勇者のいた村
魔王軍の城を抜け出してから……
どれほど歩いただろうか。
時間の感覚はすでにない。
薄暗い森の中、差し込む僅かな光だけを頼りに、
リコリスとクロウは静かに歩みを進めていた。
露に濡れた地面は滑りやすく、
クロウの足取りはまだ万全とは言えない。
それでも、彼は弱音を吐こうとはしなかった。自分が倒れれば、次はリコリスだと分かっているようだった。
どうして彼はここまで頑張るのだろう。
「……クロウさん、無理しないでください」
リコリスは、彼の肩にそっと手を添える。
「少し休みましょう。顔色、まだ良くないです。」
「……大丈夫だ」
そう答えながらも、クロウはわずかに息を整える。
「お前の治療がなければ、とっくに倒れてる。感謝してる。早く…安全な所で休みたい。」
その言葉に、リコリスは小さく微笑んだ。
「それなら良かったです。」
互いに多くを語らなくても、今はそれで十分だった。
「しばらく身を隠して、体力を戻す。それが最優先だ」
クロウは前を見据えている。リコリスは頷くが、不安は拭えない。
「……どこか、心当たりはあるんですか?」
クロウは一度目を閉じ、沈黙した。
「……小さな村がある。亜人だけが、ひっそり暮らしている場所だ。知り合いがそこにいる。」
その言葉に、リコリスの胸が少し軽くなる。
「匿って……もらえるでしょうか。」
「問題ない、無理矢理にでも匿わせる。」
迷いはなかった。
リコリスはクロウの腕を取り、二人で再び歩き出す。
重い足取り。
それでも、寄り添えば進める。
そんな確信があった。
ーーー
やがて辿り着いた村は、驚くほど静かだった。朽ちかけた家々の中にいくつか修復済みの家が混ざっている。人の気配は少ないが、不思議と温かみがある村だ。
警戒されるかと身構えていたリコリスだったが、
村人たちは二人を拒まなかった。
「クロウ、久しぶりだな!まさか女の子を連れてくるとは思わなかったぞ!!」
赤髪の亜人の男が明るく話しかけてきた。
クロウの言っていた知り合いとは彼の事だろうか。
「……うるせえ」
クロウはそっぽを向き、照れたように答える。
「こんな可愛らしい女の子連れて旅なんてあんまりじゃないか?」
「人間の廃村に住み着いてるお前らよりマシだろ。」
「言うねえー」
その男、カイルは、楽しそうに笑った。二人のやり取りから、長い付き合いであることが伝わってくる。
二人のやり取りは荒っぽいが、
そこに上下も、憐れみもなかった。
ただの知り合い…ではなく友人だろう。
カイルは、ふとリコリスを見て首を傾げた。
「お嬢さん、人間だよな?」
「えっ……あっ…ご、ごめんなさい!!」
反射的に謝罪してしまう。彼も亜人、きっと人間を憎んでいると思ったから。
「別に謝ること無くねぇ?………あっ、クロウっ!お前ってやつは…!!まさか、この子をイジメてるんじゃないだろうな!?こんな可愛らしいお嬢さんを……サイテーだぞお前!!」
「なんでだよ!!」
語気は強いが、表情はどこか柔らかい。
リコリスはこの村に来て正解だったと感じていた。
ここには、過度な疑いも、憎しみもない。
ただ、静かな日常がある。
ーーー
「魔王軍か……」
夜、食事を囲みながら、カイルは軽く呟いた。
「お前らも大変だなー」
そのどこか他人事のような口調に、リコリスは少し拍子抜けする。
「……怖くないんですか?」
「そりゃ怖いさ」
カイルは笑いながらも、目は真剣だった。
「でもな、この村はもう一度、全部失ってる」
その言葉に、空気が変わる。
「……この村、知ってるか?昔、勇者を輩出したらしい。」
リコリスとクロウは、思わず顔を見合わせた。
「勇者……?」
「そう。勇者リラだ。」
その名を聞いた瞬間、リコリスの瞳が大きく開く。
「……あの、聖剣を持った勇者……?」
「知ってるのか?」
「はい。エルフの姫君と旅をしていた……」
リコリスは、記憶を辿るように言葉を続ける。
「生きて帰ったのは、姫君だけ。その後、エルフ族は魔王軍と同盟を結んだんですよね。」
カイルは感心したように頷く。
「詳しいな……で、勇者リラは、どうなったんだろうな?」
その問いに、クロウが静かに口を開く。
「勇者も、姫が想いを寄せていた剣士も死んだ…」
クロウの淡々とした言葉にリコリスは息を呑む。
「もう一人の仲間……魔王軍四天王、賢者ロゼはたまに姫様に会いに来るらしい。姫様自身はエルフの城に軟禁されていて、彼女の夫の座をかけて魔王軍は内部抗争中なんだとよ。」
まるで姫本人から聞いたかのような口振り。
その言葉に、リコリスは目を輝かせた。
「……姫様と、会ったことがあるんですか?」
「一度だけな」
クロウは、それ以上語らなかった。
英雄の物語。
失われた勇者。
残された者たち。
リコリスは、ふとクロウを見る。
英雄ではない。
けれど、彼女にとっては。
この人は、私の“勇者”だ
そんな想いを胸に秘めながら。
夜は更け、二人はつかの間の安らぎに身を委ねる。
嵐の前の、静かな夜だった。




