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4.紫の魔法

久々投稿。

忘れてたわけじゃないよ。忙しかったの。


第4話、始まります。

 小さなベルがおごそかな音を立て、客の訪れを店員に知らせた。つい先程レジで会計を終わらせたレンはトングを回収しており、客の方を一切見ようとしない。

「いらっしゃいませ」

「そういうのはちゃんとお客さんの方を向いて言わなきゃだめだよ。レン」


 来客ことユキは、苦笑いを浮かべながらレンの接客態度を指摘した。レンは相手が身内とわかると、接客態度が通常より二段階下がる(ただしノヴァは除く)。とはいえ、通常でもあまり褒められたものではなく、笑顔で対応できるゆうになることが今後の課題であった。


「さっき窓から見えたから。前よりはマシになっただろ」

「それ自分で言っちゃうんだ。まぁ確かに、身内とわかるや否や空気みたいな扱いされたあの頃に比べたらね。返事は全て『ん』で片付けてたあの頃に比べたら、ね」


 そんなレンをある程度まともな業務員にまで育て上げたノヴァの偉大さをユキは改めて痛感した。

 昼のピークを乗り切ったのか、店内に人の気配はさほどない。奥の喫茶店の方はまだ何組もの客がくつろいでいるようだが、パンの販売の方はたった今最後の一人が帰ったところのようだ。

 周囲は芳ばしい香りが立ち込めており、シンプルなプレーンから甘いフルーツパンまで、数々のパンが棚に陳列していた。カラになって穴があいたような一角もある。人気商品を残しておいてくれるほど空腹の若者は優しくない。


「レンがここにいるってことは、ハルトは喫茶店の方?」

「ああ。追加は今焼いてる最中だし、補充確認と──て、なんでそんな大所帯なんだ」


 ユキの後ろから、幼児十人前後と今朝見た顔ぶれがぞろぞろと入ってくる。元気な赤毛を髪留めで押さえつけた少女と、蒼い髪が腰まで垂れた少女。


「ノヴァさんの提案でアランをここへ案内に来たんだ。少しは街を歩いた方がいいって。あと買い出し」

「買い出しはついでか」

「大所帯になったのは、アランさんが行くなら行くって言う子みんな連れたら欠席者無しという結果になったから」

「……」

「まさか全員来るとは思わなかったんだって。そんな怖い顔しないでよ。皆の顔見れて嬉しいでしょ?」

「別に。帰ればいくらでも見れるし」


 いつもの仏頂面が二割増しになるのを、ユキは慣れた様子で宥めた。

 食べ物を扱っている以上、店内で騒がれては困る。静かにしろと言われれば大人しくなると、レンも皆を信用しているとはいえ、そもそもそんなに広くはない店内にゴロゴロと詰め掛けられては客足にも影響が出てしまう。

 それ以外にも、レンとしては危惧することがあり、とにかくこの状況は望ましくなかった。


「……用だけ済ませて、早いとこ戻った方がいい」

「そのつもりだけど、何かあるの?」

「……後で話そうと思ったんだが──」


 レンはユキにのみ聞こえるよう声を落とし、ユキも相槌はそこそこに静かに耳を傾ける。

 その様子をアランは少し離れた所から見ていた。

 そもそもパン屋に行ってこいというノヴァの指示は、アランがノヴァに相談事を持ちかけたことが起因していた。

 世間話をしていたはずが、いつの間にかユキの気に障ることを言ってしまったらしく、皆が中庭に出た後も何だか気まずくて話し掛けられなかった。謝ることができなかった。何に対してどう謝ればよいかわからなかった。


『ユキは貴女に対して怒ったわけではありませんよ。でも、ユキに限らず、レンやハルトにも父親の話題は避けた方が良いですね。あの三人にとって、あまり好ましくないでしょうから』


 ノヴァはアランを優しく慰め、気分転換も兼ねてユキと買い出しに行きなさいと言った。

 その提案に乗り、わざわざノヴァにお膳立てまでしてもらったというのに、タイミング悪く居合わせたシェリーや便乗狙いの子どもたちまで一緒に行くことになり引率と案内でてんやわんやだったため、実はここに至るまでの間まだ一言も言葉を交わしていない。今も、レンと話すその様子は立ち入ってはいけないような気がして、やはり何もできずにいた。


(お二人の話が終わってからでも、いいですよね。帰りは来た道を戻るだけですし、きっと行きよりはまだチャンスがあるはず。最悪夜になっても、今日中に謝罪しないと)


 心中で決意を固めつつアランはパンを眺めた。

 プレーンのパンしか見たことがないアランにとって、主食を食べつつ副菜も食べられる惣菜パンは珍しく映った。自分たちの食卓は残りものか簡単なスープ等のみで終わることが多く、せいぜい器形に中をくり抜いたパンに堅めのスープを流したものしか知らない。

 効率的に食事を済ませられる、無駄のない創作物。正当化されたズボラ。

 早く食べてみたいと思わずにはいられない。


(見た目は綺麗ではないけど、格式を気にせず空腹を満たす分にはいいですね。こうやって野菜を詰め込んで食べれば時間短縮にもなりますし)


 ベーグルサンドやサンドイッチを知らない少女は、レタスのはみ出たパンにソーセージを挟んだものを尊敬の眼差しで見つめるのだった。


 しかしここに来た目的は、何もユキとの仲直りだけではない。食卓に並べるためのパンを買うことの方が優先事項。寧ろユキへの謝罪はこの場合、ついでにも等しい。

 見ればユキはまだレンと話し中。ハルトも出てくる気配はなし。シェリーは子どもたちの相手をしている。とても買い物の話はできそうにない。


(……ん?)


 ふと、アランは違和感に気付く。

 適度に賑やかな店内は、そう広い作りをしていない。棚やそこに並ぶパンが割と場所をとり、大人が十人もいれば面積的には密になり動きにくくなる程だった。

 今も子どもたちひとり辺りが占めるスペースは少ないとはいえ、やはりある程度の窮屈が強要される。

 故に、ひとりでも減るとその分生じる空間的余裕は、一目瞭然であった。


(ひとり、足りない……?)


 サッと見渡した時、耳の形が細くて長い、エルフの子がいないことにアランはすぐに気付いた。

 連れて来た子は全員亜人間。身体的特徴が個性的でバラバラなお陰で、誰がいなくなったかわかりやすい。特にエルフの子は少数なため、いなくなれば寧ろ目立つくらいだ。

 パン屋には全員で入ったのは確か。ならばいなくなったとしたらその後に外に出たとしか思えない。

 アランは勢いよく扉を開け、通りを見渡す。陽が高いこの時間帯、道行く人は多い。

 人間と亜人間が、互いの生活に奮闘する様子が広がっていた。食事をとる者、店を練り歩く者、走る者、遊ぶ者。皆が思い思いに過ごしている午後の景色は、仕えていた屋敷から出たことのないアランにとって、珍しく思うと同時に怖くもあった。

 ここにいる者は、皆思い思いに過ごしているのであって、共通の意識はない。それがアランには恐ろしかった。ただ屋敷のため、主人のために日々を送っていた自分や同僚とは、明らかに違っていた。


(でも、それでも危ないことをする人たちではないんでしょうね。わざわざ悪い子になりたい人なんていませんし、そんなに怖がらなくてもいいはずです)


 気持ちを新たに、再び周囲を見渡す。これですぐ近くにいなかったら、皆に知らせて捜すしかない。

 そう思いながら向かい側に並ぶ店を一店ずつ観察した時だった。


(いた!)


 陽の当たらない路地の間の狭い道を、長い耳をした少年がフラフラと入って行った。顔は見えなかったが、服装や容姿から人違いではないと確信し、急いでその者の方へ駆けた。

 しかし周りの人は素知らぬ顔をして少年を気にもかけない。

 それを不思議とも酷いとも、アランは思わなかった。それぞれ思うことがあるのなら、全員が同じことを考えても不思議ではない。自分とは関係のない子を放っておくことの何が不自然なことか。亜人間と人間が共存している以上、誰も少年を気にかけなくても不思議ではない。

 そもそも彼女自身、自分が世間知らずなことを多少なりとも自覚していた。他人の常識を図れるほど自分が常識人だとは思っていなかった。


 陽が高いとはいえ、背の高い二階建ての建物の間は暗く、幅も大人二人が横に列べるほどの広さはない。歩けばどこからか流れてきた水を踏み、ゴミの匂いが鼻を刺す。

 服が汚れないよう気をつけながら、アランは奥へ進んだ。

 入ってきた場所からさほど離れていない所で、少年は棒立ちになっていた。誰かを待っているのとは違う、ギリギリの所で姿勢を保つ人形のように立ち尽くす少年の肩に、アランはそっと触れた。


「こんな所で何をしているんですか?」


 少年の肩はピクリと跳ねると、少しずつ体を捻ってアランの方を振り向いた。

 色素の薄い目を大きく見開いて、少年は小さな唇をわな。


「アラン、ちゃん……?」

「はい」

「あれ?……あれ、ここ……?」


 まるで夢でも見ていたかのように、少年は耳をヒコヒコ動かしては小首を傾げた。しきりに「あれ?」を繰り返し、足元をネズミが通過すると驚いて悲鳴を上げた後、尻餅をついてしまうほど、自分の状況が見えていない。

 わけがわからなくなり涙を浮かべる少年を、アランは優しく抱き寄せた。


「大丈夫ですよ。皆さんの所へ戻りましょう。ね?」

「うん」


 泣きじゃくる少年の頭を撫でる。少年が路地に消えて見えなくなってしまう前に追いついてよかったと、アランは安堵する度に髪を撫でた。


 異変に気付いたのは、その後。


(……そういえば、私を含めあの店にいた全員が、この子が退店するのに気付かなかった)


 連れてきた子供たちが全員店に入るのは、引率役のシェリーがしっかり確認した。しかしアランが見た時には少年は外にいた。店にいた全員が気付かぬうちに外に出た。

 何故、誰も気付かなかった。あの店の扉には小さなベルが上部にくくりつけられていて、扉が動けば呼び鈴として音が鳴るようになっている。だというのに、店にいた全員がその音に気付いていない。

 様々な思考がアランの頭の中を回り、回想する。

 そして至った。

 真に気付けていなかったのはベルの音ではない。

 アランが退店する際、ベルの音が“鳴らなかった”ことだ。


「おや?もうひとり掛かってくれましたか」


 暗がりが強い路地の奥から、男性的嗄声がアランたちに語りかけた。同時に革靴が石畳を打つ小気味よい音がし、次第に音は大きくなって、アランたちに接近を伝えた。

 アランは少年の頭をより強く抱き寄せ、眼前の者を見据える。

 徐々に光が当たるようになったその者は、紫の厚手のローブに目深に被ったフード、陰から覗くのは口元のみで顔の判別は出来ない。飾り気のない外見は、暗い路地にいることと立ち止まった時の背の高さによって何倍にも怪しく映った。


「おや?君は今まで見たことないですねぇ。あの孤児院の新入りさん?」

「はい。はじめまして、アランと申します」

「おや?名乗ってくれるとは、礼儀正しいお嬢さんだ。ではこちらも名乗りましょう」


 ローブの隙間から伸ばされた右腕の黒い袖が現れた。そこから覗く手にはめられた青と紫の二つの指輪がアランの目を引き、軽く礼をしながら胸の前に添えられる。


「はじめまして。わたしは亜人間を保護して回っている者、名をリーマンと申しますです」

「亜人間を、保護?それとこの子には、何か関係が?」

「はい。ご存知の通りあたなのいる孤児院は、知る人ぞ知る亜人間のみを対象とした孤児院です。当然、そこで保護された子供は皆亜人間」


 妙な口癖の男、リーマンは潜めたように声のトーンを落とし、続ける。


「あなたは知っていますか?あそこの、あの施設の実態を」

「……診療所も営んでいること、ですか?」

「いいえ。〈人身売買〉ですよ。あの施設は亜人間の子供を高値で売っている。あなたは知らないかもしれませんが、あの孤児院では数日の内に保護した子供が忽然と姿を消すのです。そして、院の誰も、そのことを問題としない」


 その子もいずれは。

 そう言って男は、アランの腕の中で呆けている少年を指差した。


「わたしたちはそんな施設から亜人間を保護する者です。あなたもあの施設に身を預けられているなら、亜人間なのでしょう。売られてしまう前に助けることができてよかった」


 それは宥めるように柔らかな口調で、相手を救いたいという想いに満ちた声だった。まさに悪を挫く正義。差し伸べられた手は自信の象徴。

 やりとりをうまく理解できていないエルフの少年は「アランちゃん?」と見上げ、アランは感心したように目を見開いてリーマンに頷いてみせた。


「お話はわかりました。とても大変なんですね」

「いいえ。ひとりでも多くの亜人間を救うことができれば──」

「いえ、リーマンさんのことではなくて、わたしはレンさんたちのことを言ったんです」


 その言葉に、リーマンの口元から笑みが消えた。陰が濃いフードの隙間から感じ取れる気配から、奥で眉が訝しげに動いたことが伝わる。


「孤児院と診療所を同時に営んで、パン屋さんもして、なのに亜人間の売買までしているなんて、皆さんとても働き者ですよね」

「……それは、本当にそう思っているのですか?」

「はい。もちろんです。わたしとしては、リーマンさんの話し方はまるでレンさんたちが悪い人みたいに言われていっみたいに聞こえたので、そっちの方がよくわかりません。いったい何が悪いことなんですか?」


 アランの瞳に嘘の気はない。心底からの本音。偽りのない尊敬。

 物心ついた時から奴隷として生きてきた彼女は、人間や亜人間が売られていく所を見てきた。同世代が高値で引き取られ、脱走を試みた年上が嬲られ、衰弱した年下が野に棄てられる様を何度も何度も見てきたアランの心は、もはや常識を判断するだけの道徳心は欠片程しかなかった。

 野菜が売られる八百屋を誰が非難できようか。腐った果物を破棄することの何が悪か。

 アランの中では人身の売買は野菜と同義。売るも買うも、売られるも棄てられるも、存在意義で捉えれば善悪の立てようがない。

 それを異常と捉えられないアランという人格の異常さに、戦慄したのはリーマンの方だった。


(こいつは、いったいどんな亜人間なんだ)


 同時に彼の中の、根拠のない、完全な直感が告げた。五感を越えた、予知にも近い本能的な何かが示した。


 彼女は他とは違う、稀少な生き物が混じっている。


 自然と右腕が上がり、その指先はアランに照準を合わせる。

 この時、アランの腕の中にいたエルフの少年が沈黙に耐えかねて身をよじり始めていた。話の半分も理解できず、立ちっぱなしの状態に飽きてしまったらしい。

 リーマンの指輪の紫色の小ぶりの石が光る。毒々しい光沢は徐々に輝きを強め、彼の右手首から上は毒を帯びたように映る。

 不穏な気配を感じてアランは少年を更に抱き寄せ、少年が背後の男を見れないようにする。すると少年は急に動きを止め、大人しくなった。

 あまりの早急な変化にアランは腕の中の少年の顔を覗き見て、驚愕に言葉を詰まらせた。


「アラン、ちゃん……。イタイ……なに……こ…え……」


 右目から頬にかけて紫色に顔が変色し、そばかすのように反対側にも紫の斑点が現れていた。苦痛に歪む幼子の瞳は涙に濡れ、アランの襟を掴んでいた手は顔を押さえ苦悶に震える。


「リーマンさん!この子にいったい何をしたんですか!?」


 アランの叫びに、リーマンはフードの奥で笑った。


「おや?わかりませんか。魔法ですよ。この毒の魔法はわたしが作った解毒薬を使わなければ消えません。大人しくついてきなさい」


 石が輝きを増す度に少年は呻き、己の顔を叩き始めた。頬や額が手の形に赤く腫れるも、それ以上に障気がジワジワと侵食を進める。血管が不自然に浮き出ては血は毒に侵され、柔らかな肌から染み出てくる。


「うぅっイタイ!イタイ…よぉ……!!」


 アランは少年を抱え上げながら体を捻って反転し、駆け出した。膝裏と肩に回した腕を強く抱き寄せると少年の肌から滲み出る紫の液体がアランの服を染める。

 そんなに深くまで来たつもりはなかったのに、出口をやけに遠くに感じた。

 昼過ぎでまだ薄暗い程度の路地が先ほどより暗くなったように思えるのは


「逃がさない!」


 左袖から現れた手は小振りで裸な刃物を握り、空を扇ぐような動作で投擲した。銀色の線の先はアラン。刃先は彼女のスカートを裂き、右ふくらはぎを抉った。 


「っ──!」


 声を殺した悲鳴が喉を震わせる。

 行き場をなくした血は強く押し出され刃に足にダクダクと流れ伝う。

 打ったような痛みが足全体に走ってアランは顔をしかめた。異物が入った違和感と脈打つ痛みに足が一瞬強張り、バランスを崩してよろけてしまう。


 しかし、アランは臆することなくすぐに体勢を整え走り続けた。


 筋肉に食い込んだ刃物は血を浴びつつも、押し当たる肉に刃を立てる。指一本分の穴を作って刃物は半端にアランの足に止まり、筋肉収縮に合わせて繊維を裂いた。血で切れが悪くなっているため殆どは神経を刺激して激しい痛みを発生させる。

 それでもアランの足は走ることを止めず痛みを無視してただ動き続ける。左足で地を蹴っては右足を出し、右足が地を蹴っては──血を撒き散らして──左足を出す、作業。


 通りは目前。出てしまえば後は簡単だった。路地とパン屋の間はそう離れていない。


 だが、追いついたリーマンの手がアランを捕まえる方が早かった。アランは長い髪を無造作に掴まれ、力任せに後方に引っ張られる。

 バランスを崩した体を支えようと足に力を入れるが、食い込んだ刃による激痛で踏ん張りがきかずアランは膝から倒れてしまった。少年を庇うために咄嗟に無理な体勢で倒れたせいで膝頭を強打し服越しに石畳が脚の皮を削ぐ。


「逃がしはしない」


 間近に迫ったリーマンの顔。

 それまでの良い人の仮面を脱いだ、剥き出しの狂喜と好奇心は眼を輝かせ、フードの奥に潜んでいた表情が露わになる。

 声に合った中年層の顔は目元にやや皺を残し、鼻から上にいくつもの切り傷野跡。黒い双眸に映るアランがよく出来た陶器人形のように見える程に焼けた肌。今にも涎が落ちそうな歪んだ口。

 保護だ救うだと言った先の話が脳裏に浮かぶ。眼前の男が果たして本当に亜人間の保護活動家なのか。その答えは明白。

 アランは背筋に寒いものを感じた。それは恐怖というより、どちらかと言えばドン引きに近い。不思議と彼女の頭は冷静で、故にどう足掻いても独りでこの状況を脱することなどできないと悟った。

 しっかと掴まれた長い髪、傷だらけで痛む脚、腕の中には毒に侵された子供。


(せめて、この子だけでも……!)


 渾身の力をもってアランは前に進む。血まみれの脚に鞭を打って膝を立たせ、体を前屈みにして通りに向かわんと力を込めた。引っ張られる髪は千切れんばかりにピンと張り、頭皮は剥ぎ取れんばかりの力を支えた。

 痛かった。無理やり引っ張られる頭も、刃物が肉に食い込んだ脚も、打撲した膝も。苦痛が意識を朦朧とさせ、激痛が意識を活性化させた。

 残った意識の全ては使命感のみに支配されていた。助けも許しも請わない。そんなことをするために動いているのではない。

 この少年を帰してあげなければ。ただそれだけを思って。


「このっ!」


 アランの抵抗も虚しく、馬が御者に手綱を握られているかのようにリーマンに髪を手繰り寄せられ、指輪をはめた彼の手が大きく振りかぶられるのを視認したアランは咄嗟に目を閉じた。


 その刹那、真っ暗なアランの視界は血色の良い色が広がり、同時に急激な熱と焦げ臭い匂いを感じた。


「ぅあ!なんだ!?」


 それまで髪を掴んでいた手が離れ、自由になった体がストンと石畳に落ちる。アランが恐る恐る目を開けると、数歩先では発火した袖の火を慌てて叩き消しているリーマンの姿があった。ローブに引火しそうになるのを防ぎつつ、叫びながらなんとか消火作業を続けていた。

 急な発火に巻き込まれなくてよかったと胸をなで下ろしつつ、しかしあまりに突然の事態にアランはすぐに動けなかった。

 背後から近づく薄い影がアランに覆い被さり、ザリッという砂と石畳が擦られた硬い音がする。


「どこに行ったかと思えば」


 声の主はアランを背に庇うように立つ。

 暗がりでもわかる見覚えのあるデザインの服と、風に煽られて小さくなびく前掛けエプロン。癖のある髪は路地の陰よりも黒く、ゆっくり見上げるアランは安堵に息をもらした。


「レンさん……!」


 作業着のレンはリーマンを小さく睨めつける。漸く火を消したリーマンは焦げた袖を押さえながら、フードの奥からレンを睨み苦々しく声を荒げた。


「お前、あの院の魔法使い……!」




 *************




 アランが退店した少し後、最初に異変に気付いたのはシェリーだった。


「ねぇ、アランはどこ?」


 店内を見回し、彼女の姿がないことに漸くその場にいた全員が気付いた。ベルがついているはずの扉の開閉に気付かなかったことに、やはり三人とも驚きを隠せない。

 後になって喫茶店の方から顔を出したハルトが状況を聞いている時には、レンは取っ手に手をかけ半開きにした扉から身を乗り出していた。小さなベルはやはりおごそかに音を立てる。


「オレ、外見て来る」


 閉じれば蝶番が擦れる金属音がし、ベルがしっかりと主張をした。

 ハルトもユキも訳知り顔で見送り、飲食店とパン屋を繋ぐ通路に背をもたれさせたハルトが自分の前掛けエプロンをユキに放り投げた。


「とりま、レンが帰ってくるまでお前店番な」

「はいはい。それでシェリー、今〝何人減ってる〟?」

「……わかんない……。やっぱり、そういう魔法が働いてるとしか……対策立ててもレジストできないところを見ると、かなりの魔法使いだと思うけど」

「そう。とりあえずこの話はまた後でするとして、僕たちはレンの帰りを大人しく待とう」

「レンを行かせて大丈夫かな?なんかあの子、アランのこと良く思ってないみたいだから……」

「そう言うシェリーはアランのこと気に入ってるんだな」

「そうね。あたしはあの子、気に入っちゃった。なんでだろ?」

「さぁな。まぁ何にしても、先に出ていっちゃったんだしあいつに任せようや。それに外に手掛かりがあった場合、索敵能力も戦闘力もあいつの方が向いてるしな」


「のんびり待とうや。どうせそんなに掛からない」


 そう言ってハルトはまた通路の奥に引っ込んだ。




 *************




 先の発火現象がレンによるものであることは、アランもリーマンも何となく察した。まだ空気に少し焦げ臭さが残っており、風にのってアランの鼻を刺す。

 おかげで我に返ったアランはレンの背中に向かって叫んだ。


「レンさん!この子が、あの人の魔法に当てられて!解毒にはあの人にしかできないそうなんです!」

「それに関しては策があるから気にするな」


 レンの赤い双眸が、より強くリーマンを睨み付ける。


「お前、魔術師だな」

「そういうあんたは魔導師だろ」


 リーマンはユラリと姿勢を戻すと、フードを目深に被って後方に下がる。

 指輪をした手が胸の辺りまで添えられ、青と紫の石が窺えた。いつの間にか光を失っておりただの宝石と変わらない。


「その指輪の石が魔法石だな」


 魔力に色を持たない魔術師が魔法を行使するための必須アイテム〈魔法石〉。

 魔石を特別な方法で加工したこの石を術者の身体に直接的、間接的を問わず触れさせておくことによって、その石が持つ〈色〉の魔法を行使することができる。一般的には指輪や髪飾りといったアクセサリーに加工して装備することが多く、大粒の石は杖の先端に取り付ける。

 魔術師による魔法の力量は、本人の資質の他に魔法石の強度や大きさも関係する。小さな石ではその恩恵も高が知れており、大粒の石は強い魔法の恩恵を受けられる。リーマンの場合、指先程度の大きさの石は本人に強い資質がない限り、まさにその程度の魔法しか使えないということだ。


「わざわざ魔法石をチラつかせて、自信家なのか馬鹿なのか」

「馬鹿のひとつ覚えみたいに、ひとつの魔法しか使えないあんたら魔導師に言われたくないな」

「なら試すか?」


 レンの赤い双眸が細められる。

 瞬間、空気に熱が伴った。熱風が辺りのゴミや塵を巻き上げ、周囲の者はジワジワと汗が浮かぶ中レンは涼しげな様子で熱風を受ける。


「お前がただの馬鹿か、大人しく解毒薬を渡す自信家か」

「……ガキが」


 リーマンは胸に当てた掌をそっとレンの方に向ける。

 拳ひとつ程の、装飾の少ない鏡のようなものが乗せられており、鏡面には魔法陣が描かれている。

 アランがそれを訝しげに観察していると、


「退かせてもらう」


 鏡面にヒビが入ったかと思うとリーマンの体は徐々に色を失い、すぐに奥の通路まで見えるほど透けていった。

 レンがひと睨みするとリーマンの周囲が橙色の炎に包まれるが、炎はリーマンのフードをすりぬけ、体を通り過ぎ、熱量を放出するばかり。

 火元を必要としない魔法の炎中、陽炎が立って揺らめくリーマンは確かに笑んだ。負け惜しみのようでいて勝ち誇ったような、自嘲のようで可笑しいだけなのか。裏が視えないのはフードのせいもあるのだろう。


 意味深な印象を残して、リーマンという謎の魔術師の姿は跡形もなく、幻や幽霊であったかのように消えた。


 炎の消えた路地に風が通り抜ける。熱をかき消してそこにいる者の髪を等しく撫で、通りからはそれまで気付かなかった賑やかしい街の声が聞こえた。

 人目につかないこの路地で起こったことなど、通りを歩いていた誰も気付いていない。自分たちが昼下がりの賑やかさに気付けなかったように。

 残されたアランたちは暫しその場に留まり、最初に動いたのは周囲に誰もいないことを確信したレンだった。アランの方を向いて目線を合わせ、彼女と抱えられた少年を交互に見て、言った。


「店に戻るぞ。こいつに掛かった魔法ならちゃんと解けるから、慌てずユキの言うことに従え。いいな」


 衰弱した少年を気に掛けた様子のない眼がアランを見ていた。赤い瞳は有無を言わさぬ迫力の塊。冷たい表情に事務的に動く口。

 陰のせいで今朝よりも暗く見える赤い瞳が迫る。真っ黒の前髪の先がアランの額に触れ、アランは初めてお互いの距離の近さを認識した。体を傾けて距離をとると、その分また詰め寄られてしまった。


「返事は」

「は、い……」


 気圧されながらも答えると、レンは漸くアランから離れた。それにいったいどんな意味があったのかはアランにはわからなかったが、ひとまず動きやすくなったことに安堵した。

 先に立ち上がったレンがアランに手を差し伸べる。暗がりでもわかる白い手に同等の白さの手が重なり、アランが起き上がるのわ助けた。


 先導するように歩き出すレンに、アランは黙ってついて行く。いまだアランに抱えられた少年の呼吸は細く、術師が消えても彼の肌に浮かぶ紫色の魔法の跡は消えてはいない。

 アランは冷静だった。魔法の指南を受けていない彼女は、当然魔法の解毒法など知らない。少年を救う手段など検討もつかない。リーマンから逃げたのは、本能的に彼の危険性を感じたからに他ならない。

 今はレンとユキに大人しく従った方がいい。余計なことは言わず、ただこの少年を救うことを最優先に動く。


 故に彼女は血にまみれ激しく痛む脚のことは告げず、意識的に自然な歩き方は見事レンを欺いてみせた。



設定掘り下げに掛かりますよ。

魔導師、魔術師、魔法使いの違いは大丈夫でしょうか。


雨が続き、各地で災害が相次いでますね。

皆様、天候健康には十分お気をつけ下さい。


ドンドン書いていきますので、か~ねるさんをよろしくお願いします!

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