魔獣
「やったー!道だぁー!!」
弾けるようなランスの声が、森にこだました。
「良かったぁ……もう獣道はこりごりです……」
リコリスも思わず肩の力を抜く。
背の高い木々が途切れ、視界いっぱいに光が差し込む。長く続いた獣道を抜け、ようやく人の手が入った砂利道へと出たのだ。
足元は安定していて、滑る心配もない。枝に頬を引っかかれることも、ぬかるみに足を取られることもない。
それだけのことが、こんなにも嬉しいなんて。
「天国みたいですね……」
リコリスがそう呟くと、ランスは大きく頷いた。
二人の顔には、久しぶりに安堵の色が浮かんでいた。
――だが、その平穏は、あまりにも脆かった。
「後ろ……魔王軍だ。」
低く鋭い声が、背後から飛んでくる。
心臓が、ぎゅっと掴まれたように跳ねた。
振り返るより早く、クロウが前に出る。
リコリスとランスを庇うように、一歩、二歩と距離を取る。
「お前たちは足手まといだ。早く逃げろ!」
怒鳴り声には、迷いが一切なかった。
背中越しに伝わってくるのは、戦う者の覚悟。それが分かってしまうからこそ、リコリスの胸は締め付けられる。
「嫌です!クロウさん、一緒に逃げましょう!」
反射的に、腕を掴んでいた。
離したら、もう二度と戻ってこられない気がして怖かった。
クロウは一瞬だけ、視線を伏せる。
ほんの刹那。けれど、それは確かに“躊躇”だった。
「さっさと行け。俺は死にたくないんだ、邪魔をするな。」
冷たい言葉。突き放すような声。
けれどリコリスには分かっていた。
これは、彼なりの優しさだ。
「リコリスさん、行きましょう!」
ランスが叫び、強く腕を引く。
「僕たちがいたら、クロウさんの邪魔になるんです!」
足がもつれ、転びそうになりながら走る。
背後では、クロウがゆっくりと、魔王軍の方へ歩き出していた。
行かないで………
喉まで出かかった言葉を、必死に飲み込む。
リコリスは走りながら、震える声で叫んだ。
「クロウさん……!実は……魔獣化薬の試作品を、少しだけ……少しだけ持ってるんです!」
胸が苦しい。息が切れる。
「使ってほしくなくて……完成してないからじゃなくて……貴方が壊れてしまいそうで、怖かったんです……!」
クロウの目が、はっきりと揺れた。
リコリスは懐に手を入れ、小さな小瓶を取り出す。
ランスに引っ張られながら、振り返り、力いっぱい投げた。
「どうか……無理だけは、しないでください!絶対に、生きて……また会いましょう!この先で……待ってます!」
カラン、と乾いた音。
小瓶は地面を跳ね、クロウの足元に転がった。
彼がそれを拾い上げたのを、確かに見た。
それだけを確認して、二人は村のある方角へと走り去った。
――必死に逃げ、どれほど経っただろう。
ーーーグオオォォッ!!!!
森の奥から、世界を引き裂くようなおぞましい咆哮が響き渡る。
「クロウさん……!」
胸が、張り裂けそうだった。
「ダメです!!リコリスさん!僕達が戻ったら、本当に足手まといになります!!」
ランスは泣きそうな顔で、それでもリコリスの手を離さず、必死に走り続ける。
その目も、潤んでいた。
やがて辿り着いた小さな村。
宿の扉をくぐった瞬間、リコリスは崩れ落ちた。
どうか……どうか、無事で……。
その夜、何度も目が覚めた。
窓の外には、静かに瞬く星。
久しぶりのふかふかベッドは快適はずなのに落ち着かない。
瞼を閉じても、クロウの背中が浮かんでくる。
冷たい瞳の奥に隠された、不器用な優しさ。
何気ない仕草に、何度も救われてきた。
気づけば、彼はただの同行者ではなく、
かけがえのない存在になっていたのだった。




