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5.ネクロ=マンサー

 *************



 それはユキがアランやシェリー、子供たちを連れて退店した、すぐ後のこと。


「ちょっと、外出てくる」

「は?」


 ハルトが止める間もなく、レンは店を出て再び先の路地に向かう。道行く人々は彼を気にもとめないが、先程と違い何人かはそんなおかしな所に潜り込む彼を訝しげに一瞥した。

 それでも彼に声をかける者はいなかった、その点に変わりはない。


 陽の光が当たらない路地に特に変わった様子はない。魔法による熱もすっかり風に流されてしまった。もともとここに居を構えていたであろう小動物も、あれだけ騒がしければ暫く戻ってこない。

 一歩踏み出すごとに追い風が緩やかにレンの髪を攫う。癖の強い髪がさらに乱れるが、本人は特に気にしない。

 辺りを見渡して『鼻をひくつかせる』。通りに出ているいくつかの店から洩れた様々な香りが風にのって路地にまで届いた。自分がさっきまで焼いていたパンの香りもする。

 一歩、また一歩と進むにつれて食欲をそそる香りは薄れ、生ゴミや腐った水の匂いが強くなる。つま先で濁った水が跳ね、陰が濃くなり、あらゆる匂いが混ざって気分が悪くなりそうだった。

 しかし、そんな中でもレンの『嗅ぎつけ』、『嗅ぎ分けた』。

 片膝をついて石畳に顔を寄せ、匂いを辿ってさらに奥へ。鉄と固有の匂いが混ざったソレのもとへ。

 そう遠くではなかった。石畳になぞらせたレンの指がぬるりと冷たいソレに触れ、ゆっくりと指の腹で拭い取る。暗がりでは黒っぽく映るソレを鼻に持っていくと、鼻腔をくすぐる鉄の臭い。


 血


 乾ききる前に採取できたのは上々。何者の血かはわからないが、それが先の事件の手掛かりになるとレンは思った。

 そもそもこの血の存在は、路地に駆け付ける前からわかっていた。血の匂いを辿って来たと言ってもいい。

 人間では嗅ぎ取れない、空気に僅かに漂う異物の匂いを、レンは苦もなく当てられるのは、彼もまた亜人間だからに他ならない。


 血のついた指をそっと唇まで持っていき、舌先を出して躊躇いなく全て舐めとった。


 血は語る。

 その者は希少種にして常人に非ず。弱者にして強靱。不幸ながら強運。無敵でありながら脆く、無能故に多様性を持つ。感情的でいて心は虚無。


 血から伝わるものは〝生命の情報〟。その者を生かすものから間接的に生命情報を搾取する。それは孤児院の中でもレンにしか出来ない、亜人間としての異能の力。レンが忌み嫌う、異質な力。


 それでも身体は正直だった。理性が否定するも彼の口は本能によってその言葉を紡ぎ出す。


「……うまい」


 血のとれた綺麗な指先を、冷え切った血を求めて再度舐めた。





 *************





 店に着いた時、ユキとシェリーの驚き様にアランは心を痛めた。顔の半分以上が魔法による侵食で紫に変色し、息も絶え絶え、身動きもできない状態であった。

 ユキはすぐに他の子供たちの編成を整え、シェリーは少年に癒しの魔法を施す。レンは持ち場に戻り、ハルトは変わらず業務に専念していた。


 アランは何もしなかった。厳密には、何もできなかった。


 ユキもシェリーもアランに詳しい事情は訊かず、レンもあれから一言も喋らず、気付けば皆と孤児院にたどり着き、気付けば診療室に立ち尽くしていた。


 少年は一命をとりとめた。シェリーの応急処置もそうだが、何よりノヴァの魔法が決定的であったことは過言ではない。

 ノヴァの癒しの魔法は、毒の進行を阻害するどころか急速に浄化を始め、数秒のうちに解毒を完了させた。眩いばかりの光が少年の患部を包み込んだかと思うと、変色しきった所はみるみるもとの色を取り戻した。

 魔法の優劣は単純に魔法使いの力量に起因する。先の魔法使いがどれほどの実力者なかは定かではないが、結果としてノヴァは彼を上回る使い手であったということだ。


「外からも仕掛けてきましたか。厄介ですね」


 眠り込んだ少年の額を撫で、ノヴァは息をつく。いつもの問答無用微笑こそないものの、そこに取り乱した様子は微塵もない。寧ろ予測していた事態だとでも言うような落ち着きすらある。

 始終オロオロしていたユキとは大違いだった。


「よかった、本当によかったぁ……」


 始めこそ冷静を装った彼だが、自分が出来ることがなくなるや否や徐々に落ち着きを失い、ノヴァの姿を認めた途端、平素の彼に戻ってしまった。


「今日はもう外に出ない方がよさそうですね。食材にはまだ余裕がありますし、今晩の食事に問題は無いでしょう。明日までは建物の中にいてください」


 それを合図に、ユキとアランは部屋を後にしようとした。別室ではシェリーが他の子の面倒を見ていたし、何より診療室にずっといても意味がない。

 だがノブに手をかけたアランに、ノヴァは声をかけた。


「君は、ここに残りなさい」


 普段と変わらぬ微笑と声音のはずが、アランには恐ろしく思えた。

 そう、それはまさに屋敷で使用人として働き始めたばかりの頃、つまらぬ失敗をしてしまった時のよう。罰を受けることを覚悟した時のようだった。

 覚悟をしてしまったアランはするすると答える。


「はい」


 後続のユキは一瞬アランをみとがめて、しかしやはり早々に立ち去ったのだった。

 ユキが扉を閉め、足音が遠ざかるのを確認してから、それでもノヴァは声をひそめて静かに言った。


「ケガをしましたね?」

「ぁ……」

「見せなさい」


 ノヴァはパイプイスを用意し、アランに座るよう促した。血がついた脚や服はある程度隠したはずなのに、ノヴァに見破られた。

 アランは恐怖する。それは以前屋敷で使用人として働き始めたばかりの頃、つまらぬ失敗をしてしまった時の感覚に似ていた。きつい罰を課せられることを覚悟した、理不尽でいて理不尽と思えなかった時の恐怖。

 パイプイスに腰掛け患部を晒す。スカートについた血は縦に赤く染まってしまったが、脚は膝や脹ら脛を覆うように赤黒い血が固まってこびりついていた。

 出血量が少ないとは言えないその状態に、さすがのノヴァも微笑が消える。


「誰にも言わなかったんですか」

「はい。この程度の傷ならすぐ治りますから」

「ほぅ?」


 ノヴァが消毒薬を染み込ませたガーゼで血を丁寧に洗い落とすと、陶器のように白い肌がそこにあった。傷ひとつないなめらかな皮膚は出血とは無縁の状態。


「本当に治ってますね」

「ね?治りの早さには、自信あります」

「そうですね。……素晴らしい治りですよ」


 薬箱をしまってノヴァは再び柔らかな笑みをアランに向けた。


「着替えはシェリーから貸してもらいなさい。あなたも今日はお疲れ様でした。この子を守ろうとしてくれて、感謝しています」


「今夜は早め眠るといいでしょう。まぁ、こんなことがあった後だと寝にくいかもしれませんが、そんな時は中庭のハーブの香りを楽しむことをお薦めします」


 その後、ノヴァに礼を述べ、アランは静かに部屋を出た。明日まで建物から出てはいけないという彼の助言は、アランの中では効力を失っていた。




 *************




 夜。夕食を済ませた住人たちは各々の務めを果たしに散らばった。

 子供たちの世話や精神的ケアはシェリーが一手に引き受け、ノヴァとレンらも好き勝手に食堂を抜け、気付けばアランは独りだった。食器の洗浄を任されていたこともあって食堂から抜けられない。人数が多い分、時間もかかる。

 孤児院に戻ってからは何事もなかった。見回りにユキが数分ごとに建物内を歩き回っていたことを除けば、おおよそいつも通りと言って差し支えない。少年は大事をとって今日は診療室で過ごすことになったし、子供たちにも動揺した雰囲気はない。


 最後の一枚の皿を拭き終わって本格的にやることがなくなったアランは、昼間にノヴァが言っていたことを思い出し、中庭に出ることにした。

 誰もいない廊下は昼間より広く思え、壁に取り付けられた蝋燭の灯りもそこそこで不気味な雰囲気がある。しかしそれはアランにとっては慣れたことであり、恐れるに値しない。完全な暗闇ならともかく、燭台を必要としない明るさならば問題はない。

 中庭に出るのは昼間のハーブの植え替えの時以来か。道を知ってしまえば迷うことなくたどり着ける。夜の中庭は草木も眠っているようで、活発な印象をうける昼間と違い、月明かりにも映えて神秘的であった。配置を考えて並べられた暗色の列も見ていて飽きない。

 ふと見上げれば、上の階で一室だけ灯りがついていた。カーテンが引いてあるため中の様子は窺えないが、恐らくノヴァの部屋だろう。

 風も吹いていないため、植え替えたハーブに近づくとスッキリとした香りが鼻腔をくすぐる。リラックス効果があるのか、胸の内までスッキリするようだった。


「こんばんは、お嬢さん」


 眼前の木の陰からの若い男の声。

 弾けるようにハーブから離れたアランは木を注視する。月明かりも届かない濃厚な闇に紛れられていたとはいえ、ほんの数十歩先にいた人に気付かなかった。

 昼の件もある。追っ手かもしれない。今すぐ走ってノヴァやレンたちに伝えるべきか。それとも今この場で大声を出してみようか。見失わないよう見張っておくべきか。思考が取り留めのない自問にぐるぐると回る。


「あぁ、おじさんは怪しく見えるだろうけど別に大して怪しい人物じゃないから、そんなに警戒しないで」

「……おじさん、ですか?」


 つっこむべきはそこではない。というツッコミができる人物は、残念ながら中庭にはいなかった。


「そう、おじさんだよ。何せレン、ハルト、ユキの父親にしてノヴァより年上なんだから、立派におじさんでしょ?」


 そう言ってもたれていた木から身を離し、月光の下へと歩みを進める。

 紫のシャツに赤いネクタイと膝まである黒いコート。日中でもないのに同じく黒の帽子をかぶり、大人びた雰囲気が漂っている。

 とはいえ、その容姿は〝おじさん〟などと形容するには若すぎであった。外見年齢ならハルトと同じかそれ以下か。アランより頭ひとつ分背の高い美青年は優雅に帽子とり、黒い髪から覗く赤い両目を細めて無邪気に笑んでみせた。


「君に会うのはこれで二度目かな。この孤児院での暮らしはどうだい?楽しい?」

「え、あ、はい。皆さんとても良い人で、よくしてもらってます」

「皆さんて、レンとハルトとユキとノヴァかい?」

「はい。あ、あと他にm…「だよねー!いやーさすがボクの子!ボクの義弟!みんな優しくていい子ばかり!」


 シェリーの名前を出す前に、「はい」という返事を聞いた彼の笑みは一瞬で太陽を呼び込んでしまいそうなほど明るくなった。急に調子の良くなった声に、呆気にとられたアランは閉口してしまった。


「良い子に育ってくれたんだねぇ。うん、そっかそっか!嬉しいなぁ!ハルトやユキなんて最近ますます母親に似て美形になってきたし、レンなんかボクに似てかっこよくなった!でも顔の形は母親似だが、それでもかっこよくなったことに変わりはない!これ言うと本人怒るんだけどね!」

「あの……」

「それにあの三人は……っと、なんか言った?」

「え、あ、えと……」


 あまりのマシンガントークぶりに気圧されかけてたアランは、もう今更「他にもシェリーや子供たちも」とは付け足しにくくなってしまった。

 とはいえ何も喋らないというのは、話を遮った手前選択できない。何かしら話題を振ろうと頭を捻った結果、彼女は彼の先の挨拶の中に気になる言葉があったことを思い出した。


「私に会ったのはこれが二度目、と仰られていましたが、どこで会ったか教えてもらえませんか」

「あぁそのこと。どっかの山奥で死にかけたのを、ボクがこの施設まで運んであげたってことなんだけど、憶えてない?」

「山奥……」


 その言葉に、アランの記憶が呼び起こされる。

 月明かりに照らされた、鬱蒼とした木々や背の高い草。湿った土の匂いと冷え切った風の音。

 その後。その最後の最後に、忘れていた何か。

 確かにそこには、人影のようなものがあって、それは明らかにこちらを見下ろしていた。


「思い出したみたいだね」


 ニヤニヤとアランの顔色を窺う彼に、アランは静かに問うた。


「あなたは……誰ですか」

「それはなかなか難しい質問だ。ボクが誰かなんて世間の誰も知らないしボク自身も明確に述べることはできない」

「いえ、そういうことではなく……」

「というわけで、ボクは君がボクを〝ボク〟だと認識できるだけの情報しか提供しない。というか、それしかできない」


「それじゃあ自己紹介といこうか。ボクの名はネクロ。ネクロ=マンサー。レンの父親でハルトの父親でユキの父親でノヴァの義兄。好きなものは自分と家族、というか他は正直どうでもいいって感じ。愛に溢れたおじさんだよ」


 これでいいかな?と、最後に笑ってみせるネクロ。

 あまりの身勝手な言動にアランは面食らっていた。

 ネクロは自由気ままという言うより、よくわからない方向で自己中心的な人物だった。いろんなタイプの人間と接してきたアランだったが、そのどれにも属さない、奇怪な性格。


「ところで、ボクの息子たちの中に気になる子はいたかい?」

「…………へ?」


 言葉の意味がわからず、本人も思わぬ間抜けな声が出てしまったが、ネクロの貼り付けたような笑みになんら変わりはない。


「ちょっとしたアンケートみたいなものだから、別に何とも思ってないならそれで構わないよ。ただし、嘘はつかないでね?」

「は、へ?」

「だってほら、あれだけ顔面偏差値高いうちの子たちと、ひとつ屋根下な状況なわけでしょ、君?レンはボクに似てかっこいいし、ハルトは世界一の美形と言っても過言じゃないし、ユキは性格がそのまま反映したような可愛さだからさ。悪い虫がつく前に殺虫というか、ね?わからないかな?」

「…?」

「うん、その反応なら問題ないかな」

「はぁ…?」

「いやね、話が長くなるかもなんだけど、」


 その後、ネクロの〝うちの子自慢〟を真剣に聞いていたアランだったが、彼女が半分も理解することなく、話は終わってしまった。晴れやかな表情のネクロは手に汗を握っていた。


「───ふぅ、こんなものか。さて、そろそろ帰ろうかな。今日は君の様子を見にきただけだし、これ以上ここにいても意味はない」

「皆さんには、会っていかなくていいんですか?」

「うん。本当は今すぐ会って顔を見てきたいんだけど、それはあいつらがいい顔しないから。ボクはこれでさよならだ」


 ネクロは数歩下がって木の陰に滑り込む。切り取られたように闇が渦巻くそこは、彼を包み込むようにその輪郭を薄く溶かす。


「ああ、それから、ボクがここに来たことは息子たちには内緒にした方がいい。またユキと気まずい雰囲気にはなりたくないだろうし、今度はユキだけじゃ済まないよ」

「え?」

「『あの三人に父親の話題は御法度』って言ってるの。今日ユキと喧嘩して思い知ったと思ってたんだけど、ボクの検討違いかな」


 そう言われてアランの苦い記憶が再び呼び起こされる。

 土まみれになったユキと話した記憶。楽しかった世間話が、一瞬で亀裂をうんでしまった話題。それは父親の話題。

 あの時ユキは〝特に話すことはない〟と言った。それを触れたくない話題だと察せないアランではない。


(そういえば、まだ謝れてない……)


 昼からずっとやろうと思っていた。お膳立てもしてもらった。言う機会など、タイミングなど、きっといくらでもあった。

 ただそこに誠意を込めたかった。そうなると言う機会などなかった。タイミングも悪かった。

 悪いことをしたという自覚を持つが故に、アランの後悔が重く募る。


「気にしても仕方ないよ。会話のセオリーにあいつらのNGワードが含まれてるって、それだけだから。好き嫌いを教えてもらってないのに、作った料理で偶々嫌いなものが混じってて文句つけられたとしても、君が悪いわけじゃないだろう?」


 ネクロのフォローにアランは返事を返せず、ただうなだれた。改めて罪悪感に苛まれていた。

 そこに一定の考察はない。悪い事態に関わった場合すべて自己責任。原因を一手に引き受け、改善も一手に引き受ける。

 彼女はそう教え込まれて育った。


 返事を待っていたネクロは、アランから一定の返答がこないとみるや否や手に下げていた帽子を被り、さてと、と呟いた。


「それじゃ、本当にバイバイ。また来るから、明日以降もこの時間帯にここに来てくれないかい。ボクはボクなりに陰ながら君たちをサポートするし、情報提供もそこそこするかもしれないからね。あ、ひとりで来てね。そこは厳守で」


 ネクロは半歩だけ身を引くと、その身は真後ろにあった木の影にすっぽりと収まった。暗色の服が影に溶けて視認が難しくなり、アランが顔を上げた時にはぼんやりとした白い肌が微かに見えるだけとなる。


「それじゃ、おやすみ。体を大切にね」


 ネクロの声は徐々に響きを強め、月の輝く夜空に吸い込まれるように消えてしまった。

 残されたアランはただ呆然と立ち尽くし、月の影を眺めたいがために風が肩を冷やすことを良しとした。

書いてる時間がなかなかとれなくて、こんなに間があくとは思わなかった…。

皆さんすいません。もっと盛り上がるような文を書きたいのですが、なんだか表現力というか日本語力というか、そういったものが著しく劣化してるのが自分でもわかります。

 由々しき事態ですね。なんとかせねば!

 もう暫くお付き合い下さい。ありがとうございました!

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