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eternity is lost

消滅のいぶき

作者: 雪月花
掲載日:2026/08/23


 目を覚ますと、キラキラとしたものが無数に見えた。

 緑の中を点々と光るそれは、いく筋もの線を描き、ボクに降り注いでいる。

 いたずらに風が空を撫でていくと、ボクに落ちる光の模様も逃げ惑うように動いた。


「……ふわぁぁ」


 ボクはむくりと起き上がり、片手で目を擦りながらもう片方の手で伸びをした。

 それからさっと隣へ顔を向けると、まだ眠っているロヤに飛びつき、頬を寄せて言う。

「おはよう」


 ロヤは瞼をゆっくりと持ち上げた。

 水晶のような透明な瞳がのぞき、木漏れ日を浴びて中に小さな金色の星が見える。

 ボクはその光景が大好きで、思わずうっとりと魅入っていた。


「おはよう、ティク」

 ロヤが大きくて暖かな手で、ボクの頭を撫でてくれた。

 そしてそのまま、ボクを抱きかかえて身を起こす。

 すると頭上を覆っていた透明な膜が弾け、森の冷んやりとした空気が流れ込んできた。


 ふるりと震えたボクは、思わずロヤにしがみつく。

 ゴツゴツと硬く、スラリとしている体。

 けれど、大きくて逞しくて——こうしていると、何も怖くないような気がした。

 

 ボクは頬を緩めながら、目を閉じてぐりぐりと彼の胸元に額を押し付けた。

 そうやってくっついたまま薄っすら目を開けると、ちょうど自分の体が視界に入ってきた。

 

 ……ボクはまだ小さくって、背もロヤの半分ほどしかない。

 ロヤに比べると、細くて弱そうな手足だ。


 その時、ボクの背中に彼の手が添えられた。

「捕まってて」

 ロヤは優しく囁くと、ゆっくりと立ち上がり、木の根に包まれた空洞から外へ出た。

 起きた後に必ず行う、森の見回りに出かけようとしたのだ。


 ボクたちが眠っていたのは、大きな大きな木の洞(うろ)のような窪みだった。

 そこから、自然とせり上がる石を踏んで地表へ出たころ、ボクは願い出た。

「ロヤおろして。ボク、もう歩くよ」


 彼は穏やかな笑みを浮かべ、ボクをそっと草の上へおろしてくれた。

 足の裏をつけた途端、地面から森の鼓動が伝わってくる。

 ぶわりと駆け巡るその感覚に思わず身を固めていると、ロヤがゆっくりと背を向けて歩き始めた。

「ついておいで」


 彼の長くて綺麗な髪がたなびく。

 そのしなやかな髪の隙間から、金色に煌めく糸のような模様が時折見えた。

 透明な膜に覆われたそれは、背中から羽のように垂れ下がっており、歩くたびに裾がふわりと広がった。

 そして緑豊かな大地を、さわさわと撫でながら滑っていく。

 すると模様は水が巡る葉脈のように、ほのかな光を走らせて輝くのだった。


 ボクは美しい羽に誘われるように、あとをついていった。

 自分の背中がむずりとしたので、慌てて手を当ててみる。

 けれどそこには、柔らかな皮膚があるだけで何もない。


 ……いつになったら、ボクにも生えるのかな?

 

 そんなことを考えていると、開けた場所についた。

 ロヤは、ぽっかりと空いた葉の隙間から日差しを浴び、気持ちよさそうに目を閉じる。

 ふわりと羽を真横に広げると、巻き起こった風がボクの頬をくすぐっていった。

 

「ティク、おいで」

 彼が振り向き、羽越しにボクを見つめた。

 伸ばされた手に導かれて、ボクは横に並んで手を繋ぐ。

 ひそかに仰ぎ見ると、ロヤの透き通る瞳と目が合った。

 その透明な瞳孔が、万華鏡のように色や模様を変えながら光っている。


「……きれい」

 ほぅっとため息と共に言葉をこぼすと、ロヤは愛おしそうにほほ笑んだ。


 彼は今、森と共鳴しているのだ。

 その姿は神々しくもあり、どこか畏れを感じさせた。


 すると共鳴の気配を感じてか、森の仲間たちがロヤに集まってきた。

 彼らは厚い透明な皮膚の中に液体が満ちており、空中をふよふよと漂っていた。

 色や形もさまざまだけれど、誰も言葉を発する器官を持っていない。

 けれど不思議なことに、彼らの言葉を感じることが出来た。


〈オハヨウ〉

〈ポポルスノ……ケシンサマ〉

〈キョウモ メガ キラキラ〉


 ロヤの周りを漂い始めた彼らは、口々に声をかけた。

 ロヤは「おはよう」と返しながら、そばに来た子に右手でそっと触れる。

 すると指の形が一瞬だけ溶け、くっついてしまった。

 けれどロヤが指を離すと、何事もなかったようにそこにあった。

 

 ……ボクらが、森の木や花、生き物といった相手に触れる時に起こる現象だった。


 ロヤと触れ合って満足した仲間たちが、今度はボクに向かって囁く。

 

〈……チイサイノ〉

〈マダ、ナニモ……〉

〈ドウシテ?〉


 そして決まって、嫌なことを言い合うのだった。


「…………」

 何も言い返せないボクは、小さくなってうつむいた。

 思わず繋いでいる手に、ギュッと力を込めてしまう。

 すると頭上から、柔らかな声が降って来た。


「みんな気になっているんだよ。次のポポルスの化身が」

「……そうかなぁ。ロヤと同じはずなのに、ちっとも一緒じゃないよ。ボクは本当に化身なの?」

 ボクは潤ませた栗色の瞳をロヤに向ける。


 彼は、肩先まであるボクの髪を梳かすように撫でた。

「今はそれでいいんだ。この髪のように少しずつ成長するよ。それに私は、ティクがそばにいてくれるだけで嬉しい」

 ロヤがいちだんと優しい笑みをこぼした。

「……ボクもロヤが大好きだよ」

 彼につられて、ボクも泣きべそのまま笑顔を浮かべた。

 

 すると遠くから、淡い桃色をした森の仲間が、ふわふわとこちらにやってくるのが見えた。

「スー!」

 ボクは繋いでいた手を離して、二、三歩駆け寄った。


〈マタ ナイテタノ?〉

 目の前でピタリと止まったスーの声が、頭の中に響いた。

 同時に、彼女がその身を震わせる。

 まるでクスクスと笑っているみたいだ。


「またって……それに泣いてないよ」

〈ナキムシノ ティク ナノニ?〉

 スーがするすると、体の中から細い紐のようなものを伸ばした。

 それは二本あり、ちょうど短い手にも見える。

 ボクは伸ばされた片方を手のひらで受け止めた。

 触れ合った瞬間、輪郭が混じり合う。

 するとスーのことを、少しだけ感じ取ることが出来た。


「元気なようだね」

〈ウン。ナデルノ ウマクナッタネ〉

 スーがボクの周囲をくるりと回る。

 ちょうどその時、後ろからロヤに呼ばれた。


「ティク、フュルシアの花の様子を見にいこう」

「あ、ボクその場所分かるよ!」

 ボクはスーにさよならを言うと、ロヤの元へと舞い戻った。




 ――――――


 深い森の中を、ボクは意気揚々と進んだ。

 時々振り返っては、ロヤがちゃんとついて来ているか確認する。

 そのたびに、彼はふっと表情を緩めた。


 ボクは前に向き直ると、密かにニヤニヤした。


 よし、あの白い木を右に曲がれば、もうすぐのはず。


 少し息を切らしながら目的地に近づいていくと、足の裏から感じる森の気配が、なんだか騒がしいものに変化していった。

 それが良くないものへと変わった時には、湖の広がる場所にたどり着いていた。


 湖岸に立ったボクの隣に、ロヤが静かに並び立つ。

 二人して銀色に煌めく湖面を見ていると、ボクはいつもと違うことに気づいた。


「あれ? 何だか濁ってる?」

「フュルシアの花が、たくさん枯れてしまったようだ」

 ロヤの声に憂いが混じる。

 彼はおもむろに湖へと足を入れた。

 水紋が広がり、風に揺れた木々がざわめく。

 

 ロヤは輪郭がゆらぐのも構わずに、湖の奥深くへと入っていった。

「ロ、ロヤ……」

「ティクはそこにいなさい」

 追いかけようとしたボクを、背中越しに制する。

 ボクは彼をつい、じとりと見つめた。


 ロヤの羽が、湖の中をたゆたうように泳いだ。

 すると彼は共鳴を始めた。

 羽先に宿ったほのかな光が、付け根へと駆けていく。

 同時に、線と丸が織りなす模様が浮かび上がった。

 湖はそれに応えるように、静かに波打った。


 やがてロヤは頭の先まで沈み、見えなくなった。

 けれど彼の通った場所だけが、濁りが溶けて少しずつ澄んでいく。

 

「……ロヤッ!」

 たまらなくなったボクは湖に飛び込み、かき分けるように進んだ。

 すぐに足がつかなくなり、息を大きく吸い込んで勢いよく潜る。

 目を凝らして進むと、深い湖底に立ち、何やら話しかけているロヤの姿があった。


『さぁ、姿を見せて』


 ——確かにそう聞こえた気がした。

 するとロヤを囲むように、フュルシアの花が一斉に咲き乱れた。

 それはどんどんと広がっていき、殺風景だった湖面は紫や水色、柔らかい黄色に彩られていった。

 同時に辺りは澄み渡り、鮮やかな青色の美しい湖に変わる。


「…………っつ!」

 見惚れて動けずにいたボクは、急にゴボリと空気の塊を吐いた。

 慌てて湖面へと水をかく。

 

「ぷはっ! ……ゲホッ、ゴホゴホ!!」

 顔が出た瞬間、大きく息を吸い、同時に激しく咳き込んだ。

 するとひょいっと体が宙に浮き、気づけば逞しい腕に抱きかかえられていた。


「私の振る舞いを見ておくのは大事だけれど、無理をしてはいけないよ」

 ロヤがそう言いながら、ゆっくりと背中を撫でてくれた。

 彼の筋張った指が、大切なものに触れるように皮膚を辿っていく。

 そんなロヤにしがみついて肩越しに湖面を眺めていると、いつの間にか地面に変わり、柔らかな草地に降ろされた。


 ペタンと足をつけて座り込んだボクは、恨めしそうに彼を見上げる。

「いつになったら、ロヤみたいになれるの?」

「大丈夫。ティクも時がくれば……」

 しゃがみ込んだロヤが、ボクの右頬に手を添えて続けた。

「必ず望むものになれる」


 彼の低い声が、心地よく染み込んでいく。

 ささくれたボクの心を、少しずつ癒していくように。


「いつか……ボクもロヤみたいになれる?」

「もちろんさ」

 すぐさまそう言ったロヤが、目を細めてゆったりと笑った。

 ボクは照れくさそうに小さく笑い返した。

 



 **===========**


 背もだいぶ伸びて、髪も腰ぐらいまで伸びたころ。

 ボクは森の中を一人で歩いていた。


〈ア、ポポルスノコ〉

〈ナニシニ キタ……?〉

〈コンニチハ!〉


 ポポルスの化身として、相変わらず大したことは出来なかったけれど、ボクを受け入れてくれる森の仲間も出てきた。

 挨拶をしてくれた緑色の仲間が、ふよふよと近づいてくる。

 手を差し出して待っていると、彼は手のひらにポヨンと当たった。


 その瞬間、ボクの手の輪郭がゆらぎ、彼との境目があやふやになる。

 すると、この子のことを感じ取ることが出来た。


「こんにちは。オーン」

 ボクはニッコリ笑い、分かったばかりの名前をさっそく呼んでみる。

〈アハハッ。ハジメテ ナデテ モラッタヨ!〉

 彼はボクの手で跳ね返るように方向を変え、またふよふよとどこかに行ってしまった。


 そんなオーンの姿を眺めていると、淡い桃色の仲間が、遠くからボクをもじもじと見つめているのに気がついた。


「スー! どうしたの?」

 ボクが呼びかけると、彼女はそろそろと近づいてきた。

 短い紐のような手で、あまり見かけない仲間を引き連れながら。


〈エット……ワタシニ ト(・)ク(・)ベ(・)ツ(・)ガ デキタノ 〉

 二人は、ボクの目の前で隣り合って浮かんだ。

 乳白色をしたもう一人が、少しだけボクに近づく。

 手のひらを上に向けて差し出すと、その子はボヨンと乗った。


 ボクは目を閉じて、体に流れ込む感覚に身を任せる。

 そしてほほ笑みながら、瞼をゆっくりと持ち上げた。


「…………ジウっていうんだね」

〈ヨロシク!〉

「よろしくね」

 手を少し下げると、離れたジウがスーの隣へ寄り添うように戻った。


「スー、おめでとう」

〈アリガトウ〉

 彼女の体がふるりと揺れた。

 いつもみたいに、クスクス笑っているのだろう。


 嬉しそうな友達を見ていると、ほんの少しだけ寂しさが込み上げてきた。

〈……ドウシタノ?〉

「ううん。なんでもないよっ」

〈ア! ショゲテル!〉

 スーが楽しそうに、ボクの周囲をくるりと回った。

 ボクは頬を薄っすら染めて、ムスッとしながら言った。


「と(・)く(・)べ(・)つ(・)が出来てよかったねー」

〈ナァニ? ウラヤマシイノ? ティクノ ト(・)ク(・)ベ(・)ツ(・)ハ ケシンサマ デショ?〉

 彼女は軽やかに言うと、またジウに腕を伸ばした。

 まるで手を繋ぐようにペタリとくっつけて、二人揃って漂い始める。


 ボクはそんなスーたちに目を向けながらも、さっき言われたことを反芻していた。


 ……ボクのと(・)く(・)べ(・)つ(・)は……ロヤ……なの??


 するとふいに風が吹き抜け、ボクの体は揺れるように輪郭をにじませた。




 **===========**


 毎日欠かさずに行う森の見回り。

 ロヤは今日もいつもの場所で羽を伸ばし、瞳に七色の星を瞬(またた)かせていた。


 太陽の光が柔らかく彼に降り注ぎ、周りの木々がさわさわと揺れる。

 その姿は、森と楽しそうにお喋りをしているみたいだ。


 ボクは少し離れた場所にある倒木に座って、ロヤの様子をじっと眺めていた。

 

 彼は誰よりも森を愛していた。

 そんなロヤを、ボクは心の底から好いていた。

 

 ——ひとりで森を守る彼の、役に立てるようになりたい。

 

 けれど気持ちがはやるだけで、ボクはちっともロヤみたいには出来なかった。

 早く大人になりたいのに、体も小さくて丸っこいまま……


 ボクは思わず、両手を目の前に掲げて見つめた。

 するとそこに影が落ちる。


「ティク……?」

 気がつくと、ロヤがそばまで来ていた。

 ボクは慌てて両手を下げる。

「な、何?」

「西の森に出かけるよ。行こう」

 ロヤがそう言って、わずかに目を伏せた。


「……うん」

 ボクは彼を見つめたまま立ち上がった。




 ――――――


「うわぁ……っ」

 西の森につくと、淀んだ空気が蔓延していた。

 あちこちで草木が変色しており、森の仲間たちも元気がなく地面に留まっている。


「病気のようだ」

 後ろに立っていたロヤの低い声が響いた。

「病気?」

 振り返ったボクに、彼は頷いてからポツリとこぼす。

「このまま広がると、森が死んでしまう……」

 

 ロヤがゆっくりと羽を広げた。

 透明な膜に覆われた翅脈の中を、淡い光が駆け抜けていく。


 その姿をぼんやりと眺めていたボクは、ハッとしてロヤのそばへ寄った。

「どうするの?」

「ここ一帯を無に戻そう」

「え? 無に……?」

 思わず眉をひそめて彼を見ると、その瞳が一瞬、深い深い黒色を宿した気がした。


 ロヤはボクから森へと視線を移し、厳かに言葉を紡ぐ。


「還りなさい」


 すると森がパタッと止まった。


 みるみるうちに植物は葉を落とし、黒くなっていった。

 森の仲間たちまでも色褪せていき、形を失っていく。

 そして音もなく、土へと還っていった。


 ……生きとし生けるものすべてが等しく。


 目の前の光景が、あっという間に崩れ落ちてしまった。

 あとには灰色の砂が残るだけで、小さな風に吹かれてサラサラと流れていた。


「死ん……じゃった……?」

 ボクはフラフラと前へ出た。

 灰色の地面を踏んでも、足の裏からは何も伝わってこない。

 初めて味わう奇妙な感覚に、背筋が凍った。

「…………」

 呆然と立ち尽くしていると、いつのまにか隣に来ていたロヤが、ボクの肩に手を置いた。

「大丈夫だよ」


 物言いたげにボクが見上げると、彼は穏やかな視線を遠くへ向けていた。

 その瞳は水晶のように美しく、まるでロヤにしか見えない世界を映しているかのようだった。

 彼はほんの少しの哀しみを乗せて言う。


「命は巡る。どこまでも」

 

 ボクはなぜだか不安になり、ロヤにそっと寄り添った。




 **===========**


 ボクの体は、ずいぶん大きくなった。

 手足もスラリと長くなり、背丈もロヤより頭ひとつ分小さいだけだった。


 ——もう〝大人〟なんじゃないかな?


 湖岸にしゃがんだボクは、両手をついて湖の中を覗き込む。

 けれどそこには、栗色の瞳のままの……化身様とはほど遠い姿が映っていた。


 しばらくそのままでいると、肩からサラサラと長い髪が落ちていく。

 やがて湖面にも落ち、扇のように広がった。


「……まだ、背中の羽も生えない」

 ボクは湖の中の自分に訴えた。

 そして、そっと手を伸ばす。

 湖面に触れた途端、むくれっ面のティクは消えて、奥底で咲き誇るフュルシアの花たちがあちこちに見えた。

 同時にボクの手の形がゆるみ、湖と同化していく。

 

「……共鳴なら、だいぶ広く出来るようになったのに」

 ブツブツ言っていると、森の仲間が湖の底から浮かんできた。

 楕円形の体の先だけを出して、水の流れのまま湖面を漂う。


〈……ポポルスノコ、ドウシタ?〉

 

 ボクは浸していた手を引き抜き、何か言おうと口を開いた。

 その時、不吉な気配に肌が粟立った。

 すぐに立ち上がり、森の奥へ顔を向ける。


「ロヤ……ッ!」

 ボクの体は、考えるより先に動き出していた。




 何かに引き寄せられるように走り続けていると、遠くにロヤの姿が見えた。

 けれどいつもは悠然と立っている彼が、地に伏せている。

 痛いほど胸が騒ぎ、ボクは叫びながら駆けつけた。


「ロヤ! どうしたの!?」

 膝をついてロヤの体の下に腕を回し、助け起こす。

 大きくなったから、こんなことも出来るようになったと意識の外で思いながらも、彼の顔を覗き込んだ。


「…………ティク、ありがとう。少し疲れてしまったようだ」

 ロヤがそう言って目を開けると、わずかに万華鏡の残り火が見えた。

 彼はゆっくりとその瞳を動かし、チラリと自身の羽を見る。

 つられてボクも辿ると、ロヤの美しい羽模様は、1箇所だけ不自然に途切れていた。

 途中の線が、消えて無くなっている——


「……っ!!」

 ボクは勢いよくロヤに抱きついた。


 ……どういうこと?

 ロヤは疲れたことなんてない。

 倒れたことなんてない。

 弱ったことなんて——


 ボクは胸の鼓動が少しでも落ち着くように、ロヤを力強く抱きしめた。

 すると彼は両腕でボクを包み込むと、ゆっくりと背中を撫でる。

「大丈夫。私はどこにも行かないよ」


 静かな声で、ロヤがボクを宥めた。

 暖かいその指先は、何かを確かめるようにボクの背中の起伏に這わせている。


「でも、模様が……」

 涙が溢れてしまいそうになり、ロヤの胸元に顔を埋めた。

 そんなボクの耳元で、彼が柔らかく話す。


「時が来たんだよ。私はここまでのようだ」

 

 同時に、背中にスッと何かが走った。

 ロヤが爪でボクの皮膚を裂いたようで、激痛が駆け抜ける。


「うぁあっ!」

 思わず天を仰いで叫んだ。

「あともう少しだから」

 ロヤがそう言って、またボクの背中を切り裂いた。

 あまりの出来事に、痛さに、絶叫する。


 気が動転したボクは、ロヤを突き飛ばすようにしてその場を逃げ出した。


 

 

 走って、走って——

 がむしゃらに進んだ先は、さっきの湖だった。

 その中に隠れるかのように、バシャバシャと入っていく。


「ううっ……」

 水の冷たさに漏れ出たうめき声は、次第に嗚咽へと変わっていった。

 背中の傷の端が水面に触れたところで、ボクは立ち止まって自分の肩を抱く。


 ロヤがボクに、酷いことするなんて……!

 

 するとその時、聞き慣れた声が頭に響いた。

〈ティク、ダイジョウブ?〉

「……スー」

 前を向くと、子どもを三人連れた彼女がふわふわと浮いていた。


〈ケガ シタノ?〉

 スーが少しだけ前に出て、その紐のような手を伸ばしてきた。

 そしてボクの頬を流れる雫に、遠慮がちに触れる。

 次の瞬間、スーとボクの境界はなくなり、彼女の全(・)て(・)が流れ込んできた。


「スー、ありが——」

 弱々しく笑ったボクは、その初めての感覚に表情を無くしてしまう。

 すると、いつのまにか背後に回った子どもたちの声が聞こえてきた。


〈イタソウ〉

〈チガデテル〉

〈デモ、キラキラモ……〉


「……え?」

 ボクは背中に手を回してみた。


 ぬるりとした感触。

 ピリッと走る痛み。

 そして——

 何かの出っ張り。


 ……羽だ。

 ボクの背中から、あの羽が生えようとしているんだ!


「ちょっと離れて」

 ボクはそう言うと、湖面すれすれに顔を近づけて背中を丸めた。

 指を組んだその姿は、これから祈りを捧げるようだ。

 けれど傷口がさらに開き、血がてらてらと流れ落ちていく。

 ズキズキする痛みに耐えながらも、ボクは目を閉じた。


 やっと——

 やっと大人になれる。


 ボクは背中に力を入れた。

 すると黄金に輝く光の線が、蔓が伸びるように天へと向かって生えていく。


 これでロヤの——

 役に立てる。


 倒れてしまった彼。

 一人でこの広大な森を守ることは、想像以上に大変なのだろう。

 これからはボクも、一緒に背負っていける。


 額に大粒の汗をかきながらも、唇の端を緩めた。

 背中が重くなるのにつれて、体が真っ二つになっていくような錯覚に陥る。


 だから——

 こんな痛みなんか……っ!


 その時、いつかのロヤの声がした。


『必ず望むものになれる』


 ボクが望むもの。

 それは——


「あああああああっ!!」

 

 絶叫と共に、背中がめりめりと音を立てた。

 ずるんと何か塊が出た感触があり、あとはそれに引っ張られてスルスルと流れ出ていく。

 やがて先がポチャンと水の中に入ると、じんわりと広がりながら、ほぐれていった。

 すると水を初めて吸った根のように、翅脈の中を目まぐるしく光が駆け巡る。

 

 ……ボクがようやく目を開けると、離れていたスーがこっちへ来ていることが、見なくても分かった。


〈ティクガ ケシンサマニ ナッタ! ハネモ、メモ、トテモキレイ!〉


 体を起こしたボクは、スーに視線を向けた。

 その瞬間、世界が違って見えた。


「——————っ」

 

 スーの、湖の……森の全てが分かるのだ。


 羽を通して流れてくる森の感情。

 そこらかしこから聞こえる森の息づかい。

 目まぐるしいほどの、生と……死の匂い。


 ハッとしたボクは、思わずスーをすがるように見た。

「どうしよう、スー。ロヤが……」

 ボクの消え入りそうな声に、辺りの空気がピタリと止まった。

 しばらくして、また漂い始めたスーが優しく告げる。

〈ソバニ……イテアゲタラ ドウ?〉


「…………」

 ボクはこくりと頷くと、湖から静かに這い出た。


 いろんなことが分かるようになった代償に、知りたくないことも知ってしまった。

 ショックで魂が抜けてしまったかのように、ふらりふらりと歩いていく。

 妙に重くなってしまった体を、引きずりながら……


 スーはそんなボクの様子を、じっと眺めていた。

 子供たちが不思議そうに、立ち去るボクの背中と母親を交互に見る。


 それに気づいたスーが、静かに教えた。


〈ケシンサマモネ、コノモリデ イキテイルノヨ……〉




 ――――――


 寝床がある大木に帰ったボクは、その根元で片足を立てて座るロヤを見つけた。

 ふわりと浮かぶ森の仲間たちに囲まれていた彼は、まどろむように笑みを浮かべている。


 いつもと変わらない暖かな光景に、ボクはゆっくりと近づいていった。

 すると地面に広がるロヤの羽から、模様が消え失せていることに気づく。


「…………」

 ボクが持ち込んだ張り詰めた空気に、森の仲間たちは波が引くように離れていった。


 ロヤはゆっくりと顔をあげて、ボクを捉えた。

 反対にボクは目を逸らし、ぽつりぽつりと喋り始める。


「ロヤ、ボク……やっと……」

「あぁ。よく見せて」

 彼が柔らかく笑いながら手を伸ばした。

 ボクはその手に自分の手を合わせると、彼の足の間にペタンと座り込む。


「わぁっ!」

 けれどすぐさま手を離した。

 触れ合った瞬間に、何かが一気に流れ込んできたのだ。


 驚いて目を丸めるボクを見て、ロヤがクスクスと笑う。

「うん、無事に成長出来たみたいだね」

「…………でも」

 ボクは自分の体を見下ろして続けた。

「ロヤと同じじゃないよ」

 羽が生え、瞳も変化したけれど……更に丸みを帯びた体になっている。

 

 するとロヤが、ボクの体を包み込むようにそっと抱きしめた。

「いいんだよ。とても綺麗だ」

「…………」

 ゴツゴツとした彼と肌を合わせると、余計に自分の体の柔らかさを感じた。

 同時に、やけにこそばゆい気持ちにもなる。

 けれど次第に、言いようのない気持ちが胸の奥から湧き起こってきた。


 ボクはロヤに身を委ねるように抱きしめ返した。

 触れ合ったところからは、絶え間なく何かが流れてくる。

 ロヤのことが、彼の全てが、否応なく感じられるようになっていく——

 

 ボクは身を震わせながら、ロヤに伝えた。

「……ロヤ、ボクを一人にしないで」

「大丈夫。ティクは一人じゃない。今までも、これからも」

 ロヤが体を少し離して、ボクの頬に手を添えた。

 その手に促されて上を向くと、彼のどこまでも優しい瞳とぶつかる。

 まるでそれを待っていたかのように、ロヤが告げた。


「愛してるよ」

 

 ぽぉっと見惚れていると、彼の顔が近づいてきて、唇同士が重なっていた。

 何をしているんだろう?と思ったけれど、大量に何かが流れ込んでくる感覚に、かき消される——




 気がつくとボクは、木の洞(うろ)にある寝床に横たえられていた。

 天井からは、木々の隙間から月明かりが差し込んでいる。


 ボクに覆い被さるロヤは、成長した姿を確かめるように、余すところなく触れていった。

 彼の暖かさを感じたところから溶けて混じり合い、誰のものか分からなくなっていく。

 そしてロヤから送られてくる……森の記憶。


「うぅ……ふぅぅ……」

 ボクは思わず彼にしがみつきながら、涙を流した。

 さっきからずっと、ロヤから受け渡されるものを取りこぼさないように必死だった。

 けれど……託されているものの壮大さに、不安になってしまう。


「…………」

 ロヤはその度に、ボクの頭を優しく撫でてくれた。

 そして顔を覗き込み、穏やかに笑う。

「七色に光る星空みたいで、綺麗な瞳だ」


 言われて初めて、ロヤの瞳がもう光らないことに気づいた。

 けれどすぐに何もかもが真っ白になって、彼との境界線が曖昧になっていく。


 そうしてボクたちはやがて、ひとつになった。




 **===========**


 木漏れ日を浴びて目覚める朝。

 ポポルスと呼ばれる大木の洞(うろ)から、ボクはゆっくりと外へ出た。

 すると風が吹き、ボクの髪をさらりと揺らす。

 木の葉も騒ぎだし、地面に映る丸い模様が、忙しなく様相を変えた。

 

 その光の線の中を、ふよふよと漂うものがいた。

 淡い桃色をしたスーだ。


〈ティク……ジャナクテ、ポポルスノ ケシンサマ……〉

 彼女はふらふらとやってきた。

 ボクが手を伸ばすと、一休みするかのように寄りかかる。


 どうやらボクを心配して、様子を見に来てくれたようだ。

 もう若くない彼女にとっては、無理するほどの距離を移動して。


「ありがとう」

 ボクが慈しみを込めて伝えると、スーは手からそっと離れ、体を右に左にと半転させた。

 まるでキョロキョロしているようだ。


〈アレ? モウヒトリノ ケシンサマハ?〉


「……ロヤは消えてしまったけど、ボクの中にいるよ。それに……新しい命も」


 ボクがそう言うと、また風が吹いて森がざわめいた。




 ——————

 ————

 ——


 新しい命は、無事に生まれ落ちた。

 けれど透明な繭に覆われており、子はその中で眠り続けていた。

 そうして卵の中のヒナのように、丸まったままスクスクと成長していき——

 髪も生え揃い、体が倍ほど大きくなったころ、外に出てくる時期を迎えた。

 

 日差しの気持ちいい日には、ボクは透明な繭を大切に抱き上げて、大木のそばの草地に置いてあげた。

 手を離す前に繭の上からそっと頭を撫でると、返事のようにもぞりと動いた。

 思わずほほ笑んでから、隣に腰を下ろし、一緒に太陽の光を浴びる。

 

 そうすると決まって、ボクの周りには森の仲間たちが集まった。

 みんな、次のポポルスの化身が出てくるのを、今か今かと待ち侘びているのだ。

 今日も見守っていると、仲間たちの垣根の奥から、薄桃色の小さな子がおずおずとやってきた。


 ボクはひと目で気づき、口元を緩めた。

「君は……スーの孫になるのかな? 素敵な色をしているね」

〈ウフフ。アリガトウ、ケシンサマ!〉


 ボクが手を差し出して撫(・)で(・)て(・)あげると、彼女は嬉しそうに身を震わせた。

 そうしてまたふよふよと漂いながら、みんなの元へと戻っていく。


 ボクは遠ざかっていく彼女の姿を、目を細めて眺め続けた。

 この特別な瞳で見る世界は、とても鮮やかだった。

 中でも命の煌めきは……生まれたばかりの若い命は、なんて綺麗なんだろう。

 可能性という光で、輝いて見える。


 ボクは隣の我が子に視線を移した。

 まだ繭の中で眠っているというのに、命の輝きはこの子が一番強かった。

 その存在は、胸が締め付けられるほど美しくて力強い。

 

 愛しい子を守りたいと強く願ったからか、ボクの体は大きく逞しいものへと徐々に変わっていった。

 まるであの、ロヤのように……


〈ア、チイサイノガ……ッ!〉

〈ケシンサマ!〉


 その時、繭に一本の線が入った。

 すぐに何本か等間隔に入ると、先端が花びらのように開いていく。

 ボクが身を屈(かが)めて覗き込んだ時、ちょうど繭の花びらは綺麗に咲き切り、覆いがなくなった我が子が目を開いた。


 ボクは嬉しさのあまり、ひょいと抱き上げた。

「おはよう」


 まだ寝ぼけ眼(まなこ)の子は、ボクをぼんやりと見つめて焦点を合わす。

 栗色のまあるい瞳の中に、そわそわしているボクが映っていた。


「……だれ?」

「ボクは——」

 そこで言葉を切った。

 小さく息をついて仕切り直す。


「私はロヤ。君はティクだよ」

 そしてニッコリと穏やかに笑った。


 腕の中にいる宝物は……

 ボクの子であり、将来のと(・)く(・)べ(・)つ(・)だ。


 そうして次へと、想いを託していく。



 命は巡るんだ、どこまでも。


 ……どこまでも。


 

 

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