金髪ギャルと観覧車
「アタシさ、高二の夏までに処女を卒業しときたいんだよね」
そのギャルは、ウェーブの掛かった金髪の先っぽを弄りながら、そんなことを言った。
高二の夏休み、何気に長い付き合いである男友達――小学校から一緒だから、幼馴染みと言ってもいいのかもしれない。そんな感覚は無いが――に人数が足りないからどうしても来てくれと頼まれ、付いていった先の遊園地で、何故か同じクラスの金髪ギャルと二人で観覧車に乗る羽目になってしまったのだ。
俺の向かいの席で、苛立たしげに脚を組んで貧乏ゆすりをする金髪ギャル。黒ギャルというわけでは無く、肌色は普通でどちらかと言うと白い。化粧は夏休みに入ったこともあって濃い目だが、学校での彼女を見ているので、そんなに化粧をしなくても非常に整った顔立ちなのを知っている。麻呂眉っぽいとでも言うのか、若干眉が短いのがチャームポイントと言えるだろう。
やたら短いスカートから伸びた、肉付きの良くムッチリとした太股が色っぽいが、見続けていると何か言われそうだったので、今は外の景色に目を向けていた。
「ちょっとアンタ、聞いてんの?」
「え? ああ、うん。聞いてるけど」
「ったく、何が悲しくてアンタみたいなのと二人で観覧車に乗らなきゃならないのよ」
窓の外を見ていればこれだ。もしも俺が女だったら、うっさいわよパァン! と一発引っ叩いていたかもしれない。
金髪ギャル――見鳥羽香苗は、自身の後方、男友達と別の女子が乗っている観覧車を見やって、
「うわっ、キスとかしちゃってるんですけど。勘弁してよ。坂斗くんはアタシが狙ってたのにさー」
ちなみに坂斗というのは、俺の男友達の名前だ。……ていうか、マジでキスとかしちゃってんの? なんて羨まし……けしからんことを。
「あーもう! 腹立つわマジで! アタシの処女を捨てる計画が台無しじゃん!」
見鳥羽が金髪を指に巻き付けながら喚く。
坂斗の奴、大人気じゃねぇか。さすがイケメンは違う。思えば昔からモテてたよなぁ、坂斗。告白もされまくってたし。
一方、あいつの横に居た俺は、生まれてこの方告白なんてされた試しが無い。世の中不平等に出来ているのだと、俺は十七歳にして既によく理解していた。
だというのに、『男三人女三人で遊びに行こう』などという華やかな響きに誘われた俺は、我ながら馬鹿だと思う。
蓋を開けてみれば、まともに可愛い女の子はたったの一人で、しかもその子は坂斗と両想い。
また、男三人女三人の内、男女一ペアは既に付き合っているクラスの有名なバカップルで、本当に只の人数合わせでしか無かった。
で、残された余り物が、俺と、目の前の金髪ギャルというわけだった。
「というかさぁ――」
先程から文句を言い続けていた見鳥羽は、ついには席から立ち上がって叫んだ。
「いつまで止まってんのよ、この観覧車はぁ――!」
うるさい金髪だな、もう。
俺はスマホをポケットから取り出して、時刻を確認する。俺達の乗る観覧車が最も高い位置で停止してから、まもなく十分が経過しようとしていた。
何か機械にトラブルがあったらしく、最初のアナウンス以降、まだ続報は無い。
見鳥羽は落ち着きなく、「うー」と唸りながら、右に左にウロウロと動き回る。
やがて唐突に立ち止まると、肩を大きくぶるりと震わす。真顔で席に腰掛けた。
天井近くに付いているエアコンから出る冷気が当たって寒くなったのだろうか。見鳥羽は坂斗の視線を惹き付ける為か、肩と胸元を大きく露出させた服装をしていた。
しかし、俺は何となく違うんじゃないかと疑っていた。つい最近、似たようなシチュエーションを見たことがあったからだ。
もし俺の考えていることが正しいとしたら――。
そう考えると、俺の中で嗜虐心が湧き上がって、むくむくと大きくなって行く。
やることが無くて時間を持て余し、観覧車の一番上で誰にも見えず、聞こえず、二人きりの密室という状況だったからかもしれない。
こっちだってイライラさせられたのだから、少しくらい仕返ししたっていいだろう。
後のことが色々怖いが、それよりも今は目の前の金髪ギャルに悪戯をしたいという気持ちの方が勝っていた。
「あのさ、見鳥羽」
「あ? なによ」
俺は言った。
「もしかして、トイレに行くの我慢してたりする?」
見鳥羽が驚いたように目を丸くしたのを、俺は見逃さなかった。
彼女は視線を逸らして、髪を弄りながら、
「ハァ? 突然何言い出してんの? そんなわけないじゃん」
「でも今、目を逸らしたよね?」
「アンタがいきなり変なこと言い出すからでしょ!?」
「じゃあ、別に尿意を我慢しているわけでは無いと」
「に、尿意って……何でそっちだって分かんのよ!?」
「いや、何となくだけど……もしかして違う方だった?」
「違わないわよ! 尿意よ! 尿意の方よ!」
「やっぱり尿意を我慢してるんだ?」
「ち、違う! そうじゃなくて、今のは言葉の綾よ!」
「っ……」
「ちょっ、今笑い堪えたでしょ!? 違うから! 尿意なんか我慢してないから!」
「分かった。信じる。信じるよ」
そう言いつつも。俺は顔がニヤつくのを止められなかった。
……ヤバい。これは思ってた以上に楽しい。
「その代わりに、一つだけ試させて欲しいんだけど」
「試すって何をよ? ま、まさかエッチなことじゃないでしょうね」
自分の身体を両手で抱いて、ジト目で俺を睨む金髪ギャル。ちょっとその仕草が可愛いと思ってしまった。
「いやいや、そんなまさか。見鳥羽が我慢してないって確かめるだけだよ」
「どうやって」
「ツボを押させて欲しいんだ」
「ツボ?」
「そう、ツボ」
『太衝』というツボがある。
それは尿を出しやすくするツボで、位置は足の親指と隣の指の間。その線上、足の甲が高くなった辺りにある。
そのことを説明すると、見鳥羽は落ち着きの無い様子で言った。
「なんでそんなこと知ってるのよ!? 変態なの!?」
「男子という生き物は、得てして役に立つかも分からないエロ知識をネットで調べたりするもんなんだよ」
「ちょっ、やっぱりエッチなことなんじゃない!」
「いや、決してそんなことにはならないはずだよ。だって、見鳥羽は尿意を我慢してなんかいないんだから! そうだよね?」
「そ、そうよ。我慢してなんかいないわよ!」
「よし、じゃあ遠慮なく押すねー」
これ見よがしに手首をぶらぶらさせて、コキコキと指を鳴らす。
大きく腕を振り被って、親指を構え、意味深に一呼吸入れる。
「いざ」
「す、ストップストップ!」
そこで見鳥羽が慌てた声を上げた。
「なに? どうしたの?」
「さ、参考に聞きたいんだけど、そのツボ押しってどの程度効くもんなの? すぐに効果が出たりとか……そんなはずないわよねっ」
あははと笑う見鳥羽。
俺もえへへと満面の笑みで返す。それから再び親指を構えて、
「押すねー」
「待って待ちなさい! 答えてない! ちゃんと答えなさいよ!」
見鳥羽は俺の腕をガッと両手掴まえて、離そうとしない。
どの程度効くのかなんて、俺もよく知らない。なにせ試したことが無い。単純にそういうツボがあるらしいという知識だけだ。
しかし、彼女は半信半疑ながらも間違いなくツボを押されることに恐怖を抱いている。
ならばここは――
「……実は昔、自分で試したことがあるんだけど」
「へ、へぇ、そうなの。それで? どうなったの?」
俺は自分で想像出来る限りの真剣な表情を作って、
「凄まじかったよ。思い出すのも怖いくらい……。場所がトイレじゃなければ、悲惨なことになってたね。ツボって怖いなぁ、ってその時身に染みて思ったよ。うん」
「アンタ、そんな恐ろしいもんをアタシに喰らわせる気だったの!?」
「あはは、押すねー」
「ちょっ、おかしいでしょ! 今のは笑って押す流れじゃないでしょ!」
手首をガッチリロックして必死に抵抗する見鳥羽。
「大丈夫だって。見鳥羽は別に我慢してるわけじゃないんでしょ?」
「そうよ! そうだけど、もしかしたら我慢してないのに出ちゃうかもしれないじゃない!」
ふーむ、この期に及んで認めないとは、なかなかしぶとい。
しかしこれ以上追い詰めて、実際に大変なことになったら責任取れないし、ここらが潮時か。
もう十分に楽しんだし。
「分かった。押すのは止めにしよう。万が一ってこともあるしね」
「そうよ! 大体、アンタに足を触られるとか、真っ平ごめんなのよ!」
と、その時ちょうど観覧車の運行再開を告げるアナウンスが鳴って、観覧車が下へと動き出す。
今更気兼ねするようなことも無く、俺は見鳥羽に訊いてみた。
「あのさ、見鳥羽」
「なによ! 我慢して無いってば!」
「いや、そっちの話じゃなくて……見鳥羽は、坂斗のどんなところが好きなの?」
「え? そりゃあ、イケメンだし……」
「坂斗が取られたのにさ。見鳥羽は全然悲しそうじゃ無いよね」
「は? 何が言いたいのよ」
「いや、見鳥羽は別に、坂斗に恋してたわけじゃないんだろうなって、見てて思っただけ」
見鳥羽は俺の言葉に答えず、観覧車の窓枠に肘を立て掛けて、窓の外を見つめた。
その瞳は、とても遠くを見ているような目で。
彼女はやがて呟く。
「……劇的な出会いが、そんな簡単に転がってるわけ無いでしょ」
その言葉と表情が、素の見鳥羽なのかもしれないと、俺は何となく思った。
それから観覧車を降りる時になるまで、俺と見鳥羽が会話を交わすことは無かった。
観覧車が一番下まで降りて、遊園地のスタッフが扉を開ける。降りるように促して来る。
俺は席から立ち上がって、
「見鳥羽、先に降りていいよ。……見鳥羽?」
彼女を見やるが、何故か顔を俯かせたまま立ち上がろうとしない。
嫌な予感がした。
「見鳥羽、もしかして立てない?」
「っ……」
答えようとせず、ぐっと拳を握り締める。
「あの、お客様?」
遊園地のスタッフが困った表情をする。
観覧車はこうしている間にも動いていて、もたもたしていると降りるタイミングを失ってしまう。
俺は深呼吸をしてから、言った。
「見鳥羽!」
びくっとして顔を上げる見鳥羽。大きな声を出したから、驚いたのだろう。瞳を見開いてぱちくりさせている。
「野暮なことは訊かない。ただ一つだけちゃんと答えて。立てるの? 立てないの?」
彼女は震えた声で、
「た、立てない」
「分かった。なら俺が運ぶ」
「えっ!? ちょっ……何!?」
俺は彼女の膝と腰に腕を回して、有無を言わせず担ぎ上げる。いわゆるお姫様抱っこ。「きゃあっ!?」と見鳥羽が可愛い声を上げるが、気にしている場合では無い。
とにかく観覧車から降りた。
「で、見鳥羽は自分で歩けるの? どうなの?」
「あ、歩けない……」
そこまでか。なら急がねばならないだろう。
「走るから我慢して」
「えっ!? この体勢で!?」
「だって歩けないんでしょ!」
「そうだけど、でも……!」
「あーもう、面倒臭い!」
構わず俺は走り出す。
と、アトラクションの敷地から出たところで、坂斗カップル&バカップルが待っていた。
「おーい、次はジェットコースターに……ってどうしたんだ!? お姫様抱っこ!?」
目を丸くする坂斗に、見鳥羽が慌てて、
「ち、違うの坂斗くん! これは特殊な事情があって! ……はうっ!」
ぶるるっと背筋を震えさせる見鳥羽。どうやら限界が近いらしい。
「特殊な事情って?」
「そ、それは……!」
見鳥羽は顔をしかめさせて、沈黙してしまう。
尿意を限界まで我慢していて動けなくなってしまった等とは、恥ずかしくて言えないのだろう。
かといって、躊躇しているような時間は無い。
手っ取り早い方法は――
「悪いな皆……」
俺は言った。
「見鳥羽は俺がお持ち帰りさせて貰う!」
「は……はあぁぁぁ――ッ!?」
見鳥羽が叫び声を上げたが、俺は無視してお姫様抱っこをしたまま駆け出した。
果たして俺は、見鳥羽を無事にお手洗いへと送り届けた。
しかし、そこから出て来た見鳥羽はスッキリとした顔を微塵も浮かべて居なかった。
彼女は顔を真っ赤にして、肩をプルプルと震わせ、怒りを露にしていた。
「アーンーターはぁぁぁ――ッ!」
「ま、間に合って良かったね……」
「全然良くないわよ! 皆にあんなこと言って! どうする気なのよ!? 完全に誤解されたわよアレ!」
「それは大丈夫。皆のところに戻って、こう説明すればいい。さっきのことは俺が暴走してやったことで、見鳥羽は必死に抵抗して、俺のお持ち帰りを断固拒否したって」
そうすれば、俺が馬鹿だなぁと言われるだけで済む。別に見鳥羽以外、気を使うようなメンツでも無いし。
「とりあえず戻ろう。見鳥羽は見てるだけでいいから」
「……」
ジト目でこちらを睨み続ける見鳥羽。
俺は背中を向けて、元来た方へ歩き出そうとする。
と、見鳥羽に服の肘の辺りを掴まれた。ぐいっと引っ張られる。
「えっと……見鳥羽?」
「……今更戻れるわけ無いでしょ。あんな場面見られた時点で、どっちにしても赤っ恥よ。今日は帰る。もう夕方だし」
「……そう? じゃあ俺は皆のところに――」
「ちょっ、待ちなさいよ!」
見鳥羽は俺の腕を鷲掴みにして、ガッチリロックする。デジャブを感じた。
彼女はギロリと俺を睨んで、
「今の流れはあんたも一緒に帰るところでしょ! 何ちゃっかり戻ろうとしてんのよ!」
「そうなの? でも俺、まだジェットコースター乗り足りないし」
「小学生かアンタは! 一応、腐っても男なんだから最寄りの駅まで送って行くとかしなさいよ!」
うわぁ、面倒くせぇ。
しかし、見鳥羽に観覧車で意地悪をしてしまったので、因果応報だった。
「分かったよ。送って行く」
「当然よ。それから――」
「え、まだあるの」
勘弁して欲しい。
見鳥羽は鞄の中に手を突っ込んで、ごそごそやってから、スマートフォンを取り出す。
「アドレスと電話番号」とだけ告げた。
「は?」
意味が分からず訊き返すと、見鳥羽は俺の目を見て言った。
「察しが悪いわね。アンタのアドレスと電話番号を教えなさいって言ってんのよ」
どうしてこうなった。
俺は今の状況に、そう思わずには居られなかった。
「あのさ、見鳥羽」
「あ? なによ」
「今更なんだけどさ、見鳥羽は何で俺の部屋に通ってるの?」
遊園地に行った日から二週間が経過し、夏休みも後半に入ろうとしている八月の半ば。
同じクラスの金髪ギャルは何故か俺の家に入り浸るようになり、今は俺のベッドの上でうつ伏せになって、スマホを弄っていた。人ん家のコンセントをちゃっかり使って、充電も抜かり無い。
「アンタがアタシの処女を捨てる計画を台無しにしてくれたんだから、責任取らせる為に決まってんでしょ」
「責任取るってまさか……俺の童貞を!?」
身の危険を感じて、部屋の出入口まで後退すると、見鳥羽はスマホに視線を向けたまま呆れたように、
「は? アンタの童貞とアタシの処女が釣り合うわけ無いでしょ」
「ひでぇ!」
「とにかく、アタシが今年の夏を満喫し、どこぞのイケメンと処女を捨てられるように馬車馬のごとく働いて貰うからよろしく」
「夏を満喫って、それならそうと早く言ってくれれば色々出来た気がするんだけど……」
既にあれから二週間だ。にも関わらず、そんな見鳥羽の考えを今初めて知った。
「アタシって基本的にインドア派だから」
「そんな派手な見た目で!?」
と、そんなやり取りをしていると、ドアをノックする音がした。
部屋にやって来たのは母さんだった。
「香苗ちゃん、お菓子とジュース持って来たから、よかったらどうぞ」
「あっ、わざわざすみません、おば様! ありがとうございます!」
俺に対する粗雑な表情とはまるで違う淑女の笑顔を浮かべて、母さんと楽しそうに話す見鳥羽。この二週間で、彼女は母さんとすっかり仲良くなってしまっていた。
俺が二人の会話に交ざれずジュースを飲んでいると、母さんが言う。
「それにしても、まさかこのエロ息子が今時な金髪の女の子を連れて来るようになるなんて、思って無かったわ」
「おい、誰がエロ息子だ」
「勉強机の最下段の引き出しが二重底になってて、その下に金髪の女の子ばっかり写ってるエッチな本やらゲームを隠し持ってんじゃない」
「ちょっ、何言っちゃってんの!? というか、なんで知ってんだよ!」
「え、息子のエログッズを漁るのは、親の嗜みでしょ?」
「そんな常識は世の中に存在しない!」
「そんなわけなのよ、見鳥羽ちゃん。エロい息子だけど、これからもよろしくね」
「出てけぇぇぇ――ッ!」
これ以上は恥ずかしさで死んでしまいそうなので、母さんの背中を押して部屋から追い出す。
振り返ると、見鳥羽が勉強机の最下段の引き出しを開けていた。手には既に二重底のダミー板が。
「ギャーッ!?」
阻止すべく駆け寄るが間に合わない。
見鳥羽は俺のお気に入りであるエッチな漫画『金髪ギャルと観覧車』を開いてしまった。
「くっ……!」
俺はその場に両膝を着いて、項垂れた。
終わった……何もかも。そのエッチな漫画には、この間の観覧車での状況に似た内容がもっと卑猥に描かれている。
見鳥羽は怒り狂って、散々に罵倒して来るだろう。いや、むしろもう二度と口を利いてくれないかもしれない。
「ねえ」
俺は呼ばれて、覚悟を決め、顔を上げる。
しかし、そこにあったのは見鳥羽の怒った表情では無く。
ドキッとするような、真っ赤に染まって恥ずかしそうな、女の子の表情で。
「金髪……好きなの?」
――その後のことは色々と恥ずかしいので、語るのは勘弁して貰えるとありがたい。
見鳥羽の処女を捨てる計画が果たしてどうなったのかについては……ご想像にお任せする。