クロウの過去
その日の行程はほどほどに切り上げ、
ふたりは森の端で野営をすることになった。
リコリスは小川のほとりで膝をつき、クロウに教わった焼き方を思い出しながら魚を焼いている。
ハーブを内臓を取った魚の腹に詰め、
弱火でじっくり――
その通りにやっているつもりだ。
香草と魚の香ばしい匂いがふわりと立ち上がる。
うまく焼けてる…よね?
クロウさん、食べてくれるかな……?
不安と期待に胸をくすぐられながら、リコリスは木陰で休むクロウの方を見る。彼は相変わらず無愛想だが、昨日より少しだけ柔らかい雰囲気に見える。
「クロウさん、お魚焼けましたよ! どうぞ!」
リコリスは慎重に焼き魚を差し出した。
クロウは目を少し丸くし、眉間の皺をゆるめる。
「……お前が焼いたのか?」
「はい! 教えてもらった通りに焼いてみました!」
クロウは魚のニオイを嗅ぎ、無言で魚にかぶりつく。リコリスは胸の前で手をぎゅっと握りしめ、
彼の顔色をうかがった。
「……まあまあだな。俺のほうが上手い。」
不器用に吐き捨てるような言葉。
しかし、その口元はわずかに緩んでいる。
「よかった!もっと練習して、絶対美味しいって言わせてみせます!」
嬉しそうに笑うリコリス。
クロウは照れたのか、すっと視線を逸らした。
その瞬間――
ガサガサッ!
茂みが揺れ、クロウは立ち上がる。
「誰だ! 出てこい!」
リコリスは思わず身を縮める。
クロウはリコリスを庇うように茂みを睨んだ。
茂みをかき分けて現れたのはぼろぼろの服を着た少年。怯えきった顔でブルブルと震えている。
「す、すみません……ただの旅人です。匂いに誘われて、つい……」
クロウは鋭い目で少年を見据える。
「行商ギルド『紅』の……ランスといいます。仲間とはぐれてしまって……お金も食料も尽きて……
助けていただけませんか……」
力なく崩れ落ちるランス。
「クロウさん、助けてあげませんか?」
リコリスは不安そうにクロウを見つめた。クロウは何かを考えるように二人を見つめ、深く息を吐く。
「……仕方ねぇな。少しだけだ、恩に着ろよ。」
「ありがとうございます……!焼きたてのお魚です!美味しいですよ。」
リコリスは魚を差し出し、ランスは涙を浮かべて受け取る。その光景に、クロウは目を細めた。
「クロウさん、少しでいいので……一緒に連れて行ってあげませんか?」
リコリスの重ねてのお願いに、
クロウは苛立ち混じりに頭をかいた。
「……最寄りの村までだ。それ以上は知らん!お前だって……人外の世話になどなりたくないだろう?」
クロウがランスをギロリと睨んだ。その不器用だが優しい言葉に、リコリスはぱっと花のような笑顔を見せる。
「ランスさん、よかったですね! クロウさんは……ちょっと口悪いですけど、本当は優しいんですよ!」
「ありがとうございます……迷惑にならないように頑張ります……!……一人になるのは、もう嫌ですから……」
二人の会話を聞きながら、クロウは大きなため息をついた。
「明日からはペースを上げるぞ。戦えねぇ足手まとい二人を連れて歩くんだ、気を抜く暇はねぇからな。」
横目で二人を睨みながら言うその声には、
不思議と本気の怒気はなかった。
ーーーーー
翌朝。
空気はまだ少し冷たく、
森には白い霧がかかっている。
三人は次の村を目指して歩き出した。リコリスはランスの歩調に合わせ、ゆっくりと横を歩く。
「魔王軍は……最近……この辺りの村を襲っているらしいんです。僕のギルドも…もしかしたら……」
ランスは悲しげに視線を落とす。
リコリスはそっと彼の手を握った。
「大丈夫です。必ず見つかります。諦めちゃダメです!」
その言葉にランスは少しだけ微笑み、歩みを進めた。その様子を後ろで見ていたクロウの表情には、
わずかな葛藤が浮かぶ。
「人間なんて助ける価値はないのに…」
ポツリと呟いた一言は吹き抜ける風に消えた。
リコリスの優しさ。ランスの必死さ。
それらが…
彼の中の何かをじわじわと溶かし始めていた。
その夜、一行は森の中で野営することにした。
クロウは見張り役として木の根元に腰掛け、
周囲の気配を探っている。
リコリスはランスと共に簡単な夕食を作り、
3人はお腹を満たした。
ランスは体力が戻りきっておらず、すぐ眠ってしまった。眠れないリコリスはクロウの方へ向かい、クロウが休んでいる木の近くに座った。
「クロウさん、少し……お話しできませんか?」
意外な問いに、クロウは眉をひそめてリコリスを見る。
「……何の話だ?」
「クロウさんのこと、もっと知りたいんです……」
焚き火の灯りに照らされるリコリスの瞳は真剣だった。クロウは休んでいた木の枝から飛び降りる。
リコリスを見ながらしばらく沈黙し…
重く口を開く。
「……昔、人間の“人外狩り”に全部奪われた。家族も、故郷も、全部………だから……これ以上何も奪われねぇように力を求めている。お前が作る獣人化薬がどうしても欲しい。これでいいか?」
重苦しい声音に、リコリスの胸が締め付けられた。
「……私たち人間がごめんなさい。でも…クロウさんは一人じゃありません。私……クロウさんの力になりたいです!」
そう言ってリコリスはそっと彼の手に触れる。
クロウは視線を落として呟いた。
「ひとりじゃない。……最近、妹にまた会えた。」
一瞬、焚き火が爆ぜる音だけが響いた。
「……お前たちの研究所に、囚われていたがな。」
「……ネロリちゃんの、こと……ですよね。あの……ごめんなさい……」
リコリスは肩を震わせ、言葉を詰まらせた。
クロウはネロリの実の兄だったのだ。
「全部聞いてる。ネロリから……お前のこともな。」
クロウの眼差しが、鋭くリコリスを射抜く。
耐えきれず、リコリスは俯いた。
「大切な妹さんを傷つけた私を……どうして、殺さないんですか……?」
「お前には利用価値がある。お前が作る薬が必要だ。薬が手に入ればお前に用はない。まだ殺さないでやる。……仮にお前が死にたいと言っても、まだ殺してやらんからな。」
冷たく言い放たれ、リコリスは息を呑む。彼の顔を見ることができず、胸の奥がぎゅっと痛む。
クロウは立ち上がり、木を軽々とよじ登った。
「……もう寝ろ。これ以上話すことはない。」
短い言葉を残し、彼は上の枝に腰を落ち着ける。
その背中は、どこか寂しげだった。
リコリスは罪悪感に押し潰されるようにうつむき、
そっと寝床に戻り横になった。
私の罪を償うにはどうすればいいのかな?
魔獣化薬はまだ未完成の危険な薬だ。薬がクロウの身体をどれだけ蝕むのか分からない。
そんな危険なもの…クロウには渡したくない。
リコリスは悩みながら、ゆっくりと眠りについた。




