第26章「名前のある人」
医者の話は、急には進まなかった。
それでも、止まりはしなかった。
砦を拠点にすると決めた以上、
守るための手は探さなければならない。
朝。
砦の中庭。
ミケが、昨日来た男と一緒に水を汲んでいる。
「……医者、探すん?」
「……探す」
「……知ってる人、おらんの?」
男は、少し考えてから首を振る。
「……前の村には、おった」
「……でも、勇者様が通ったあと、いなくなった」
その言い方は、はっきりしない。
「……死んだん?」
「……分からん」
「……連れて行かれた、って噂もある」
ミケは、それ以上聞かなかった。
クロは、砦の壁際で地図を広げている。
古びた地図の端に、薄い書き込みがあった。
誰かが後から記したらしい文字。
「……この辺りに、治療師がおるって話はある」
「……話、やろ」
ミケが言う。
「……ああ」
「……でも、名前がある」
クロは、地図の端を指した。
「……“イーサ”」
フェイが、顔を上げる。
「……聞いたこと、ある」
「……流れ者で、どこにも属さへん」
「……でも、診る人は診る、って」
ヨルが、静かに口を開く。
「……場所は」
「……定まってない」
「……街と街の間」
「……来るか、行くか」
ミケが、腕を組む。
「……来るとは思えんな」
クロは、うなずいた。
「……だから、行く」
フェイの手が、わずかに震える。
「……危ない」
「……分かってる」
「……でも、動かへん方が危ない」
砦の外。
ヨルが、クロの前に立つ。
「……守りは、ここが先や」
「……俺が残る」
盾を背負い直す。
「……拠点を空ける判断はせん」
ミケが、当然のように言う。
「……また二人やな」
クロは、ヨルを見る。
「……守り、頼む」
ヨルは、短くうなずいた。
「……必ず戻れ」
クロは、地図を畳む。
医者は、勇者ではない。
だが、名前を持つ人だ。
探す理由が、はっきりした。




