Strange days
約束の印は時を超える。
[I can't forget you and that days.]
友達を待って、放課後一人教室に残る。暇で仕方ないから、片手で携帯弄りながら、もう片方で鞄を探った。
お目当てを見つけ、鞄を抱えたまま袋を開ける。中身は新商品のお菓子。
後であの子にもあげよう、そう思っていたときだった。
「え?」
辺りが靄がかかったように白く染まっていく。
室内だし、朝霧じゃないし夕方だし!火事的な!?
内心パニックになりながら、友達の名を呼んだ。だけどその声は届くことはなかった。
段々霧は濃くなっていき、完全に視界が奪われた。
私、どうなるんだろう。
無臭の煙は害のあるようには思えなかったが、このまま晴れなかったらと考えると恐ろしい。
でも校内放送があるわけじゃないから、火事ではないのかも……そう考えていたら、徐々に霧が晴れてきて。
助かった!
そう思ったけれど、見慣れたはずの教室を見て絶望した。
「ここ、どこ?」
教室の大雑把な形はそのままなのに、何か違う。どこか古めかしくて。
外を見てみると、見知った景色は無かった。元々都会にあるわけではない学校が、余計田舎のように思える景色に囲まれていた。
「だからここ、どこだよ……」
何が起きたか私にはさっぱり分からなかった。
ガラ、と背後で音がした。
慌てて振り向くと、男子学生が立っていた。だけど制服は私の知るものじゃない。
相手の方も、目を見開いたまま固まっている。
「えっ、誰?俺のクラスの女子じゃねーよな、ってその制服どこの?」
「そっちこそどうしてここに?」
「それはこっちの台詞だって」
薄々感じた違和感を解き明かすために、私は必死で辺りを見回した。
彼は「おーい?」と呼び掛けてくるが、無視する。
「あった」
見つけたそれに駆け寄る。
「ねえ、あんた。今って1992年なの?」
「はあ?当たり前じゃん」
彼は私の隣に立って、同じようにカレンダーを見つめた。それから指差して、
「これがどうかした?」
と聞いてきた。
「言いづらいんだけどさ、タイムスリップしてきたみたいで」
「え、タイムスリップ?どういうことだよそれ」
眉間に皺を寄せている彼に、斯く斯く然々と説明する。
「そりゃ大変だな。何でまた、そんなことに」
「心当たりなんて無いよ。そもそもタイムスリップなんて信じられない」
次元って超えられるんだ、あれ、じゃあ肉体はどうやって?
気になることは沢山あったけど、今考えても答えは出ないからやめとく。
それよりも一番心配すべきなのは。
「これからどうしよう……」
「そっか、帰れないし居る場所もないんだ。じゃあ俺の家来る?」
何てことないように言った言葉に、思わずストレートに頷きそうになる。
いや待て待て、ラフに話してはいたけど、一応私女だからな、と心の中でつっこんでおく。
「私が気にしすぎなのかもしれないけど、私女だよ?良いの、簡単にそんなこと言って」
「え?でも困ってんだろ?」
「うん、まあ」
迷いながら返事をすると、にへらと笑った。
「じゃあいいじゃん。離れなら大丈夫だろ。簡易的だけど客間だからさ」
「本当に良いの?」
「良いって、困った人は助けるのが道理だろ?」
「ありがとう」
私はそう言って、鞄を持った。
「よーし、じゃあ行こう!」
元気な背中を見て、笑みが零れた。
もう既に、この時には私は惹かれていたんだ。
私は彼について行った。知ってるような知らないような道や景色に、ドキドキしながら歩く。
こんな格好だし、雰囲気勿論今時――2012年の女子高生だし。目立つに決まってる。
周りを気にかけていると、急に彼が振り返った。
「そんなビクビクしなくたって平気だって」
田舎だし?
肩を竦ませながら言った。私は「うん、まあそっか」と答える。
それから10分ほど歩くと、少し大きめな家が見えた。
「そこで待ってて、お袋に言ってくる」
「え、挨拶しに……」
「面倒なことになったら嫌だろ?」
ぽん、と肩を叩いてから彼は家に入っていった。私は門のところで待つ。
「お待たせ」
暫くして彼は戻ってきた。にっこり笑うと、「こっち」と私の手首を握る。
かあっと、そこが熱くなる。それなりの恋愛経験はあるのに、なんでこんな初々しい反応してんだろ、私。
小さい小屋みたいなところに着く。
「ここに居なよ。誰も来ないようにしとくから」
「ありがとう、本当に」
「いいって!」
そう言うと、彼は小屋の中に入っていく。私も「お邪魔しまーす」と呟いてから上がった。
彼は小屋の真ん中で待っていた。私が近づくと、傍の押し入れを開けて指差した。
「これ布団な。必要最低限しかないけどさ。他に欲しいもんとかある?あ、飯は俺が持ってく」
「大丈夫」
一通り辺りを見回す。思ったより汚くなくて、こまめに掃除しているのが伺えた。
「それにしてもお前、なんで来たんだろうな」
彼が座るから、私も合わせて座った。
「帰れるかな」
少し弱気になって言えば、優しく頭を撫でられる。
「大丈夫、ちゃんと帰れんだろ」
励ましの声が優しくて、思わず泣きそうになった。
少し、このタイムスリップの目的が分かった気がした。
次の日、朝食を持ってきた彼が言った。
「ここら辺、散歩してみる?20年後、どうなってるか教えてよ!」
私はそんな彼の無邪気な提案を受け入れた。楽しそうに笑う彼が見たくて。
支度を済ませて外に出る。やっぱり20年後とは違う景色に、物寂しさを感じた。
「全然違う?」
黙っていた私に、覗き込むようにして彼が問いかける。
「うん、流石にここまで田舎じゃないよ。畑も狭まってるし。……あ、でもこの公園はある」
都会はまだ賑わっているんだろうな、と考える。92年の知識は殆どないが、バブルが弾けた辺りだろうか?
「学校は?どう?」
「2012年は、もっと大きいというか、近未来的だよ。こないだ改築工事したばかりだし」
「へー!見てみたいなあ」
ブランコに腰掛けた彼は、学校の方を見ながら言った。未来を思い浮かべているのか、口元を弛ませながら。
「元に戻ったらさ、会えないんだね」
「俺もオッサンだろうからなー。37歳かあ」
「会える可能性も、低いもんね」
そう言ってたら、彼が急にブランコを降りた。私は構わず前後に揺らす。
「なあに?寂しいわけ?」
ふと顔を上げると、ニヤニヤ顔で彼が私を見ていた。
「は?んなわけ」
「俺は寂しいけどね」
始めは聞き間違いだと思った。それからよくよく考えれば、友達でも寂しいよな、と思い直す。
別に、彼が私のことを好きなんて証拠はない。未来から来た私なんて。
「そりゃあ、良くしてもらってるし。あんたが居なかったらどうなってたか分からないから。感謝してるし、寂しいよ」
「寂しいんじゃん」
笑みを崩さない。私は彼の柔らかい瞳から目が離せなかった。
温い風が纏わりつく。その風はあまり変わらなくて、私の胸をチクリと刺した。
「帰ったら、私一人だから」
「え?」
彼は再びブランコに戻り、私の方に顔を向けた。
私は続ける。
「両親居なくて、友達とかあんま信じられなくて」
「うん」
「でもあんたは偽善的じゃない、本当の優しさって感じがして、嫌じゃなかった。私が人を信じなきゃ始まらないな、って教わった」
優しい相槌。私が皆を心から信じれば、彼みたいに優しい相槌をくれるだろうか。
親が居るとか居ないとか、些細なことに引っかかることなく。
「でも少し怖くもある。また裏切られないかなって。あんたがいれば平気だと思うのに、未来にあんたは居ない」
「俺にそれを教わるために、過去に……?」
「戻りたい、でも戻りたくない」
「でも、行かなきゃだろ?」
こくり、と頷く。彼の顔が見れなくて、私は俯いた。
長居は迷惑にきまってる。それに、この世界自体に影響を及ぼしていたらどうするんだ。私は居ちゃいけない人間なのだから。
「引き留められないのが、辛いよ」
ふと腕を引かれる。温かいものにぶつかる。私はぎゅっと大きい身体に抱き締められた。
無意識に私は腕を回した。あまり泣かない私だけど、頬を伝う雫は拭わないでおいて。
「寂しいよ。折角会えたのに、また遠いところに、報われない場所に行く」
ゆったりとした声が全身に響く。余計に涙が溢れた。
「好きなのに、不毛な恋なんてさ」
「好きなのに、忘れなきゃいけないわけ?」
「ねえ」
彼の声に顔を上げる。すると私の泣き顔を見て笑った。
「意外と泣くね」
長い指が私の頬や目尻を拭う。
しょっぱい口付け。だけど今までのものよりもずっと愛しいキスだった。
「忘れないで、って言ったら怒る?」
「言わなくても忘れられないって」
終わりが近づいていることくらい、私たちは容易に推測できた。ただ別れのことしか考えられなかった。
「ピアス……開いてんだ」
彼が突然言い出して、私は自分の耳に触れた。
「右一個、左二個ね」
「ちょっと待っとけ」
そう叫んでから離れから出ていく。私は呆気にとられて暫くぼーっとしていた。
直ぐに彼は帰ってきた。
「これ!」
手を開くと、1セットのピアス。お洒落でシンプルだけど、それはターコイズだろうか、青緑の綺麗な小振りの石がついていた。
「綺麗だね」
「そーじゃねえって。片方つけろ」
「え?」
一方的に言って私の手に、片方乗せてきた。私は押されて、大人しく着けることにした。
「うん!」
そうにっこり笑うと、彼も耳につけた。それから「お揃い、良いだろ?」と言ってきた。
そんな彼が可愛く見えて、私も笑って頷いた。
「印。俺とお前が出会ったっていう」
「分かった」
「俺さ、絶対見つけてみせる」
かっこよく、どや顔で言ってのけた彼に頷く。未来で再会できても、結ばれることはないけれど。
「会えるだけで、十分だから」
「本当は一緒になりたいけどな」
肩を抱かれ、少し寂しげな声が響く。
良いんだ、あんたが元気にしてるっていうのさえ分かれば。
「外すなよ、それ」
「勿論。あんたも無くさないでね、私だけつけてるのも嫌だから」
「あったりめー」
選べない未来は、あまりに残酷なものだね。
足掻いてもどうしようもない事実に、私の胸は潰されてしまいそうだ。
「田舎って良いね……まあ、たまに来る分には」
「たまにって、失礼な」
私と彼は夕方の教室に居た。足音ひとつしないここで、私は綺麗な夕日を見つめる。
「何か、学べた?」
「うん?そうだね、もっと素直になろうって思ったよ」
「もっと気楽に生きていいんだよ。ここよりもっと気楽な田舎なんて沢山あるけどな」
あははっ、と彼は楽しそうに笑う。彼の言葉はすっと胸におりてきて、何も考えず納得した。
「でもさー、星綺麗だったろ?ああいうの見ると心洗われるよね」
「うん。都会じゃ見れないもんね」
「たまに新宿とか行くけどさ?慣れないな、あんな騒がしいとこ」
突然彼が恋しくなって。私はしみじみ語る彼に近寄って、抱きついた。
一瞬驚いた彼はすぐに顔をふにゃふにゃにして笑った。
「……好き」
小さく素直に気持ちを口にすれば、優しくキスしてくれた。
切なさでいっぱいで、愛しさに溢れていて、思い出が詰まっていて。忘れられないキス。
それでも幸せだった。大切な人に出会えた、その出逢い自体が幸せなものだと思えたから。
「愛してるよ」
自然に零れた彼の言葉。もうそれだけで悔いはないよ。
顔を上げれば、見知った情景。白い靄が足元に漂い始めた。
「え?」
「帰って。この靄、私が来たときのと同じだ。きっと帰れる」
「そんな急に?」
「何となく分かってたの。お願い、目の前で消えたくないっ」
「……分かった。また会えるといいな」
一歩、また一歩と離れていく。その間にも霧は濃くなっていって。
「たった数日だったけど、ありがとう。絶対忘れない」
「俺も」
零れそうな涙は堪えた。視界が少しだけ滲んだけど、彼の姿はまだハッキリと見える。
彼は扉の所まで下がったらしい。影しか見えなくなる。もうすぐ2012年に戻る、晴れたらもとの教室だ。
「「ずっと、好き!」」
最後に彼の声と私の声が重なった。
靄が晴れる。
私は先程まで立っていた場所にいた。自分の席を見れば、私の鞄。
教室を見渡せば懐かしい様子で、黒板横には2012年のカレンダーがあった。
「戻って、きた……」
「お待たせー!」
元気な声で人が飛び込んでくる。過去に戻る前に、私が待っていた友達だ。
「いやー、補習疲れた!」
「お帰り、お疲れ様」
鞄のところに行き、中から袋を取り出す。色んな味のアメが入っているもので、適当に取り出して彼女に渡す。
「おーサンキュー」
私も食べようと思って袋に手を入れる。手に触れたものを取り出すと、ぎゅっと胸が締め付けられた。
ピーチ味のアメ、彼にあげた味。「美味しい」って言って、そのあとキスしてくれて。
そのアメを口に放り込む。
唇の温もりが一瞬蘇って、私は口元を抑えた。
「じゃ、帰りますか。……あれ、どした?」
「う、ううん。何でもない。帰ろ帰ろ」
私は先に教室を出た彼女の後についていった。出る間際、一度振り返る。
今までずっと、それからこれからも暫く居る教室。彼の居た過去の教室とは違う様子だけど、ふいにダブって見えた。
私が居なくなったあと彼がどう感じたのかな、とかそんなことを考えた。私が居なくなった教室を見て、私みたいに思いを馳せているといいな。
「おーい、早くー!」
「うん!……ってか、あんたが遅かったんでしょーが」
「てへっ。あれ、そんなピアスしてたっけ?」
「あー、うん。大事な人に貰ったんだ」
「えー!彼氏?えっ私知らない!片方ってことは、まさかお揃いー?いいねえ!で、どんな人?」
私はこれからちゃんと前を向いていけるよ。
友達と別れた後、一人住宅街を歩く。思えば、彼の家と道のりが途中まで一緒だ。
そんなことを考えていた矢先、声をかけられた。
「久しぶり……もしかして、今日行ってきた?」
振り返ると、真っ先に目に飛び込んできたのは色褪せない青緑。
「……!」
昔の面影は十分で。すぐに分かった、笑顔の優しさが一緒だ。
37歳の"あんた"。
儚い、奇跡。