった。

すぐにマイクから連絡が入る。


「スカラー、聞こえるか?」


「ああ」


「準備完了だ」


「分かった」


まあ、見えてるから。

返事をしながら後ろを振り向いて西側の貴族街にある組織の屋敷を確認する。

庭の噴水の前では、伝えた通りにカヤが待機していた。まさかあちらから俺が見えている訳では無いだろうが、こちらに向けて敬礼のポーズをとる。


そして俺は、サプレッサーを取り付けたライフルを背中から下ろし、スコープを覗き込んだ。普通、超音速の弾丸を吐き出すライフルについてはサプレッサーの効果が薄れてしまうが、研究部から支給されたものはライフルでも十分にその性能を発揮し、俺の隠密行動をより確実なものにした。


スコープの十字が番兵の頭を捉える。殺す必要は無いが、これほど上から狙っていると頭が一番狙いやすかったりする。


……夕焼けは待ってくれない。


「……っ」


俺は未だに焦る気持ちを抑え、トリガーを引き絞った。サプレッサーによって極限まで抑えられた弾丸が発射される音が鼓膜を揺らし、もう慣れた振動が肩に伝わる。その弾丸がちゃんと番兵に命中したのかろくに確認もせずに二人目の番兵に十字を移し、すぐさま二回目のトリガーを絞る。


スコープから目を外し、肉眼で犬塚邸の庭を見ると、ちゃんと二発とも命中したようで、犬塚邸の庭で二人の番兵が頭から血を流して倒れているのが確認できた。

すぐさまヒューイと連絡を取る。


「防犯装置は見当たらない。ソラは二階だ」


俺の目で捉えられるのはそれくらいだった。

どうやら屋敷内は複雑に作られているようで、ソラがいる部屋までの道が特定出来ない。


「オッケー!」


ヒューイから緊張感のない返事が返ってくる。

そして、左掌に火球を生み出す。その火球は複数に分裂して肥大化、先が尖った槍のような形になると、屋敷の正面にある窓という窓に直撃し、バリバリという音と共に叩き割った。

ヒューイはシンの手をとり、その時に巻き上げられた盛大な煙に向かって猛然と走り始め、俺の視界から完全に消え去る。


ここまで俺とヒューイが回りくどい作戦をとった目的は、自分たちの居場所を撹乱するためだった。

番兵をヒューイが倒すと、その姿を認められた瞬間に犬塚に侵入者の連絡を回されるようなことをされてはたまらない。

そして、正面玄関は開いていない可能性があるので、基本的に窓を割って入ることになるのだが、こうやって全ての窓を割っておけばこちらがどこから侵入したのかわかりづらくなるので、居場所を特定されるまでの時間稼ぎになる。

それまでにソラを見つけて連れ出せるのが理想だが……。


「……さて」


早急にここを移動しなければ。後ろを振り向き、カヤがいた場所を確認すると、既にそこに彼女の姿はなかった。


「スカラーさん!」


カヤの声に呼ばれてそちらを振り向くと二匹の神獣を携えた、相変わらず寒そうなへそ出しの服を着た本人がいた。

神獣は誘拐犯確保の依頼でカヤが連れていた、羽がある二人乗りくらいできそうな大きさのホワイトタイガーと同じものに見える。というか、大抵の依頼でカヤが連れているのはこの種類の神獣だ。


「スカラーさんは兄の方に乗ってください」


と、手のひらで右の神獣を示す。

しかし。この時俺の視線はもっと別のものを捉えていて、もっと別のものに釘付けになっていた。


それはちょうど、カヤの背中側からこちらを向くように展開されていた。だからカヤには見えない。俺にしか、見えない。

攻撃的な赤色で、複雑な模様をした半透明のあれは。

……魔法陣。

俺は思わず腰のハンドガンを抜きながら叫んでいた。


「ッカヤ、伏せろ!」


「はいっ?!」


流石の反応力で、素っ頓狂な声を上げながらも前に飛び込むようにして伏せる。同時に神獣まで時計塔から遠ざけるという判断力。

そしてさっきまでカヤの上半身や頭があった場所を、俺が無意識に三連続で撃った弾丸が通過した。魔法陣の一番外側に三つある大きめの円に上手く命中し、それこそガラスが割れるような音を響かせて霧散していく。





――ねえ、こんな勉強が何の役に立つの?


――あなたの将来の役に立つのよ、スカラー





「い、一体何が……?!」


カヤがまだ伏せたままで首だけ振り向き、霧散してキラキラ輝く魔法陣を凝視して掠れた声で叫ぶ。


弾丸が当たったということは、実態があるということだ。

しかしいくら咄嗟の行動だったとはいえ、何故俺は魔法陣の中心ではなく外側の円を狙ったのだろう。

と、その時。


「おい!スカラー!」


耳元で聞こえた声はヒューイのものだった。少しだけ焦っているように聞こえる。


「どうした」


「この屋敷、なんか変だ!やべぇよ!」


「……もっと具体的に言ってくれ」


「平均して約五秒ごとに道が変わるんだ!もう迷子!」


「は……?」


道が変わる……?

思わず犬塚邸に視線を向ける。相変わらず内部は複雑に入り組んでいて、目を使っても上手く見えない。


道が多いから複雑で、複雑だから道が多くて。

ただ単に複雑な構造をしているから俺の目でも見えないのだと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。


魔法陣を使うということは、平たく言えば魔法を使うということだ。これは勿論一般人には不可能で、出来るとすればその能力を持った異能者に限られる。

魔法を操る異能者なら、俺の目を撹乱することも可能か。


「スカラーさん!上!」


と、次はカヤに言われてまた視線を空中に戻す。

そして、そこに広がった光景を見て息が詰まった。


「っ……?!」


空にはいつの間にか無数の魔法陣が展開されていた。全てが先程と同じように真っ赤な色をしていて、俺とカヤを狙うようにこちらに向いている。


「や、やばいです!」


と、ヒューイと似たようなことを言うカヤ。

ここまで集中的に狙われるということは、一発目の魔法陣を咄嗟に撃ち壊してしまったのが裏目に出たかもしれない。

俺はヒューイとマイクが繋がったままだということも忘れて叫んだ。


「カヤ!今すぐ神獣を呼び戻せ!」


「えっ」


「''予定通り''に移動する!」


「はいっ!」


俺は返事を聞く前に時計塔の西側へと走り始めた。カヤが後ろを付いてくるのを視界の端で確認した直後、地響きのような轟音と共に吹き抜けになった時計塔の床が抉れる。

その魔法陣は俺とカヤを追跡するように攻撃して消えてはまた増えを繰り返した。


爆風に飛ばされるようにして時計塔の西端にたどり着き、躊躇なく足から飛び降りる。

高所から落下する時の独特な感覚に襲われるが、それも一瞬のことだった。

二メートルくらい落下したところで呼び戻された神獣が羽を広げて俺の真下に入り込み、自然とその上に乗るような形になる。

……当たり前かもしれないが、ふわふわした感触だった。


「スカラーさん!首輪から出てる取っ手を掴んで!頭を下げて、姿勢を低くして下さい!」


カヤの声は風切り音に混ざって聞こえた。

言われた通りの体制になると、より神獣に密着した感じになる。

そっと前方を伺うと、もう一体の神獣に乗ったカヤがこちらを振り向いているのが見えた。


「行きます!」


「ぉわっ……!」


カヤの言葉を合図に、神獣は時計塔の東側へ回りながら一気に急降下を始めた。こんな時でもなければ、所謂ジェットコースターみたいで楽しかったかもしれない。


俺たちが乗った神獣が東側に出ると、それを待ち構えていたかのようにそこには既にいくつもの魔法陣が展開されていた。


犬塚邸には近づけさせないつもりか。


「回避は任せてください!」


「分かった!」


神獣がこれくらいのスピードを出せるなら回避できるだろう。

結果的に、確かに掠ることはあっても致命的な怪我を負うことは無かったし、それは良かったのだが。


「っ……う……」


気分が悪い……乗り心地悪すぎ……。

魔法陣が追随してくるので、回避のために身体は上下左右に揺られ、回転する度に風圧に煽られて最悪だった。


「すみません……!」


カヤは慣れているのか、変わらず元気なようである。


不思議なことに、俺たちが犬塚邸に近づくにつれて魔法陣の数は減っていった。まさか諦めたわけではないだろうが、完全に犬塚邸の庭に降り立った今、魔法陣はひとつも見当たらない。


…………。


「何だか静かですね」


隣に立ったカヤが首を傾げる。


改めて屋敷を目を使って見ると、近づいたからか中の道が見えるくらいにはクリアに見えた。

一階に人影はないので二階に目を移すと、すぐに西側階段付近にヒューイとシンを見つけた。そこからは東に向かって一本の廊下が伸びているようだ。しかし、それを確認するのとほぼ同時に視界が闇で塗りつぶされる。


「っ……」


急な出来事だった上、体験したこともなかったため、驚いたのと危機を感じたので反射的に目を使うのをやめてしまう。

視界に入る光景が窓の割られた屋敷の正面とその庭に戻る。


「?大丈夫ですか……?」


状況を知らないカヤに本気で心配そうな顔をされた。


「あ、ああ」


小さく頷いて、もう一度屋敷内を見てみる。

ヒューイとシンの居場所は変わっていなかった。

……が、そこからは東と北に向かって伸びる二本の廊下があった。さっきまでは東の一本しかなかったはずだ。


なるほど、道が変わるというのはこういうことか。

ヒューイによると約五秒ごとに変わるらしいが、こんな感じでそれほど頻繁に変わられると俺が道案内をしても難しそうだ。

けれど、取り敢えずソラの居場所を完全に特定しようと思って二階を調べる。


「……?」


ソラは簡単に見つかった。書斎のような場所だ。しかし、そこへ行くためには大部屋(何に使われているのかは分からない)を必ず通る必要があり、そこに見慣れない人影があった。

その人影は青いローブを着た女に見える。何をするでもなく、座って虚空を眺めているようだ。


一応ヒューイに知らせておいた方がいいかと思い、マイクに手を伸ばしかけたその時。


「誰か来ます」


カヤが鋭い声で屋敷を睨んで言った。


「聞こえるんです。足音が……。」


――私は獣なので


いつだったか、カヤが言っていたことを思い出す。

すぐにコツコツという足音が俺にも聞こえ始め、そこは綺麗に残っている入口の大扉から男が出てきた。ついさっき見たばかりの、けれど昔の依頼人の顔。……犬塚。


「カヤ、お前は屋敷に戻れ。必要ならまた呼ぶ」


「えっ……でも……!」


驚きと不安が混ざった表情のカヤと目が合う。何か言いかけたようだったが、口を閉じると頷いて神獣に飛び乗り、風を巻き起こしながら飛び立つ。


「こんなに早く会えるとはな」


先に口を開いたのは犬塚の方だった。


「依頼が終われば昔の依頼人も躊躇いなく殺せる、っていうのは本当のようだな」


「……犬塚、屋敷にかかってる魔法を解除しろ」


頻繁に道が変わられると依頼の難易度は上がるばかりだ。


「まあまあ、そんなことより、少し話をしよう」


犬塚は両手を広げて少し笑ってみせた。


「お前にも関係のある昔の話を、な」


――お前の記憶から消えてしまっている部分の話だ。

思い出せないのは、死ねなかったから。


生かされているから。

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