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第9話:嵐を呼ぶ伯爵夫人と、お買い物

続きは明日のこのくらいの時間にー

「ただいま戻りましたよ! 愛しのイレーナ、そして愛しの旦那様!」


 ヤング伯爵邸の玄関ホールに、歌うような高い声が響き渡った。

 生家の領地から帰宅したヤング伯爵夫人は、旅の疲れをまったく感じさせない足取りでホールを横切る。


 そして、イレーナの傍らでおずおずと控えていたサイラスを見つけるなり、その動きがぴたりと止まった。


「……あら?」


 夫人は扇子を閉じ、サイラスの周囲をぐるぐると回り始める。その様子は見る者に少しの恐怖を抱かせた。

 サイラスは、イレーナに勝るとも劣らない覇気を放つ美魔女――伯爵夫人の勢いに圧倒され、置物のように固まっている。


「お母様、お帰りなさいませ。こちらが手紙でお知らせした、私の婚約者の――」

「まあ! まあまあまあ! なんてこと! イレーナ、貴方、こんな素晴らしい素材を! 今までどこに隠していましたの!?」


 夫人はサイラスの頬を両手で挟み込み、熱烈な視線を注いだ。


「この月光を溶かしたような銀髪! そして憂いを帯びた薄青の瞳! まるで神話の中から迷い込んだ迷子の天使ではありませんか! こんな息子が欲しかったのよ〜! イレーナとお似合いだわ!」


「……あ、あの、……は、初めまして…」


 サイラスの消え入りそうな挨拶に、夫人は悶絶するように胸を押さえた。


「声まで可憐だわ! ダメよイレーナ、今すぐこの子をお洒落の極致まで飾り立てなくては! こんなボロボロ――と言っても十分綺麗だけれど――な状態で放置するなんて、淑女の怠慢だわ! さあ、街へ行きますわよ!」


「お母様、落ち着いてください。…でも、そうですわね。お披露目のための服を新調する必要がありますわ」


 こうしてサイラスは最強の母娘によって、王都で最も高級なブティックが集まる『黄金通り』へと連れ出されることになった。




◇◇◇◇◇




 王都の街並みは、サイラスにとって眩しすぎた。

 屋根裏部屋にいた頃は、窓の隙間から見える切り取られた空が世界のすべてだった。だが今は、色とりどりの看板、行き交う人々、そして何より自分を「美しいもの」として見る人々の視線がある。


「見て、あの方…」

「なんて綺麗な銀髪。どこの貴公子かしら」


 通りかかる人々が思わず足を止め、サイラスを振り返る。

 イレーナはサイラスの腰を引き寄せるようにして歩き、周囲の視線を「私のものですわ」と言わんばかりの誇らしげな微笑みで跳ね返していた。




 一行が到着したのは、王室御用達の高級仕立て屋『ルナ・クレセント』だ。

 夫人は店に入るなり、店主を呼びつける。


「店主! この子に似合う、最高にエレガントで、最高に保護欲をそそる服を持ってきなさい! 予算は度外視よ!」


「かしこまりました、伯爵夫人!」


 そこからは、サイラスにとって怒涛の時間だった。

 白のシルクに銀の刺繍を施した礼装、深いエメラルドグリーンの外出着、夜会用のミッドナイトブルーのスーツ…。

 次から次へと試着室へ押し込まれ、着替え終わって出てくるたびに、母娘の熱狂的な品評会が開催される。


「お母様、この淡い紫のベストはいかがかしら? サイラス様の瞳の色が際立ちますわ」


「素敵よイレーナ! でも、あえて真紅のタイを合わせることで、彼の儚さを強調するのも捨てがたいわね……ああ、サイラスちゃん、もっと悲しげな顔をしてみて。そう、それよ! 全人類が跪きたくなる美しさだわ!」


 サイラスは鏡の中に映る、自分とは思えないほど豪華に着飾った姿を見て、気恥ずかしさと戸惑いに包まれていた。

 だが試着室から出るたびに、イレーナが本当に嬉しそうに、そしてうっとりと自分を見つめてくれるのが何よりも嬉しかった。


「……イレーナ様。僕、こんなにたくさん、似合っているでしょうか…?」


 不安げに尋ねるサイラスの肩にイレーナは手を置き、鏡越しに視線を合わせた。


「似合っているどころではありませんわ。サイラス様、貴方はご自分が思っている以上に、人を惹きつける力をお持ちです。…少しだけ、独占欲がうずいてしまうほどに」


 イレーナの指先がサイラスの襟元を整え、そのまま彼の首筋をなぞる。

 その熱い視線に、サイラスの心拍数が跳ね上がる。


「今日はこれくらいにしておきましょう。これ以上お披露目すると、お披露目本番の前に貴方のファンで王都が埋め尽くされてしまいますわ」


 イレーナが冗談めかして笑った、その時だった。


「…あ、あれは、サイラス……?」


 店の隅、修繕の相談に来ていたらしい男女のグループから、震える声が上がった。

 そこには、没落の兆しが見え始めたせいか、少しだけくたびれた服を着たエドワードと、その隣で顔を強張らせているケイティーの姿があった。


 彼らは、自分たちがゴミと呼んで追い出した兄が、王宮貴族も顔負けの豪華な装いに身を包み、ヤング家の淑女たちに囲まれて輝いている姿を見て、言葉を失っていた。


「エ、エドワード……あいつ、本当にサイラスなの……?」


 ケイティーが絶句する。彼女が知っているサイラスは、いつも俯き、埃にまみれた薄汚い男だった。だが目の前にいるのは、王都の流行を塗り替えてしまいそうなほど高貴な美形だ。


 エドワードは嫉妬と怒りで顔を歪め、一歩前に出ようとした。


「おい、サイラス! 貴様、人の金でそんな格好を――」


 だが、その言葉は最後まで続かない。

 イレーナが、エドワードの声を遮るようにサイラスの前に立ち、氷のような視線を向けたからだ。


「あら。店が汚れると思ったら、また害虫ですの?」


 イレーナはエドワードの「くたびれた上着」をちらりと見て、勝ち誇ったように微笑んだ。


「せっかくのお買い物に泥を塗らないでくださいな。セバス、この方々が手にしている『修繕予定の服』の代金は我が家で持ちましょう。…お金に困っていらっしゃるルーサー家への、せめてもの情けですわ」


「貴様っ!」


 エドワードが掴みかかろうとするが、店内の護衛たちに即座に阻まれる。

 その様子を見てイレーナはサイラスの腕を引き、優雅に店を後にした。


「行きましょう、サイラス様。次は貴方に似合う、最高級の宝石を選びに行かなくては」


「は、はい……イレーナ様」


 サイラスは一度だけ振り返り、立ち尽くすエドワードたちの姿を見た。

 かつては死ぬほど恐ろしかった存在が、今は、とても小さく思える。


 馬車に揺られながら、サイラスは隣に座るイレーナの手に、自分からそっと手を重ねた。


(…僕はもう、あの暗い部屋には戻らない。この人の隣に、ふさわしくなりたい)


 サイラスの瞳に、かすかな自信という名の光が宿り始めたのを、イレーナは見逃さない。


「…ふふ。宝石選び、楽しみにしていてくださいね?」


 サイラスの依存と成長、そしてイレーナの策略が絡み合い、物語は王都の社交界を揺るがす『お披露目』へと加速していくのだった。


夫人のキャラめっちゃ好きだわ


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