1.プロローグ
初投稿。見切り発車。
書いていきながら成長したい。いえ、します。
雲が疎らに空を覆い、星も霞んでいた。
暗い夜を照らすのは見事な円を描く月のみ。柔らかな白い光は眠りについたモノに目を光らせ、昼間には見せない姿を照らす。太陽の下では穏やかな森の木々も、ちょこまかと活発に動き回っていた小動物も、心地良い風すらも、夜と月の前ではとても素直だ。良い子の仮面を捨て、恐ろしいまでにざわめき、不気味なまでに大人しい。
風が言う。月よ、こちらにございます。
木々が重ねる。そうですそうです、すぐそこです。
動物たちは黙す。疲れた我が身のため眠りを優先する。
山の中腹に光が躍る。木々の隙間を縫い、陰に隠れていたソレを見つけた。
草のベッドに横になり、土にまみれて丸くなる少女。土に残る跡は彼女のもとまで伸びており、這って進んでいたことが窺える。
年齢は十代半ばから後半といったところだろう。幼さの残る顔は泥で汚れ、腰ほどの長さの蒼い髪は縦横無尽に乱れていた。使用人を彷彿とさせるお堅い衣装は泥と皺でグチャグチャとなり、靴の片足はなくしてしまっている。
暫く月光が彼女を眺めていると、彼女も月光に気付いてゆっくり仰向けになる。露わになった白い肌は月の光でいっそう白く映り、若草のような緑の瞳が虚ろに瞬く。
声はなかった。半開きの口は冷たい空気を出し入れするばかり。大きく上下する胸は制服の圧迫感を強調した。どうやら彼女は着痩せするタイプらしい。
月は何もしない。優しい光を容赦なく注ぐばかり。
少女も何もしない。己の死期を悟って、これからの深い眠りを待つばかり。
別段外傷らしきものは見当たらない。しかし彼女はもう満足に動くことも叶わなかった。
彼女を蝕む病が、彼女をこの世から切り離す。
彼女はそれを承知していた。
だから棄てられた。使用人などいくらでも代えがきくと。ひとりの病にかまけてる暇などないと。
死んで惜しまれるものでもないと。
少女の中に哀しみはない。寧ろ多少の申し訳なさすらあった。雇い主や同僚に迷惑をかけてしまった。
健気なのか阿呆なのか、この期に及んで気にかけるのは他人のことばかりだった。きっと彼女のことを知る人物なら、お前らしいと一笑してくれたのだろう。
しかし今の彼女の状態を知るのは月ばかり。声かけてくれるものなどいない。
「……あぁ……」
絞り出した声はかすれて言葉にまで至れなかった。
誰も知らない、間の抜けた独り言。
──今夜の月は、とても綺麗ですね──
頑張って這ってよかった。元の場所では茂った葉に覆われて見れなかった。
少女の独り言に、周囲は和気藹々と反応を返す。
呼応するように風が吹き、木々は同意の声をあげた。
それが少女にとっては何より嬉しかった。病に苦しむ身でありながら、彼女の表情は次第に穏やかなものとなり、やがて小さな笑みを浮かべた。
あとは眠るだけ。
潔く己の天命に従い、全身の力を抜く。月に看取られるのは悪くない。
次第に重みを増す瞼に逆らわず、絵本を閉じるようにゆっくりと視界を狭めていった。
完全に閉じてしまう、その時だった。
(……足音?)
土を踏み締め草をかき分ける乱暴な音。それは一定のリズムを保って近付いているのがわかった。聞こえる様子から二足歩行の生き物。人間か亜人間かはわからない。
(散歩、でしょうか……)
やはりどこかズレた考え方だが、彼女がそれに気付くことはない。
本来ならば怯えるところなのだろうが、近付いてくる不審者より深刻な問題を身に宿している彼女が今更怯えるはずもなかった。
あまり時を経ずして足音は大きくなる。小枝の割れる音が鮮明に聞こえた。もうかなり近くまで来ているだろう。
やがて少女の閉じかけた視界に、奇妙なシルエットが現れた。辛うじて人型なのはわかるが、逆光で細かい所は見えない。帽子が顔の影をより濃くし、コートらしきものが風に揺れ、首を傾けて少女を見下ろす。
「…………」
もはや少女に、声を掛けるだけの気力はなかった。今にも落ちそうな瞼に従いたい気持ちだが、誰かが来たのに放って寝てしまうのも失礼ではないか思い、少女は瞼を精一杯持ち上げる。不審者に何を気遣っているんだとツッコむ者がいないのは誠に残念なことだ。
シルエットは肩を竦める仕草をし、少女に顔を近付けた。
「────」
何か音が聞こえる。
意識が朦朧とした彼女からしたら、眼前の者の語りなどその程度にしかならなかった。
そして、ソレが全て語りきる前に、少女の瞼は完全に閉じてしまった──
*************
多様な種族が神秘の中に生きる世界“アスタニア”
この世界には人間と、人間とは違う特徴を有した種族が存在し、そんな人間ではない特殊な人種は【亜人間】と総称される。
一定の繁殖力を超えない彼等は世界人口の半数以上を占める人間に数では劣るが、人間にはない特殊な能力や人間を超える力を持ち、亜人間はさらに多くの種族に分類される。中にはまだ判明していない種や人間に淘汰されてしまった種もあり、故に全ての亜人間が人間と共存しているわけではない。
とはいえ、人間と共に暮らす地域の方が大半であった。
その一つが、層楼都市“ニオルナ”
レンガで造られた建物は林立した高木のように一軒一軒が高く堅牢で、地面は隅々まで石を敷き詰めて舗装されている。
日が傾き始めた午後の日差しは暑くもなく、通り抜ける風は寒くもない。過ごしやすさもこの都市の魅力である。
賑やかな下町は自由商で賑わい、また様々な人種の往来で活気づいていた。露店で客寄せに精を出す男性、買い物をする女性、広場で遊ぶ子供たち、散歩中の老人。
それが人間であったり、また亜人間であったり、人間と亜人間が共に時間を過ごす光景さえある。
余談だが、人間の間でも差別意識が残っている者もおり、貴族の間では亜人間の奴隷が高値で売買されている。
熟れた果実のような太陽は、最後の一仕事と言わんばかりに空と街を赤と橙に染め、のんびり緑豊かな山に落ちようとしていた。
鮮やかに色付くニオルナの街並みの美しさは、雄大な自然のそれとは違う、文明的な壮大さにある。中、上層にいる、所謂【裕福な家庭の者】は、下の層の文化的な街を一望し、下層の者、所謂【庶民】は、上の層の洗練された建築物を見上げるのだ。
下層の噴水に腰掛けて上層を見上げる、彼のように。
「…………」
歳が二十歳前後程の青年は、ピクリとも動かず景色に集中していた。動きと言えば緩やかな風が彼の黒髪を揺らすソレくらいで、まばたきすらしない。
無表情なようで実のところ、彼は不機嫌だった。前髪の下の眉の端は少しつり上がり、彼の紅い瞳は上層を睨み付けている。
膝に置かれた二つの紙袋には食料品がギッシリ詰まっており、側面が所々変形している。買い物帰りに人と待ち合わせ、待たされている、といった様子だ。
「レン、待たせたな」
少し離れた所から歩み寄ってくるスポーツ選手のような体つきの男に、レンと呼ばれた青年は視線を向ける。歳は二十代前半くらいで、レンより頭ひとつほど背が高い。
「遅い。日用雑貨程度に手間取りすぎだぞ」
「俺のはお前と違って、今後のことを考えて吟味しなきゃいけないんだよ。洗剤一つ買うにしたって、色々種類あるからな。ユキと予算のことを考えて買い物してんだ」
片手に抱えた紙袋を見せつけるような動作をし、淡い青色の瞳で訴える男に対し、レンは無表情を崩さない。
「で、どんな洗剤買ったの」
「洗剤としては一応機能する、内容量が多めで安売りしてたやつ」
「つまり予算重視でユキに対する配慮は切り捨てたわけか」
「低コストでの買い物は、院のみんなの為になる。院のみんなの為になるってことは、ユキの為になる。ほら、ユキに対する配慮は忘れてないだろ?」
「ほとんどついで扱いだろ、それ」
悪びれた様子のない男の返答にレンは肩を竦め、それ以上詰問せず、自身の膝上の荷物を抱えて立ち上がった。男のこういった性格は承知済みらしい。
「オレは半刻も待たされた被害者だから、帰ったとき院の奴らが怒ってたら、『ハルトがのろのろ買い物してた』って言う」
「うわ、俺に責任丸投げかよ。まいいけど。ユキはどうせこの程度じゃ怒らんし、ノヴァさんは寧ろ遅れて帰ってくること前提に動いてそうだ」
そう言ってハルトと呼ばれた男は空いた手で藤色の髪を掻き、レンの隣に並び歩くのだった。
街の喧騒から少し離れた所にある白塗りの建物は、それまでのものとは一風変わったデザインではあるものの、シンプルさの度合いは同等なため別段浮いている雰囲気はない。広い敷地を丸ごと鉄柵で囲っているが、日中の門は誰でも自由に出入りできるよう開け放していた。
レンとハルトはまっすぐ門をくぐり抜け、木製の大きな扉を押し開ける。
「ただいま」
「帰ったぞ」
「レンにいちゃん、ハルにいちゃん、おかえりー!」
「おそいよにいちゃんー!」
「おそいからごはんかわっちゃったよー」
出迎えたのは、皆年端も行かない子供ばかり。
十人程の子供たちはレンとハルトの足元に群がり、我先にと己の心境を喋り始めた。動けなくなった二人の制止など興奮気味の子供たちの耳に入るはずもなく、レンは周囲に気を配ってゆっくりと、ハルトは慣れた様子でサクサクと、建物の奥に向かう。
吹き抜けの出入り口の先、キッチンでは、少し緑色を含んだ金髪の少年が鍋をかき回していた。
「二人ともおかえりなさい。思ったより遅かったね」
「ハルトがのろのろ買い物してた」
「そういうことだ」
「献立変えようってノヴァさんの提案に従って正解だったってことだね」
十代半ば程の少年は幼さの残る顔を二人に向け、賑やかしい足元にクスリと笑んだ。髪と同色の瞳は慈愛に満ちている。
「何笑ってんの」
「いや、いつ見ても微笑ましい光景だから、つい」
「ユキ、買ってきたものテーブルに置いておくぞ」
「うん、ありがとう。片付けはぼくがやっておくよ」
ユキと呼ばれた少年は再び鍋に視線を戻し、一掬いして小皿に移したそれを高々と掲げた。
「味見したい人ー」
「「「はーい!」」」
それまでレンとハルトに群がっていた子供たちは一変、今度はユキの足元に群がり出した。解放された二人はキッチンの調理用テーブルに紙袋を置いき、取り出した商品を並べていく。
「そういえば、ノヴァさんの姿がないけど」
「ノヴァさんなら客室だよ」
「客室?なんでまた」
「それがね、君たちが出掛けてる間に──」
「レン、ハルト、帰っていましたか」
背後から音もなく現れた人影に、その場にいた全員の視線が集まる。
ユキと同色の髪色と瞳の男性。歳は三十代後半程で、背はハルトと同じかそれ以上。黒いインナーに白衣と眼鏡が知的な雰囲気を醸し出し、優しい物腰は好感が持てる。
「ただいま、ノヴァさん」
「ただいま。客室にいたんだって?」
「おかえりなさい。えぇ、その通りです。一段落ついたので、こちらに戻ってきました」
「この前掃除したばっかなのに、なんでまた?」
ハルトの問いかけに、ノヴァは調子を崩さず答えた。
「庭で拾ったんですよ。怪我をして倒れているご婦人を」
一応話の流れは決めてあります。




